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記事翻訳:統一教会、今度は米国信徒に献金圧力をかける

統一教会、今度は米国信徒に献金圧力をかける

日本からの献金不足、米国で「補充」せよ。切迫した状況を示す

2023年5月完工予定だったが、11月現在未完成の加平天苑宮

昨年10月初め、統一教会(現・天宙父母聖会 世界平和統一家庭連合)の韓鶴子総裁が米国を訪問した後、米国の信者の一部から不満が噴出した。

最近、日本で「解散命令」が請求され、韓国に入る献金が止まると、アメリカの信徒たちに不足する献金を補充するよう圧力をかけているからだ。

ある信者が暴露した所によると「アメリカの統一教会会員に日本で不足している献金を補充するよう圧力をかけている。彼らはまた、政治家から内部情報を得ようとし、ワシントンタイムズを自分たちの広報目的のための手段として利用している」。

統一教会自体が国際的な金融危機を克服するために米国に動けということだが、日本の献金が滞り、韓国での運営が困難になったのでうち出した対策のようだ。韓国と日本の信者に対しては40日間の修錬会を行っているが、米国の信者に対しては120日間の祈祷会を開催した。

 

米国統一教会信者を対象に120日祈祷会を実施

京畿道加平HJ団地内の天苑宮の工事は5月完成予定だったが、現在まで未完成の状態である。建築費不足のためという指摘がある。このため10月初めの米国訪問時にキャッシュ・ワーキング・グループ(現金工作班)を構築せよ(Trying to build CWG(Cash Working Group))という指示があったという。

「米国は自給自足できる。 だから世界宣教に資金を支援しなければならない("USA should not only be self sufficient, but should be able to fund world missions")」と言ったとの証言もある。

これに対して信者の一部からは「財政的に寄付できないなら時間を寄付しろというが、私たちは奴隷か、リーダーたちの指示に応じなければならないという脅しに聞こえる。」との声もあがる。

 

「1世代と違って2世は20代半ばがほとんどだ。お金を要求し続けるので伝道ができない」という反応を示し、今は脱会した元信徒は「(統一教会の)外で自分の存在の意味を見つけた方がよい。 あなたを搾取したり、罪悪感を感じさせないより良いものを見つけるべき」と勧めた。

 

米国統一教会東部地域本部であるニューヨーク・ニュージャージー・ワシントンDC・ボストンなど東部地域に住む家庭連合信徒は2~3000人と発表されている。この地域の信徒たちの献金内訳だ。

 

米国東部地域統一教会信徒たちの10分の1条献金の状況



統一教会が財政難を経験している証拠として、まず天苑宮工事の未完成、そして国内外の様々な不動産を売却したこと、職員削減、そして教会組織の職員の給料カットもあったというニュースがある。

このような中、加平統一教会の施設では毎月継続的に先祖解怨・祝福に続き、聖和者(つまりは死亡して霊界に行かれた方)未婚霊人祝福式、霊肉界祝福式、心身の距離を狭める方法、母訓読法、そして各種の修行プログラムが新設されて進行されている。日本人信徒だけのための40日間の修錬会も行われている。絶えず信徒を呼び込んでいるのだ。

加平の統一教会の施設を訪問してみると、韓国人よりも日本人信徒が多く見られる。日本でもっと積極的に統一教会反証運動が起こらなければならないと思われる。

Translation: Unification Church now pressures US congregants for donations

This is the traslation of Korean Article on

 

m.churchheresy.com

Unification Church now pressures US congregants for donations

Shortfall in offerings in Japan, pressure to 'make up for it' in the U.S... Showing the UC's desperation

 

Gapyeong Cheonwon Palace, which was scheduled to be completed in May 2023, was still incomplete as of November.

Since the Unification Church's (now the Family Federation for World Peace and Unification of Heavenly Parents) Hak Ja Han visited the United States in early October, complaints have erupted from some of its American members.

In the wake of the recent "Dissolution Order" in Japan and the blockage of donations from South Korea, the Unification Church has been putting pressure on its members in the U.S. to make up the shortfall.

As one member revealed, "There is pressure on Unification Church members in the United States to make up the shortfall in Japan. They are also trying to get inside information from politicians and using the Washington Times as a vehicle for their own public relations purposes."

The Unification Church's call for the U.S. to help it overcome the international financial crisis seems to be a response to the difficulties it is facing in South Korea due to the blockage of donations from Japan. While the Unification Church holds 40-day retreats for Korean and Japanese believers, it holds 120-day prayer meetings for American believers.

 

120-day prayer event for Unificationists in the U.S.


The construction of Cheonwon Palace in the HJ complex in Gapyeong, Gyeonggi Province, was scheduled to be completed in May, but has not been completed to date. It has been pointed out that this is due to lack of funds. For this reason, during Hak Ja Han's visit to the United States in early October, she instructed to try to build a CWG (Cash Working Group).

There is testimony that she said "USA should not only be self sufficient, but should be able to fund world missions". 

In response to this, some of the members said that they felt like, "If we can't give financially, we're told to give of our time, which sounds like a threat that we're slaves, that we have to do what our leaders tell us to do."

A former UC member said, "Unlike the first generation, the second generation is mostly in their mid-20s. They don't evangelize because the leaders keep asking them for money,"and advised, "Find the meaning of your existence outside of the Unification Church. Find something better that doesn't exploit you or make you feel guilty."

There are an estimated 2,000 to 3,000 members of the Unification Church in the Eastern Region, which includes New York, New Jersey, Washington, D.C., and Boston, the headquarters of the Unification Church in the United States. The following is a breakdown of tithing for members in this region.

 

Tithing Breakdown of Unificationists in the Eastern Region of the United States

As evidence of the Unification Church's financial difficulties, there are reports of the unfinished construction of the Cheonwon Palace, the sale of several Korean and international properties, staff reductions, and salary cuts for officials.

In the meantime, the Gapyeong Unification Church complex continues to hold monthly ancestor dismissal and blessing ceremonies, the Blessing of Unmarried Spritual(Dead) People for Sanctification, the Blessing of the Spiritual and Terrestrial Realm, the Narrowing of the Distance Between Body and Mind, the True Mother Speeches Hoon Dok Reading Method, and various training programs. There is also a 40-day retreat for Japanese believers. The church is constantly attracting new members.

If you visit the Gapyeong Unification Church complex, you will see more Japanese believers than Koreans. It seems that there should be a more active anti-Unification Church movement in Japan.

 

Period.

1976年のワシントン大会 「公園警察によると、(教会発表の30万人ではなく)5万~7万人しか来なかった」

統一教会の人達が語る実績が、全く実績になっていないことは、当時の状況についての資料がますます広範囲にネットに公開されることによって明らかになりつつあります。

現役の教会長が盛んに「ソ連の信教の自由は文鮮明がもたらした」と語るので、調べたら全然デタラメでしかなく、ソ連側の事情や歴史的背景を根底から無視して、すべての事は統一教会のおかげ様みたいな発言をしたことが分かってしまいました。

外部と遮断された修練会じゃないんだから、調べたらいくらでも資料なんか見つかるわけですし。

特にソ連関係の資料は最近、ゴルバチョフを中心にいくらでも見つかりますので、ソ連に関する統一教会の主張は、まるでデマでしかないことはいくらでも分かります。

kib.hateblo.jp

今回は、アメリカの1976年のワシントン大会に関するお話になります。

これも統一教会の「現代の摂理」では必ず語られる重要なイベント。統一教会の公式発表や講義では、30万人もの人物が集まったことになっています。今回はこの発表が正しいのかについて、調べてみることにしましょう。

 

1976年のワシントン・モニュメント大会に30万人も集まったのか?

この記事は、天地っ子さんのツイートでの777双の先輩信者の証が投稿されたことが発端となっています。

 

ここから始まる一連のツイートに、NoWayさんによるワシントン・タイムズのギフト記事がリンクされました。

1976年、地元紙ワシントン・タイムズによる記事

www.nytimes.com

こちらはお手数ですがリンク先から翻訳ソフトなどを使ってお読みいただければ幸いです。

https://twitter.com/nowwarmom/status/1680404442657456128?s=20

この記事から、一か所だけ抜粋した内容を転記していますが、当時統一教会は外部から把握できるおカネだけで100万ドルを投入したようです。

ここで外部からと断っているのは、このワシントン大会に動員された信者やメンバーたちの経費などはまったく考慮されていないからです。

広告キャンペーンは、電話のイエローページで「あなたの指に歩かせる」シリーズを企画したスティーブン・ベイカーが一部仕切ったもので、定期的なスポット・コマーシャルと、ワシントンの新聞に11の全面広告と2ページ広告を掲載した。

全体として、この運動は集会に約100万ドルを費やした。

また、念のために補足しておきますが、1976年当時の為替レートは1ドル293年でしたので、額面だけでも約3億円。

消費者物価指数で比較すると、令和2年を100とした場合、当時は58.9でしたので、3億円÷0.589=5.093。つまり実質5億円ほどを広告に投入していたわけです。

(当然、日本人信者からの献金がほとんどだったでしょう。)

www.boj.or.jp

さて。それでは当時の100万ドル=約5億円を投じてやろうとしていた大会の成功のために、統一教会内部では一体何をしていたのでしょうか?

この裏側で、統一教会は何をしていたか?

アメリカの統一教会の活動については、「この人」というべきHWDYKYM氏の詳細なまとめ記事が、これも同じくNoWayさんによってリンクされました。

 

こちらの記事については、それほど長いものではないので、全文翻訳して紹介いたします。

1976年ワシントン大会の裏側:HWDYKYM氏によるまとめ

<以下、記事翻訳>

1976年のワシントン大会 「公園警察によると、(教会発表の30万人ではなく)5万~7万人しか来なかった」

2016年9月17日(土)、文鮮明の組織はワシントン記念塔のイベントの40周年を祝った。1976年のイベント前からの報道では、組織は100万ドルの広告予算を費やしており、彼らはテレビやラジオのスポットに使用した。ワシントン・ポスト紙やワシントン・スター紙のような新聞に全面広告を掲載した。また、「地域住民を無料送迎するための550台のチャーターバスに16万5000ドル」を費やしたという。

アメリカでの40年』という本には、「この運動は、ディズニーランドやディズニー・ワールドのディスプレイを手がけるカリフォルニア・ファイヤーワークスと契約し、フェスティバルのフィナーレを飾る『世界一の国際花火』を制作した」と書かれている。朴普煕は「花火大会だけで100万人の観客を魅了できると確信していた」という。しかし、彼は文師のメッセージに "真剣に関心を持つ "少なくとも10万人の動員を心配していた。(「アメリカでの40年」より)

エンターテイメントもあった。

ニュースによれば、組織は10万人の動員を見込んでいたという。

どうやら、観客数の予測が危うかったようだ。マイケル・バルコムは、「とても難しかった。少なくとも私の知る限りでは、誰かが名案を思いつくまで、誰も申し込まなかった......無料のチキン・ディナーだ!"と。」

しかし、テレビとラジオで宣伝し、13日間にわたって新聞の全面広告を打ち、無料の交通手段、エンターテインメント、世界クラスの花火を用意し、無料のチキン・ディナーも用意したのに、公園警察によると、実際に集まったのは5万人から7万人程度だった。

トリミングやアングルを変えていない群衆の写真を見ると、より多くの群衆が集まったように見えるが、公園警察の見積もりが正しかったことは明らかだ。当初、警察は群衆を35,000人と見積もっていた。

なぜ組織は30万人が参加したと主張するのか?

なぜ文鮮明は2009年の「自叙伝」の中で、そのようなインチキな数字を主張したのだろうか?

「1976年9月18日、あの日のことは決して忘れない。人々は早朝からワシントン記念塔に集まり始めた。約30万人が集まった。... ワシントン記念塔集会は奇跡だった。30万人が参加し、ワシントンモニュメント公演での集会としては過去最大規模になった。」 (文鮮明「平和を愛する世界人として」より)

なぜ皆、5万人程度の素晴らしい群衆だったと認めなかったのだろうか?

費やされたお金と時間、無料のチキン・ディナー!!、あるいは参加者が目標の半分に過ぎなかったことを考えれば、大したことではない。

これが 「神側の策略」というものなのだろうか?それとも、会員たちが文鮮明にそう伝え、文鮮明はおべっか使いが言ったことを繰り返しただけなのだろうか?指導者たちは「救世主」の怒りを恐れるあまり、彼にも自分たちにも正直になれなかったという例なのだろうか?

アメリカの40年』より:「教会のスポークスマンは、当初20万人、後には30万人と見積もっていた」。

1976年9月14日、フリーランス・スター紙より

ワシントン(AP)-文鮮明統一教会は、9月18日の集会のための100万ドルの予算のうち20万ドルを、ワシントン記念塔の敷地に人々を集めるための広告に費やしている。

このお金は、地域の新聞に全面広告を掲載したり、ラジオやテレビのスポット広告に使われた。

教会はまた、「ゴッド・ブレス・アメリカ・フェスティバル」に参加する地域住民を無料で送迎するための550台のチャーターバスに165,000ドルを費やした。

 

デセレット・ニュース 1976年9月17日

ワシントン(AP)-土曜日にワシントン記念塔の敷地内で行なわれ、物議をかもした文鮮明牧師の集会は、政府の試算によると、米国の納税者に約12万ドルの負担を強いる可能性がある。

この数字には、775人の警察官の超過勤務手当や清掃費用などが含まれている。医療費は含まれていないため、総費用は10,000ドルに上る可能性がある。

大々的に宣伝された集会には、10万人ほどが集まると予想されている。韓国人伝道者に加え、集会ではエンターテイメントや花火が打ち上げられる。

 

スポークス・マン・レヴュー紙 1976年9月19日

ワシントン(AP) - 警察は、集会のピーク時の観衆を50,000人と見積もっており、これは集会主催者が予想していた数の約半分である。

 

ケンタッキー・ニューエラ紙 1976年9月20日

ワシントン(AP)-.韓国の伝道者は、この宗教的祭典に10万人の信者が参加すると見積もっていたが、警察によると、群衆は約5万人から7万人であった。

<記事翻訳はここまで>

 

さて。これらの記事を見れば明らかだと思いますが、当時のニュースでは参加者はせいぜい5万人から多く見積もって7万人。

しかも無料のチキンやら国際的なレベルでも相当高いエンターテイメントや花火を用意してかき集めた人数であることが分かります。

現場レベルでも5万人集まるのと10万人以上、まして20万人などという人たちが集まればどれくらいなことになるのか、分かっていたはずですが。

落ち着いて計算してみれば...

たとえば550台のバスをチャーターしたとありますが、有名なグレイハウンドの大型バスでも定員は55名です。

www.j-bus.gr.jp

550台×55人=30,250人にしかなりません。

30万人-3万人=27万人は全員、ワシントン市内から集まってきたのでしょうか?

これ以上、微に入り細を穿つように掘っても、それほど意味があるとは思えないですし、当時のニュースや動員されたバスの台数からしても、5万人から7万人は妥当なところでしょう。

彼らが無料のチキン・ディナーや素晴らしい花火に感動した後で、文鮮明氏の「共産主義云々」のスピーチにどれほど感動したかは分かりません。

しかし、このスピーチがきっかけとなって何かが生まれたといった話は聞いたことがありません。

 

30万人は事実と異なり、しかも無料チキンにつられただけ

本投稿のきっかけとなった天地っ子さんの引用ツイートでは、現役信者が「30万人もの聴衆を集めることのできる宗教団体、人物がいるのであれば教えていただきたい!」とか言ってますが、そもそも30万人集まってませんでしたよね?

しかも、集まってきたのは文鮮明氏の「高邁なスピーチを渇望して」集まったのではなく、無料チキンや花火大会で、しかも無料のバス付。

こんな「顎足つき接待」の典型みたいなことで集められた人達が、その後何をしてくれると期待できるのでしょうか?

 

例えばキリスト教の初代教会に起きたペンテコステのような、熱狂の嵐が吹き荒れたのでしょうか?

information-station.xyz

そんな話は寡聞にして知りません。

 

統一教会の人があちこちで主張するので、この際、明らかにしておきたいと思うのですが、「30万人もの聴衆を集めることのできる宗教団体、人物がいるのであれば教えていただきたい!」とか自慢げに語りますが、そういう歴史的人物がいなかったとでも思っているのでしょうか?

統一教会の人達の歴史に対する認識の浅さたるや、驚くべきですね。

マルチン・ルーサー・キング牧師のスピーチ

まず、30万人は文鮮明のワシントン大会は盛りすぎであって、せいぜい7万人しか集まっていなかったことは当時の報道からも明らかですが、その3倍以上の人達が駆けつけた大会が会ったことはご存じない様子ですね。

こちらも正真正銘の宗教指導者の一人でした。

 

americancenterjapan.com

このスピーチは統一教会に入る前にも何度も読みました。非常に簡単で分かりやすく、何度も何度も「I haave a dream!」と畳みかけながら、白人と黒人を越えてすべての宗教の人達が手を取り合えるように訴えるスピーチです。

 

youtu.be

今改めて見ても、キング牧師の高潔な精神とスピーチには涙を流す。

文鮮明はあちこちで大会を開き、スピーチを行い、615巻にも上る説教集が出版されましたが、その中に無条件に人の心を打ち、誰かを突き動かす内容はあったのでしょうか?

キング牧師が残した「遺産」はアメリカ社会に多くの足跡を残し、今なお、その栄誉が称えられていますし、それは特定のある民族や国民に犠牲を強いて行われているものではありません。

amview.japan.usembassy.gov

改めて文鮮明は何を残したのか?

統一教会の人達は、ワシントン大会を行いましたとかヤンキー大会をやりました、ソ連ゴルバチョフと会いましたと語ります。

それが偉大な功績であると。

私にはそれが功績には見えない。

 

ワシントンやヤンキースタジアム、あるいはモスクワのクレムリンに行ってゴルバチョフと会ったというのは間違いのない事実でありましょう。

しかし、それが何を生み出したのか?

 

ワシントン大会で文鮮明は次のように語ったそうです。(ワシントン・タイムズの記事からの引用)

アメリカは世界的な責任を受け入れなければならない。神主義(Godism)で武装し、共産主義世界を解放し、最後に地上に神の王国を築かなければならない。

果たして、このスピーチはアメリカに何をもたらしたのでしょう?

現役信者は、このスピーチの内容を知っていましたか?

 

というか、神主義で武装とな何か?地上に神の王国を築くとはどういうことか?何も明らかにできていません。

明かにするどころか、自分たちの教団すら空中分解し、虚しくその醜態をさらしているだけの団体に成り下がっているではありませんか?

 

さて。もう一度、この簡単な問いに戻って本投稿を締めくくることにしましょう。

 

ワシントン大会には30万人も集まっていませんでしたし、集まった人たちも無料のチキンがほしかっただけでした。
そうやって集めた人たちを通して何がやりたかったのでしょうか?

 

https://twitter.com/nowwarmom/status/1680404442657456128?s=20

「光は東より」・・・詩聖タゴールの礼賛したものと批判したもの (元記事の投稿日:2006年5月15日)

楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってあるので、復元はできます。

以下、元記事は楽天ブログに2006年5月15日に公開したものです。

ただし、当時、Web魚拓で保存していなかった記事などが既にサーバーが消えていたりしており、当時の原稿そのままでは内容の確認ができませんでしたので、その後に新聞社が記事にした内容を追加して、全体の趣旨としては一致するように再構成しています。

このため、その後の時代の記事が引用されているものがあります。この点はあらかじめお断りしておきます。参考:元URL(現在は表示されません。)

http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200605150000/

 

<以下、元記事の復元内容です。上述の通り修正あり>

 

詩人タゴールと日本

詩人タゴールと聞いて、日本人は何を思い浮かべるのだろうか?

アジア最初のノーベル賞詩人、インドの詩聖・・・日本の軍国主義に反対した人・・・

検索エンジンで調べると、タゴール岡倉天心と親交があり、日本にも何度か訪れています。

www.tenshin.museum.ibk.ed.jp


このインドの詩聖タゴールノーベル賞詩人として有名だから聞いたことのある人も多いと思いますが、「教会」に関して言えば、また別の意味で有名です。

 

詩人タゴールと韓国

原理講義も5-Days以上の長期のものになってくると、「現代の摂理」と称して、原理講論の最終章である「どこに再臨されるのか?」という内容の講義から始まり、

  1. 再臨主が実は韓国に生まれる事
  2. さらに、実は既に生まれている事
  3. そして既に世界的な地上天国実現の活動を繰り広げている事
  4. それが統一教会であり、そのお方の名前は文鮮明である!

なんていう風に講義が行われますが、ちょうどこの「現代の摂理」に関する講義で詩人タゴールが登場します。

再臨主が韓国に来られるということを講義した後、「あのノーベル賞詩人、インドのタゴールも韓国のことをこのように語っています」と紹介する詩が次。

韓国で人口に膾炙しているタゴールの詩

東方のともしび  タゴール

かつてアジアの黄金時期に
朝鮮はその燈火をかかげる一人であった
その燈火はふたたび灯されるのを待っている
東方を照らすために
心に恐れはなく
頭を高くもたげ
知識は自由で
狭苦しい垣根で世界がばらばらに分かたれない所
真実の深みの中から 言葉が湧き上がる所
絶え間ない努力が 完成目指して腕を広げる所
知性の清い流れが 
固まった習慣の砂原に道失わない所
無限に広がって行く思考と行動に 私たちの心が導かれる所
そのような自由の天国で
私の心の祖国コリアよ 目覚めたまえ

私がこの詩の紹介を受けたのは既にかなり前のことになりますが、タゴールというインドの詩人が唐突に登場すること、そのインドの詩人が「私の心の祖国コリアよ」と言っているという点は、色々と衝撃(というよりも非常な違和感があったため)で、今でも間違いなく、この詩が使われたことを覚えています。

この詩は韓国においては非常に有名なもので、「あのノーベル賞詩人のタゴールが心の祖国コリアよ目覚めたまえ、と語っている!」という事になっていました。

上の引用文を見たら誰が読んでも、そのように受け止めることでしょう。

 

しかし「カルカッタ韓国文化院 代表 権ビョンフィ」という方が、2006年当時、このタゴールの詩について衝撃的なことを発見して投稿しました。

2006年当時、それを見て衝撃を受けたのは私の方です。それでこの元の記事を投稿したのですから。

その後、「カルカッタ韓国文化院 代表 権ビョンフィ」の記事はサーバーからも消えてなくなってしまっていますが、時間をかけて韓国本土にも伝わりまして、とうとう中央日報でも記事になりました。

そのおかげで2012年当時、ほとんどアクセスがなかったのに、2006年のこのタゴールの記事にアクセスが異常に増えて、私自身が驚いたくらいです。

kib.hateblo.jp

タゴールが書いた韓国の詩とは?

カルカッタの韓国文化院長の記事で書かれていた内容がほぼそのまま、中央日報で取り上げられたような感じです。

それがこちらの二つの記事。Web魚拓にとったリンクで上げておきます。

megalodon.jp

megalodon.jp

これらの記事は短い文章でありながら、問題を正確に描写してくれていますので、こちらにも引用しておくことにいたしましょう。

記事のタイトルですべてを悟れる気がしますが、まずは記事を読んでみることにしましょう。

【噴水台】タゴールの詩、韓国人好みに仕立て上げたとは苦々しい

岸で夜は明け
血の色の雲の早朝に
東側の小さな鳥
声高く名誉の凱旋を歌う

1913年にアジアで初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人タゴールベンガル語で書いた詩だ。何を歌ったのか。日本が日露戦争で勝利したことを祝う詩だ。インドが長い間の英国の植民地統治から抜け出せないことを残念に思っていたタゴールは、当時世界的な強国に浮び上がった同じアジアの日本に好感を持った。1916年をはじめ5回も日本を訪問した。茶道、生け花、俳句など日本の伝統文化に魅了され、「詩心を起こさせる国」と高く評価した。日本滞在中の講演を通じ、「日本はアジアに希望をもたらした。私たちはこの日出ずる国に感謝する」と話したりもした。アジア主義を叫んだ日本右翼の大物頭山満とも懇意にしていた。

これほどになるとタゴールの詩「東方の灯燭」を記憶する多くの韓国人はいぶかしいだろう。教科書にも載せられた「東方の灯燭」は、「早くからアジアの黄金時代に/光る灯燭の一つである朝鮮」で始まり、「わが心の祖国コリアよ目覚めて下さい」で終わる。日帝統治下の朝鮮のために書いた詩だとされ韓国人なら誰が見ても植民地支配から抜け出せと励ます内容として読まれる。そんなタゴールが日本の味方だったと? 


英文学者の洪銀沢(ホン・ウンテク)大真(テジン)大学教授が季刊詩専門紙「詩評」冬号に寄稿した「タゴールに対する不便な真実」を見ると疑問の相当部分が解ける。洪教授は考証を通じ、「東方の灯燭」の15行のうち最初の4行は詩というよりメモ形態で1929年に朝鮮に伝えられたものであり、残りの11行は誰かがタゴールの作品「ギーターンジャリ」35節を付け加えて仕立てたものと分析した。しかも「わが心の祖国コリアよ目覚めて下さい」という最後の一節は誰かが「ギーターンジャリ」の原文にもない「コリア」を入れ脚色したものと指摘した。ノーベル賞受賞者の権威に寄りかかったとんでもない“片思い”が日帝時代、そして解放後も長く続いたことになる。

事実タゴールは日本だけを欽慕したのではなかった。日本人対象の講演で「この国(日本)は物質的には進歩したが精神的には退歩している」と苦言を呈したし、軍国主義化傾向も懸念した。彼が「日本がインドにも野心を抱いているようだ。飢えた彼らはいま朝鮮を食い荒らし中国を食いちぎっている」と話したという証言もある。ひとつの側面だけ見るものではない。

80年を超えて続いたタゴールに対する片思い、あるいは誤解は私たちの必要・コンプレックスと外国発の権威に対する盲従が混ぜ合わされた結果だ。厳酷な日帝時代には仕方なかったとして、最近の大韓民国でこれと同様の寸劇が広がらないと誰が壮語できるだろうか。 

 

・・・スゴイね。

  1. 韓国向けに書かれた部分とそうでない部分を結合させ、全ての文脈を韓国へと解釈している。
  2. 原文の「わが祖国」を「心の祖国コリア」と変換し、タゴールの詩のように流布している。
  3. カルカッタ韓国文化院の方は、この2)のようなやり方は正しくないと述べています。
    しかし「後の人がちょっと直してくっつけただけ」と弁明していました。

 

「ちょっと直してくっつけた」...

 

ギタンジャリの日本語訳を調べると、以下の部分が該当するようです。

心が恐れを知らず 
頭が高く支えられているところ
智識が 自由であるところ
世界が せまい家という壁で 分離されていないところ
言葉が 真理の深みから出て来るところ
疲れを知らないはげみが 完成へと 腕をさし伸ばすところ
理性の清い流れが 死滅した習慣の荒れた砂漠の中へ 道を失わないところ
心がいつまでも拡がる思想と 行動へと
あなたによって みちびかれるところ――
そういう自由の天国に わが父よ
わが国を 目覚めさせて下さい。

linden.main.jp

「わが父よ わが国を 目覚めさせて下さい。」という文章が「私の心の祖国コリアよ 目覚めたまえ」になるのは、「ちょっと直してくっつけた」と表現するには、改ざんが酷すぎると思いますね。

とんでもない違いだと思いますよ。これをどう読んでも韓国のことを指していると考えるのは牽強付会が過ぎます。

しかし、韓国人としては無理なこじつけ創作の方が真実であってほしかったという気持ちが中央日報の記事タイトル「タゴールの詩、韓国人好みに仕立て上げたとは苦々しい」ににじみ出ていますね。

タゴールが韓国に書いた詩

少なくとも私がざっと調べた限りではタゴールが韓国に言及した内容としては、これ以上のものを見つけられませんでした。研究者の論文にまで当たっていませんけれどね。

ただし、この過程で分かったことを3点ほど、指摘しておきたいと思います。

 

1)タゴールが韓国のために四行詩を書いたのは事実

ブログ記事を投稿した当時に、記事に貼っていたリンク先の魚拓を取ってはいないのですが、当時投稿した記事の内容からすると、日本に何度も足を運んだタゴールには朝鮮半島にも来てもらいたいとの招待があったようです。しかしタゴール朝鮮半島には行くことはなかったようです。

以下に引用する東亜日報側の記事では、「東亜日報に投稿された詩」と書かれていますが、上記で引用した中央日報の記事に「最初の4行は詩というよりメモ形態で1929年に朝鮮に伝えられたもの」とありますし、カルカッタの韓国文化院長の投稿でも「東亜日報の記者と日本で会った時にメモとして渡したものが冒頭の4行である」と書かれていました。

それが東亜日報の編集長によって韓国語に訳されて掲載されて、韓国人の間で一気に広まったものでしょう。

このあたりの実際の経緯までは正確に確認はできていませんが、1929年4月2日付の東亜日報に掲載されたのは間違いないようです。

www.donga.com

細かい点になりますが、中央日報では「メモ形態で1929年に朝鮮に伝えられた」とあり、カルカッタの韓国文化院長は東亜日報の記者が頼んだのでメモに書いて渡したと記載されていたのに対し、東亜日報では「東亜日報に投稿された」と表記されているのは、「韓国国民にあれほど愛されているノーベル賞詩人がわが社に投稿してきたのだ」とのニュアンスを込めた表現と解釈します。

 

2)終戦当時までは、韓国人の中でもタゴールの詩は4行だけと認識されていた

上記の東亜日報の1929年4月2日に東亜日報に掲載された詩は、タゴール朝鮮半島の人向けに提供した四行詩でした。

それではいつ頃、冒頭に示したような別な詩と結合され、さらには「心の祖国 コリア」などの改変がされたのでしょうか?

おそらく、戦後のことと思われます。

なぜそう言えるか?

megalodon.jp

こちらのリンク先の記事の中から「京都時代の尹東柱 ―― 南炳憲さんに聞く ――」を見ると、尹東柱という韓国を代表する国民的詩人が紙片に書かれたタゴールの詩を朗読してくれたとあり、その詩は東亜日報に掲載されたものと同じ四行詩です。

尹東柱が)'京都に来てほんとうによかった’と語る口調をはっきりと覚えていると言う。特に印象深かったのは、尹東柱が南さんの下宿で何回となく、紙片に書かれたタゴールの英語の詩を朗読してくれたことであったと言う。かの「かつてアジアの黄金時期に 朝鮮はその燈火をかかげる一人であった その燈火はふたたび灯されるのを待っている 東方を照らすために  In the golden age of Asia Korea was one of its lamp-bearers, and that lamp is waiting to be lighted once again for the illumination in the East」という詩であった。

韓国で尹東柱と言えば、全国民が知っている国民詩人です。

特に「序詩」という詩はほとんどの人が暗唱しているはず。ちなみに私も暗唱していました。

彼は1942年10月から同志社大学に学んでおり、1945年に没しているので(治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所で原因不明で獄死。当時のことなので、酷いことがあった可能性は否定できません)、ちょうど世界大戦時には、その詩人が朗読していた詩が四行詩と一致しているので、この時まではタゴールの詩は四行詩として認識されていたのでしょう。

 

3)タゴールの予言が現代の摂理に繋がる理由

この尹東柱が留学していたのが、まさに文龍明青年の日本留学時期とほぼ同じです。

ただし文鮮明は彼とは会ったことはないと考えます。もし一度でもあっていたら、彼の名声を利用しないはずがない。

いくらタゴールが韓国人に愛されていると言っても、知名度や名声の点から言っても尹東柱の方がはるかに高い人気を誇る。

あれだけ自分たちの権威付けに利用することが好きな統一教会が、その創始者尹東柱と会ったことがあるのに、宣伝に使わないなんて考えられません。

さて。ここで尹東柱治安維持法で逮捕されたとは、すなわち日本の軍国主義を批判していたからで、この一点ゆえに彼は韓国内で「日本抵抗のシンボル」として、韓国人の敬愛を受けていると思います。

そして、その彼が朗読して聞かせたのが知人の印象に残るほどだったのが、韓国をアジアの灯火にたたえたノーベル賞詩人タゴールでした。

 

ここから何が分かるか?

当時の日本にいる韓国人達で治安維持法で引っかかりそうな人たちは、きっとタゴールの詩を暗唱していたにちがいない、と思われます。韓国を支配する日本に、同じアジアの、しかも(韓国人が大好きな)ノーベル賞まで受賞した世界的冠桂詩人が厳しく日本を批判している、ということは彼らが反日活動をする正当性を与えるものであり精神的支柱であったでしょうから。

そしてそういう内容が裏で拡散されるのは非常に多くある。

尹東柱タゴールの詩を愛唱したように、文青年達が日本でのテロ活動に従事する間、文鮮明もこの四行詩を愛唱していた可能性は非常に高かったと考えられます。

 

■なぜ韓国人はタゴールが韓国を心の祖国と呼んだと考えたか?

本項目は2023年6月30日に追記した内容です。

タゴールの詩に関して判明しているのは、次の二つです。

ア)東亜日報の記者に韓国向けの4行の詩を渡し、それが新聞に掲載された

イ)ギタンジャリという詩を書いた

この二つの事実だけで、タゴールが韓国を心の祖国と呼んだと考えるのはあまりにも稚拙な論理展開です。

 

タゴールは日本を愛したが、それゆえに批判もしていた

タゴールのことを調べると、日本をこよなく愛していた一方で、日本を厳しく批判したことも記載されています。

タゴールノーベル賞を受賞したのは1913年。

日本を始めて訪れたのは1916年で、この時3か月間、日本に滞在している間にも日本に対する批判的なスピーチをしたことが確認できます。

百年前の日本への旅~タゴールの『日本旅行者』~ より

船は一九一六年五月二十九日に神戸に到着した。このあとタゴールは九月二日にシアトル行きの船に乗り込むまで、三ヶ月強を日本で過ごす。神戸での出迎えの熱狂ぶりは、タゴールの表現によれば「人間サイクローン」並で、もともとの知り合いであった横山大観河口慧海などのほかに、在日インド人、一般の日本人、新聞記者などに囲まれて大騒ぎとなった様子が伺える。
(中略)
例えば六月十日は時の首相、大隈重信を訪ね、その足で早稲田大学を見学、午後は岡倉天心の設立した日本美術院を訪れて‟Ideal of Art” と題する講演を行い、そのまま美術院の面々と会食に赴いているし、翌六月十一日は東京帝国大学において ‟The Message of India to Japan”と題する講演、十二日は能の鑑賞、十三日には上野の寛永寺で二百人ほどを集めた歓迎会が行なわれている。
実際、日本において異国の詩人がここまで歓待されるなど、ほかに事例が見当たらないのではなかろうか。しかしそれらもさすがに六月後半には一段落着き、以後は比較的平穏な日々が続く。一般的にはタゴールのスピーチ、それも日本を批判した一節が不評をかこち、旅の後半では人々の熱狂も冷めて寂しい日々を過ごしたように語り継がれているが、ことはそう単純ではない。(強調は管理人)

 

タゴールが日本を批判した1916年と朝鮮半島

この1916年とはいかなる年だったでしょうか?

1910年8月29日の日本による韓国併合後、6年が経ち、有名な3・1独立運動が1919年に発生する3年前。

つまり、朝鮮半島ではまだ日本に対する反発が強かった時期でした。

そんなところにノーベル賞を受賞した詩人タゴールが日本で日本を批判したという話は韓国人にも伝わり、タゴール朝鮮半島の解放者と仮託するようなまなざしがあったのは間違いないと思います。

この一点のゆえに、韓国人はタゴールに何度も朝鮮半島へ招待したのでしょうし、「日本で日本を批判したタゴールなら、韓国に対して祖国愛のようなものを抱いているに違いない」と考えたことは十分ありうる話でしょう。

だからこそ日本を批判していたはずのタゴールが日本を礼賛していた事、韓国を「心の祖国」とは呼ばなかった事に韓国人はショックを受けたに違いない。

本稿はあくまで推論ですが、それほどピントのずれたものではないと考えます。

 

■キドバレットさんの40日修練会メモを受けて

さて。ここで、なぜこの記事を2023年6月になって復元したのか、という理由を説明します。

キドバレットさんが2000年頃に参加した原理研究会の40日修練会の講義ノートが最近になって「発掘」されました。その時の講義ノートがスキャンされて、こちらのnoteで公開されています。

note.com

このnoteの28ページから30ページ当たりが本投稿で説明してきた「インドのノーベル賞詩人タゴールが韓国をここまで高く評価している」と説明されてきていた部分に該当します。

しかし、キドバレットさんの講義では何もメモがありません。

この理由として考えられることを追記しておきたいと思います。


①2006年当時の投稿内容

以下は、本ブログ記事を投稿した時点で考えていた内容です。

韓国人の文鮮明は、暴力や復讐を否定する詩人の詩を口ずさみながら二重橋を破壊する活動に従事しようとしたり、日本に報復することを考えていたことでしょう。

そして、いつか自分のことをメシアと思い込んだ時には、タゴールは自らを証するものと思い込んだ、というのはそれほどおかしな推論ではないと考えます。

 

残念なことに、日本は結果としてタゴールの警句に耳を傾けずに世界を敵に回して戦争をすることになり敗戦しました。このため、タゴールの発言が予言のようになってはいます。
しかし軍国主義批判の一点の故に、タゴールは日本の全てが悪いと批判したというのは正しい理解ではないと思います。

また原理講師たちが修練会などで紹介しているのは、文章だけを言うなら確かにタゴールの詩ですが、韓国に向けて書かれた部分とインドのことを書いたものを、タゴールの意思とは無関係に合成した作品でした。タゴールは韓国を「心の祖国」と呼んでいるかのように語るのは間違いですし、事実にも反します。


韓国に対するなんらかの気持ちとして「東洋のともしび」なる4行の詩を書いたことは間違いないでしょうが、韓国を心の祖国と言ったという事実はないし、この四行詩だけをもって韓国のことをマンセーしていると考えるのは拡大解釈のしすぎです。

 

ましてや、「再臨主が生まれる国として神が選んだ韓国を証しする詩」として紹介するのは、全く事実と異なります。
本来韓国に対して謳ったものではない、本来はタゴールの祖国に向けての詩を勝手にくっつけて、「コリアが世界の頂点に立つ」とか、「世界を導く」、果ては「メシアが生まれることを予言したもの」という講義の導入に使うのは、人類歴史や文学に対する冒涜であり、正しい態度ではない。

さらに、統一教会の不誠実さの表れであると感じる点は、韓国を「心の祖国」と持ち上げ、再臨主が韓国に生まれたことを証しする証人であったはずのタゴールが、その後の「霊界解放」やら、「先祖解怨」では名前を聞かないのはどういう訳なのでしょうか?

散々、自分の権威付けには利用するけれども、その後は知らぬ存ぜぬとは、いかにも今の統一教会がやっている信者に対する扱いと同じなので、全く驚くことはありませんが。

(最後は元記事から若干修正しているものの、ここで2006年の記事は終わりとなっていました。)

 

②キドバレットさんの講義メモから見えるもの

さて、上述したようにキドバレットさんが2000年頃に参加した40日修練会ではタゴールの詩が書かれていません。

これは不思議なことで、この元の投稿を楽天ブログにしたのは2006年、つまりキドバレットさんが講義に参加した6年後になります。

また、当時の私のブログでの「元信者仲間」は、「自分もタゴールの詩は講義で聴いた」と語っていました。

 

インドに赴任した韓国文化院の所長がタゴールの詩の「実態を発見」したのは、たぶんこのような背景があったものと推察します。

彼は詩聖タゴールの国に赴任したからには、彼が韓国をたたえた詩を根拠として、タゴールの足跡をたどり、願わくばインドー韓国の交流促進につなげようと考えて調べた結果、実はタゴールの詩として伝えられたものが別であったことに気が付いたのでしょう。

それは2006年だったのです。つまり韓国人がタゴールが韓国を心の祖国コリアよと詩に記していたというのは誤りだった、と知ってショックを受けたのが2006年だったということです。

それなら日本の原理講師が「タゴールの詩が、実は韓国を礼賛したものではなかった」と気づけたのも、2006年以降であったはずです。

 

日本人講師どころか韓国人(や独生女本人)ですら、2016年でもインドの詩聖タゴールが韓国を心の祖国と呼んでいることが信者のブログに書かれているからです。(以下のリンク先を二つともご覧いただくと、そのような記載があります。)

yuun0726.muragon.com

この方の記事に対して、タゴールの詩は韓国人が勝手に書き換えたものが流布されていると情報提供した人がいるようです。
それを受けてのことなのか、韓鶴子タゴールの詩を正しく認識しているのか微妙な表現で取り上げていますね。

もしかしたら、まだ誤解した内容のままで取り上げているのかもしれません。一度、タゴールの詩を引用することのリスクがきちんと共有されていて、一度その引用をやめていたのにまた始めたとまで書かれていますからね。

yuun0726.muragon.com

※こちらの二つの記事は、Web魚拓に取れませんでしたが、PDFで印刷して保存しています。

 

少し話題がそれました。

話を2000年に戻しますと、この時点でタゴールの詩が韓国を「心の祖国と持ち上げたものではない」と認識できた日本人講師はほぼいなかっただろうと思われます。

それなら、当時のキドバレットさんの講師がタゴールの詩のことを言及しなかったのは、なぜでしょうか?

以下の二つの可能性のうちのどちらかかな、と思います。

ア)講師の講義案にはタゴールの記載がなかった

イ)5Daysなどで聞いたものと考えて省略した

 

このうち、イ)の可能性はあまり高くないと思います。

5Daysよりも40日修練会の方が日数も長く、その分、詳細な講義になることが多い。5Daysで語られているだろうから、40日修練会ではカットするというのは考えにくいです。

説明に時間がかかるものならまだしも、「インドのノーベル賞詩人タゴールが、韓国のことを心の祖国 コリアよと書いた詩が残っています」程度の説明を省略するとは思えないですよね。

ア)を推す理由は、たぶん原理講師の中で誰かが講義準備でいろいろと調べたり、たまたま韓国人にタゴールの詩のことを聞いた人がいて、その人が講義案に追加したのではないか?と考えるからです。

 

つまり原理講師の中にもタゴールを説明する人たちと、そうでない人達がいる。

私や当時のブログ仲間はタゴール派の講師で、キドバレットさんはタゴール派ではなかったからではないか?

その理由は、当時のこの投稿にもあるように、韓国のことを「心の祖国」とまでたたえた証し人であるタゴールが、その後の統一教会の摂理史、霊界解放や霊界通信、先祖解怨などには一切登場しないからです。

この点を要点として書きだすと、以下のようになるかと思います。

  • タゴールの詩が誤った形で韓国では流布している。
  • それを知った原理講師が、自分の講義案に「現代摂理で韓国が神に選ばれた証の一つ」として付け加え、その講義を受けた人はタゴールの詩を聞いたことがあるし、講師になれば語るようになる。
  • 文鮮明タゴールの四行詩を知っていた可能性は高いが、彼はその詩が「神が韓国を証した証明」とは考えていなかったであろう。
  • このため、統一教会内部でも特にタゴールを持ち上げたり霊界解放したりすることもなく、「現代の摂理」にタゴールを入れない講師も存在した。

ちなみに、文鮮明が四行詩を認識していたのに、韓鶴子が「捏造されたタゴールの詩」を覚えて引用するようになった背景は次のようなものだと思います。

韓鶴子は1943年の生まれ。文鮮明と結婚したのが1960年。第二次世界大戦終了後、1950年から1953年の朝鮮戦争を生き延びたと思ったらその6年後には結婚しているので、タゴールの詩はその後に聞き知ったに違いなく、たぶん「心の祖国コリア」版で詠んだから。

夫亡き後、独生女としての権威付けをしようとした時、改めてタゴールの詩を思い出したというのが真相なのではないでしょうか。

しかし、統一教会の中にいてタゴールの名を聞いたのは研修会での「現代の摂理」のみであり、その後は聞いた記憶はありません。

今調べたら独生女の権威付けとして韓鶴子が再び用い始めたことが分かった程度です。もしかしたら615巻を数える韓国語のマルスム選集には記載があるのかもしれませんけれども。

 

ちなみに2017年でもタゴールの詩に言及していることが教会側のリリースに記載されていました。タゴールが韓国をそこまで持ち上げたと権威付けに使うなら、彼が愛したのは日本だった事はどう説明するつもりなのでしょうか?

いずれにしても、韓国に再臨主が来ることの証し人としてタゴールが詩を書いたなどという主張は間違いです。

そして統一教会内で完成して神と一体となったと豪語するような文鮮明韓鶴子のどちらも、タゴールと霊界で会話している形跡がないことが分かる出来事であったとはいえると思います。

まとめ

上記から、詩聖タゴールが礼賛したものと批判したものを、韓国を対象として整理します。

  • タゴールは日本を愛していたので日本を礼賛もしたが愛ゆえに日本に対する厳しい批判も行った
  • 日本への批判は、韓国を心の祖国と考えてのものではない。
  • 韓国に向けて四行詩を提供したが、どういう気持ちの詩かは不明
    そのことが2006年以後、韓国人にも知られはじめた。
    2012年の新聞記事を通じて韓国にも広く知られつつある。
  • しかし統一教会においては2017年になっても、タゴールは韓国を礼賛していると考えている節がある。
  • 余談だが原理講師も2000年頃は資料がまだ共有化されていなかったかもしれない。

世の中にあるものは、全て神様の意思の表れと個人的に思うことは自由でしょうが、他人が思ってもいない内容を、自己の正当化のために牽強付会で権威付けに使うのは慎むべきだと思います。

タゴールが韓国を証したというなら、彼は日本をもっと愛したのですから。

統一教会・勝共連合は ソ連の崩壊に貢献しえたか? 経済と信教の自由化の視点から

本投稿は、以下の二つの投稿の続編にあたります。

kib.hateblo.jp

kib.hateblo.jp

 

統一教会の輝かしい実績:ソ連崩壊と信教の自由化への貢献

統一教会が「輝かしい実績」として自画自賛してやまない、1990年4月にモスクワで開催された世界言論人懐疑で文鮮明ゴルバチョフ大統領(当時)と会談したことがソ連崩壊の契機となったというものがあります。

この主張については、こんなタイトルの書籍まで出版しています。

 

www.hmv.co.jp

 

しかし、こちらの資料および、上記の二つの投稿を通して、それは統一教会しか主張していない、内部向けのプロパガンダにすぎないことを述べてきました。

 

docs.google.com

詳しくは、前項および二つのブログ記事をご覧頂きたいのですが、これらの資料の要点は、統一教会が主張する「文鮮明ゴルバチョフ会談」が、ゴルバチョフの視点や研究者の視点では一切登場しない事をまず明かにしています。

 

さらに、ソ連崩壊につながったのは「ワシントン・タイムズ」でレーガン大統領を当選させ、彼がスターウォーズ作戦を展開したために、ソ連は軍事費が喉頭して経済を圧迫し崩壊したと主張している一方、北朝鮮にはGDPのおよそ25%にも及ぶ資金を北朝鮮に提供した事は矛盾しており、結果としてソ連は崩壊しているものの北朝鮮は未だに延命して、東アジアの問題として居残り続けている事を指摘しています。

さて本項ではさらにソ連経済自体の成長と発展状況を振り返ることで、ソ連崩壊は共産主義固執したソ連政府および共産主義体制が自己矛盾をきたして内部から崩壊したのであって、日本人信者からお金を巻き上げて西側の政治家にばらまいて「共産主義と叩く勝共運動」を展開したこととは無関係であることを示したいと思います。

ソ連経済の自己崩壊

ソ連時代の歴史は我々にはなじみが薄く、よく分かっていない内容が多いのですが、最近は便利な時代になり、概説を眺めるだけならちょうど良いものがいくらでも提供されています。

学術的な検討をするためには、ウィキペディアでは話にならないことは踏まえた上で、我々は専門的な議論をしたいわけではなく、統一教会のザルな主張がデタラメであることを確認するために必要な情報を集めています。

この論理展開が不足という信者がいるなら、統一教会の主張になってソ連の崩壊の各種の出来事に統一教会がどのような働きかけを行い、それが功を奏したことを示して頂きたい。

ソ連の経済史

ということで、ソビエト連邦の経済という項目でまとめられた内容がありました。

ja.wikipedia.org

この「ソビエト連邦の経済」を各時代区分ごとにまとめたのが下表です。

ソビエト連邦の経済 概要

以下は上記の表のテキスト情報。スマホでは表示されないケースがあるので、画像とテキストと両方を記載しました。

スマホではしばらく空白のみが表示される方も、さらに下の方にスクロールいただくと、続きの文章が表示されます。

時代
区分

年代

内容

備考

戦時共産主義

1917~1920

企業の国有化、貴族・資本家の資産没収、さらに飢餓輸出によって数百万もの餓死者を出す。

 

ネップ期

1920~1928

戦時共産主義を少し緩め資本主義的な事も認めたが、あっという間に貧富の差が拡大し、共産主義の理想と乖離。

 

第一次5カ年計画スタート

1928~1939

計画経済開始。ノルマなどお馴染みの言葉も生まれる。世界から孤立した経済体制のため、世界恐慌を免れる。スターリンの圧政を知らない西の知識層から理想化される。

1934年、ルイセンコ論文発表。スターリンが支持し、メンデル否定。1964年まで続く。

第二次世界大戦

1939~1945

大きな犠牲を払い、大戦勝利。東欧に衛生国家を誕生させるが、後に大きな負担を抱えていく事になる。

戦後、日本人を国際法に違反して強制労働に動員

戦後復興期

1945~1961

計画経済再開。重工業・軍事産業に重点をおき、民生は後回しにガガーリンが人類初の宇宙飛行をしたのも1961年。ソ連の未来は明るいと誰もが思った事でしょう。

対外的にはバラ色に見えたソ連経済も、中では危険な状況におちいり、リーベルマン論文へ。

リーベルマン論文とコスイギン改革

1962~1968

経済学者リーベルマンが企業や個人も利潤追求が必要との論文発表。それを受けてコスイギンが改革を進めるも内容は限定的。プラハの春で改革後退。

1968年 勝共連合発足。

彼らの活動とは無関係に、共産主義体制に影が差している。

停滞の時代

1968~1985

1970年代は石油危機で莫大な利益をあげるも発達に寄与せず。西側の機械、穀物や奢侈品の輸入に浪費されて新規事業の開拓や技術開発停滞。消費財や食料の輸入が膨らみ対外債務が急速に増大。東欧への安価な天然資源供給や発展途上国への経済支援は政治的・外交的理由で継続。1979年にはアフガン侵攻開始。軍事費膨張で西側との関係悪化。

西側と製品の質の点で大きく遅れ。共産党汚職が進み、国有企業は帳簿乖離。共産主義体制維持のため経済悪化。


1979年アフガン侵攻で西側とも関係悪化。レーガン前でこれ。

ペレストロイカ以後

1985~1991

ペレストロイカチェルノブイリグラスノスチ共産主義の実態が明かになり、民心も失いソ連崩壊。

 

 

赤色に着色して強調したように、勝共連合が韓国で産声を挙げたのは1968年。

それよりも6年も前に、リーベルマンという経済学者が「ソビエト経済においても企業や個人の利潤追求を重視し、経済運営の分権化や市場原理の限定的導入による生産性の向上を提唱」しています。

これは、共産主義による経済運営がうまく行っておらず、改革が必要であることが認識されていた事を意味します。

ルイセンコ論争という「共産主義の呪縛」

ここで、ルイセンコ論争についても触れておきたいと思います。

 

ja.wikipedia.org

上記の項目からの抜粋になりますが、これがまたとんでもない学説でありながら、スターリンが支持したせいで、その後数十年もソ連の科学・農業政策に絶大な負の影響をもたらすのは言うまでもありません。

 

ルイセンコ主義の疑似科学的発想は獲得形質の遺伝性を仮定していた。ルイセンコの理論はメンデル遺伝学と「遺伝子」の概念を否定し、自然選択を否定することでダーウィン進化論から逸脱した。支持者らは、他にも多数あるが、ライムギがコムギへと、コムギがオオムギへと転換できる、雑草が穀物へと自発的に変容する、「自然選択」に対立するものとして「自然協力」が観察された、と偽って主張した。ルイセンコ主義は育種や農業において並外れた進歩を約束したが、それらが起こることはなかった。

ヨシフ・スターリンはこの政治運動を支持した。3千人以上の主流生物学者が投獄または解雇され、ルイセンコの科学的な反対派を抑え込むために数多くの科学者がルイセンコが推進した運動の一部として処刑された。

 

このルイセンコの学説は1934年に発表され、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義弁証法唯物論を証明するものだ」とされ、メンデルの遺伝学はブルジョワ理論として否定され、その後の科学の発達によって DNAの構造や機能が解明されて初めて支持者がいなくなり、1964年のソビエト科学アカデミーで議論と投票が行われて、ようやくこの学説は途絶えたと書かれています。

 

この学説が発表されてからソビエト科学アカデミーで否定されるまで30年間。

スターリンが「弁証法唯物論を証明する」というトンデモ理論で支持されたせいで、他の誰も否定できなくなり、共産主義世界では自然すら共産主義に屈服するかのような学説が30年もの間、政策まで影響したわけです。

 

30年。統一教会が1992年に大騒ぎされてから、昨年7月8日の銃撃事件で再度、注目を浴びるようになるまでの期間とほぼ同じです。

その間、科学的な理論が「主義主張に屈する形」で否定されてきたマイナスの影響がどれほど大きいか、なんとなく想像できますね。

 

ソ連経済に話を戻しますが、リーベルマン論文を受けてコスイギンが経済改革を主導しますが、この経済改革は限定的でしかなく、さらに勝共連合が誕生した1968年にはプラハの春 によって、限定的な経済改革ですら後退してしまいました。

 

ja.wikipedia.org

プラハの春の影響で経済改革も後退した結果、ソ連経済は「停滞の時代」を迎えます。つまり、1968年に誕生した勝共連合ソ連に何らかの影響を及ぼす前に、自分たちのイデオロギーによって自己崩壊していった事が良く分かります。

ここから、1981年のレーガン大統領登場前、すなわち、統一教会が燦爛たる実績と自慢してやまないワシントン・タイムズによる、あのレーガン当選前までのソ連経済は「停滞の時代」と描写されていますが、内情を見るにつけ、「停滞」どころか「崩壊前奏曲」と呼ぶのが相応しいでしょう。

 

停滞の時代(「ソビエト連邦の経済」より転記:強調は管理人)

コスイギン改革の挫折後、1970年代ソ連も軍事的に関与した中東戦争による2度の石油危機世界最大の産油国として莫大な外貨を獲得できた[2]西側諸国からの機械、穀物や奢侈品の輸入に浪費されて新規事業の開拓や技術開発がほとんど進まず、西側と製品の質の点で大きく水を開けられた。また、レオニード・ブレジネフ政権の長期化で共産党内の汚職が進み、国有企業は帳簿上の生産数と実態との乖離が大きくなった。フルシチョフ失脚の直接の原因となった農業問題でも小麦やライ麦、大麦の生産量は世界最高だったものの、70年代からの凶作と旱魃で大量の穀物を北米から緊急輸入する必要が生じ、国際市場で大量の穀物買い付けを行って高騰させたことは大穀物強盗と呼ばれた[3][4]。これが冷戦における両国の力関係にも影響を与えた。この時期には環境破壊も深刻化していったが、官僚制で硬直化した政府は有効な対策を立てられなかった。

この時期は、消費財や食料の輸入が膨らみ対外債務が急速に増大する一方、東ヨーロッパ諸国への安価な天然資源供給や発展途上国への経済支援は政治的・外交的理由で続ける必要があり、政府にとっては大きな負担になった。1979年にはアフガニスタン侵攻を開始し、軍事費の膨張と西側諸国との関係悪化はソビエト経済を一層苦しめた。

1982年、ブレジネフの死でソビエト連邦共産党書記長になったユーリ・アンドロポフは国内の綱紀粛清を図り、ウォッカの値上げによる酒類追放で労働者の生産性向上を目指したが、本格的な経済改革に着手する前に死去した。その後のコンスタンティン・チェルネンコは、元来保守派である上に病弱なこともあり、再びブレジネフ時代のような経済無策に陥った。

1979年のアフガン侵攻前に既に経済的に大きな負担を抱えており、アフガン侵攻で西側との環形が悪化した時もまだ統一教会が主張するレーガンは登場していません。

統一教会の主張、レーガン共産主義崩壊の切り札だったなら…

ここで統一教会の主張を振り返っておきます。

統一教会アメリカでワシントン・タイムズを創刊し、保守派のレーガンを応援して大統領を当選させ、彼がスターウォーズ作戦を展開した結果、ソ連の軍事費負担が増大して崩壊に至った、ということでした。

この主張が正しいなら、レーガンの登場およびスターウォーズ作戦で急激に悪化したということになっていなければなりません。

また、レーガン大統領のスターウォーズ作戦がそれほどソ連崩壊に影響を及ぼしたのであれば、仮にウィキペディアレベルとは言え、そこにレーガンの名前があるはずです。

 

しかし、この「ソビエト連邦の経済」のどこにもレーガンの名前すら登場しません。

 

果たして、統一教会の主張する「レーガンスターウォーズ作戦がソ連崩壊につながった」と言えるのでしょうか?

また、ブレジネフの後にアンドロポフ、チェルネンコと続いた短命政権は、統一教会のせいでそうなった訳ではありませんし、ゴルバチョフの登場は、ソ連共産主義体制維持にはもう遅すぎたのです。

その後、ゴルバチョフが登場して、必死に経済改革(ペレストロイカ)と、政治改革(グラスノスチ)を行いますが、それがかえって共産主義体制の崩壊に拍車をかけることになりました。

ここでも、レーガンスターウォーズ作戦とはなんの関係もありません。

 

参考まで、ゴルバチョフペレストロイカグラスノスチについても抜粋しておきます。

ゴルバチョフの登場とペレストロイカグラスノスチ

1985年にゴルバチョフが登場し、彼は直ちに「硬直した政府を立て直すため、経済面での改革を進めるペレストロイカを行いますが、1986年のチェルノブイリ原発事故の対応が、共産主義による縦割り行政の弊害で後手をうち、適切な対策をとれなかったことで、グラスノスチも断行します。

ソビエト連邦共産党による一党独裁制が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、1985年に共産党書記長(最高指導者)に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱・実践した。あわせて進められたグラスノスチ(情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。

元々は経済面のみの改革だったがチェルノブイリ原子力発電所事故の影響で政治面の改革も行うようになる。 (ペレストロイカより抜粋)

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ソ連の信教の自由について

統一教会の信者は、何の関係もない出来事を並べ、それが神の御業などと言いだしたりすることが良くあります。

ドラ猫さんに紹介いただいたこちらのサイトに、ソ連共産主義についておおよそつぎのような事が記載されています。

 

1990年10月にロシアで成立した『信教の自由に関するロシア連邦共和国法』は、同年4月にゴルバチョフ文鮮明との対話で、文鮮明から「信教の自由を許可するように」と訴え、それが受け入れられたからではないかと推測される

 

しかし、こんな荒唐無稽な話はありえません。

どの国がいきなりやってきた人から4月に「信教の自由を」と言われ、それから法制度に着手して半年後に法律化できるでしょうか?

当時のソ連共産主義で宗教は迫害されてきたとは言え、988年からの伝統を持つロシア正教が残っていました。

ja.wikipedia.org

ゴルバチョフ大統領が仮に文鮮明との会談で感銘を受けたとしても、ロシア古来の宗教であるロシア正教を無視しいきなり宗教法を成立させる事があるでしょうか?

(反語の「か」)

 

ここでソ連の宗教史を調べてみると、日本ではソ連の宗教史の専門家として廣岡正久先生がいらっしゃいました。

ja.wikipedia.org

廣岡先生は、いくつもソ連の宗教に関する論文を発表されておられますがこちらの論文にはこのように記載されています。(強調は管理人。以下同じ)

こうした事実を考慮すれば、ロシアの信教の自由は、ゴルバチョフ政権下の1990年10月1日に発効した『信仰の自由および宗教団体に関する法律』に始まるといえるであろう。ロシア革命以来70有余年にわたって“反宗教”を国是としてきたソヴィエト体制下で成立を見たこの法律は、ゴルバチョフ政権の自由化政策の下で基本的にはすでに認められていた信教の自由を法的に確認し、成文化したものであり、何よりもまず第一に宗教信仰の自由の保障を強調していたという点で画期的な法律であった。

これらの記載からも読み取れるように、1990年10月に『信教の自由に関するロシア連邦共和国法』が成立した背景として、ゴルバチョフペレストロイカグラスノスチがあり、それら自由化政策の下で「基本的に認められていた信教の自由」を法的に確認、成文化したものと書かれています。

 

ここで少し、共産主義体制下のロシア正教の活動について説明されたこちらの論文では共産主義政権による宗教弾圧に対し、何十年もかけてロシア正教としての信教の自由の獲得に向けて努力してきた足取りが描写されています。

 

src-h.slav.hokudai.ac.jp

ここで思い出してほしいのですが、上述の通り988年にロシアはキリスト教を受容し、ロシア正教に発展していきました。

そこから1000年経てば1988年。奇しくもソウルオリンピックの開催年でしたが、その年にソ連で何があったか?上記の論文では以下の記載が見つかります。

1988年、ゴルバチョフペレストロイカ政策の下でキリスト教受洗千年祭を盛大に祝った頃、ロシア正教会が目覚ましい復活振りを示したこと は紛れもない事実であった。

 

このキリスト教受洗千年祭については、さらに同じく廣岡先生の別の論文で、次の記載が見つかります。

ところでゴルバチョフ政権のペレストロイカとグラースノスチは, 大衆的なナショナリズム運動にとどまらず, クレムリンの宗教政策に,さらには正教会内部にも影響を及ぼさずにはすまないように思われる。1988年6月, モスクワを中心にソ連各地で催された正教受洗千年祭は, ソヴィエト社会における正教会復権を内外に強く印象づけたばかりか, クレムリンの宗教政策の変化をも覗せたという点でも特筆すべき出来事であったといわなければならない。実際千年祭の祝典の盛大さもさることながら, これを祝福するかのようにゴルバチョフ政権が示した一連の譲歩とサーヴィスは, ロシア正教会にたいするクレムリンの基本姿勢の変化を実証するものであったといえよう。

 

これらの記述を読んで、ゴルバチョフロシア正教会に対する基本姿勢の変化の表れとして、2年をかけて1990年に『信教の自由に関するロシア連邦共和国法』が成立したというなら理解が可能でしょう。

1990年4月に文鮮明という男が龍壺をもって現れ、信教の自由を求めてから半年で、それまで数十年間徹底的に弾圧してきた「信教の自由」に関する法律をぽっと通せるわけがないのですから。

 

まとめ

上記の通り、ソ連の経済および宗教史を概観しただけでも、ソ連が崩壊したのは共産主義というドグマに縛られて、合理的な政治経済政策が取れなかったこと、すなわちワシントン・タイムズで応援されて当選したレーガン大統領の貢献はほとんどありません。

ソ連経済が崩壊しそうなタイミングで登場した、タイミングに恵まれた大統領が、反共主義者であったというだけです。

また、実際にソ連の崩壊に対して有効な施策を統一教会が取れた事例もありません。

勝共連合が成立した1968年には既にソ連内で経済が停滞していることはリーベルマン論文でも取り上げられ、それに基づく改革を進めようとしたにもかかわらず、プラハの春事件によって東欧諸国を鉄の掟で縛るために、経済改革を進めることができなかった弊害が、そこから20年かけて顕在化しただけです。

 

また、1990年4月にモスクワで世界言論人会議が開催されたことは事実ですが、そこでゴルバチョフと会談した結果、ソ連に信教の自由がもたらされたということも、現実的にはあり得ません。

 

さて。統一教会現役信者諸君が、これらを覆そうとするなら、ソ連経済の崩壊や信教の自由に関する法律の制定に、統一教会がどのような貢献を果たしえたのかを説明いただきたいものです。

今なら、かつてと違って情報も入手しやすくなっているでしょうから、それほど難しい仕事ではないと思います。

 

以上

【再改定】統一教会がレーガンを登場させ、彼が共産主義を終わらせたのか?

 

本投稿は、昨日の以下の記事に続いて、統一教会が彼らの偉大なる人類への貢献として主張する「共産主義の終焉」に多大なる影響をもたらしたということは正しいか?という点について検討する内容となっています。

kib.hateblo.jp

1)ゴルバチョフ文鮮明の事は重要視していない

昨日の記事は、ゴルバチョフ大統領(当時)と文鮮明がモスクワで会談し、共産主義崩壊のきっかけを作った(統一教会の主張によれば、統一教会は「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」という主張を、ゴルバチョフ本人の自叙伝と、ソ連・ロシアの研究者によるゴルバチョフの生涯の分析から述べたものです。

 

結果はその投稿をご覧いただけると明らかな通り、ゴルバチョフの自伝にも研究所にも一切登場しません。また、1990年4月はベルリンの壁が崩壊した直後であり、その収拾をどうするのか?という点がゴルバチョフを悩ませていた過大であって、1986年からスタートさせていたグラスノスチを改めて宣言するような「言論人会議」に関心が高かったとは思えない、という点を述べています。

 

さて、それではこれで統一教会の主張する「文鮮明ソ連共産主義を終了させた」という主張を否定するに十分かと言われると、これだけでは足りません。

 

2)統一教会の主張する「共産主義崩壊に果たした役割」

統一教会が主張しているのは、以下のようなストーリーです。

 

・自分たちがワシントンタイムズを作り、

 ワシントンタイムズでレーガン応援してレーガンを当選させた。

レーガンはSDI構想(スターウォーズ計画)を主導 

・これに対抗しようとしたソ連は困窮した結果、破綻して共産主義崩壊

 

今までは単に「そんなの盛りすぎ」とだけ書いてきたんですが、今回ゴルバチョフの自伝などを読んでみて、この主張がどれだけ荒唐無稽なものか改めて思い至りました。

 

統一教会の主張が正しく、彼らのおかげでソ連が崩壊するためには?

上記のようなストーリーが成立し、統一教会があったためにレーガン大統領が登場し、その結果として共産主義を崩壊させることができたということを主張するためには、少なくとも以下のような状況でなければなりません。

 

レーガンが登場する前まで、ソ連共産主義国家の経済運営は
 上手くいっていなければならない
 控えめに言っても、失敗した状態にあってはならない。
・しかしレーガンが当選し、SDI構想に対抗しようとしたソ連
 過大な軍事費を注ぎ込まなければならず、
 結果として経済運営に支障が生じた。

・そして遂に国家運営が破綻し、共産主義も放棄した。

 

この筋書きが成立して初めて統一教会が組織を挙げてレーガンを大統領に当選させたことでSDI構想が具体化され、そしてその結果ソ連が滅びたのだと言えます。

 

仮に当時の事情を知らなかった人であったとしても、以下の三つの年号を見れば、統一教会の主張がいかに荒唐無稽か理解できることでしょう。

 

1981年1月20日レーガン、米国第40代大統領に就任
       (在任期間:  - 1989年1月20日

1985年3月11日:ゴルバチョフソ連書記長就任
       (1990年3月15日にソ連大統領に就任)

1991年12月25日:ゴルバチョフソ連大統領退任。ソ連終焉

 

仮にも超大国だったソ連が、レーガンが大統領に就任してからたったの11年で共産主義を放棄せざるを得ないほどに一気に破綻したと言えるか?

 坂を転げ落ちるように組織は崩壊するものだ、という主張はありますが、仮にも「東側」の世界の盟主であったソ連がわずか10年でその座をおりることになるというのは、いくら何でも無理があります。

 

これは観念的な話でしかありませんが、実際の歴史を振り返って検討してみることにしましょう。

 

ソ連の停滞はいつから始まったか?

昨日、引用したゴルバチョフ自伝や、「ゴルバチョフ その人生と時代」から引いても良いのですが、緻密に過ぎるのでここでは概略をまとめたサイトから引用することにいたしましょう。

 

world-note.com

こちらのサイトは、自伝のように数百ページもありませんから、ぜひご覧いただきたいのですが、要旨をまとめるとつぎのようなことになるでしょう。

 

1920年代半ばから1952年まで、ソ連共産党の指導者であったヨシフ・スターリンが恐怖政治を敷いた。

スターリンの死後、「脱スターリン化」を掲げて、スターリンが作った軍事組織や刑務所などを解体、厳しい規制も若干緩めた。
しかし、それでも経済の全てと国民の日常生活のほとんどを管理下におく。
世界に共産主義を広める活動を行う。
ソ連の従属国に対して厳しい統制と支配をとる。
アメリカとの軍拡競争に多額の資金を費やす。

こんな中でゴルバチョフが登場し、1986年のチェルノブイリ原発事故で共産主義の硬直した体制に危機感を抱き、ペレストロイカグラスノスチを断行しようとしたものの、結果としてソ連に対する批判が強くなり、ソ連経済は更に深刻な状況に陥った結果、ソ連を構成する共和国は独立、東欧諸国もソ連から独立し、ソ連および共産主義国家が崩壊していった。

 

もう以上、おしまいで良いのではないでしょうか?

 

スターリンの時代から強権政治をやりすぎ、計画経済は破綻し、レーガン云々の前に東側の盟主として軍拡競争に膨大な資金をつぎ込んでいたため、ゴルバチョフが登場した時にはもうどうしようもなくなっていました。

そしてゴルバチョフは、この状態をなんとか改革しようとした結果、却ってパンドラの箱を開けてしまい、一気に崩壊したというのが自然な成り行きでしょう。

 

その最後の最後の時に、たまたまアメリカ側で登場したのがレーガン大統領だったという以上のものを読み取ることはできません。

 

ソ連および共産主義は、自ら滅びるべくして滅びたのです。

 

ソ連歴代の書記長のいつから経済停滞が始まったか?

先日投稿した時点では、②の概要であとはご自分でと書きましたが、予算のことを調べたりしている間に、ソ連書記長の記事を見ると想像以上に酷いことが次々書かれていました。

ソ連革命以後、スターリンがトップに上り詰めるまではトップの交代もあったようですが、スターリン以後ゴルバチョフにいたるまでの6代の書記長とその在位年数を拾うと次のようになっています。

 

ヨシフ・スターリン          30年6か月
ニキータ・フルシチョフ        11年1か月
レオニード・ブレジネフ        18年1か月
ユーリ・アンドロポフ           1年3か月
コンスタンティンチェルネンコ      1年1か月
ミハイル・ゴルバチョフ          6年10か月

 

 

ja.wikipedia.org

スターリンが酷すぎたというのはありますが、その後を継いだ二人もウィキペディアを見ただけでも酷い記述が並びます。(最近の日本の政治家を見ると、あまり批判もできない気もしますが)

フルシチョフとブレジネフの2名の在任期間だけでも1953年9月から1982年11月と約30年。その前のスターリンが30年ですから、この3人だけで60年もソ連を統治していたことになります。

 

スターリンはもう論外なのでここでは触れませんが、その後を継いだフルシチョフの政治については、こんな記載が見えます。

フルシチョフは死ぬまでルイセンコの学説を信じ続け、遺伝子の存在を信じず、ピョートル・カピッツァ(ノーベル物理学賞受賞者)、イーゴリ・クルチャトフ(ソ連核開発の父)、息子のセルゲイ・フルシチョフ(ミサイル開発技術者)、娘のラーダ(『ナウカ・イ・ジーズニ(科学と生活)』誌の副編集長)の説得にも耳を貸さなかった。結果としてソ連の農業生産高は大きく落ち込み、アメリカからの穀物輸入に依存する事態に陥った。 

フルシチョフの書記長在位は、1953年9月7日から1964年10月14日までですが、この時すでにこのような状況に陥っていました。

またフルシチョフは、公然と暗殺まで準備されていたと書かれていましたが、わが国でも元首相が実際に暗殺されていました。あまりソ連のことをあげつらうことができません。

フルシチョフによる集団指導体制を無視した自らへの権力の集中(第一書記と首相の兼任)、(中略)同志に対する叱責や暴言や外国での粗野な振る舞いを繰り返したため、ひそかに(中略)反フルシチョフ・グループがフルシチョフの追い落とし、あるいは暗殺を着実に準備していった。ブレジネフはフルシチョフの毒殺や専用機の爆破をも企んだとも言われている。

 

ja.wikipedia.org

フルシチョフの後を継いだブレジネフも大概です。

ja.wikipedia.org

ブレジネフはフルシチョフの下でスターリン個人崇拝批判・スターリンの大粛清による犠牲者の名誉回復とソビエト連邦の知的及び文化的政策の慎重な自由化・集団指導体制を支援していた。しかし、自らが指導者に就任すると直ちにこのプロセスを逆に行い始めた。
(中略)

ソ連構成初期には見られなかった大規模な汚職を促すことにもなった
何よりブレジネフ自身が、イギリス製のロールス・ロイス、西ドイツ製のメルセデス・ベンツ・W100、フランス製のシトロエンアメリカ製のリンカーン・コンチネンタルなど西側の高級な外車や洋服を好む趣味がある汚職体質の持ち主で、身内にもスキャンダルが絶えなかった。娘のガリーナの交友関係や派手な私生活が噂された他、息子のユーリーも横領の疑いで取り調べを受けている。こうした一族をめぐる醜聞は側近でイデオロギー担当書記のミハイル・スースロフが揉み消すことで明らかにならなかったが、彼が亡くなると隠し様が無く、スースロフ後継のイデオロギー担当(第二書記)で国家保安委員会 (KGB) 議長としてブレジネフに仕えていたユーリ・アンドロポフさえもこれには看過出来ず、ブレジネフの死後に自らが最高指導者となるとブレジネフの親族や遺族を汚職容疑で逮捕・摘発している。 

この記載はどこかの宗教団体でも見かけたような気がしますが、それはさておき、1979年のアフガニスタン侵攻はブレジネフの決断によるものでした。

 

アフガニスタン侵攻
1979年12月に反政府ゲリラへの対応に苦慮していたアフガニスタンに干渉する決定を下した事は、ブレジネフの後継者に対する最終及び致命的な遺産となった。アフガンへの介入はデタントの終焉を招き、アメリカが課した穀物取引停止などの経済制裁や1986年のサウジアラビアの石油増産による原油価格下落と同時にソ連の経済問題を急速に悪化させた。アメリカはカーター政権で軍拡プログラムを開始し、後任のロナルド・レーガン政権で加速された。アメリカとの軍拡競争における大きな経済負担はソ連の経済状態をより一層の悪化に導き、後のゴルバチョフによるペレストロイカと、更にはソビエト連邦の崩壊に結びついた。

この部分の記載を見ると、統一教会の信者が喜びそうなことがかいてありますが、慌ててはいけない。

 

彼の評価の部分にはこう書かれています。

評価
ブレジネフはスターリンに次ぐ長期間に渡ってソビエト連邦を統治した。彼は基本的経済問題を無視してソ連の政治体制の衰退を黙認し、「沈滞の時代」を長引かせたことで非難され、そして彼の貪欲な虚栄心はさらに非難された。ただ経済問題はスターリンから受け継いだ社会主義体制が本質的に保有するものでもあった。社会体制改良の試みは、彼よりはるかに若く最終的な後継者であるミハイル・ゴルバチョフに引き継がれた。しかし、ソ連崩壊後の現在のロシアではブレジネフ時代を安定した福祉と生活が保証された時代と評価する向きも少なくない。

ここに書かれているように、経済問題は「スターリンから受け継いだ社会主義体制が本質的に保有するものであった」のです。

統一教会が西側で何か叫んでいたから共産主義が崩壊したわけではありませんでした。

この点をもう少し触れてみることにします。

統一教会が「東側に及ぼしえた影響」は?

今回、ゴルバチョフの自伝を見ることであらためて感じたことがあります。

統一教会は、西側国家である韓国を発祥の地とし、日本のおカネを利用してアメリカで基盤を拡大していきました。

西側諸国では「勝共連合を作って、共産主義を終焉させるために頑張ってきた!」と主張していますが、考えてみれば西側諸国の中ですら、日本のおカネで政界工作をしてようやく自分たちのポジションを守っているだけです。

彼らは自分たちの実績を通じて、尊敬と敬意を勝ち得ているわけではありません。

 

であれば、彼らが東側諸国にどれほどの影響を及ぼすことができたでしょうか?

伝えられるところによれば、文鮮明は東側諸国に統一教会の宣教師を「バラフライ作戦」という名前で送りこんでいたようです。

こちらのリンクは、そのバタフライ作戦も含めて韓国の(信者でない)小説家が統一教会の資料提供を受けて書いた小説まで出ています。

 

www.kogensha.jp

他のバタフライ作戦に関するサイトを読んでも、地下活動をしていたことが把握できますが、当然ながら厳しい統制が敷かれていた東側諸国では地下活動以上のことはできていなかったようです。

 

unificationnews.jp

 

上記の「ソ連崩壊|原因と崩壊後までをわかりやすくまとめて解説」でも記載されていたように、ソ連共産主義を世界中に広めるための活動をしていましたから、それを邪魔する統一教会が邪魔だったことは間違いないですが、東側への影響は及ぼせていなかったことでしょう。

あくまで共産主義それ自体の過ちによって自壊していったのであって、統一協会が西側で頑張って活動したから、ソ連はじめ東側諸国が停滞したわけがないのです。

 

わざわざ絵にするまでもないですが、イメージ的にとらえることも大切ということであえて描いてみたものがこちら。

東西両陣営における統一教会の位置

西側諸国で共産主義を広めようとする活動の邪魔になっているだけであって、東側に藤一教会が影響を及ぼしたわけではないことが視覚的にも明らかだと思います。

もうここまできたら「ワシントンタイムズを通してレーガンを当選させたから」とかいう戯言は遠慮願います。

 

また、この絵を眺めてみて改めて思うのは、彼らは西側において政治家に取り入るために反共・勝共を唱えていただけではないか?という点に思い至ります。

 

バタフライ作戦に従事して、命を落とした宣教師もいたとのことですので、最前線で命がけで活動していた信者の方々は純粋な動機でやっていたのでしょう。

それは日本でも霊感商法を正しいことだと信じ込まされてやっていたのと同じことです。しかし、こうして絵にしてみると、日本のカネで作った政治力で統一教会は何ができたのでしょうか?

 

共産主義の崩壊?

 

もう、うんざりするほど書いてきたのですが、最後に改めて、それは彼らが自ら自壊していったことであって、統一教会が活躍したおかげで滅んだのではありません。

国際ハイウェイや国際祝福などについては、長くなるので本稿では割愛します。

 

3)ソ連崩壊に統一教会が貢献したという主張はブーメランになるとは?

さて。本日のこの投稿について、以下のようなツイートをしました。

 

この点について、説明しておきます。

この主張が正しいとすれば、「レーガンがSDI計画でソ連の軍事費を引き上げたせいで、経済政策が破綻したので崩壊した」ということになります。

もしこの統一教会の主張を是とするなら、彼らが北朝鮮に4500億円のお金をつぎ込んだことについて、「これは平和目的のおカネだから、軍事増強には使われていない」という主張が、嘘であることを自ら認めたことになります。

 

国の予算には限りがあるので、その使途として軍事費に回せば、国民の生活に回すためのお金が無くなって破綻すると言っているのですから、北朝鮮が限りある予算しかなかったところに、GDPの10%(これは、35億ドル計算の場合。)

 

4500億円をつぎ込んだ場合は、GDPの13%になります。

こんなおカネが降ってきたのに、軍事費のために入れたわけではないからセーフって、ソ連崩壊で主張している内容とまるっきり真逆の事を言ってることは理解しているのでしょうか?

ソ連崩壊が統一教会の功績で、それはレーガンがSDIで軍事費にお金を使わせたからだ、と言うなら、北朝鮮にどんな目的であれお金をつぎ込んだら論理矛盾になります。

言葉だけだと分かりにくいので、具体的にどれだけのインパクトがあるのかを図示してみることにします。ただ、ソ連の当時のGDPがどれくらいの規模なのか、正確な情報と言えるか不明でしたので、参考として国家予算を例にとってみることにします。

 

正確な分析とは言えませんが、あくまで参考としてご覧ください。

 

ソ連経済の1987年の歳入・歳出を事例に検討

ネットで調べるとこんな資料がありました。

1987年のデータは歳入・歳出がそろっていたので、これをサンプルにしてみます。

https://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/wp-we87/wp-we87san-11-5h.html

www5.cao.go.jp

ソ連の1987年の歳入・歳出そそのまま積み上げ棒グラフにしたのが、下図の一番左側の二本となります。

 

ソ連1987年の国家予算をもとに実施したシミュレーション

 

国防費が4.6%、202億ルーブルだそうです。現在の価値でいくらかは調べていません。

統一教会の主張はレーガンのSDI計画でソ連の国防費が引き上げられたので、国民経済が破綻した、という主張

これに対して、統一教会レーガンのSDI計画でソ連の国防費が引き上げられたので、国民経済が破綻したと主張しています。

あくまで参考として、イメージをつかむために、国民経済費(歳出の緑色の部分)と、社会・文化費(歳出の濃紺の部分)を削って軍事費に回したと想定しています。

 

この金額は、1,132億ルーブルと仮置きしました。ここから800億ルーブルを軍事費に回したので、軍事費は1,002億ルーブル、行政管理費に32億ルーブル、その他歳出に300億ルーブルを割り当てたものとしています。

繰り返しますが、これはあくまで統一教会の主張を理解しやすくするため、あえて極端な数字を置いています。

このような状況にしたものが、上記のグラフの真ん中の二本となります。

統一教会の主張は、「レーガンのSDI構想で国防費を引き上げざるを得ず、その結果、ソ連が破綻した」という事ですので、限りある国家予算のうち、国民経済に回す分を軍事費に当てたために経済破綻したのだ、と主張しているのですから、実際の額がここまで極端だったかどうかはさておき、この真ん中の二本のグラフが統一教会が主張する、「ワシントン・タイムズによってレーガンが大統領に当選し、SDI構想によって共産主義を終了させた」という事の理屈になっているはずです。

統一教会北朝鮮でやったのは、この真逆。天に浮かぶ月から、GDPの13%に及ぶお金が降ってきた

一方、ソ連崩壊とは反対に、統一教会北朝鮮にやったことは何か?

ソ連が軍事費を増強すれば国民経済が疲弊して破綻した、というストーリーとは真逆になります。上のグラフの一番右側がそれにあたります。

北朝鮮GDPは2019年時点で335億ドル。約3.5兆円ぐらいとしましょう。仮に4,500億円を統一教会北朝鮮に提供したということは、GDPの13%もの金額を「差し上げてしまった」ことになるわけです。

ここで、北朝鮮は国家予算も公開されていませんが約2兆円と推計されています。

そこで、ソ連経済の1987年の歳入4,357億ルーブルの13%=1,132億ルーブルとなります。国家予算の26%もの金額が空から降ってきたわけです。

 

これだけ大きな金額が何もせずに空から降ってきた場合、国民経済に回す予算を一切削ることなく、軍事費を増大させることができることを示しているのが、上記グラフの一番右側になるわけです。

 

統一教会北朝鮮について展開する、「統一教会が持ち込んだお金4,500億円は国民経済費として使われたのだ!だから北朝鮮の軍事増強には使われていない!」という主張をソ連の1987年のケースに当てはめたのが、この右側のグラフというわけです。

 

しかし誰が考えても分かるように、北朝鮮統一教会に「これは国民差経済向けに使います」と揉み手をしながら約束して、そこに使ったとしても、本来そこに使ってしまえば軍事費には回せなかった分が回せてしまうことになる。

一度財布に入ったお金には色はついていないのです。

上記シミュレーションは、あくまでもソ連の1987年の国家予算をもとに、「北朝鮮で言えばどういう状況であったか」を示すためのものですが、統一教会北朝鮮に4,500億円を提供するとは、とんでもないことを意味することが理解頂けるかと思います。

 

ここで注目すべきことは、ソ連では財布が変わらないまま軍事費を釣りあげさせることで共産主義を崩壊させたと主張する一方、北朝鮮はその体制を維持・延命に手を貸したことになっている、という点です。ソ連北朝鮮では、統一教会は言っていることが真逆となっています。

 

ソ連では軍事費が増大した結果、経済的に困窮した結果、共産主義が破綻した!共産主義を崩壊させた功労者は統一教会だ!と言い、北朝鮮では軍事費に回せるお金を、もしかしたら国家予算の25%以上もつぎ込んでしまった可能性があるのです。

 

統一教会の信者は、共産主義を滅ぼしたのは統一教会の功績だ!文鮮明ゴルバチョフと会ったのだから!さらに金日成とも会ったんだぞ!とか言うのですが、これだけ書けばどれだけデタラメな主張を自分たちがしているのかお分かりいただけるでしょうか。

 

改めて、統一教会共産主義を崩壊させたのですか、それともさせてないのですか?

ソ連に対して行ったことと、北朝鮮に対して行ったことが違うのはなぜでしょう?

 

これに応えることができるのでしょうか?言ってることがもうあちこちで破綻しています。

 

4)まとめ

昨日の「文鮮明ソ連共産主義を終わらせたのか?」に引き続き、統一教会の主張するワシントン・タイムズを作ってレーガンを当選させ共産主義を終わらせたという主張は、たまたまそういうタイミングだっただけで、統一教会が必死に努力したからではないことを述べてみました。

 

統一教会の信者が、「日本のメンバーが命がけで献金した結果、共産主義を防ぐことができた。平和の配当にあずかるのは日本のメンバーのおかげなんだ」などというのは、付き合う価値すらない戯言です。

 

そういうスローガンで、西側のタカ派を巻き込むための工作資金になっただけで、共産主義の崩壊には何ら、決定的な役割は果たしていません。

 

影響力を及ぼすことができない東側の経済を、遠隔で停滞させることが本当にできる能力があったりするなら、今現在のロシアを止めたり、北朝鮮や中国の横暴もとめて見せたら良いのです。

 

そんなことができるわけがないし、実際統一教会は何もできていません。であれば、ソ連の崩壊についても同じことが言えるのです。

 

統一教会の信者の皆さんは、おちついて現実を見つめ、「統一教会のおかげでソ連が崩壊した!」「文鮮明ゴルバチョフが会ったことがそのきっかけだ!」などという、お伽噺よりももっと非現実的なファンタジーから目を覚まして頂けますよう、心からお願いいたします。

文鮮明はソ連・共産主義を終わらせたのか?

ソ連ゴルバチョフ大統領と宗教者達

本投稿は以前から統一教会では「華々しい実績」として必ず例に出す「文鮮明ソ連ゴルバチョフ大統領と会い、共産主義を屈服させた」という言説について、改めて確認するためのものとなります。

統一教会の信者なら、絶対の絶対に何度も見たことのあるこちらの写真ですね。

 

https://twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613517152463777792?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw

 

統一教会は「友好団体」として勝共連合もあり、共産主義とは本質的に対立しているにも関わらず、その頂点にあったソ連ゴルバチョフ大統領が文鮮明と面会したということは、当時の信者にとってはまさに驚天動地の「摂理」であり、天が動いた!とも言うべきものでした。

それで嬉しくなった統一教会はこんな本まで出したほどです。

タイトルがすごい。

文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人

www.hmv.co.jp

本当に文鮮明共産主義崩壊の仕掛人だったのかということは、後ほど検討することにしますが、その前に、宗教者としてゴルバチョフ大統領に会ったことが実績のように統一教会の信者は語るのですが、本当でしょうか?

ゴルバチョフ大統領に面会した宗教家は、文鮮明だけではありません。

ゴルバチョフ大統領が面会したのは統一教会だけではない

しかし、上記のツイートでKDさんのツイートを見た創価学会の方が同じような写真はうちでもあると言い出しましてね。実際、池田大作ゴルバチョフ大統領が抱擁している写真をカバーにつかった本が出ています。

 

それどころか、英語では池田大作ゴルバチョフ大統領の共著書まで出版されています。

https://twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613518539578822658?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw

北朝鮮金日成との会談

文鮮明は1990年4月にソ連ゴルバチョフに会い、その翌年、1991年11月30日に北朝鮮を訪問し、12月6日には金日成主席と会見しています。こちらについては、筑波大学の総長を務めた福田さんが書籍をあらわしています。

 

www.hmv.co.jp

北朝鮮はいまだに金王朝の独裁体制を維持しており、内部文書の公開もされていませんので、金日成文鮮明会談の背景は我々には知りようがありません。

一方のゴルバチョフ大統領は、彼の時代にソ連は崩壊して時代が変わり、その後、内部文書も膨大に流出したり西側のジャーナリストが積極的な調査を行っていますし、何よりゴルバチョフ本人がいくつもの著作をあらわしていて、1990年4月前後のソ連を取り巻く事情と彼がその時何を考えていたのかを明確に知ることができます。

 

これらの著作を確認することで、ソ連およびゴルバチョフ大統領、そして当時を取り巻く国際情勢の中で、文鮮明ゴルバチョフの会談に意味があったのか?

統一教会の幹部が「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」と自画自賛するような実績があったのかを振り返ってみたいと思います。

 

ゴルバチョフの1990年前後

今回、以下の二冊の本を参考に調べてみた。

honto.jp

honto.jp

前者はゴルバチョフ本人による自伝。後者は、ウィリアム・トーブマンによる著作で、彼はアメリカ合衆国政治学者・歴史学者。専門は、ロシア(ソ連)政治外交史であり、フルシチョフに関する書籍(邦訳は出版されておらず)でピューリッツァー賞を受賞しています。

後者「ゴルバチョフ その人生と時代」の膨大な索引を眺めるだけで、どれだけ緻密に資料を集め、直接関係者にインタビューをして声を拾っていったかが分かる著作となっていました。もし当時の関係者の中に「文鮮明の登場がソ連の崩壊に決定的な役割を果たした」という人がいれば、それは必ず記載していたに違いないだろうと思わされます。

 

1)文鮮明の名前はでてくるか?

この両書籍は、もちろんそうされているのが当然なのですが、登場する人物の検索もついています。

まず簡単なレビューとして触れておくと、どちらの著作の人物検索にも文鮮明の名前は登場していません。(池田大作の名前もありませんでしたが。)

統一教会の名前も(そして創価学会の名前も)見当たらないのは言うまでもないですね。というより基本的にどちらの書籍にも日本人を含むアジア人の名前は見つからないのですけれども。

 

また、第11回世界言論人会議(文鮮明ソ連を訪問した会議)の名前も見つからなければ、こちらの統一教会側で作成したと思われるページに記載の「主要な講演者」としてリストされている中に、索引で合致している人は、もしかしたらその一人が該当する人物かもしれないけれども、それ以外は基本的に見つからないようです。

 

www.telepathy.asia

もしかしたらその一人が該当する人物かもしれないけれども」と書いたのは、「グラチェフ・ソ連共産党中央委員会国際部長」と書かれている人物のフルネームが記載されていないのですが、「ゴルバチョフ その人生と時代」には「アンドレイ・グラチョフ:中央委員会国際部副部長」としては記載されており、写真を比較すると似ているようにも見えるからです。

写真はこちらのリンクをクリックしてご確認ください。

www.meer.com

世界言論人会議を開催していたのに参加者かつ主要講演者のフルネームや肩書もまともに付けられないのはいかがなものか?という細かい指摘はさておき、上記の「主要講演者」のリストと、「ゴルバチョフ その人生と時代」の登場人物一覧を突き合わせた結果は以下の通りです。

 

表にして記載したのですが、スマホからだとうまく表示されなかったので、まず先に画像にしたものを添付しておきます。

 

第11回 世界言論人会議 主要な講演者のリストと「ゴルバチョフ その人生と時代」の登場人物索引に記載されている人名との対照確認表

第11回世界言論人会議 主要講演者

以下は、上記の画像と同じものですがスマホでは表示されず、白いスペースが続くだけになっています。お手数ですがスマホの方はスクロースしてみてください。

 

登場人物との一致 氏名 肩書
x ニコライ・シスリン ソ連共産党中央委員会外交顧問
x パベル・ブニチ ソ連最高会議経済改革委副委員長
x アガン・ベギャン ソ連科学アカデミー経済学術部長
グラチェフ ソ連共産党中央委員会国際部長
x アレン・ニューハース 「USAツデー」紙創始者
x アーサー・ハートマン 前駐ソ米大使
x リチャード・パイプス ハーバード大学教授
x アレクシ・ヤブロコフ ソ連最高会議環境統制天然資源活用委・副委員長
x 松本十郎 防衛庁長官
安倍晋太郎自民党幹事長代理)
x 谷藤正三 北海道開発庁事務次官
x 村井勉 JR西日本会長アサヒビール会長
x 不破敬一郎 国立公害研究所所長
x 磯村尚徳 NHK放送局特別主幹
x 永井清 三菱総合研究所調査部長
(中島正樹・同相談役代理)

 

アンドレイ・グラチョフ:中央委員会国際部副部長」はちなみに、ゴルバチョフの報道官として1990年前後には頻繁に名前が登場しますが、世界言論人会議も文鮮明の名前も出てこないのは上述の通りです。

 

統一教会が大騒ぎし、また自らの大功績として掲げる「ゴルバチョフ大統領との面会」については、少なくとも本人の著作および第三者である研究者の調査範囲にはまるで言及されていない、という事実は重いと考えます。

統一教会お得意のマスコミは偏向しているから、という批判について

このような書き方をすれば、この世のマスコミや研究者は偏向しているとか、共産主義思想に毒されていて、統一教会の実績を正しく評価しないと言い出す人がいるのですが、こういう不細工な主張はそろそろやめた方が良いのではないでしょうか。

政治学者・歴史学者」を名乗る研究者が、厳然としてそこにあるはずの明確な事実を無視することは、自分の研究実績に傷をつけることになります。

 

また研究発表について文句をつけるのなら、統一教会の「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」をしかるべき学会で評価してもらったらよいのではないかと思いますが。

 

2)1989年から1991年のソ連および特に東西ドイツの動向

我が人生 ゴルバチョフ自伝」および「ゴルバチョフ その人生と時代」の1990年前後の記録を読んで明らかなのは、ゴルバチョフはなんとか共産主義国家を維持しようとし、そのために心血を注いだけれども、共産主義自らの間違いで失敗せざるを得なかった、という事です。

1989年から1991年にかけてのソ連は、崩壊しつつある大国が最後のあがきを示している時期でもあり、激動の時代と言える。このため、この時期だけでも膨大な紙幅が必要になる。

しかし、その時代を追いかけたいわけではないので、ゴルバチョフが書記長に就任後のソ連のあゆみと、特に1990年4月の世界言論人会議の前後において、ソ連を最も悩ませたテーマに絞って年表にしたのが以下の表になります。

 

1990年4月前後のソ連を取り巻く重要課題

こちらも同様に上記の画像と同じものですがスマホでは表示されず、白いスペースが続くだけになっています。お手数ですがスマホの方はスクロースしてみてください。

 

  ドイツ ソ連
1985年     ゴルバチョフ 書記長選出
1986年 4月   26日 チェルノブイリ原発事故発生
1987年
11月   言論・報道の自由を認めるグラスノスチ(開放)政策、経済の意思決定を分散して効率化を図るペレストロイカ(再構築)政策
    グラスノスチは、一連の改革はソ連邦民主化に大きく貢献した一方で、困窮する民衆の生活とはまるで別世界のような共産党幹部による共産貴族と呼ばれるほどの豪華絢爛な暮らしや汚職なども暴かれて、国民の反共産党感情を一気に高め、最終的にはソ連解体へと国家を進めていく結果となった。
1988年 10月   ゴルバチョフはグロムイコの引退に伴って最高会議幹部会議長に就任し、国家元首となる。
1989年
11月 9日 - ベルリンの壁が崩壊する。  
12月 1日 - 東ドイツ憲法第1条からドイツ社会主義統一党(SED)による国家の指導を定めた条項が削除され、SED一党独裁制が終焉。  
1990年
3月 1日 - 西ドイツで、東ドイツの国有資産接収を目的とした信託公社(ドイツ語版)が設立される。
18日 - 東ドイツにて自由選挙が実施され、ドイツ統一を主張する保守連合「ドイツ連合」が勝利する。
15日 ‐ 複数政党制と強力な大統領制を導入(これまでの書記長制を廃止)する憲法改正法案を人民代議員大会で採択
同日、人民代議員大会において実施された大統領選挙において、ゴルバチョフは初代ソビエト連邦大統領に選出
4月   10日~13日 第11回世界言論人会議開催。ゴルバチョフと会談
5月 5日 - 東西ドイツと米英仏ソの6か国外相会議が開催される。
18日 - 西ドイツと通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約を調印する。
 
7月 1日 - 通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約が発効し、西ドイツの通貨ドイツマルクが東ドイツに導入される。
17日 - 6か国外相会議で、統一ドイツの北大西洋条約機構NATO)への加入を確認する。
23日 - 東ドイツの県が廃止され州が復活される(新連邦州)。
 
8月 23日 - 東ドイツの人民議会で東ドイツ5州の西ドイツ加盟が決議される。
31日 - ドイツ再統一条約が調印される。
 
9月 12日 - ドイツに関する最終規定条約が調印される。  
10月 3日 - 西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州が西ドイツに加入する。  
1991年
4月   ゴルバチョフ大統領、ソビエト連邦最高指導者として初めて日本も訪れ、海部俊樹首相(当時)と日ソ平和条約の締結交渉や北方領土帰属等の問題を討議したが、合意には達しなかった。
8月   19日、クリミア半島の大統領別荘に滞在していたゴルバチョフは、KGB議長、副大統領、そして首相らの「国家非常事態委員会」を名乗る保守派が起こしたクーデターによって、妻のライーサや家族、外交政策担当大統領補佐官ら側近たちとともに別荘に軟禁された。
ゴルバチョフが軟禁された際、当然ながら外部との連絡は絶たれ、いつ「用済み」として殺されるか分からない状況であったが、偶然別荘にあった日本製のラジオがニュースの電波を拾うことができたため、モスクワでエリツィンや市民、軍部がクーデター首謀者側に抵抗していることを知り、救出される希望を捨てなかったという。(ライーサ夫人は救出後に「軟禁中、『ソニー』が一番役立った」とコメントしている。)
クーデターは失敗したが、首謀者がゴルバチョフの側近だったことで、ますますゴルバチョフの支持が低下した。
12月   ゴルバチョフの政治的ライバルであったエリツィンがロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のソビエト連邦からの脱退を進めたことにより、ソビエト連邦は崩壊した。12月25日にゴルバチョフはテレビ演説で「私は不安を持って去る」と大統領を辞任し、結果的にソ連時代唯一の大統領となった。

 

ドイツ再統一」および「ミハイル・ゴルバチョフ」の該当年月の記載から抜粋したもの。

 

この表から明らかなように、1989年にはベルリンの壁が崩壊しました。

ベルリンの壁の崩壊は象徴的ではありましたが、東西ドイツがどうなるのかという事については共産主義世界の運命を左右する問題となっていたはずです。

 

そのような問題に頭を悩ませていたことは、著作2点でもたっぷりと記載されていますが、その間に言論人会議がソ連およびゴルバチョフ大統領の関心の種となりえたのでしょうか?

 

答えはこれらの本に書いてある通り、と言いますかこの本には書かれていないことがそれを示している通りとでも言いましょうか。どこかの宗教団体がお金をだして開催した言論人会議のテーマについて沈思黙考して、それを熟慮している状況にはなかったのです。

 

本投稿では1990年4月の前後に焦点を合わせて抜粋しての記事となっていますが、チェルノブイリ原発事故以後、ソ連を悩ませる問題はそれ自体がソ連を崩壊へと導いたことは読み取れましたが、そこに極東発祥の宗教団体の勝共やらの入る隙間はとてもなさそうです。

 

第11回世界言論人会議に参加し、「ゴルバチョフ その人生と時代」の両方に登場していそうなアンドレイ・グラチョフには2005年6月28日にプーシキノで直接インタビューしていますし、上述の通りグラチョフはゴルバチョフの報道官でもあったのですから、文鮮明との出会いが重要な意味があれば、その点を言及していたことは想像に難くありません。

また、巷間言われていました「ゴルバチョフの自伝には文鮮明の名前が登場しない」も確認済みです。

 

まとめ

現役信者が何をどう信じようが自由ですが、少なくともゴルバチョフ本人、そしてソ連・ロシアの政治外交史の膨大な調査に基づく著作に、統一教会および文鮮明が重要な役割を果たしたという痕跡は認められませんでした。

 

また統一教会が「世界言論人会議」という名目でモスクワに行き、ゴルバチョフにあったということは事実ですが、ゴルバチョフおよび研究者に文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人と認識されるようなことは何もありませんでした。

 

統一教会の信者もゴルバチョフと会った!共産主義を屈服させた!と喧伝することには忙しいですが、具体的に共産主義ソ連崩壊にどう働きかけたのか、またゴルバチョフと会うことで、ソ連の運命が何か変わったか説明できるのでしょうか?

 

少なくとも上記の2冊を読んだ限りでは、統一教会の出る幕は何もなかったようですし、その後、統一教会が関与したことでソ連の15の共和国やロシア共和国本体が何か変わったのか?


ゴルバチョフ大統領と会いました!ということが重要なのではなく、その後どうなったのかが重要なのではないでしょうか?

 

残念ながら、この点について統一教会の信者が熱心に語るのを見たことはありませんし、二つの著作にもそれらの影響や痕跡を確認することすらできませんでした。

 

関心がおありの方は、各自図書館で借りるなどして、関連書籍をご覧ください。

 

本稿ではゴルバチョフ文鮮明に焦点をあてて描いていますが、ソ連の崩壊は膨大なシステムが壊れていくものであって、文鮮明ゴルバチョフ一人と会ったことでどうなるといった類のものではなかったのです。

 

今後、統一教会の信者が彼らの実績としてゴルバチョフと会ったと持ち出しても、相手にする必要がないと考えます。

 

「この内容は誤りだ!偏向だ!」とおっしゃりたい現役信者は、ご自分で調べてくださいませ。超一流の研究者の調査、論文より信頼性のある内容が提出できるとは思えませんけれども。

 

本投稿の続編

続編を投稿いたしました。

こちらの記事もご覧くださいませ。

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以上

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