楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってあるので、復元はできます。
以下、元記事は楽天ブログに2006年5月15日に公開したものです。
ただし、当時、Web魚拓で保存していなかった記事などが既にサーバーが消えていたりしており、当時の原稿そのままでは内容の確認ができませんでしたので、その後に新聞社が記事にした内容を追加して、全体の趣旨としては一致するように再構成しています。
このため、その後の時代の記事が引用されているものがあります。この点はあらかじめお断りしておきます。参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200605150000/
<以下、元記事の復元内容です。上述の通り修正あり>
詩人タゴールと聞いて、日本人は何を思い浮かべるのだろうか?
アジア最初のノーベル賞詩人、インドの詩聖・・・日本の軍国主義に反対した人・・・
検索エンジンで調べると、タゴールは岡倉天心と親交があり、日本にも何度か訪れています。
www.tenshin.museum.ibk.ed.jp
このインドの詩聖タゴール、ノーベル賞詩人として有名だから聞いたことのある人も多いと思いますが、「教会」に関して言えば、また別の意味で有名です。
原理講義も5-Days以上の長期のものになってくると、「現代の摂理」と称して、原理講論の最終章である「どこに再臨されるのか?」という内容の講義から始まり、
- 再臨主が実は韓国に生まれる事
- さらに、実は既に生まれている事
- そして既に世界的な地上天国実現の活動を繰り広げている事
- それが統一教会であり、そのお方の名前は文鮮明である!
なんていう風に講義が行われますが、ちょうどこの「現代の摂理」に関する講義で詩人タゴールが登場します。
再臨主が韓国に来られるということを講義した後、「あのノーベル賞詩人、インドのタゴールも韓国のことをこのように語っています」と紹介する詩が次。
韓国で人口に膾炙しているタゴールの詩
東方のともしび タゴール
かつてアジアの黄金時期に
朝鮮はその燈火をかかげる一人であった
その燈火はふたたび灯されるのを待っている
東方を照らすために
心に恐れはなく
頭を高くもたげ
知識は自由で
狭苦しい垣根で世界がばらばらに分かたれない所
真実の深みの中から 言葉が湧き上がる所
絶え間ない努力が 完成目指して腕を広げる所
知性の清い流れが
固まった習慣の砂原に道失わない所
無限に広がって行く思考と行動に 私たちの心が導かれる所
そのような自由の天国で
私の心の祖国コリアよ 目覚めたまえ
私がこの詩の紹介を受けたのは既にかなり前のことになりますが、タゴールというインドの詩人が唐突に登場すること、そのインドの詩人が「私の心の祖国コリアよ」と言っているという点は、色々と衝撃(というよりも非常な違和感があったため)で、今でも間違いなく、この詩が使われたことを覚えています。
この詩は韓国においては非常に有名なもので、「あのノーベル賞詩人のタゴールが心の祖国コリアよ目覚めたまえ、と語っている!」という事になっていました。
上の引用文を見たら誰が読んでも、そのように受け止めることでしょう。
しかし「カルカッタ韓国文化院 代表 権ビョンフィ」という方が、2006年当時、このタゴールの詩について衝撃的なことを発見して投稿しました。
2006年当時、それを見て衝撃を受けたのは私の方です。それでこの元の記事を投稿したのですから。
その後、「カルカッタ韓国文化院 代表 権ビョンフィ」の記事はサーバーからも消えてなくなってしまっていますが、時間をかけて韓国本土にも伝わりまして、とうとう中央日報でも記事になりました。
そのおかげで2012年当時、ほとんどアクセスがなかったのに、2006年のこのタゴールの記事にアクセスが異常に増えて、私自身が驚いたくらいです。
kib.hateblo.jp
タゴールが書いた韓国の詩とは?
カルカッタの韓国文化院長の記事で書かれていた内容がほぼそのまま、中央日報で取り上げられたような感じです。
それがこちらの二つの記事。Web魚拓にとったリンクで上げておきます。
megalodon.jp
megalodon.jp
これらの記事は短い文章でありながら、問題を正確に描写してくれていますので、こちらにも引用しておくことにいたしましょう。
記事のタイトルですべてを悟れる気がしますが、まずは記事を読んでみることにしましょう。
【噴水台】タゴールの詩、韓国人好みに仕立て上げたとは苦々しい
岸で夜は明け
血の色の雲の早朝に
東側の小さな鳥
声高く名誉の凱旋を歌う
1913年にアジアで初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人タゴールがベンガル語で書いた詩だ。何を歌ったのか。日本が日露戦争で勝利したことを祝う詩だ。インドが長い間の英国の植民地統治から抜け出せないことを残念に思っていたタゴールは、当時世界的な強国に浮び上がった同じアジアの日本に好感を持った。1916年をはじめ5回も日本を訪問した。茶道、生け花、俳句など日本の伝統文化に魅了され、「詩心を起こさせる国」と高く評価した。日本滞在中の講演を通じ、「日本はアジアに希望をもたらした。私たちはこの日出ずる国に感謝する」と話したりもした。大アジア主義を叫んだ日本右翼の大物頭山満とも懇意にしていた。
これほどになるとタゴールの詩「東方の灯燭」を記憶する多くの韓国人はいぶかしいだろう。教科書にも載せられた「東方の灯燭」は、「早くからアジアの黄金時代に/光る灯燭の一つである朝鮮」で始まり、「わが心の祖国コリアよ目覚めて下さい」で終わる。日帝統治下の朝鮮のために書いた詩だとされ韓国人なら誰が見ても植民地支配から抜け出せと励ます内容として読まれる。そんなタゴールが日本の味方だったと?
英文学者の洪銀沢(ホン・ウンテク)大真(テジン)大学教授が季刊詩専門紙「詩評」冬号に寄稿した「タゴールに対する不便な真実」を見ると疑問の相当部分が解ける。洪教授は考証を通じ、「東方の灯燭」の15行のうち最初の4行は詩というよりメモ形態で1929年に朝鮮に伝えられたものであり、残りの11行は誰かがタゴールの作品「ギーターンジャリ」35節を付け加えて仕立てたものと分析した。しかも「わが心の祖国コリアよ目覚めて下さい」という最後の一節は誰かが「ギーターンジャリ」の原文にもない「コリア」を入れ脚色したものと指摘した。ノーベル賞受賞者の権威に寄りかかったとんでもない“片思い”が日帝時代、そして解放後も長く続いたことになる。
事実タゴールは日本だけを欽慕したのではなかった。日本人対象の講演で「この国(日本)は物質的には進歩したが精神的には退歩している」と苦言を呈したし、軍国主義化傾向も懸念した。彼が「日本がインドにも野心を抱いているようだ。飢えた彼らはいま朝鮮を食い荒らし中国を食いちぎっている」と話したという証言もある。ひとつの側面だけ見るものではない。
80年を超えて続いたタゴールに対する片思い、あるいは誤解は私たちの必要・コンプレックスと外国発の権威に対する盲従が混ぜ合わされた結果だ。厳酷な日帝時代には仕方なかったとして、最近の大韓民国でこれと同様の寸劇が広がらないと誰が壮語できるだろうか。
・・・スゴイね。
- 韓国向けに書かれた部分とそうでない部分を結合させ、全ての文脈を韓国へと解釈している。
- 原文の「わが祖国」を「心の祖国コリア」と変換し、タゴールの詩のように流布している。
- カルカッタ韓国文化院の方は、この2)のようなやり方は正しくないと述べています。
しかし「後の人がちょっと直してくっつけただけ」と弁明していました。
「ちょっと直してくっつけた」...
ギタンジャリの日本語訳を調べると、以下の部分が該当するようです。
心が恐れを知らず
頭が高く支えられているところ
智識が 自由であるところ
世界が せまい家という壁で 分離されていないところ
言葉が 真理の深みから出て来るところ
疲れを知らないはげみが 完成へと 腕をさし伸ばすところ
理性の清い流れが 死滅した習慣の荒れた砂漠の中へ 道を失わないところ
心がいつまでも拡がる思想と 行動へと
あなたによって みちびかれるところ――
そういう自由の天国に わが父よ
わが国を 目覚めさせて下さい。
linden.main.jp
「わが父よ わが国を 目覚めさせて下さい。」という文章が「私の心の祖国コリアよ 目覚めたまえ」になるのは、「ちょっと直してくっつけた」と表現するには、改ざんが酷すぎると思いますね。
とんでもない違いだと思いますよ。これをどう読んでも韓国のことを指していると考えるのは牽強付会が過ぎます。
しかし、韓国人としては無理なこじつけ創作の方が真実であってほしかったという気持ちが中央日報の記事タイトル「タゴールの詩、韓国人好みに仕立て上げたとは苦々しい」ににじみ出ていますね。
少なくとも私がざっと調べた限りではタゴールが韓国に言及した内容としては、これ以上のものを見つけられませんでした。研究者の論文にまで当たっていませんけれどね。
ただし、この過程で分かったことを3点ほど、指摘しておきたいと思います。
1)タゴールが韓国のために四行詩を書いたのは事実
ブログ記事を投稿した当時に、記事に貼っていたリンク先の魚拓を取ってはいないのですが、当時投稿した記事の内容からすると、日本に何度も足を運んだタゴールには朝鮮半島にも来てもらいたいとの招待があったようです。しかしタゴールは朝鮮半島には行くことはなかったようです。
以下に引用する東亜日報側の記事では、「東亜日報に投稿された詩」と書かれていますが、上記で引用した中央日報の記事に「最初の4行は詩というよりメモ形態で1929年に朝鮮に伝えられたもの」とありますし、カルカッタの韓国文化院長の投稿でも「東亜日報の記者と日本で会った時にメモとして渡したものが冒頭の4行である」と書かれていました。
それが東亜日報の編集長によって韓国語に訳されて掲載されて、韓国人の間で一気に広まったものでしょう。
このあたりの実際の経緯までは正確に確認はできていませんが、1929年4月2日付の東亜日報に掲載されたのは間違いないようです。
www.donga.com
細かい点になりますが、中央日報では「メモ形態で1929年に朝鮮に伝えられた」とあり、カルカッタの韓国文化院長は東亜日報の記者が頼んだのでメモに書いて渡したと記載されていたのに対し、東亜日報では「東亜日報に投稿された」と表記されているのは、「韓国国民にあれほど愛されているノーベル賞詩人がわが社に投稿してきたのだ」とのニュアンスを込めた表現と解釈します。
2)終戦当時までは、韓国人の中でもタゴールの詩は4行だけと認識されていた
上記の東亜日報の1929年4月2日に東亜日報に掲載された詩は、タゴールが朝鮮半島の人向けに提供した四行詩でした。
それではいつ頃、冒頭に示したような別な詩と結合され、さらには「心の祖国 コリア」などの改変がされたのでしょうか?
おそらく、戦後のことと思われます。
なぜそう言えるか?
megalodon.jp
こちらのリンク先の記事の中から「京都時代の尹東柱 ―― 南炳憲さんに聞く ――」を見ると、尹東柱という韓国を代表する国民的詩人が紙片に書かれたタゴールの詩を朗読してくれたとあり、その詩は東亜日報に掲載されたものと同じ四行詩です。
(尹東柱が)'京都に来てほんとうによかった’と語る口調をはっきりと覚えていると言う。特に印象深かったのは、尹東柱が南さんの下宿で何回となく、紙片に書かれたタゴールの英語の詩を朗読してくれたことであったと言う。かの「かつてアジアの黄金時期に 朝鮮はその燈火をかかげる一人であった その燈火はふたたび灯されるのを待っている 東方を照らすために In the golden age of Asia Korea was one of its lamp-bearers, and that lamp is waiting to be lighted once again for the illumination in the East」という詩であった。
韓国で尹東柱と言えば、全国民が知っている国民詩人です。
特に「序詩」という詩はほとんどの人が暗唱しているはず。ちなみに私も暗唱していました。
彼は1942年10月から同志社大学に学んでおり、1945年に没しているので(治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所で原因不明で獄死。当時のことなので、酷いことがあった可能性は否定できません)、ちょうど世界大戦時には、その詩人が朗読していた詩が四行詩と一致しているので、この時まではタゴールの詩は四行詩として認識されていたのでしょう。
3)タゴールの予言が現代の摂理に繋がる理由
この尹東柱が留学していたのが、まさに文龍明青年の日本留学時期とほぼ同じです。
ただし文鮮明は彼とは会ったことはないと考えます。もし一度でもあっていたら、彼の名声を利用しないはずがない。
いくらタゴールが韓国人に愛されていると言っても、知名度や名声の点から言っても尹東柱の方がはるかに高い人気を誇る。
あれだけ自分たちの権威付けに利用することが好きな統一教会が、その創始者が尹東柱と会ったことがあるのに、宣伝に使わないなんて考えられません。
さて。ここで尹東柱が治安維持法で逮捕されたとは、すなわち日本の軍国主義を批判していたからで、この一点ゆえに彼は韓国内で「日本抵抗のシンボル」として、韓国人の敬愛を受けていると思います。
そして、その彼が朗読して聞かせたのが知人の印象に残るほどだったのが、韓国をアジアの灯火にたたえたノーベル賞詩人タゴールでした。
ここから何が分かるか?
当時の日本にいる韓国人達で治安維持法で引っかかりそうな人たちは、きっとタゴールの詩を暗唱していたにちがいない、と思われます。韓国を支配する日本に、同じアジアの、しかも(韓国人が大好きな)ノーベル賞まで受賞した世界的冠桂詩人が厳しく日本を批判している、ということは彼らが反日活動をする正当性を与えるものであり精神的支柱であったでしょうから。
そしてそういう内容が裏で拡散されるのは非常に多くある。
尹東柱がタゴールの詩を愛唱したように、文青年達が日本でのテロ活動に従事する間、文鮮明もこの四行詩を愛唱していた可能性は非常に高かったと考えられます。
■なぜ韓国人はタゴールが韓国を心の祖国と呼んだと考えたか?
本項目は2023年6月30日に追記した内容です。
タゴールの詩に関して判明しているのは、次の二つです。
ア)東亜日報の記者に韓国向けの4行の詩を渡し、それが新聞に掲載された
イ)ギタンジャリという詩を書いた
この二つの事実だけで、タゴールが韓国を心の祖国と呼んだと考えるのはあまりにも稚拙な論理展開です。
①タゴールは日本を愛したが、それゆえに批判もしていた
タゴールのことを調べると、日本をこよなく愛していた一方で、日本を厳しく批判したことも記載されています。
タゴールがノーベル賞を受賞したのは1913年。
日本を始めて訪れたのは1916年で、この時3か月間、日本に滞在している間にも日本に対する批判的なスピーチをしたことが確認できます。
百年前の日本への旅~タゴールの『日本旅行者』~ より
船は一九一六年五月二十九日に神戸に到着した。このあとタゴールは九月二日にシアトル行きの船に乗り込むまで、三ヶ月強を日本で過ごす。神戸での出迎えの熱狂ぶりは、タゴールの表現によれば「人間サイクローン」並で、もともとの知り合いであった横山大観や河口慧海などのほかに、在日インド人、一般の日本人、新聞記者などに囲まれて大騒ぎとなった様子が伺える。
(中略)
例えば六月十日は時の首相、大隈重信を訪ね、その足で早稲田大学を見学、午後は岡倉天心の設立した日本美術院を訪れて‟Ideal of Art” と題する講演を行い、そのまま美術院の面々と会食に赴いているし、翌六月十一日は東京帝国大学において ‟The Message of India to Japan”と題する講演、十二日は能の鑑賞、十三日には上野の寛永寺で二百人ほどを集めた歓迎会が行なわれている。
実際、日本において異国の詩人がここまで歓待されるなど、ほかに事例が見当たらないのではなかろうか。しかしそれらもさすがに六月後半には一段落着き、以後は比較的平穏な日々が続く。一般的にはタゴールのスピーチ、それも日本を批判した一節が不評をかこち、旅の後半では人々の熱狂も冷めて寂しい日々を過ごしたように語り継がれているが、ことはそう単純ではない。(強調は管理人)
この1916年とはいかなる年だったでしょうか?
1910年8月29日の日本による韓国併合後、6年が経ち、有名な3・1独立運動が1919年に発生する3年前。
つまり、朝鮮半島ではまだ日本に対する反発が強かった時期でした。
そんなところにノーベル賞を受賞した詩人タゴールが日本で日本を批判したという話は韓国人にも伝わり、タゴールを朝鮮半島の解放者と仮託するようなまなざしがあったのは間違いないと思います。
この一点のゆえに、韓国人はタゴールに何度も朝鮮半島へ招待したのでしょうし、「日本で日本を批判したタゴールなら、韓国に対して祖国愛のようなものを抱いているに違いない」と考えたことは十分ありうる話でしょう。
だからこそ日本を批判していたはずのタゴールが日本を礼賛していた事、韓国を「心の祖国」とは呼ばなかった事に韓国人はショックを受けたに違いない。
本稿はあくまで推論ですが、それほどピントのずれたものではないと考えます。
■キドバレットさんの40日修練会メモを受けて
さて。ここで、なぜこの記事を2023年6月になって復元したのか、という理由を説明します。
キドバレットさんが2000年頃に参加した原理研究会の40日修練会の講義ノートが最近になって「発掘」されました。その時の講義ノートがスキャンされて、こちらのnoteで公開されています。
note.com
このnoteの28ページから30ページ当たりが本投稿で説明してきた「インドのノーベル賞詩人タゴールが韓国をここまで高く評価している」と説明されてきていた部分に該当します。
しかし、キドバレットさんの講義では何もメモがありません。
この理由として考えられることを追記しておきたいと思います。
①2006年当時の投稿内容
以下は、本ブログ記事を投稿した時点で考えていた内容です。
韓国人の文鮮明は、暴力や復讐を否定する詩人の詩を口ずさみながら二重橋を破壊する活動に従事しようとしたり、日本に報復することを考えていたことでしょう。
そして、いつか自分のことをメシアと思い込んだ時には、タゴールは自らを証するものと思い込んだ、というのはそれほどおかしな推論ではないと考えます。
残念なことに、日本は結果としてタゴールの警句に耳を傾けずに世界を敵に回して戦争をすることになり敗戦しました。このため、タゴールの発言が予言のようになってはいます。
しかし軍国主義批判の一点の故に、タゴールは日本の全てが悪いと批判したというのは正しい理解ではないと思います。
また原理講師たちが修練会などで紹介しているのは、文章だけを言うなら確かにタゴールの詩ですが、韓国に向けて書かれた部分とインドのことを書いたものを、タゴールの意思とは無関係に合成した作品でした。タゴールは韓国を「心の祖国」と呼んでいるかのように語るのは間違いですし、事実にも反します。
韓国に対するなんらかの気持ちとして「東洋のともしび」なる4行の詩を書いたことは間違いないでしょうが、韓国を心の祖国と言ったという事実はないし、この四行詩だけをもって韓国のことをマンセーしていると考えるのは拡大解釈のしすぎです。
ましてや、「再臨主が生まれる国として神が選んだ韓国を証しする詩」として紹介するのは、全く事実と異なります。
本来韓国に対して謳ったものではない、本来はタゴールの祖国に向けての詩を勝手にくっつけて、「コリアが世界の頂点に立つ」とか、「世界を導く」、果ては「メシアが生まれることを予言したもの」という講義の導入に使うのは、人類歴史や文学に対する冒涜であり、正しい態度ではない。
さらに、統一教会の不誠実さの表れであると感じる点は、韓国を「心の祖国」と持ち上げ、再臨主が韓国に生まれたことを証しする証人であったはずのタゴールが、その後の「霊界解放」やら、「先祖解怨」では名前を聞かないのはどういう訳なのでしょうか?
散々、自分の権威付けには利用するけれども、その後は知らぬ存ぜぬとは、いかにも今の統一教会がやっている信者に対する扱いと同じなので、全く驚くことはありませんが。
(最後は元記事から若干修正しているものの、ここで2006年の記事は終わりとなっていました。)
②キドバレットさんの講義メモから見えるもの
さて、上述したようにキドバレットさんが2000年頃に参加した40日修練会ではタゴールの詩が書かれていません。
これは不思議なことで、この元の投稿を楽天ブログにしたのは2006年、つまりキドバレットさんが講義に参加した6年後になります。
また、当時の私のブログでの「元信者仲間」は、「自分もタゴールの詩は講義で聴いた」と語っていました。
インドに赴任した韓国文化院の所長がタゴールの詩の「実態を発見」したのは、たぶんこのような背景があったものと推察します。
彼は詩聖タゴールの国に赴任したからには、彼が韓国をたたえた詩を根拠として、タゴールの足跡をたどり、願わくばインドー韓国の交流促進につなげようと考えて調べた結果、実はタゴールの詩として伝えられたものが別であったことに気が付いたのでしょう。
それは2006年だったのです。つまり韓国人がタゴールが韓国を心の祖国コリアよと詩に記していたというのは誤りだった、と知ってショックを受けたのが2006年だったということです。
それなら日本の原理講師が「タゴールの詩が、実は韓国を礼賛したものではなかった」と気づけたのも、2006年以降であったはずです。
日本人講師どころか韓国人(や独生女本人)ですら、2016年でもインドの詩聖タゴールが韓国を心の祖国と呼んでいることが信者のブログに書かれているからです。(以下のリンク先を二つともご覧いただくと、そのような記載があります。)
yuun0726.muragon.com
この方の記事に対して、タゴールの詩は韓国人が勝手に書き換えたものが流布されていると情報提供した人がいるようです。
それを受けてのことなのか、韓鶴子がタゴールの詩を正しく認識しているのか微妙な表現で取り上げていますね。
もしかしたら、まだ誤解した内容のままで取り上げているのかもしれません。一度、タゴールの詩を引用することのリスクがきちんと共有されていて、一度その引用をやめていたのにまた始めたとまで書かれていますからね。
yuun0726.muragon.com
※こちらの二つの記事は、Web魚拓に取れませんでしたが、PDFで印刷して保存しています。
少し話題がそれました。
話を2000年に戻しますと、この時点でタゴールの詩が韓国を「心の祖国と持ち上げたものではない」と認識できた日本人講師はほぼいなかっただろうと思われます。
それなら、当時のキドバレットさんの講師がタゴールの詩のことを言及しなかったのは、なぜでしょうか?
以下の二つの可能性のうちのどちらかかな、と思います。
ア)講師の講義案にはタゴールの記載がなかった
イ)5Daysなどで聞いたものと考えて省略した
このうち、イ)の可能性はあまり高くないと思います。
5Daysよりも40日修練会の方が日数も長く、その分、詳細な講義になることが多い。5Daysで語られているだろうから、40日修練会ではカットするというのは考えにくいです。
説明に時間がかかるものならまだしも、「インドのノーベル賞詩人タゴールが、韓国のことを心の祖国 コリアよと書いた詩が残っています」程度の説明を省略するとは思えないですよね。
ア)を推す理由は、たぶん原理講師の中で誰かが講義準備でいろいろと調べたり、たまたま韓国人にタゴールの詩のことを聞いた人がいて、その人が講義案に追加したのではないか?と考えるからです。
つまり原理講師の中にもタゴールを説明する人たちと、そうでない人達がいる。
私や当時のブログ仲間はタゴール派の講師で、キドバレットさんはタゴール派ではなかったからではないか?
その理由は、当時のこの投稿にもあるように、韓国のことを「心の祖国」とまでたたえた証し人であるタゴールが、その後の統一教会の摂理史、霊界解放や霊界通信、先祖解怨などには一切登場しないからです。
この点を要点として書きだすと、以下のようになるかと思います。
- タゴールの詩が誤った形で韓国では流布している。
- それを知った原理講師が、自分の講義案に「現代摂理で韓国が神に選ばれた証の一つ」として付け加え、その講義を受けた人はタゴールの詩を聞いたことがあるし、講師になれば語るようになる。
- 文鮮明もタゴールの四行詩を知っていた可能性は高いが、彼はその詩が「神が韓国を証した証明」とは考えていなかったであろう。
- このため、統一教会内部でも特にタゴールを持ち上げたり霊界解放したりすることもなく、「現代の摂理」にタゴールを入れない講師も存在した。
ちなみに、文鮮明が四行詩を認識していたのに、韓鶴子が「捏造されたタゴールの詩」を覚えて引用するようになった背景は次のようなものだと思います。
韓鶴子は1943年の生まれ。文鮮明と結婚したのが1960年。第二次世界大戦終了後、1950年から1953年の朝鮮戦争を生き延びたと思ったらその6年後には結婚しているので、タゴールの詩はその後に聞き知ったに違いなく、たぶん「心の祖国コリア」版で詠んだから。
夫亡き後、独生女としての権威付けをしようとした時、改めてタゴールの詩を思い出したというのが真相なのではないでしょうか。
しかし、統一教会の中にいてタゴールの名を聞いたのは研修会での「現代の摂理」のみであり、その後は聞いた記憶はありません。
今調べたら独生女の権威付けとして韓鶴子が再び用い始めたことが分かった程度です。もしかしたら615巻を数える韓国語のマルスム選集には記載があるのかもしれませんけれども。
ちなみに2017年でもタゴールの詩に言及していることが教会側のリリースに記載されていました。タゴールが韓国をそこまで持ち上げたと権威付けに使うなら、彼が愛したのは日本だった事はどう説明するつもりなのでしょうか?
いずれにしても、韓国に再臨主が来ることの証し人としてタゴールが詩を書いたなどという主張は間違いです。
そして統一教会内で完成して神と一体となったと豪語するような文鮮明・韓鶴子のどちらも、タゴールと霊界で会話している形跡がないことが分かる出来事であったとはいえると思います。
まとめ
上記から、詩聖タゴールが礼賛したものと批判したものを、韓国を対象として整理します。
- タゴールは日本を愛していたので日本を礼賛もしたが愛ゆえに日本に対する厳しい批判も行った
- 日本への批判は、韓国を心の祖国と考えてのものではない。
- 韓国に向けて四行詩を提供したが、どういう気持ちの詩かは不明
そのことが2006年以後、韓国人にも知られはじめた。
2012年の新聞記事を通じて韓国にも広く知られつつある。
- しかし統一教会においては2017年になっても、タゴールは韓国を礼賛していると考えている節がある。
- 余談だが原理講師も2000年頃は資料がまだ共有化されていなかったかもしれない。
世の中にあるものは、全て神様の意思の表れと個人的に思うことは自由でしょうが、他人が思ってもいない内容を、自己の正当化のために牽強付会で権威付けに使うのは慎むべきだと思います。
タゴールが韓国を証したというなら、彼は日本をもっと愛したのですから。