ソ連のゴルバチョフ大統領と宗教者達
本投稿は以前から統一教会では「華々しい実績」として必ず例に出す「文鮮明がソ連のゴルバチョフ大統領と会い、共産主義を屈服させた」という言説について、改めて確認するためのものとなります。
統一教会の信者なら、絶対の絶対に何度も見たことのあるこちらの写真ですね。
https://twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613517152463777792?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw
KDさんのツイートで、学会さんも色々、呟いてくれて分かった事ですが、ゴルバチョフがあった宗教指導者は文鮮明だけじゃないようですしね。https://t.co/gc2yQtU1YW
— KIB: Kurogane in Black (@KuroganeInBlack) 2023年1月12日
統一教会は「友好団体」として勝共連合もあり、共産主義とは本質的に対立しているにも関わらず、その頂点にあったソ連のゴルバチョフ大統領が文鮮明と面会したということは、当時の信者にとってはまさに驚天動地の「摂理」であり、天が動いた!とも言うべきものでした。
それで嬉しくなった統一教会はこんな本まで出したほどです。
タイトルがすごい。
本当に文鮮明が共産主義崩壊の仕掛人だったのかということは、後ほど検討することにしますが、その前に、宗教者としてゴルバチョフ大統領に会ったことが実績のように統一教会の信者は語るのですが、本当でしょうか?
ゴルバチョフ大統領に面会した宗教家は、文鮮明だけではありません。
ゴルバチョフ大統領が面会したのは統一教会だけではない
しかし、上記のツイートでKDさんのツイートを見た創価学会の方が同じような写真はうちでもあると言い出しましてね。実際、池田大作とゴルバチョフ大統領が抱擁している写真をカバーにつかった本が出ています。
こんな本が出てるの、実は前にも見た気がする。https://t.co/tyIyMFJhSq
— KIB: Kurogane in Black (@KuroganeInBlack) 2023年1月12日
それどころか、英語では池田大作ーゴルバチョフ大統領の共著書まで出版されています。
https://twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613518539578822658?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw
と、思って色々見てたら、なんとゴルバチョフと池田大作が共著として、英語で本が出てましたわ。
— KIB: Kurogane in Black (@KuroganeInBlack) 2023年1月12日
どんな経緯で出た本かは分かりませんが、少なくとも、ゴルバチョフにとっての友人としては、文鮮明より池田大作が上に見えちゃうんですけどね。https://t.co/rwYQhKhXRf
北朝鮮の金日成との会談
文鮮明は1990年4月にソ連でゴルバチョフに会い、その翌年、1991年11月30日に北朝鮮を訪問し、12月6日には金日成主席と会見しています。こちらについては、筑波大学の総長を務めた福田さんが書籍をあらわしています。
北朝鮮はいまだに金王朝の独裁体制を維持しており、内部文書の公開もされていませんので、金日成ー文鮮明会談の背景は我々には知りようがありません。
一方のゴルバチョフ大統領は、彼の時代にソ連は崩壊して時代が変わり、その後、内部文書も膨大に流出したり西側のジャーナリストが積極的な調査を行っていますし、何よりゴルバチョフ本人がいくつもの著作をあらわしていて、1990年4月前後のソ連を取り巻く事情と彼がその時何を考えていたのかを明確に知ることができます。
これらの著作を確認することで、ソ連およびゴルバチョフ大統領、そして当時を取り巻く国際情勢の中で、文鮮明とゴルバチョフの会談に意味があったのか?
統一教会の幹部が「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」と自画自賛するような実績があったのかを振り返ってみたいと思います。
ゴルバチョフの1990年前後
今回、以下の二冊の本を参考に調べてみた。
前者はゴルバチョフ本人による自伝。後者は、ウィリアム・トーブマンによる著作で、彼はアメリカ合衆国の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア(ソ連)政治外交史であり、フルシチョフに関する書籍(邦訳は出版されておらず)でピューリッツァー賞を受賞しています。
後者「ゴルバチョフ その人生と時代」の膨大な索引を眺めるだけで、どれだけ緻密に資料を集め、直接関係者にインタビューをして声を拾っていったかが分かる著作となっていました。もし当時の関係者の中に「文鮮明の登場がソ連の崩壊に決定的な役割を果たした」という人がいれば、それは必ず記載していたに違いないだろうと思わされます。
1)文鮮明の名前はでてくるか?
この両書籍は、もちろんそうされているのが当然なのですが、登場する人物の検索もついています。
まず簡単なレビューとして触れておくと、どちらの著作の人物検索にも文鮮明の名前は登場していません。(池田大作の名前もありませんでしたが。)
統一教会の名前も(そして創価学会の名前も)見当たらないのは言うまでもないですね。というより基本的にどちらの書籍にも日本人を含むアジア人の名前は見つからないのですけれども。
また、第11回世界言論人会議(文鮮明がソ連を訪問した会議)の名前も見つからなければ、こちらの統一教会側で作成したと思われるページに記載の「主要な講演者」としてリストされている中に、索引で合致している人は、もしかしたらその一人が該当する人物かもしれないけれども、それ以外は基本的に見つからないようです。
「もしかしたらその一人が該当する人物かもしれないけれども」と書いたのは、「グラチェフ・ソ連共産党中央委員会国際部長」と書かれている人物のフルネームが記載されていないのですが、「ゴルバチョフ その人生と時代」には「アンドレイ・グラチョフ:中央委員会国際部副部長」としては記載されており、写真を比較すると似ているようにも見えるからです。
写真はこちらのリンクをクリックしてご確認ください。
世界言論人会議を開催していたのに参加者かつ主要講演者のフルネームや肩書もまともに付けられないのはいかがなものか?という細かい指摘はさておき、上記の「主要講演者」のリストと、「ゴルバチョフ その人生と時代」の登場人物一覧を突き合わせた結果は以下の通りです。
表にして記載したのですが、スマホからだとうまく表示されなかったので、まず先に画像にしたものを添付しておきます。
第11回 世界言論人会議 主要な講演者のリストと「ゴルバチョフ その人生と時代」の登場人物索引に記載されている人名との対照確認表
以下は、上記の画像と同じものですがスマホでは表示されず、白いスペースが続くだけになっています。お手数ですがスマホの方はスクロースしてみてください。
「アンドレイ・グラチョフ:中央委員会国際部副部長」はちなみに、ゴルバチョフの報道官として1990年前後には頻繁に名前が登場しますが、世界言論人会議も文鮮明の名前も出てこないのは上述の通りです。
統一教会が大騒ぎし、また自らの大功績として掲げる「ゴルバチョフ大統領との面会」については、少なくとも本人の著作および第三者である研究者の調査範囲にはまるで言及されていない、という事実は重いと考えます。
統一教会お得意のマスコミは偏向しているから、という批判について
このような書き方をすれば、この世のマスコミや研究者は偏向しているとか、共産主義思想に毒されていて、統一教会の実績を正しく評価しないと言い出す人がいるのですが、こういう不細工な主張はそろそろやめた方が良いのではないでしょうか。
「政治学者・歴史学者」を名乗る研究者が、厳然としてそこにあるはずの明確な事実を無視することは、自分の研究実績に傷をつけることになります。
また研究発表について文句をつけるのなら、統一教会の「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」をしかるべき学会で評価してもらったらよいのではないかと思いますが。
2)1989年から1991年のソ連および特に東西ドイツの動向
「我が人生 ゴルバチョフ自伝」および「ゴルバチョフ その人生と時代」の1990年前後の記録を読んで明らかなのは、ゴルバチョフはなんとか共産主義国家を維持しようとし、そのために心血を注いだけれども、共産主義自らの間違いで失敗せざるを得なかった、という事です。
1989年から1991年にかけてのソ連は、崩壊しつつある大国が最後のあがきを示している時期でもあり、激動の時代と言える。このため、この時期だけでも膨大な紙幅が必要になる。
しかし、その時代を追いかけたいわけではないので、ゴルバチョフが書記長に就任後のソ連のあゆみと、特に1990年4月の世界言論人会議の前後において、ソ連を最も悩ませたテーマに絞って年表にしたのが以下の表になります。
こちらも同様に上記の画像と同じものですがスマホでは表示されず、白いスペースが続くだけになっています。お手数ですがスマホの方はスクロースしてみてください。
「ドイツ再統一」および「ミハイル・ゴルバチョフ」の該当年月の記載から抜粋したもの。
この表から明らかなように、1989年にはベルリンの壁が崩壊しました。
ベルリンの壁の崩壊は象徴的ではありましたが、東西ドイツがどうなるのかという事については共産主義世界の運命を左右する問題となっていたはずです。
そのような問題に頭を悩ませていたことは、著作2点でもたっぷりと記載されていますが、その間に言論人会議がソ連およびゴルバチョフ大統領の関心の種となりえたのでしょうか?
答えはこれらの本に書いてある通り、と言いますかこの本には書かれていないことがそれを示している通りとでも言いましょうか。どこかの宗教団体がお金をだして開催した言論人会議のテーマについて沈思黙考して、それを熟慮している状況にはなかったのです。
本投稿では1990年4月の前後に焦点を合わせて抜粋しての記事となっていますが、チェルノブイリ原発事故以後、ソ連を悩ませる問題はそれ自体がソ連を崩壊へと導いたことは読み取れましたが、そこに極東発祥の宗教団体の勝共やらの入る隙間はとてもなさそうです。
第11回世界言論人会議に参加し、「ゴルバチョフ その人生と時代」の両方に登場していそうなアンドレイ・グラチョフには2005年6月28日にプーシキノで直接インタビューしていますし、上述の通りグラチョフはゴルバチョフの報道官でもあったのですから、文鮮明との出会いが重要な意味があれば、その点を言及していたことは想像に難くありません。
また、巷間言われていました「ゴルバチョフの自伝には文鮮明の名前が登場しない」も確認済みです。
まとめ
現役信者が何をどう信じようが自由ですが、少なくともゴルバチョフ本人、そしてソ連・ロシアの政治外交史の膨大な調査に基づく著作に、統一教会および文鮮明が重要な役割を果たしたという痕跡は認められませんでした。
また統一教会が「世界言論人会議」という名目でモスクワに行き、ゴルバチョフにあったということは事実ですが、ゴルバチョフおよび研究者に「文鮮明師こそ共産主義崩壊の仕掛人」と認識されるようなことは何もありませんでした。
統一教会の信者もゴルバチョフと会った!共産主義を屈服させた!と喧伝することには忙しいですが、具体的に共産主義やソ連崩壊にどう働きかけたのか、またゴルバチョフと会うことで、ソ連の運命が何か変わったか説明できるのでしょうか?
少なくとも上記の2冊を読んだ限りでは、統一教会の出る幕は何もなかったようですし、その後、統一教会が関与したことでソ連の15の共和国やロシア共和国本体が何か変わったのか?
ゴルバチョフ大統領と会いました!ということが重要なのではなく、その後どうなったのかが重要なのではないでしょうか?
残念ながら、この点について統一教会の信者が熱心に語るのを見たことはありませんし、二つの著作にもそれらの影響や痕跡を確認することすらできませんでした。
関心がおありの方は、各自図書館で借りるなどして、関連書籍をご覧ください。
本稿ではゴルバチョフと文鮮明に焦点をあてて描いていますが、ソ連の崩壊は膨大なシステムが壊れていくものであって、文鮮明がゴルバチョフ一人と会ったことでどうなるといった類のものではなかったのです。
今後、統一教会の信者が彼らの実績としてゴルバチョフと会ったと持ち出しても、相手にする必要がないと考えます。
「この内容は誤りだ!偏向だ!」とおっしゃりたい現役信者は、ご自分で調べてくださいませ。超一流の研究者の調査、論文より信頼性のある内容が提出できるとは思えませんけれども。
本投稿の続編
続編を投稿いたしました。
こちらの記事もご覧くださいませ。
以上
/twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613517380931682304?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw
https://twitter.com/KuroganeInBlack/status/1613517152463777792?s=20&t=ldXblQ4Zew0RqEVNJDW8Vw