雑感
鸞鳳という人が米本氏のブログで書いていることは、常に的が外れていると思います。
これはしばらく前の記事でも書きましたが。
http://blogs.yahoo.co.jp/akio_kurogane/6815184.html
最近のコメントではこんなことを書いていましたね。
米本氏が統一教会信者に対する拉致監禁の問題を取り上げたときは、それが事実かどうかをとことん突き詰め悩み苦しんだのに、UCが今抱えている問題についてはそこまで真剣に取り組んでいるように見えない。
だから拉致監禁をとめるという目的について最悪の効果をもたらしていると。
昨日というか今日の真夜中過ぎの投稿でも書いたのだけれども、拉致監禁をなくすための最大の責任はUC本体にあるのであって、米本さんにあるのではない。
米本さんが何をどのように書こうが、拉致監禁について書こうが、教会の問題を書こうが、UCにとっては関係がないことなのですよ。
UCがこの問題(つまり拉致監禁が起きる背景である、自らの非社会的な活動)とどう取り組むかが全てです。
米本さんがジャーナリストとして拉致監禁について書いた記事は、「援護射撃」ではあっても、それ以上のものではないでしょ。
援護射撃に感謝して、UC本体が真剣に問題に取り組むならまだしも、UCがやったことは援護射撃を応援するという意味不明なコメントをする人がでてくるぐらい。
さらに援護射撃を撃っていた人が本体の問題にも銃を向け始めたから拉致監禁に逆行するっていう理屈は全く理解できませんね。
ジャーナリストなんだから問題を見つけたら書くに決まっているでしょうが。
あと、「拉致監禁問題では、それを書くこと自体に悩み苦しんだのに、UC本体の問題を書くときには悩んだ姿勢が見られない」とか言ってましたね。
なんでそんなことを米本氏が悩む必要があると考えるのか私には理解できませんでした。
ジャーナリストとして、当然だとか言いますかね?
拉致問題は、UCという社会悪とみなされても仕方ない団体について、それを擁護しかねない内容でした。
その教団の信者であるという理由だけで、その信者が親から基本的人権を侵害されている、という対立構造の中での話。
これで、社会的には問題が多い統一教会に与していると誤解される恐れがあり(実際そうなった)、また結果として統一教会が自らの問題から眼をそらせる材料とされてしまう恐れもあった(これも実際そうなった)。
ジャーナリストならずとも、こんな話題を書いていいかどうか悩んで当然だと思いますが。
一方、UC本体の問題は、身からでた錆の話。
しかもたとえばプレイボーイの出版社の社長が、プレイメイトと関係をもって子どもを生んだとかいう話ではないのでしょう?
神様の血統を云々し、サタンの血統から生まれた堕落人間は神様とは相対することができず、メシアによって生みかえられた血統を通じて生まれた子どものみが唯一神様と相対することができるとかぬかしている団体で、自らも普段から純潔だとか家庭の大切さとかを訴えていた人が、実は家庭を放り出して不倫関係による出産をしていたのだという話でしょう?
それを書かれて不快に思う信者がいるなら、そもそも教団の創始者家族や幹部でけじめをつけるべきであって、ジャーナリストにその責を求めてどうするんですかと。
また、なんでその話を書くのに、書いてよいかどうかを悩まないといけないのかと。
たとえ話として、清水牧師のことを書いていましたが意味不明ですね。
んー。なんちゅーか。
私は米本氏の書く文章が好きじゃないのですよ。
ジャーナリストとしてどうか、なんてのは判断できるだけの能力はありませんが、好き嫌いなら単なる感想ですから私でも言える。
彼が書く内容がどうかはさておき、彼の文章は好きになれない。
そんな私が、こんな投稿をしてしまうほど、UC側の人の迷走ぶりというか、頓珍漢さにはあきれてしまうということです。
昨日も書いた内容とも被るけど、UCは自分の問題を自分で解決しようとせずに、どうして他人のふんどしで相撲を取ろうとするのか?
なぜ、「米本さんを応援します」などと平気でいえてしまうのか?
なぜ、こんな問題は起こさせないようにしようと主体的に取り組む人が出てこないのか?
ああ、拉致監禁反対のホームページとか、反対のデモを一生懸命やっているなんてのは、拉致監禁問題解決にはなんの役にもたってません。
だって、それらが君たちの活動を正当化することはないのだし。
どこまでも自分達が社会に対して何をするのかが問題。
それを放置したままで、拉致監禁反対に取り組んでいますなんてのは自己満足に過ぎないよ。
まあ、それが分かっているなら、とっくにやっているよね。
また、日本人としてそれは問題だと思ったって、半島の方から「日本がどうなろうが知ったことではない。とにかくもっと献金しろ」という命令をしてくる奴はいるわ、日本にもぐりこんできてまで献金を掠め取ろうとする奴がいるわ、それが教義によって正当化されているので、表立って反対することも出来ないわで、にっちもさっちも行かないのは知ってますけどね。
そんな団体にいながら、その団体を改革して社会に受け入れられるようにできるなんてのは、どう考えたって無理だと思いますが。
これはしばらく前の記事でも書きましたが。
http://blogs.yahoo.co.jp/akio_kurogane/6815184.html
最近のコメントではこんなことを書いていましたね。
米本氏が統一教会信者に対する拉致監禁の問題を取り上げたときは、それが事実かどうかをとことん突き詰め悩み苦しんだのに、UCが今抱えている問題についてはそこまで真剣に取り組んでいるように見えない。
だから拉致監禁をとめるという目的について最悪の効果をもたらしていると。
昨日というか今日の真夜中過ぎの投稿でも書いたのだけれども、拉致監禁をなくすための最大の責任はUC本体にあるのであって、米本さんにあるのではない。
米本さんが何をどのように書こうが、拉致監禁について書こうが、教会の問題を書こうが、UCにとっては関係がないことなのですよ。
UCがこの問題(つまり拉致監禁が起きる背景である、自らの非社会的な活動)とどう取り組むかが全てです。
米本さんがジャーナリストとして拉致監禁について書いた記事は、「援護射撃」ではあっても、それ以上のものではないでしょ。
援護射撃に感謝して、UC本体が真剣に問題に取り組むならまだしも、UCがやったことは援護射撃を応援するという意味不明なコメントをする人がでてくるぐらい。
さらに援護射撃を撃っていた人が本体の問題にも銃を向け始めたから拉致監禁に逆行するっていう理屈は全く理解できませんね。
ジャーナリストなんだから問題を見つけたら書くに決まっているでしょうが。
あと、「拉致監禁問題では、それを書くこと自体に悩み苦しんだのに、UC本体の問題を書くときには悩んだ姿勢が見られない」とか言ってましたね。
なんでそんなことを米本氏が悩む必要があると考えるのか私には理解できませんでした。
ジャーナリストとして、当然だとか言いますかね?
拉致問題は、UCという社会悪とみなされても仕方ない団体について、それを擁護しかねない内容でした。
その教団の信者であるという理由だけで、その信者が親から基本的人権を侵害されている、という対立構造の中での話。
これで、社会的には問題が多い統一教会に与していると誤解される恐れがあり(実際そうなった)、また結果として統一教会が自らの問題から眼をそらせる材料とされてしまう恐れもあった(これも実際そうなった)。
ジャーナリストならずとも、こんな話題を書いていいかどうか悩んで当然だと思いますが。
一方、UC本体の問題は、身からでた錆の話。
しかもたとえばプレイボーイの出版社の社長が、プレイメイトと関係をもって子どもを生んだとかいう話ではないのでしょう?
神様の血統を云々し、サタンの血統から生まれた堕落人間は神様とは相対することができず、メシアによって生みかえられた血統を通じて生まれた子どものみが唯一神様と相対することができるとかぬかしている団体で、自らも普段から純潔だとか家庭の大切さとかを訴えていた人が、実は家庭を放り出して不倫関係による出産をしていたのだという話でしょう?
それを書かれて不快に思う信者がいるなら、そもそも教団の創始者家族や幹部でけじめをつけるべきであって、ジャーナリストにその責を求めてどうするんですかと。
また、なんでその話を書くのに、書いてよいかどうかを悩まないといけないのかと。
たとえ話として、清水牧師のことを書いていましたが意味不明ですね。
んー。なんちゅーか。
私は米本氏の書く文章が好きじゃないのですよ。
ジャーナリストとしてどうか、なんてのは判断できるだけの能力はありませんが、好き嫌いなら単なる感想ですから私でも言える。
彼が書く内容がどうかはさておき、彼の文章は好きになれない。
そんな私が、こんな投稿をしてしまうほど、UC側の人の迷走ぶりというか、頓珍漢さにはあきれてしまうということです。
昨日も書いた内容とも被るけど、UCは自分の問題を自分で解決しようとせずに、どうして他人のふんどしで相撲を取ろうとするのか?
なぜ、「米本さんを応援します」などと平気でいえてしまうのか?
なぜ、こんな問題は起こさせないようにしようと主体的に取り組む人が出てこないのか?
ああ、拉致監禁反対のホームページとか、反対のデモを一生懸命やっているなんてのは、拉致監禁問題解決にはなんの役にもたってません。
だって、それらが君たちの活動を正当化することはないのだし。
どこまでも自分達が社会に対して何をするのかが問題。
それを放置したままで、拉致監禁反対に取り組んでいますなんてのは自己満足に過ぎないよ。
まあ、それが分かっているなら、とっくにやっているよね。
また、日本人としてそれは問題だと思ったって、半島の方から「日本がどうなろうが知ったことではない。とにかくもっと献金しろ」という命令をしてくる奴はいるわ、日本にもぐりこんできてまで献金を掠め取ろうとする奴がいるわ、それが教義によって正当化されているので、表立って反対することも出来ないわで、にっちもさっちも行かないのは知ってますけどね。
そんな団体にいながら、その団体を改革して社会に受け入れられるようにできるなんてのは、どう考えたって無理だと思いますが。