KIB: kurogane in black

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統一教会信者の二世の未来に寄せて

かつて、楽天広場にブログを持っていた時、shinさんという方から、二世に関しての質問を受けたことがある。

残念ながら、私は「統一教会で言うところの二世」ではないし、そんな子供を持ったこともないから、二世に関しては答えられないと書いてきた。

shinさんへの返事
 から始まるいくつかの記事がそれにあたる。


そんな中、たまたまブログ村を徘徊してしまって、某公職者の投稿を読んでしまった。唖然としたわ。

これはひどい。本当にひどい。

上述のように、私は二世ではないけれども、こんな状況では、心底、二世に対して同情の二乗以上の気持ちが湧き上がってくることを抑えきれない。そしてこんな記事を投稿することにした。

読む人もいないブログの記事なので、自己満足以外のなにものでもないが、それでも思ったことを投稿しておくことにしたい。

****以下、本文*****

「いつも隣に神様」の記事を読んで、頭痛と眩暈がしてきた。

子女教育講座青年期編、『原理的人生観と縦的軸 実践編』


正直、これはひどい

自分だってまともな文章を書いているとは思ってないが、これ、仮にもどっかの教会の公職を任されている人がこれではまずいだろ。
こんなの、普通の社会人が読まされて、自分の子供がこんなところの信者になって、こんな人に指導を受けていると聞いたら、なんとしてでもやめさせたくなると思うよ。


というか、この人の指導を受けている信者の人たちは、こんな人の指導をありがたく承っているのか?



最初っからどツマヅキ。

<以下、引用開始>

>これまで多くの2世青年やその親達から話を聴いたり、
>相談を受けたりする中で教会から距離を置く青年達のきっかけは様々です。
(中略)
>話をじっくりと聞いてみるとその本質的課題は、
>親子問題である事を体験してきました。

<引用終了>

はぁ?

1)親たちから話を聞いたり相談したりした。
2)子供たちが教会と距離を置くきっかけは様々だ。
3)しかし良く聞いてみると、その本質的課題は親子問題である。


信者の親が教会にいって、
「うちの子供が教会に距離をおくようになって困っているのです。」
と相談したとする。

教会の人が、いろいろ聞いて、最後に親が

「やっぱり、自分が変わらなければならないんですよね」

そりゃ普段から、すべての責任は自分にあると教え込み、刷り込んでいるんだから、そういう思考に基づいて、親が自分に問題があると結論づけて帰ってしまうのに決まっているだろう。



しかも、この人があげた「きっかけは様々です。」として挙げている事例ときたらどうだろう?

<以下、引用開始>

>雰囲気が合わない、いじめられた、部活が忙しくて行けない、
>関心がない、やりたい事が他にある、
>教会に対する世間の噂をインターネット等で見た等がありますが、

<引用終了>

この中で教会について触れているのは、「教会に対する世間の噂をインターネット等で見た」という部分だけだが、それも子供がそれを見てしまったから来なくなっているのだと言っている。最初にあげているいくつかの事例は、すべて子ども側の事情を上げているだけだ。


だが、誰が考えてもそうだと思うが、「なぜ教会に行かないのか?」と聞かれて、親が通っている教会の事を「行きたくないから」「嫌いだから」などと素直に答える子供がいたら、そりゃもう末期的な状況なはずだ。

普通は、親がそこの教会に通っている手前、親の気持ちを害しないように、「いやさー、雰囲気あわなくってさー」とか「俺も、部活忙しいんだよね」とか言うにきまっている。



そもそも、最初の問題提起はなんだったか?

「子供たちが教会と距離を置くようになった理由はなぜか?」だったはずだ。

親の側が信仰者として、「親子関係に問題があったんですね」と言おうが、教会としては何を考えるべきか?


なんとしてでもその教会に行きたいか?来るなと言っても顔を出すか?部活が忙しくても、この教会に行きたいのか?それだけの価値が教会にあるのか?

本当に教会に行くべき、通うべき価値を子供たちが認めているなら、たとえ部活が忙しくてもなんとか時間をやりくりして顔だけでも出そうとするだろう。

汲めども尽きない命の泉をもち、全人類に希望を与えるはずの教会に、なぜ子供たちが魅力を感じないか?


これこそが教会側が真剣に考えるべき問題ではないのか?


そして、二世が教会に来ない理由を親のせいにする、他人行儀な姿勢を改めた瞬間、


・なぜ教会に人が集わないか?なぜ二世が距離を置くのか?

この問いについて、誰もが正解を出せるに違いない。

現実はそうなっていないのだから、教会そのものに魅力がない、という以外の回答があるのか?


親が、「親子関係が問題なんですよね」と締めくくるのは信仰者として正しい姿勢に違いない。

しかしその一方で教会が「親子関係が問題なんですよ」「教会はもっと親子関係が良くなるようにサポートしなければなりません」とか「家庭を良くするのも摂理です」とか、他人事みたいに言ってるようでは、本当におしまいだ。

そしてもっと終わっているのが、なんと教会の提供する価値を担うべき公職者に、「うちの教会には魅力がない。これはなんとかしないと大変だ」という意識のかけらも見られない事だ。(少なくとも、当該の関連記事には、そういう意識は皆無だろう)


私が最初に御言葉を聞いたとき、イメージしていた教会を、もし私が二世の立場で描写するとこんな感じになる。

教会に行けば命があふれ、神の息吹を感じ、人が黙っていても押し寄せてきていて、親が夢中になるのも仕方がない、いやそれどころかこの教会こそが私のいる場所だ、親は教会にかまけているけれども、教会こそわが父母のように私を育ててくれた場所で、すべての人がこんな場所で育てば幸せになるのに。

よその人が「あなたは何人兄弟ですか?」と聞かれたら、回答に困る。
なぜなら、自分が通っている教会だけでも何十人、何百人といて彼らはみな私の兄弟であり姉妹だ。
これが隣の教会や世界中の教会を合わせたら、いったいどれだけ私に兄弟姉妹がいるか?そんなの答えられるわけがない。



こんな感じ。

こんなの元信者が読もうが現役信者が読もうが、夢物語でしかない。

もっとも、現役信者の何人かは、これを読めば、多少は共感する人もいるだろう。あくまでも「いつか将来において実現すべき天一国において」であろうけれども。
つまり現実はこうなっていないことは、百も承知のはず。

実際の教会はどうなっているか?

「命のみ言」を聞いても、何も感じない。言ってるのは摂理のために金を出せ!ばっかりじゃん。うちにもカネないって親は言ってるのに、なんで献金だけはやってんだよ。クソが。

知っている友人がいるからいくけど、行けば辛気臭い話とか、休みになれば研修だとか、清平に修練会だとか、そしてネットを見ればどっかの公職者が「二世の再教育について」とか駄文の乗せてて、これでは北朝鮮強制収容所と一緒だな。

親も教会に行くけれども、行けばいくほどやつれてくる。夫婦げんかも、激しい。

兄弟姉妹?なんか良く知らないけれども、同じ二世といっても平等じゃないし、なんか親の祝福が早かった人の子供は偉そうにしている。
こんなところに、何が楽しくて通わないといけないのか?
信教の自由を守れとか言っているけど、それなら俺の信教の自由、つまり統一教会を信じない自由も守ってくれ。

でも、こんなことを言うと、親が目を吊り上げて怒ってくるから、もう面倒くさい。

あ、また教会行けとか言ってるわ。

「うーん。でも、雰囲気合わなくってさ。それに部活とかあるし。先生からも出てくるように強く言われてるんだよね。それじゃ、またね。
 あ、ごめん、もう出かける時間だから。それじゃ」



さて。

こんな風な心象風景を持った子供たちに手紙を書いたり話を聞いたら、教会に行くようになると思うか?

もう今さら言うまでもないけど、親が変に態度を変えて、「話を聞こうじゃないか?」とか「息子へ。お父さん(お母さん)が日頃思っていたことを、口ではうまく伝えられないので、手紙で書くことにしました」とかやったとしたら、子供はどう感じるか?

「ああ、私の親は欠点だらけだが、それでも私をこんなに愛してくれていたのか!」

とか思うか?

そう思う親がいたとしたら阿呆すぎて涙がでてくるわ。


普段ガミガミ言っても俺が話を聞かないからって、懐柔作戦かよ。で、結局、さんざん俺の普段思っていることを聞いた揚句、「それはやっぱりみ言で整理した方が良いと思うよ。今度の日曜日に礼拝でも行ってみないか?」って続くんだろ。

バカ臭くてやってらんねー。


これ以外のどんな反応があると思えるんだろう?


この公職者の、こんな文章を読まされて、「そうか。子供が教会に通わないのは、やっぱり親である私に問題があったのだ。反省し、悔い改めて子供との関係を見直そう」とか思う信者だらけなんだったら、そりゃ米本ブログだろうがちゃぬさんブログだろうが何を読んだって頭に入らないだろう。


統一教会の信者の皆さんには、心底、同情を禁じ得ない。

そして、そんな親から生まれてしまった二世の皆さんには、同情などという言葉では表せない感情を抱く。

こんなのは、世にいう「毒親」以外の何物でもない。

毒親につける薬はない。

社会的に生きる道をみつけて、親からは縁を切り、自立して成長されることを心より願います。