先ほど「まぼろしの影を追いて」という記事を投稿いたしました。
もしミッターマイヤーさんが既に歌の背景をご存知であれば蛇足になりますが、念のため誤解のないように補足説明をつけておきたいと思いました。
「まぼろしの影を追いて」とは、UCに行ってしまった子どもを取り戻そうとすることが「幻の影を追うこと」ではありません。
もともとは、古代キリスト教神学を確立した聖人アウグスチヌスが、マニ教に傾倒しまた放蕩の生活を送っていることに心を痛めているクリスチャンである母モニカの祈りの歌です。
この話はクリスチャンの間では有名でして次のような記事もあります。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/tokumaru/bokusidayori.files/dayori201105.htm
***引用開始***
信仰者たちの背後には母の祈りの姿がありました。よく知られたところではアウグスティヌスの母モニカの祈りのエピソードがあります。若い時代に異教に惑わされ、放蕩の生活をしていた彼が、劇的な回心を遂げて偉大な神学者となっていった背後には、母モニカの涙ながらの祈りがありました。
***引用終了***
つまり、異教に走ってしまった子どもが正しい道に戻ってきてくれるように捧げる祈り。
そして、実際にアウグスチヌスはキリスト教に改宗することによって、母の祈りが聞き届けられました。
私はUC信者となった人たちを強制的に改宗させることについては反対ですが、それではどうするかと言えば、このアウグスチヌスの母、モニカと同じく祈りの生活しかないのではないかと思っています。
「祈り」とを書くと抵抗を覚える方もいらっしゃるでしょうが、私はキリスト教の神や仏教の仏様にささげる祈りという意味で言っているのではありません。
「祈り」といえる程に子どもに関心をもち、落ち着いて対話を求め、誠実に向かい合うことの積み重ねる道が良いのではないかという考えです。
たとえば北風と太陽さんのように。
その間に犯罪行為に走ったらどうするのかと言われても、そこまでは私は責任を負えない。私はUCの経験者であり、やめた人間というだけなのです。ここでは過去の経験を元に、UCの批判をしているだけで、それ以上のものではありません。
お子さんが非常識な行動によって有名になる前に戻ってくると良いですねとしか言いようがありません。
また、たまたまこの記事を読んだのが、今はまったくUCとは関係なく、子どもも特にUCの信者ではないという幸運な方でしたら、改めてお子さんとの関係を見つめなおしていただくのが良いのではないかと思います。
UC。掲げている看板とは全く異なり、家庭の幸せなんかもたらさないですから。
Songs My Mother Taught Me - Perlman, Crooks