いくつかの記事を読みながら思ったこと。
ひとすじに行くさんもそうだけど、君等、その発言の意味を良く分かった上で言っているんだろうねと尋ねたくなる内容ばかりなんですが、その点はご理解頂けているのでしょうか。
まずはEnockさん。
http://plaza.rakuten.co.jp/enock/diary/201202200000/
教義の7割が同じ宗教の信者同士が対話できないからうんたらかんたら。。。
君、大自爆してませんか?
教義が100% 同じで、しかも創始者の息子同士が今どうなっているのか、ちょっと説明してもらいたい。
次。維新の名君さん。
http://ameblo.jp/ishinnomeikun/entry-11170960941.html
徳川と豊臣の大阪の陣の戦いを、今のUCの状況に重ねて見ているのか。
うん。はっきり言って、無茶苦茶。
あの徳川と豊臣の戦いから教訓を得るのは良い。しかし、それを今のUCのお家騒動に当てはめてしまうのは大いに問題がある。
なぜなら君の言うような目的、大儀があれば、身内でも滅ぼすべきだということになる。これはそもそもUCの教義に反しているのではないか?
敵をも許しサタンすら真の愛で自然屈服させるから、この地上が神様の愛で満たされ、罪の影、争いの種さえ見えない地上天国が実現できるはずではなかったのか?
四男が「力は正義」みたいな事を言い始めてしまったり、真の子女ですら罪人宣言をしたり、創造目的(復帰摂理の目的だったか?)は真の父母にあるとか、意味不明な教義の修正が行われているぐらいなので、真の愛による自然屈服なんてのは無理だという現実路線に変更したという事なのかもしれないけど。
それならそれにあわせて、原理講論やそのセミナーについてもしかるべき修正を行うべきだが、そちらはきちんとしているのか?
まさか「それはそれ、これはこれ」なんて、適当な事を言ってお茶をにごしてんの?
こんなその場しのぎの発言や普段の自分達の行動に跳ね返ってくるような発言ができるのはなぜなのか?
こんなんでまったく矛盾を感じない鈍感な良心に、いったいいかなる神が臨在したまうのか、私には不思議で仕方がないのだが、UCの食口達はそういう疑問は抱かないのだろうか?
私なら、こんな心を持っている人たちと一緒にはいたくないのだけれども。
ま、君達がこんな人たちと一緒にあつまっているおぞましい世界を地上天国と呼び、勝利の雄たけびをあげるのは自由ですが、くれぐれも我々とはかかわりのない場所でやっていただきたいなと思うだけです。