KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

映画レビュー:ダークナイト・トリロジー

 

カルト脱会者のダークナイト・トリロジー感想

過去のツイッターでいくつもつぶやいてきたように私はバットマンの映画というより、ダークナイト・トリロジーと呼ばれる三部作がとても気に入っています。

バットマン」と聞いて、まったくイメージすら沸かないという人はいないと思います。

 

ja.wikipedia.org

 

本名はブルース・ウェイン (Bruce Wayne)。
大企業「ウェイン・エンタープライズ」のオーナーであり、ゴッサム・シティの億万長者、慈善家。幼いころに眼前で両親のトーマスとマーサを強盗に殺害され、以来執事のアルフレッド・ペニーワースに育てられる。表舞台では著名な慈善家として福祉や雇用拡大のために活動する一方で、裏では両親の命を奪った犯人への復讐と恐怖からバットマンとして戦う。

多くの心身共に強いヒーローとは異なり、彼は精神的な繊細さと葛藤を内包する人物像であることが特徴である。
Wikipediaより引用:強調は管理人)

 

この引用部分の最後の「多くの心身ともに強いヒーローとは異なり、精神的な繊細さと葛藤を内包」しているのが、バットマンの最大の特徴と言っても良いです。

スーパーマンのような超能力はないものの、大金持ちで、生まれ育った町を愛しており、鍛えた身体に黒いスーツをまとい特殊に開発した道具を用いて悪い奴らを退治して歩く。市民のために大金持ちとして貢献しつつ、はびこる悪を退治し安心できるようにしようという、物心両面で活躍しながら、そのことに葛藤するヒーローキャラクターというのは興味深い人物であり、こちらに示されているように、過去何度も映画作品が制作されています。

 

ja.wikipedia.org

 

アメリカでも絶大な人気を誇るキャラクターの一人で、過去の映画作品にはマイケル・キートンジャック・ニコルソンキム・ベイシンガーなどの大物が登場するほどです。

しかし引き出しが多いヒーローを描き出すにあたって、どこに焦点をあてるかによっていろんな作品の作り方ができてしまいます。このためシリアスなキャラクターのはずなのに、映画全体としてはコミカルな雰囲気の作品もあったり、そのミスマッチを楽しめるかどうかで評価が変わったりもします。

 

そんな中、「バットマンの映画とはこういうものだ」とでも言わんばかりに、その誕生、活躍、そしてバットマンの最後までの正解を出してしまったのがダークナイト・トリロジーでした。

 

何がそこまですごい映画なのか?

表舞台では著名な慈善家として福祉や雇用拡大のために活動する一方で、裏では両親の命を奪った犯人への復讐と恐怖からバットマンとして戦う」と紹介される人物は、なぜバットマンになったのか、どのように戦っているのか、犯人への復讐と恐怖をどのように克服するのかを完全な形で描き出しています。

そして、この映画がつくられたのは2005年から2012年ですが、「この映画をこの時代に作る意味合いは何か?」「なぜ、いまの人達はこの映画を見るべきなのか」、という問いに答えているからです。

 

本稿の冒頭で「カルト脱会者のダークナイト・トリロジー感想」と書きました。

 

私たちもこの世を良くしたいと考えて、何らかの運動に身を投じました。しかしそれが間違っていることに気が付いた今、何をするべきか。また何をしてはいけないか、という問題を、クリストファー・ノーラン監督は意図せずに描き出してしまっていると考えます。

 

これが本記事を投稿する最大の理由ですが、併せて信者の献金を湯水のように注いで、見る価値のない映画を作り続けることについての問題提起でもあります。

 

ダークナイト・トリロジーとは

ダークナイト・トリロジー(三部作)とは、「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」「ダークナイトライジング」の三作をさします。

こちらのウィキペディアでも「史上最高の作品に数えられている」と書かれています。

 

ja.wikipedia.org

 

個人的に超絶にお勧めしている理由は、特に第二作目、「ダークナイト」で、バットマン最大最強の宿敵、ジョーカーとの戦いを通して「善とは何か?悪とは何か?」「悪を倒すために、バットマンとして活動することの是非はどうか?」「正義のために、愛する人を犠牲にして良いのか?」といった、我々を悩ます本質的な問題を、なんとヒーローものの映画で真正面から描いています。

 

映画としての完成度も高いですが、我々元カルトの脱会メンバーとして、自分たちの立ち居振る舞いを考える映画にもなっています。

 

三部作のタイトルに込められた意味

バットマンは知ってるけど、ダークナイト(闇の騎士)って何?という方もいらっしゃるかもしれません。

 

もともとバットマンにはいくつかの異名がありました。

「Dark Knight(闇の騎士)」「World's Greatest Detective(世界最高の探偵)」「Caped Crusader(ケープを纏った十字軍騎士)」などの異名を持つ。

 

黒いスーツを着て夜に活動することから違和感はないと思いますが、「ダークナイト」はコミック時代からつけられていた通り名の一つです。

 

ここで三部作のタイトルを並べてみると、一作目は「バットマン・ビギンズ」(バットマンのはじまり)。ここではダークナイトとは使われていなかったのに、二作目から「ダークナイト」となっています。

製作者側は非常によく考えて作っていて、このタイトルの付け方自体に非常に重要な意味を込めています。

 

バットマンは一作目から三作目まで黒いスーツのまま戦う訳で、そこに変化はありません。

 

一作目ではただのバットマン、悪い奴らを夜な夜な退治する市民の味方、みんなのヒーローだったのです。

これが二作目でジョーカーとの対決の結果、警察や検察までもがズタズタにされてしまい、正義を実現するための警察・検察組織が崩壊しそうになったとき、そのすべての罪をバットマンが背負って文字通り闇の中に消えていくのです。

バットマンが闇に隠れてナイト(騎士)になった瞬間でした。

 

そして三作目。

二作目の終わりで罪を背負ったバットマンダークナイト(闇の騎士)は、当然、警察から追われる立場からスタートします。

そこから真の敵をやっつけて第二作目でバットマンが被った濡れ衣も晴らし、真の意味で「闇にかくれていた本当の騎士」であることが判明して終わります。

文字通り「ダークナイトが、再び昇ってくる(ライジング)」わけです。


バットマンダークナイトになったことの是非は?

このように三部作を通して「バットマンを描き切る」ことに成功したダークナイト・トリロジーですが、特に第二作目のダークナイトで正義のために罪をかぶったバットマンの行いは正しかったのかどうか?

あの瞬間の選択としては仕方なかったことは、映画を見ていた人は誰しもが納得するかもしれない。

しかし三作目の冒頭でその選択のゆえに苦しむ人の姿が描かれます。


バットマンは愛するゴッサムのため、信頼する警察の仲間たちのため、ボロボロになってしまった警察組織を守り立て直すために、彼はまったくもって正義と信じるもののために罪を被るのですが、その嘘がかえってバットマンが信頼する仲間を苦しめることを描いています。

このつなぎ方を見ただけでも、どれだけ「ダークナイト・トリロジー」が緻密に作られているかを感じます。

 

これは映画だったので最後は当然、丸く収まるのですが、人生において常にそうとは限らない。とても考えさせられるテーマです。


ジョーカーの嘘について

ここまで手放しで絶賛しているダークナイト・トリロジーですが、二作目に登場する敵ジョーカーは自分の生い立ちについて非常に矛盾した発言をあちこちでします。
これについて最初違和感を感じる人がいるかもしれません。

実際、当時のブログでもジョーカーのセリフの矛盾についてコメントしている人がいたと記憶しています。彼はこの世に混乱をもたらすことを生きがいとしているので、まともに自分の生い立ちを語るわけがない。

 

たとえばジョーカーがバットマンを敵として攻撃するのを見て、バットマンの正体を知る人間がテレビで「バットマンの正体を知っている」と語ろうとします。

その瞬間、ジョーカーはテレビ局に電話をかけて、「せっかくのゲームを邪魔する奴は許さん、その正体を明かそうとした人間を殺さないと市内の病院を爆破すると宣言」します。

テレビで「バットマンの正体を明かす」という人物が出てきた瞬間に電話をかけているだけでなく、「病院を爆破する」ことで身内が被害を被る人間が警察にいて、その人物の保護のふりをして殺しかけるような準備までしていた人物でした。

そんな狂気のジョーカーの生い立ちがまともであるはずがなく、その話があちらとこちらで矛盾していること自体が、ジョーカーそのものをあらわしていると言えます。

奇蹟のジョーカー俳優=ヒース・レジャー

この狂気の塊ジョーカーを演じたのはオーストラリア出身のヒース・レジャーでした。役を演じ切るためにイギリスのホテルにこもって狂気の世界に入り込んでしまったため、撮影が終わると精神的に負担が多すぎて不眠症に陥り、映画の完成を待たずに他界してしまいました。

ja.wikipedia.org

文字通り命がけの演技となったわけですが、映画における存在感は狂気そのものです。

バットマンが彼を捕まえるために禁忌の技術まで手を出さざるを得ないほど、悪を働くことにかけては超絶的な天才というキャラクターそのものとして登場しています。

作品として彼の存在は重要な役割だったことは間違いないのですが、役柄が俳優本人に及ぼす影響という問題については別途に考えておくべきことがありそうです。


☆この映画の「ザ・映画」たる由縁

不思議な小題をつけました。
これは、つい先日、某宗教団体が作った映画を見て、あまりのひどさに衝撃を受けたことに対するリハビリテーションとして本記事を投稿した事から生まれたパートでもあります。

kib.hateblo.jp

 

kib.hateblo.jp

ダークナイト・トリロジーをこれらの映画と比べること自体が、そもそも間違っているのですが...

 

某映画の製作陣はこういった映画を作らざるを得ない。仕方なくやっている面があることは、別の宗教団体に属していた立場として十分理解はします。

しかし善と悪の対立をかくならこうやってやるのだぞとでもいうべきお手本のような作品が「ダークナイト・トリロジー」です。

制約が厳しい中であっても、これら三部作に近づけるようにしてもらえたら、と願わざるをえません。

監督はじめ優秀なスタッフは、こんなことは言われないでも百も承知なのは分かっていますけどね。教団側のスタッフもつらいでしょうし。

 

閑話休題

まだご覧になっていらっしゃらない方もおられると思います。あまりネタバレにならない程度に、この作品の映画としての見どころを上げておきたいと思います。

①全体構成が素晴らしい

これは既にタイトルやキャラクターの描き方で述べています。某映画とは根底から作りこみ方が異なります。また、以下の内容をご覧いただいても、どれほど全体の構成から細部に至るまでを考え抜いて作りこんだかが良く分かります。

②伝えたいメッセージを、「セリフ」ではなく、物語を通して観客に感じさせている

なぜバットマンが生まれたのか、なぜあそこまで悪を憎むのか、という重要なメッセージは、ストーリーを通して描かれます。バットマンのキャラクター設定である「俺は両親が殺された!その犯人が憎いから、バットマンになったのだ!」ということはブルースがセリフで語ったりなどせず、映画=映像を通して語られています。

これを端的に示すのが、バットマンの姿をしている時に、「あなたの名前は」と聞かれるのですが、自分の名前を名乗らずに相手から言われたことがあるセリフを使うことで、自分の正体とやっていることを伝える工夫をしているくらいです。この点については後ほど詳しく説明します。

 

映画は、お金をかけてシナリオを書き、俳優を起用し、撮影したり音楽をあてたりして作った作品を見てもらった観客が、忘れたくても忘れられない体験としてメッセージを受け取ったり、考える起点になるから価値が生まれる。

何度も何度も見返して感慨を深めたり、シナリオに込められたメッセージを後から悟って、更に製作の意図を再確認したりすることになるわけです。

今、私がこうやってわざわざ何年も前の作品のレビューを書いているように。


かたや某団体の映画。

「一日一生」とか、八正道をまるまんま持ち出したりとか、何の前触れもなくいきなり「至誠にして動かざるもの、いまだこれあらざるなり」といったセリフで語っちゃう。

このセリフは後で使われているけど、物語の柱を貫く重要な一言か?と言われるとそうでもありません。良く分からないミサイル迎撃を首相に具申してもらうために、補佐官を動かすだけでおしまい。

こんな風にメッセージを額縁に掛けておいてみたり、セリフで語らせて陳腐に使い倒してしまうなら、わざわざ映画にする必要がないのです。A6サイズのチラシにでも書いて渡せばよい。

映画にする意味がなくなってしまっています。

今後、もし誰かに「塩子」や「愛国」について聞かれたら、ネタとして見るならいいけど、映画になってないよと答えることでしょう。10年以上もたってから、熱い思いを込めてレビューを書くなどということはないでず。

③小道具にすら意味がある。

上記②の延長にもなるのですが、映画の中で使われる舞台設定、場面、景色、大道具・小道具、セリフは「伝えたいメッセージ」を描き出すための重要なパーツです。画面に出てきたからには、特に主人公が手に取るようなものは、明確なメッセージを込めて使われるべきものです。

ダークナイト・トリロジーではいくつもそんなアイテムがありますが、ここでは二つだけ取りあげておきたいと思います。

 

アイテム二つというより、小道具一つと、一人の俳優ですね。

まず「真珠のネックレス」。

バットマンは男性なので真珠のネックレスは付けないのですが、原作から使われているアイテムで、元々重要な意味が込められているものです。

ダークナイト・トリロジーでは最初から最後の最後まで、この「真珠のネックレス」がとても重要な意味を持っています。

 

そして重要な俳優がウェイン家の執事として勤めるアルフレッド・ペニーワース。

彼も原作コミックに登場するキャラクターで、バットマンには必須の脇役なのですが、ダークナイト・トリロジーのアルフレッドは別格です。

 

ja.wikipedia.org

他にも重要な役割を果たす人物は多数います。ゴードン警部補や、ハービー・デント検事。そしてバットマンの特殊武器の開発担当者であるルーシャス・フォックス等々。

しかしダークナイト・トリロジーにおいては、マイケル・ケイン演じるアルフレッドは演技が素晴らしいのは、間違いない。

ぜひ、三部作を通じて彼の演技をご堪能いただきたい。

 

ただ、それだけでなく、彼の登場するシーン自体に意味があります。

 

ウェイン家につかえる執事なので、邸宅(これぞ本当の意味のマンションという意味での邸宅)にいるのは当然ですし、邸宅で執事としてお仕えしている場面はそうでもないのですが、問題は邸宅ではない場面。

 

「アルフレッド・ペニーワース」が、邸宅以外の場所で、なぜそこにいるのか?

特に、そこで真珠のネックレスが小道具として使われているのはどういう事か?


あいまいな書き方になりますが、アルフレッドと真珠のネックレス。

 

ネックレスは誰のものだったのか?それがどうなったのか?

ダークナイト・トリロジー」の映画のテーマを縦糸とするなら、真珠のネックレスは主人公バットマンブルース・ウェインの性格、バットマンの意味がどうなったのかを映し出す横糸、さらにアルフレッドは縦横の糸を結びつける結わい糸のように働いています。

 

繰り返しになってしまいますが、真珠のネックレスの意味や、そこにアルフレッドがいる理由はセリフではまったく語られません。場面として、ただ映るだけ。

 

しかし一作目の映画でどんなシーンで使われていたのか、それが持つ意味合いを思い出すと、ブルースの心境の変化をも描き出しているのです。この意味が分かった時にはしびれました。


某映画のように唐突に勾玉を持ち出してみたり、何の前触れもなく八岐大蛇が元寇を追い払ってみたり、天叢雲剣が空から降ってきたり、いきなりうどんが食べたいとか言わせて、それがストーリー展開上の意味が分からないことがどれだけ観客を困惑させるか。

 

映画の中で使われたアイテム、セリフ、登場人物には意味がないといけない。登場させたら、その意味を回収するべきだし、ストーリー上の意味がないなら背景の一つにしてしまって目立たせてはいけない。

 

ダークナイトでは、隠された意図まで読まなくても映画として楽しむことができます。そこからさらに映画としてそのアイテムが使われた意味、そこにある意図もきちんと描かれているので、見返したときに改めて映像で切り取られた背後の思いや心象風景を感じ取ることができる。

こういう点も映画としての完成度が別格である由縁と言えます。

④会話が重層構造になっている

ちょっと分かりにくい小題になっていますが、ある場面で使われた会話のセリフが、後にほとんど同じセリフのままでありながら、重要な意味を持つ「回答」として使われます。

以前ツイートしましたが、幼馴染で半分恋人でもあるレイチェルと再会し、久しぶりの旧交を温めようとするブルースが、レイチェルからこんな風に突き放されてしまいます。

ちょっと某教会批判ネタが含まれてしまっていますが...

 

 

このセリフの解説はこちらのツイートのリンクからどうぞ。

 

要するにブルースはレイチェルから「心の奥底がどうとか言っても、チャラチャラ遊んでるなら説得力ないわ」と言われてしまったわけです。

 

置いてきぼりにされたブルースは何も言い返せずに立ち尽くすのですが、その表情が素晴らしい。これはクリスチャン・ベールの高い演技力のなせる技です。何も語らず立っているだけなのに、その時の気持ちを下手なセリフの何億倍も雄弁に物語っています。

 

このレイチェルの問いかけに対して、ブルースがバットマンの姿で現れた時、マスクをかぶっていて顔が見えないので、レイチェルがせめて名前だけでも教えてと懇願した時、彼女のセリフを裏返しにして「自分がやってるのはこれなんだ」と答え合わせにいくわけです。

 

 

マスクをかぶっているバットマンの正体が誰なのか、そのセリフを聞いてレイチェルは悟る。

この時のレイチェル=ケイティ・ホームズの表情も素晴らしいです。バットマンの正体が幼馴染の大富豪で遊び人のはずのブルース・ウェインであったことを知った時の、驚きや安堵や安心、彼が「本当は違うんだ」という意味、そしてたった一人で悪に挑む幼馴染を心配する気持ちが合わさったら、この表情になるという最大の表情になっています。

ケイティ・ホームズについては後述します。

 

話をブルースに戻すと、彼は自分で「僕かい?僕はブルースだよ」なんて野暮なセリフは言わない。

 

※この部分はあきらかにネタバレなんですけれども、既にツイートしているから書きました。他にもこのような反射鏡のように使われるセリフがあちこちに登場します。ぜひ三部作を通じてご確認ください。


某映画については、こんな丁寧な作りこみはしていないので、比較対象として挙げる部分すらありません。

⑤音楽最高

某映画と異なり、変に説教臭い歌がセリフの邪魔をしたりしません。また第一作から三作目まで同じモチーフで曲が作られています。

そして、この曲を聞けば蝙蝠が集団で飛び交うシーンを感じます。

 

youtu.be

全体の構成からBGMに至るまで、筋が通った構成、筋が通ったテーマ、筋が通ったBGMで一貫しています。

お気に入りの場面は二作目のラストシーン。

バットマンバットポッド(バイク)で走り去るシーンの印象深さは格別でした。

⑥三作目のアン・ハサウェイ最高

上でケイティ・ホームズを絶賛していますが、彼女については更に後ほど取りあげます。

結果として三部作では三人の女優が登場してしまうのですが、三作目でセリーナ・カイル/キャットウーマンとして登場するアン・ハサウェイは最高です。ダークナイト・トリロジーバットマンの最高傑作なら、キャットウーマンとしても間違いなくトップに位置します。

キャラクターの作り方も、活躍の仕方も、最後の山場のシーンなども完璧。

彼女がもう少し活躍してほしかったとも思いますが、全体の構成を考えると第二作目までは絶対に登場させられない。これは仕方ない。

それでも三作目のアン・ハサウェイは最高です。最後に出てくるシーンは... おっと、話はそこまでにしておきますか。

 

この後、どうなるの?

これだけ完ぺきなバットマン映画はちょっと見たことがなく、そのためファンから続編の呼び声も高いのですが、主人公ブルース・ウェインバットマンを演じたクリスチャン・ベールは、続編には出ないと繰り返し語っているようです。

この後は一体どうなるのでしょうか?

上でもリンクしたバットマンのキャラクターの説明でも、原作でロビンというサイドキック(サポート役・助手のような仲間)が登場します。

 

この映画では出てこないように見えるのですが、三部作の最後の最後に、この名前が出てきます。そのことを踏まえて字幕が付けられています。

 

ja.wikipedia.org

その人物のことを考えれば、なるほどもしかしたらバットマンは...

といった想像が搔き立てられる作り方になっています。

2023年時点では何も発表はありませんし、もう10年もたちますから、実質的に続編はないのではないかと思いますが、それぐらいファンの思い入れ、印象、続編を希望するほどの完成度であったことを物語っています。

ちょっとだけ残念な点

これほどまでに完璧と言ってもよいダークナイト・トリロジーですが、ただ一つだけ残念なのがレイチェルの役を演じるケイティ・ホームズが二作目では交代してしまうことですね。

二作目のマギー・ジレンホールも素晴らしい方で、演技自体に問題はありません。

ブルースとの会話で取り上げましたが、一作目の狂気の世界でなんとか法律を頼りに健気に立つ女性検事として屹立したイメージを確立し、ブルースの正体を知った後の演技も素晴らしかっただけに、女優さんが交代してしまったのは本当に残念でした。

一作目の映画撮影後にトム・クルーズと結婚してしまったタイミングでもあり、それが影響したのでしょうか。理由は良く分かりませんが、ともかくケイティ・ホームズは降板させられてしまいました。

ダークナイト・トリロジーで残念なのはそれぐらいと言えるほど、他は素晴らしい完成度を誇ります。


未見の方は、ぜひ一度、ダークナイト・トリロジーをご覧ください

ちょっと気合を入れて紹介してみました。

まだ未見の方で、カルト関係の皆さんには、一度、ご覧いただきたいと思います。

 

特に映画作りが趣味な某教団の元の方。

「善悪の対立を描く映画っていうのは、こうやって作るんだ」とか、「どうせ作るんだったら予算の規模が小さくても、せめてクリストファー・ノーランの爪の垢でも煎じて飲んでもらいたい!」といったことを確認頂けるのではないかと思います。

 

とは言え、バットマンは闇夜で活躍するヒーローですし、特に二作目のダークナイトは狂気のジョーカーが所せましと暴れまわるので、もしかしたら一部、お気に召さない方もいらっしゃるかもしれません。そういう方はあまり無理なさらず、楽しめる方だけご覧いただければと思います。


Amazon、U-NEXT、Netflix、HULUなどでストリーミングで提供されているようですし、レンタルでも旧作価格で借りれます。(TSUTAYAさんでは、旧作も220円に増額されていましたが...GEOは変わってないようです。)

もし最寄りに店舗があるなど、都合が合いましたら、探してみてくださいませ。

長文、最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。