米本さんのブログ記事に、名もなき壮年さんの「二重目的」というタイトルでつけられたコメントが、これまたなんと言ってよいのか・・・
んー。何と言うのか、昔風に言うなら、小木敏弘=ホゴンちっくな発言だなと思うのですよ。
現実を知らず、観念論に終始した発言をするあたりは、いかにもホゴン君らしい。
「名もなき」なんてあたりもホゴン(虚空)を連想させるし。
というか、名前遊びだけでなくて、書いている内容がいかにもホゴン君なんだけれども。
いや、この人がホゴン君であるかないかが問題なのではなく、その発言内容があまりにも酷いことが焦点なのであった。
彼の発言を読んでいて、これはおかしいだろうと思うのが、次の所。
<一部引用>
そのためには、現場に責任と権限を委譲し、各教会単位で、シックひとりひとりの声を聞きながら、人事や経済、伝道等の活動に至るまで、基本的に全ての内容を運営するようにしなければなりません。
『障がいや高齢者の問題』への対応は、その中に含まれます。
<引用終了>
障がいや高齢者問題が教会単位?
実際のサポートにあたるのは教会単位ということになるのかもしれないけれども、責任と権限を委譲された現場にこれらの対応を一任すると、教会の大小によって、受けられるサポートも天と地の差になるのだけれども。
サポート能力が不足する規模の小さい教会において、当事者側は「うちの教会では何もしてくれない」と不満を抱くし、サポート担当になった人は、「自分達の力量以上に過当な要求をするわがまま食口が居て困る」と思うようになる。
これは、愛の訓練の問題ではなく、必要なサポートの量とそれを満たすだけのサポート要員および資金の確保の問題だ。
だから、それを教会単位で任せたら「サポート要員と資金」が確保できる大規模教会は満足度が高く、小規模教会は満足度が低くなるのは、それこそやってみなくたってわかる。
さらに、障がいも高齢者も、それぞれきちんとした専門の対応が必要な内容なのだから、教会単位に任せて素人が下手なことをしたら、問題が大きくなる。
だからこそ、こういう問題は専門家をきちんと集めて等しいプロとしてのサービスが受けられないといけない。
それは教会単位での運営で賄えるとはとても思えない。
「本部対応では後手後手になるからと書いているではないですか?」と返信しそうな気がするが、こういうのもずれた回答。
本部では後手に回る問題が、教会単位なら解決できるというのもおかしいし、そういう問題に今まで手をつけてこなかった本部にいる人間も、教会にいる人間も「統一食口」という点では変わりない。
だから、本部が今までできなかったことを教会単位にしてみたらできるというのも、理屈が通らん。
伝道活動ではなく、障がいや高齢者問題という全体的な問題に対して、本部ができない事は教会単位ではもっとできない。
現役で統一教会=世界平和家庭連合の信者をやっている壮年のくせに、こういう所も全く見えていない。
つまり発言していることの意味を本当には考えていないことは、こういう所でも現れるから、ホゴン君ではないか?と思わせられてしまうわけだが。
そういう問題も含めて、統一教会=世界平和家庭連合とは何をするところなのか?
ここをもっと明確にしないと、そもそも本部でやるべきことと、現場に任せることも切り分けができないのですよ。
とは、もう死ぬほど言ってきてますけどね。
<一部引用>
本部を中心とした組織力を強化するのではなく、現場を中心とした愛を実践する教会にし、本部はあくまでその後方支援部隊になるべきです。
<引用終了>
こんなことも「名もなき壮年」氏は発言しているけど、統一教会全体の役割を誰も決められないのに、組織力強化云々とか、現場を中心とするとか、「愛を実践する」とか、抽象的な話ばかりしても現実には何も変わらない。
本部は後方支援とか言っているが、現場が何をするためのどんな後方支援なのか?
「愛を実践する」とは、教会の活動として何を行うのかを明確にしなければ、愛の実践もできないし、その後方支援もできない。
あと、これね。
<一部引用>
「献金さえすれば誰かがどこかに天国を作ってくれる」(=全体目的のために個体目的を犠牲にする)のではなく、「私がここに天国を作り、私自身も天国人になる」(=全体目的と個体目的の両方を満たす)と教えれば、自分の教会にある『障がいや高齢者の問題』に対し、見て見ぬふりをするでしょうか。
<引用終了>
もうね。
これが1954年当時の教会設立のときのスピーチだったら感動ものだったかもしれませんけどね。
<一部引用>
「私がここに天国を作り、私自身も天国人になる」(=全体目的と個体目的の両方を満たす)と教えれば、自分の教会にある『障がいや高齢者の問題』に対し、見て見ぬふりをするでしょうか。
<引用終了>
なんという観念論の権化!
この発言のおかしさは、この発言をちょっといじって次のように書いてみたらより明確になるだろう。
「私がここに天国を作り、私自身も天国人になる」と教えたから、自分の教会にある『障がいや高齢者の問題』に対し、見て見ぬふりをしなくなり、問題は解決しました。
「今まではそう教えてこなかったから、このような惨状なのか?」とか、「本部の人たちは、統一教会をして地上天国にするとは考えていなかったのか?」と、まずは突っ込みを入れておきたい。
そしてそんな突っ込みはさておき、「私がここに天国を作り、私自身も天国人になる」と教えたら、教えられた人の気持ちや時間の使い方がどのように変化して、『障がいや高齢者の問題』に対して、どう取り組むようになり、そして問題がどのように解決するのか?
「私がここに天国を作り、私自身も天国人になる」と教えたら、自分の周りのすべてのことは私の責任だと思うようになるからだ、とか間抜けな発言はよしてもらいたい。
自分の責任だと思うことは重要だが、上述したように、気持ちがあれば問題が解決するわけではない。
気持ちがあったとしても、物理的に必要なサポートがそれだけで全てまかなえるわけではないからだ。
だいたい、気持ちがあればすべての問題が解決しているなら、気持ちだけは持っていた人はいままでも教会の中にもいたことはいた。
なぜ、その人たちの気持ちに神さまが働かなかったのか?
なぜ、本部はこういう問題があることを知りながら、手をこまねいてみているしかなかったのか?
じゃあ、本部の人に「私はここに天国を作り、私自身も天国人になる」と教えたら、全国共通で『障がいや高齢者問題』への取り組みが進んで、問題が解決するのではないか?といわれたらどうするのか?
そして改めて、ということはやっぱり、本部職員からして「私はここに天国を作り、私自身も天国人になる」とは思っていなかったという事ですね?と聞かれたらどうするつもりなのか?
ありとあらゆることが、観念論すぎて、現実の問題と全く向かい合っておらず、彼の文章から漂ってくるのは、
原理は真理だ!家庭連合こそが地上天国を築く神様の最後の軍隊!
空前絶後にして前代未聞の奇跡の団体!
という、いかにもお花畑な、ホゴン君ちっくな得手勝手な我田引水理論でしかない。
だから、米本さんからも、
家庭連合が正しく生まれ変わらなければ、今後家庭連合内においても様々な問題が起こり、日本や世界においても世の終わりのような惨劇が繰り返されることでしょう。
(中略)
世界のどこにも、家庭連合以上の理念を持った宗教はないし、今後も起こらないのです。
という発言に対して、「大丈夫ですか?」とコメントがつけられたわけだが。
本人は、何が大丈夫ですか、なのか分かってないだろうな。
名もなき壮年なのかどうかはさておいても、これが食口の端くれとして、堂々とコメントをつけてくるようでは、統一教会=世界平和家庭連合には未来はない。
鞍馬天狗氏を脅してブログを閉めさせる以上に、組織自体が病んでいる証拠だと思いますがね。
>本部の皆さん。
ま、こんなことを書いても、意味はないのでしょうが。