KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

プームチャイさんに寄す:反対派の考え

プームチャイさんが面白いことを書いていた。「統一教会撲滅運動」だそうだ。

http://ameblo.jp/poomchai/entry-12182269708.html

鞍馬天狗さんに対する本部の処置に業を煮やしての事のようだ。基本的に、教会に批判的な態度を取る現役信者の話を聞かない本部が阿呆だと思う。なぜなら、批判する現役信者は、教会を愛するが故に批判しているわけだ。

私は、統一教会本部は、反対派からの批判にも耳を傾けるべきだとは思うが、それができないならせめて現役信者からの、教会に対する愛ゆえの批判は虚心坦懐に聞くべきだったろう。

しかし、実際には鞍馬天狗さんの身元を調べてつぶしてしまい、それが正しい行いであると公文まで流し、さらには「ブログで発言する人の内容は、カテゴリ分けして情報収集してます」とか、間抜けな発言をしてしまうのが、現在の本部の姿勢なのだ。

これでは、いかに現役信者であろうとも、撲滅運動を起こしたくなるのもしかたないよなとは思う。


本来ならプームチャイさんの記事に対して、投稿するまでもなかったのだが、次の発言が気に入ったので、それにこたえる形でちょっと書いてみることにした。

<プームチャイさんのブログより引用開始>

虚偽による批判などした場合は、信者はむしろ力を得てしまいます。だから批判は、曲解などせず正しくしなくてはならないです。反対されてきた方の持っておられる戦略を知りたいです。

<引用終了>


私のブログはお友達もおらず、一日の平均ビジターは自分をいれて3人程度。
こんな私のブログですが、経歴だけは、割と古くから活動しています。

・2004年の秋ごろからネットで教会情報を見て、他の人が持っているブログにコメントをつけたりしていた。
・2005年6月から、「くろがね広場」という名前の楽天ブログを開設し、教会批判の記事を書き続ける。
・ブログタイトルは途中でいくつかの変更をへたのち、「Kurogane in Black」に落ち着く。
・2012年に、楽天ブログが機能を縮小することとなり、メッセージのやり取りができなくなるため、その機能を利用
 する目的でYahoo!に同じブログタイトルでブログを開設。
・2015年に、なぜか急に楽天ブログが閉鎖されたので、現在アクティブなブログはこのYahoo!のブログだけ。
 楽天に投稿していた記事の一部は、Yahoo!ブログに復元記事として再投稿。
 尚、復元記事についてはその旨を明記しています。

そんなわけで、旧楽天ブログはなくなってしまったとは言え、今も存在する反対派のブログの管理人としては、割と古い方なのではないでしょうか。

昔は元信者仲間との相互リンクとかコメントのやり取りも熱心にやっていましたが、今はほとんどないですね。
言葉がきつすぎる面があるので、そういう点でも、元信者ですら近寄りたくないブログなのかもしれませんし。


人が寄らない理由はさておき、相互リンクやコメントのやり取りをしなくなったのは次のような理由があります。

・年もとって、熱心に活動する元気がなくなった
 あのころはまだ若かったので、まだ夜遅くなっても頑張れた。
 でも、もう無理です。

・もっと本質的には、UCがすでに反対活動をする価値があるほどの存在でなくなった
 現役信者の皆さんは、まだ未来があると思ってやっていらっしゃるのでしょうが、
 残念なことにそんな未来はないです。
 あえて、自分の時間を使って批判なんかしなくても勝手に衰退していくから。

 実はこれが最も良い戦略かもしれない。

 無視、とにかく無視。注目して反対なんかするから、自分に価値があると誤解している面もあるのではないか?
 誰も、相手にしてくれなければ、あれ?どうして誰も聞いてくれないの?もしかして、やってることに意味ない?
 と思うのではないでしょうか。

そういうわけで、この低注目度でちまちまと数カ月に一回ぐらいの更新を続ける程度の活動レベルに落ち込んでしまった今、自分でプームチャイさんのところに「記事書きましたので、ご覧ください」と言いに行くつもりもない、という。ヘタレですみませんね。いつか、プームチャイさんが気が付くこともあるかもしれませんし、その時がきたら良いな、ぐらいでしょうか。


プームチャイさんは「反対されてきた方の持っておられる戦略を知りたいです。」と書いています。
個人のブログに戦略、というほどの事はありませんが、昔アクティブに活動してきた時からの方針というものはありました。

それを列挙するぐらいはしてみようかなと思いました。


そんなことしても、人が来ない程度の影響力を誇る(笑)ブロガーの方針なんか参考になるわけないじゃない、という心の叫び(笑)はあったのですが、これまでの活動の方針を言語化しておくことにも意味があると思ったのです。

下記の通り、全部で3つです。マジックナンバー3に合わせてみました(笑


1)人は見たいものを見、聞きたいものを聞く。相手が見たくなるのを待つしかない。

この項目を一番目に持ってきましたが、方針というよりも、10年以上もブログは維持していて、感じたことの集大成でもあります。

人は見たいものを見、聞きたいものを聞く。相手が見たい/聞きたいと思うのでなければ、私がいくら正論だと思っても相手は見ないし、聞かない。

昔は、元信者との交流はもっと積極的にやっていたのです。教会批判の記事を書いていたので、現役信者の発言や姿勢に対する問題を指摘した結果、現役信者との間で応酬があったこともありますが、それでも後述するようなルールだけは守ってやっていました。

しかし、長く続ける中で、そして自分の経験からも、人は他人から言われたからと言って何かを改めるわけではない。自分で疑問に思ったことを自分で確認して、納得して初めて、意思を決定し、行動につながる。読みたくないと思っている人に、読んでみてと言ってみたって、無理なのです。

しかし、一度でも疑問がおきたら、それを調べようとする時には、今ならいくらでも調べられるようになっている。その時に、役立つよう情報が維持されていれば、それでよいのではないでしょうか。


「このままでは犠牲者が増えてしまう!早くなんとかしなければ!」と思うのは実は私一人だけということは良くあるものです。

焦って必死になって、ブログを書き続けても、それで与えられる影響はそんなに多くないと思うのです。

「影響力がないのはお前のブログだからで、米本さんのブログがどれほど影響力が大きいのか知らないのか?」という意見もあるかもしれません。ちゃぬさんの記事は驚嘆に値する。鞍馬天狗さんの記事だってあれだけ影響力があったのだと。

それは否定するつもりはないです。私も米本さんが書いている記事は参考にしていますし。米本さんのブログに影響力があるのは間違いないです。

それが可能だった理由として、すでに今の統一教会に対して疑問に思っている信者が相当数いたからだと思っています。

信者が疑問を抱かざるを得なかった理由は原因は様々で、毎日の献金プッシュだけの信仰生活に疲れたり、韓国人の横暴に悩まされたり、サンクチュアリ教会だったり、お母様とご子女様のご乱心としか思えないような行動だったり。

信者達の中にあった「どうしてだろう?」という疑問に対して、教会本部はそれに答えを提供できなかった。

その一方で、米本さんの情報がどんぴしゃでヒットした。しかも、思い込みなどではなく、ジャーナリストが仕事で鍛えた能力を発揮しての記事です。

原理講論の創造原理にある通り、主体と対象がお互いに相対基準を結ばないと、授受作用はおきない。

これは、次の二つのケースを比較すれば、より明確になることでしょう。

今の教会に対して、どうしてこうなのかという問題意識をもった読者には確実に影響力をあたえた。

しかし、その一方で問題があることを知りつつもそれを教義と信仰で押し込めているような、教会本部に座っている幹部連中は同じ米本さんの記事を読んでも、何も響かないし、それどころか迷惑に思って遠ざけようとしている。
本部の食口で米本さんの記事を熟読玩味している人は何人もいるでしょうが、それで本部が米本さんに対してどういう態度を取っているのかを見ても、意味がある文章を読んだから相手が行動を変えるものではないことは明らかであると言えます。

そして、この後者については、各教会で責任を任せられている公職者たちも同じでしょう。さらに「いつも隣に神様」の管理人さんの指導で満足しているような食口も同じです。

これらのケースを通してみても分かることは、必要な情報を渇望している人は、そこに情報があれば黙っておいても調べに来る。しかし、問題意識がない人、つまり相対基準があっていない人には、どんなに読めと言って、そして仮に読んでくれたとしても何も響かない。


プームチャイさんも書いていますが、「批判されて滅びた宗教団体はない」のです。
オウム真理教だっていまだに残っている。名前はアレフだかに変わったらしいですが。

統一教会を撲滅しよう!といって活動すれば、どんなやり方をとっても、逆に信仰心が強くなる人たちは一定数いることでしょう。逆に、強い否定をされればされるほど、自分の存在意義、ここに極まれり!ではないですが、悲劇のヒーロー・ヒロインを気取ってますます力を発揮しようとするかもしれません。

また、「いつも隣に神様」みたいな人の指導を受けて平気な人が信者なのです。どんなに正論を語ろうが、本人が受け付けない限りは、馬の耳に念仏、馬耳東風、豚に真珠、のれんに腕押し、馬を川のそばに連れて行くことはできても、水をのませることはできない。


この世のやり方をとことん否定し、神様中心の新しい文化、とかいう大義名分のもとに、徹底した儒教的上下関係を叩き込まれている統一教会の信者。そういう人たちに、いくら正論だと言って押し付けて話を聞いてもらえるか?貰えるわけがありません。

それこそ、教会で言う通りに、「導かれる時」を待つしかないと思うのです。その時に、その人に必要な情報が提供されていれば、その時こそがその人にとっての時。

まるで、統一教会の伝道の逆ですが、時が満ちるまではどうにもならないというのは自然の摂理であって、信者になるのにも、信者を辞めるのにも当てはまると思うのですよ。


なので、こんなブログで、それも誰も読まなくなって久しいのにいまだに閉鎖せず、閉鎖されてしまった楽天ブログの記事まで再度もってきて掲載しているのは、いつか私の体験を必要とする人が、万が一に、億万が一にでもいたとしたら、その人に提供できれば良いと思っているからです。

それは、あくまで私に似たような人にしか役に立たないだろうし、もしかして今後10年たっても一人もいないかもしれない。

統一教会への伝道もそんな感じで行うのですから、逆の伝道も同じくらいのスパンで、その人に「時の時」が来るのを待つのが正解なのだと思います。



教会は、あまりにも「今が時なのです!」を連発し、猛プッシュの連続が日常なので、それに慣れているために、逆方向に舵を切ってもそういう人が多い。しかし、人間はそんなに簡単に変わらないし、自分で納得するまでは人の意見は聞かない。このままではお母様が間違ったまま霊界に行かれてしまうと言って焦ってみても、自分の意見を、お母様を含む他人に押し付けることは不可能なのです。

ですから、「今が時なのです」という姿勢から「百年河清を俟つ」に切り替えて、じっくりと備えをされることの方が長い目で見て有効なのではないでしょうか。

上述しましたように、逆にそれぐらい誰も反応しない方が、そのうち疲れてしまって、自分達で「俺たちは何をやっているのだ?」と悩み始めて、勝手にあちこちで調べ始めるのではないでしょうかね?



さて。最初に大上段に構えた、半ば上から目線なことをずらずらと書いてしまいました。が、ここから二つは、ブログ記事を書くにあたって注意してきた方針のようなものです。


2)自分がされて嫌なことは、人にもやらないようにしよう。

私がネットで統一教会関連の記事などを読むようになった2000年ごろから2006年ぐらいにかけて、当時、統一教会信者としてネット界で大活躍していた小木敏弘氏=ホゴン氏が、元信者のところにやってきては、「自分は現役信者ですが、文鮮明氏こそメシアであることを真理と知っています。あなたにも祝福がありますように」みたいなことをさんざんやらかしていたのです。

これが、ひどすぎた。あれと同じになってはいけないな、と強く強く思いました。

小木さんをご存じないのであれば、下記のリンク先を合わせてあわせてお読みいただければ、ありがたいです。

『「小木発言」をめぐる議論の全記録』と『さようなら、小木さん』の二つです。

shiractakep.o.oo7.jp

shiractakep.o.oo7.jp
現役信者にとっては逃げ出したくなるような記事ですが、正直に申し上げて、一般人からすれば統一教会の人たちがやっていることは、程度の差の問題であって、小木さんと同じようなことをしているのです。

あれは本当に衝撃でした。小木さん。会話のかみ合わなさぶりとか、「それはあなたが無知だからです」とか、あの衝撃は今でも忘れられない。

この『「小木発言」をめぐる議論の全記録』をお読みいただければ一目瞭然ですが、元信者のところに現役信者がやってきて、「文鮮明はメシアです」といわれても、何もうれしくない。こんなことされたらいやだなと思いました。

その逆もまた真也で、現役信者が開いているブログに「文鮮明はメシアではありません」と書いても、現役信者がうれしいと思う訳がないし、それは上の小木さんの所業と同じ、統一教会の信者が伝道するのと同じです。

なので、自分はさんざん、統一教会批判の記事は書きましたし、元信者さん達のところにはリンクも貼ってきましたが、現役信者さんのところに押しかけてコメントをするといったようなことは、一切、してきませんでした。


念のため書いておきますが、こちらからは出かけて行って押しかけコメントをつけてないのに、私のブログにあえてやってきて、批判記事を読んで不愉快になるのは、わざわざ読みに来た人の自己責任です。

自分の精神状態は自分でコントロールすべきで、行って不快になるところに近づかないのはサタンを避けるためにも有効だと思います(笑


私が現役信者さんのブログや掲示板に行ってコメントしたのは、確か、例外的にじょじょまるさんの掲示板にはコメントつけたかな、とかそのぐらいではないでしょうか。
ざっくりと検索してみましたが、もうじょじょまるさんの掲示板は残っていないようですね。


3)自分には言論の自由がある。しかし、相手の言論の自由も尊重しよう。

インターネットやブログのおかげで、誰もが自由に意見を述べることができるようになりました。

統一教会に賛同的な記事を書いても良いし、反対の記事を書いても良い。

なので、上述したように、私は現役信者のところに行って自分のコメントを残したり、トラバを貼ったりはしなかった一方、現役信者がわたしのブログを見て批判する自由も最大限、尊重してきました。

相手が私の記事を読みに来るのは相手の自由。読まないのも自由。読む選択をして、言いたいことがあれば自分のところで言えばよい。相手が好き勝手なことを言う権利は尊重します。

もっとも、それへの反論の権利も私にはある。で非常識な相手には非常識ですよと言い、不合理な主張や行動にはそうであると主張はさせてもらっていました。

それでも、どんなに激しい批判の記事を書いても、自分のブログの中、あるいはリンクを貼ったりトラックバックを貼ること、あるいはコメントをつけるのは元信者のブログ相手のみ、というルールは守っていました。


楽天ブログを初めて少し経った頃だったと思いますが、たしか現役信者の人が自分の書いたものが反対派に批判されるのに困ってのことなのだと思いますけれども、著作権をたてに、記事のコピペをすることは一切禁止!みたいな主張をしている人がいました。

あんまり覚えてないのですが、著作権を持ち出して、引用したら金請求するぞみたいな過激な人もいたんじゃなかったかな?バカらしくてうろ覚えなので、間違っていたらごめんなさいですが。そんな事、なかったでしたっけね?覚えてないわ。もう年だな~(笑

著作権法においても、適切な引用は認められていますし、批判されたことに腹を立ててコピペスンナというなら、最初からブログなんかやらなければ良いのに。例の、私のとなりに神様のブログの管理人さんも、コピペ禁止!みたいな感じの文章を書いていますよね。

こんなので、基本的人権を尊重しましょうとか、いったい基本的人権をどのように理解しているのか、私には全く理解できないです。引用先も明記せずに文章をマルパクリして不当にアクセス数やその他の利益を得ているとかなら、その相手に対してコピペすんな!は分かる。そんなことでもないのに、コピペ禁止とか。

自分が書いたことは無謬で、それを批判することは神様の心情を蹂躙することに等しいとでも思ってるのか?

正当な批判すら受け付けない教会は、この一点だけでも「全人類が兄弟姉妹として仲良く暮らせる天一国、地上天国を実現します」という発言が嘘だと言える。それぐらい重みのあることです。鞍馬天狗さんに対する仕打ちは、統一教会が主張する「全人類が兄弟姉妹として神の愛によって固く結ばれる」と言う主張が実は人集めのための看板で、実は嘘だったことを証明する象徴的な出来事として記憶されるべきでしょう。

その意味では、鞍馬天狗さんのブログ閉鎖事件は、小木さん=ホゴンさんの存在と双璧をなすくらいとんでもないことだったと言えます。


おっと、つい感情が先走って脱線した。話をもとに戻します。

当時、私の楽天ブログには小木さんも押しかけてきたりとかされてて、嫌がらせのように感じていたので、私のブログでは現役信者のコメントはお断りはしていました。
しかし、私の記事に対する意見をいう自由も同じように保障されているとは考えていましたので、私に対する言いたいことや批判記事を書いたら、私の記事へのリンクを貼ったり、トラックバックはOKとは書いていました。

小木さん=ホゴンさんも、言いたいことがあるんだったら自分でブログを開設しろと言ったら、ホゴンのブログというのを楽天に開設するようになりました。あれはたしか彼がUTS(アメリカにある統一神学校)に入学するとかしないとか、そんな頃だったと思います。尚、今ある楽天のホゴンのブログの管理人が当時と同じ人間かどうかは不明です。(なので、リンク先はあえて貼りません。)

ところで、今はブログのサービスによってはこのトラックバックの機能なくなってきてるんですかね。米本さんのところにはトラックバックのリンクはあったけど。
ちょっと血迷ってしまって、プームチャイさんのところだけはトラバでもはるかと思ったらできなかった。助かった。


ちなみに、私のところに来ていた人で、小木さん=ホゴンさんと同じような感じで嫌がらせのように感じたので、同じく自分のブログを開設するようにお願いした上で、出入り禁止にした人がもう一人いました。

現役信者お断りを続けていた2005年頃、しばらくの間「私は中間派ですがコメントしてもよいですか?」と言っっていたアンパンマンさんとかいうハンドルネームの人。

彼とはしばらくやりとりがありました。とても短い期間だけでしたが。中間派と本人は言ってましたが、話をよく聞いてみれば、実は現役信者さんでしたけどね。

この人も常識があまりにもないこと、無茶な要求を何度も繰り返すし、やめてくれとお願いしたことを改めることがなかったので、最後は非常識な態度を理由に立ち入り禁止にしました。それでもアンパンマンさんには、自分でブログを開設して言いたいことはそこで書いてください、トラバもご自由に、読みに行くかどうかは私が決めますが、と相手の発言する機会だけは保障しての立ち入り禁止のお願いだったのです。

アンパンマンさん、最初はブログの作り方とか分からないと言っていましたが、そのうち本当に楽天にブログを開設してましたっけね。ほんの数か月でいなくなってしまいましたけれども。どこ行っちゃったんだろうな?また戻ってきますとか書いてたような気がしますが。


ということで、「現役信者禁止」は楽天初期の頃、小木さん=ホゴンさんやアンパンマンさんが大活躍していた時に設けたルールですので、今のこのYahoo!ブログでは、そんな面倒くさいこと書いていないです。もっとも書いてなくても、そもそも読む人がいないし、こんなけんか腰のトーンではコメントをつける人もいないわけですが。

ミッターマイヤーさんのように、こんなところにもコメントを残していただける方は、貴重であります。



さて。

ブログという、どんな立場の誰が読むかわからない媒体を利用して、なんらかの主張をし、そしてそれをもって統一教会の行く末に影響を与えようとしても、できるのはせいぜいこの程度、ではないのでしょうか?


世の中には、何万人ものフォロワーを抱えるインフルエンサーとか呼ばれる人たちがツイッターやブログ、フェイスブックにいます。

彼らの主張は、ネットを通じて瞬く間にそれらのフォロワーに伝わる。しかし、本当にそれがフォロワーの「人生」に対して「インフルエンス」を与えているのでしょうか?

結局のところ、自分で自律的に悩み、苦しみ、到達した結論でなければ、人は動かないし変わらない。

それは統一教会の信者でも一緒で、もし自分で意識して、自分で主体的に判断して下した結論に基づいて行動しようとするようにならなければ、誰か強く指導してくれる人のところに流れるという「統一教会の信者」のクセから抜けだせないでしょう。

統一教会を辞めて、サンクチュアリ教会に流れ、そこで失望してまた次はだれかのもとに走り、そこもダメなら今度は外の別の教会に、とか。

それは、その人の目が覚めたことになるのでしょうか?



そういう意味で、「統一教会撲滅運動」には賛成も反対もしませんが、もし、奇跡的に私のこの投稿をプームチャイさんが読まれることがあったなら、せめて何か一言でも参考になればうれしいなとは思っております。


・・・いや、落ち着いて考えたら参考になることなんかないか。

長々書いたけど、一言で言ったら Let It Beで済んでしまう内容が一番目。
あとの二つは、まあ社会人なら一般常識レベル。

こんなの読まされたら、読まされた方がたまったものじゃないだろうし、自分のポリシー云々の前に、書いてることそのものが恥ずかしい内容でしかない。
もしかしたらプームチャイさんがやってくる前に消してしまうかもな。

いずれにしても、プームチャイさんの今後の活躍を祈りつつ、この記事を〆させていただきます。


追記
ブログの方針ということではありませんが、私はありとあらゆる拉致監禁に反対しています。
「ありとあらゆる」と書いたのは、統一教会の伝道も、広い意味では拉致監禁に等しいという立場ですよ、という意味です。あんな伝道しておいて、「統一教会信者への拉致監禁反対」とは、いったいどの口が言うのか?と日頃から思っています。

一方、統一教会を辞めさせるための拉致監禁にも賛成してないのは言うまでもありません。
米本さんが繰り返し書いているように、拉致監禁までした結果として子供が統一教会を辞めることにはなっても、確実にその人の人間性や心を破壊する行為だと思っています。

世の中には統一教会に限らず、怪しい団体はいくらでも存在する。統一教会に入っていなくたって、いかがわしいグループだのドラッグだの、社会を生きていくうえでいろいろなリスクがこの世の中には存在する。そのほかにも、パチンコだの賭け事だの、お金の怖さとかも含めて、社会人として生きていくうえで必要なことを教える必要が親にはあるはずです。

それらのリスクは統一教会が日本に入ってき始めた60年前からだってあったはず。

そういう事をきちんと子供に伝えて、社会では危ない人たちにはついて言ってはいけないよと教育するのは親の務めであって、子供が教会に行ってしまったのなら、社会の落とし穴をきちんと教えていなかったそれまでの子供への教育の失敗と反省し、それこそ「親子関係を親が見直すべき」だと思います。

北風と太陽さんは、確か牧師の指導をうけつつも、拉致監禁をせずに、親子の対話を通じてお子さんを取り戻された方だったと理解しています。

尚、ミッターマイヤーさんは奥さんが知らない間に統一教会の信者になってしまっていて、知らない間に財産が献金に使われていた方でした。

こういう旦那をだましてでもお金を献金させるのは、先祖解放につながるとかいうのは、それを証明しない限りは詐欺に等しいと思う。お金は裁判で取り戻せるかもしれないが、夫婦間の信頼は二度と戻らないだろう。こんなのは配偶者の精神を拉致監禁しているに等しい。こういうのも統一教会はやめるべきだとお思います。

これで、家庭こそ地上天国の基礎単位とか、ふざけるのも大概にしてもらいたいです。


本投稿とは直接関係ないですが、拉致監禁については常日頃そう思っているので、あえて追記として記載しておくことにいたしました。