KIB: kurogane in black

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さよなら韓国

たまたまホゴン君と思しき人物が登場したのを受けて、勢いあまって二本も続けて(いままでずっと休んでいたのに)記事を書いてしまいました。

しかたないので、朝日新聞慰安婦捏造を認めた後で書きためしてあった記事を、この際だからとアップしておくことにします。

<書き溜めておいた記事>


シクラメンのかほり / 布施明


統一教会を通して知った韓国というのは、まるで「シクラメンのかほり」に出てくる「君」のようだった。

歴史を通じて虐げられ、神様を待ち望む善なる民族であり、白を好む白衣民族であり、朝の鮮やかなる国、モーニング・カーム。

NHKの韓国語講座のテープ(テレビやラジオを見聞きして韓国語を勉強するなんていうぜいたくな時間は食口には許されていない)に録音された、つましくしとやかに聞こえる女性の声には、「薄紅色のシクラメン」のように聞き惚れたものだ。(テープの音ににおいを感じるか?とか突っ込みはなし。なんか比喩表現があっていないけど、まあ目をつぶってください。)

ところが、統一教会の実態も韓国の実態も知ってみれば、実体はこんな感じ。
韓国に住んだ経験のある人なら、全て頷かれるだろう。

・歴史を通じて内輪で見苦しい争いを繰り広げ
・神様を待ち望むどころか目の前のお金があれば将来を抵当にいれても平気の俗物根性丸出し
・白色だった着物は単に染色技術がなかっただけ
・俗物根性の裏返しで金ぴかギラギラ、整形大好きなうわべだけを飾ればよし
・朝は鮮やかなモーニング・カームどころか、早朝からクラクションと、朝ぶろ帰りの
おばちゃんたちの掴み合いの喧嘩がないまぜになった喧噪に起こされる。


私がネット界隈で統一教会関係の話題を見て歩くようになったのはもう10年以上も前になる。
楽天ブログに本格的に統一教会批判をメインにしたものを設置したのが、2005年の6月だったが、その前々年ぐらいにはくろがねの名前で活動しはじめていたように記憶している。

その後の10年間、統一教会の被害者であるという蓑を言い訳にして、実は統一教会のひどさは韓国の国民性に根差したものであるという指摘をしてきた。


冬のソナタの流行の後ぐらいから韓流だなんだといわれていたときも、韓国について好きになることはできず、世の中とのかい離を感じていたものだったが。



今から指摘するのもむなしいが、統一教会も韓国も、あの辺で調子に乗るのをやめておけばよかったのだが、どちらもやりすぎた。


統一教会の過剰な献金の要求は今更言うまでも無い。
すでに故人となってしまったノ・ムヒョン元大統領の時も、過去の歴代大統領と比べてずいぶんと日本に対して攻撃的と思っていたが、彼の「天性のエンターテイナー」な性格のおかげで、日本人もまだ距離をおいてみていることができたのだった。

しかし、日本で過ごしたことのある、いわゆる「アキヒロ(李明博)大統領」は、故ノ・ムヒョン大統領のレベルをはるかに超えていった。

天皇土下座発言や竹島上陸など、「それをやっちゃあおしめえよ」な、日本人の「逆鱗に触れる」ことばかりをことさらに選んでやっているのではないかという、それはそれは見事なまでに日本と韓国の間に残っていた細い糸を断ち切ってしまったのだ。

細かいことをかけばいくらでもあるが、それはこの記事の主題でもないのでこの辺で止めておこう。





かつては韓国批判など書くときには、たとえUCがらみとはいえ「今、時代は韓流なのに」みたいな逆風を多少は意識していたものだった。

しかし、時代の流れは根本から変わってしまった。



寒流などという言葉遊びでは生ぬるい。


私のような元信者が統一教会批判と絡めて韓国批判をしてきた昔とは違い、すでに世の中が我々が韓国と距離を置きたいというささやかな願いというレベルを超えて、露骨に韓国に対して嫌悪感と距離感を置いている。



時が僕らを追い越して行ってしまったのだ。

朝日新聞慰安婦報道は誤りであったと認めてしまい、日本は、もはや韓国が何を言おうが「1965年に解決済み」と繰り返すばかりで、どう取り組むかの検討すらやめてしまった。



シクラメンのかほり」では、昔を懐かしみ「呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろう」とうたっている。

しかし、韓国もUCもシクラメンではなく、シクラメンのかほりも当然ない。


韓国と縁をもってしまった昔を呼び戻したいと思うこともなければ、それこそ金をもらっても近づきたくはない国なのだ。





こんな雰囲気の中で「韓国発祥の宗教」などがどういう状況に置かれるのか、統一教会在籍の諸君の心労を思えば少しは同情心がわかないわけではない。


しかし、その程度の同情心すら、心労をも「召されていで立つこの身は行くぞ」の心情で受け止める君たちには大きなお世話だろう。



統一教会の教義・主張は、事実に基づかない、日本を悪としてたたいておいて韓国人の溜飲を下げるためのものでしかない。

したがって日本の雰囲気がこうなってしまった以上、今後、伝道も進まないし、過去の歴史的な蕩減を言い募って献金を求めたって集まりやしないだろう。


私たちが現役信者だった時代にも、別にスムーズに伝道が進んだわけではなく、何人も何人も声をかけてようやくビデオセンターに人がつながり、そこから何人も2日修の説得に失敗するなかで、奇跡的につながった人をようやく2日修に押し込み、そこからさらに苦労して5日修・・・(以下続く)と繰り返して言って、ようやくようやく、それこそロバが針の穴を通るような苦労の果てに、新しい食口として新たに迎え入れてきていた。

あの時代、「日本は韓国に悪いことをしてきました」とか「従軍慰安婦が」とか言ってもよく知らない日本人も多かったし、それは私もそうだった。

今の時代、そんなの通用する日本人は、昔の古き良き時代と比べて激減しているだろう。

それは、食口となって活動している日本人でも同じだろうと思う。



・・・原理は正しいとは思うが、韓国の言っていることは本当か?
・・・本当にそんなにひどいことをしたのだろうか?

こういう疑問は小さいけれども、そのインパクトは絶大だ。


伝道の前線であと一人、献金プッシュのあと一押しをするかどうかの瀬戸際で、頑張りを利かなくしてしまう。

いや、あと一人あと一押しどころか、最初の一人、最初のひと声から著しくモチベーションを下げるだろう。



伝道も献金も、絶望的に難しい状況に陥ることは、今では統一教会とは全く縁がない私でも想像がつく。





これらの出来事を通しても改めて思うのだが、韓国の大統領の言動の過ちや、朝日新聞のねつ造認定ごときで揺らぐような「人類を救済するための最後の真理」など、看板通りのはずがない。


信者のみなさんには申し訳ないが、統一原理はやはり真理ではなかったし、文鮮明はメシアではなかったし、とすれば統一教会だって人類を救う団体ではなかったのだ。









そもそも、元信者が激しくUCを批判している時に、まだそれらの声に耳を傾け、また自分たちが行ってきた行動に責任をもっていたなら。。。。

具体的にいえば、李明博前大統領や朴現職大統領が激しく日本批判を展開している時に、「日本の人たちはこれまで頭を下げ、韓国の発展のために尽くしてきたではないか」とカウンターデモでもやっていたら良かったのだ。

江利川さんがやった着物を着ての土下座だって資料があるんだから、これらの姿を見よといっていれば、日本における韓国の印象が悪くなったとしても、UCに対する印象が好転していたかもしれない。(棒読み)


そうすれば、日本と韓国の関係はここまで悪化していることも無かっただろうし、UCも今ほど困難な状況におかれることは無かっただろう。



しかし、統一教会も信者の誰も、そんなことはしなかった。考えてすらいなかった。


その結果、日本と韓国の関係はかつて無いほど良好なものとなった。(私は現状が本来のあるべき姿と考えている。たかり根性が発情期に発生したのかと思うような韓国人にいつまでもお付き合いしてやる義理はない。)

統一教会からすれば最悪の状況だが、そんなことも見通せなかった統一教会の人たちの自業自得なのだ。

真のお母様とやらも、いまだに日本にたかる気満々だが、こんな状況の中で頑張れる日本人がどれだけいるのか、現場で叱咤激励をしなければならない公職者を考えれば憐憫の情を持つ。



さようなら、韓国。さようなら、統一教会。今後、日本と韓国の関係が改善することは全くなくなりました。