KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

shinさんへの返事 (元記事の投稿日:2005年8月2日)

楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。

以下、元記事は楽天ブログに2005年8月2日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200508020000/

以下の記事の復元にあたっての補足。
今の楽天ブログは、いくつもの機能がなくなってしまいました。
たとえば掲示板とかメッセージ。

記事とは関係ない雑談ができる掲示板や、ブログの管理人に直接プライベートなメッセージを送れる機能は便利だったのですが、今はすべてなくなり、ただの記事投稿とコメントのやり取りだけになってしまいました。

ここで復元した元記事は、そんな昔の古き良き時代の楽天ブログについていた掲示板につけられた質問への返信として書いたものです。

当時、大学一年生だった彼は今ではすでに成人して20代後半、アラサーになっていると思いますが、元気でやっているのでしょうかね。

また、当時、友人として真摯に向かい合っていた二世の方は一体どうなったのかとか、いろいろと思うところはあります。

とはいえ、もし彼がここを見たとしても、言えないこともあるでしょうし、きっとどちらも素晴らしい人生を選択してくれていることを願ってやみません。


<以下、元記事の復元内容です。>
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shinさんという方から掲示板の方にリクエストを頂きました。

私の日記を読んでいろいろと考えられたとのこと。拙い文章でしたのに、どうもありがとうございます。

確かに、私は以前「二世のことについてはよく分からないので、それは書けない」と書きました。

あとで探されたのでしょうけれども、それがなくなった理由は、意味不明なコメントが乱発されたために日記自体を削除してしまったからです。

さて、それではshinさんの問い合わせについて、返事をする前に幾つか書いておきたいことがあります。

私は今まで、質問を受け付けるときに、一切の条件を付けずに聞かれたことに答えてきました。

「一切の条件を付けずに」というのは、たとえば探偵ストーリー君のように、「質問するなら自己紹介しろ」だの「批判する資格はあるのか」だの意味不明な事は聞かずに、聞かれたことに対して答えてきた、ということ。

なぜなら相手がどのような立場であれ、聞かれた内容について私の見解はほぼ固まっており、賛成側か反対側かということで意見が変わることはありません。

これはその論議を構成する根拠もある程度固めてあるからであって、例えば韓国人が虐殺の現場として後生大事に保存してある西大門刑務所もよく見たら、日本が劣悪だった朝鮮王朝(1908年の段階では大韓帝国と自称していたかも知れませんが)の監獄環境を大幅に(天国とも思えるほどに)改善(日本帝国=悪の帝国?参照)してきており、さらには虐殺と言うから何人殺されたのかと思えば90人。

 

kib.hateblo.jp

それも実物がどれだけの面積があったのかまで調べてませんが、ミニチュアの写真からしても相当な大きさがあったと想定される場所で、たったそれだけしかいないのです。

ついでですから、その時の日記に書いてなかったことも上げておきましょうか。

以前、1945年から1981年までの(つまり36年間)の日本列島限定の死刑数を集計したことがあります。

手元に資料が残ってなく、今ざっとしらべても見つかりませんでしたが、戦後は死刑反対論議の盛り上がりもあって、特に1980年に近づくにつれ、死刑数が減っていることを確認しましたが、それでもその西大門刑務所の死刑囚よりは多かったと思いました。

実際に一ヶ所の刑務所と日本全国の死刑数、それも時代が違うものを比較しても厳密な比較対照とは言えないことは私でも分かりますが、これから何が分かるかというと、虐殺という単語から想定される無慈悲かつ無差別な殺人行為は無かったと思われること。そして、「虐殺など行われていなかったのだ」と推定するには十分な根拠になりうると思います。

厳密にやろうと思えば、当時の裁判記録もデータベースから拾い上げて、西大門刑務所で死亡した人の内、何人が死刑囚でなくて死亡したかの追跡や、その当時の日本の刑務所での死刑数なんかもとって比較すればより精密な根拠となるでしょう。

ついでに、当時の西大門刑務所に収監されていた囚人が延べ人数でどれくらいになるのかも調べればもっと良いかもしれませんね。

しかし、原理講義自体がそれほどの厳密なものではないのだし、いまから思えば、あんなアバウトな理屈で「宇宙の真理」と言ってたのですから、それを覆すにもこの程度で良いのではないでしょうか。

反対に「それでも西大門刑務所では虐殺が行われていた」なんて、ガリレオのセリフを勘違いしたような主張を繰り広げたい方は、それこそそれらの裁判記録のデータまで調べて、36年間で死亡した90人が刑法の死刑によらずに虐殺によって死亡したこと、当時の日本列島の刑務所で、いったいどれだけの死刑が行われていたのかというデータとの比較を示した上で「虐殺」の証拠を示してほしいと思います。

こういう話は、感情や恨(ハン)なんとかいう言葉にだまされることなく事実を語るものです。だから賛成側なのか反対側なのかという立場とは関係なく、淡々と語ればよい。相手の素性などを聞いたり立場を鮮明にせよと迫ることなく質問には回答してきたのは、このような根拠があったからです。

そして、こういった根拠を示すのも、単に私の体験なんていう他の人には検証できないものではなく、誰もがそれを同じ条件で確認して検証することが出来、それを元に考えることができると思うからです。

私の言うことを信じて欲しいなんて思ってない。どうぞ、その根拠を自分で調べて考えてね、というつもり。

だからshinさんが「いろいろと考えさせられた」という言葉はうれしかった。

しかしその一方で、私自身が体験もしていなければ、根拠の上げようもない事柄について、何でも良いから書いてくれ、と言われても正直なところ書きようがありません。

「二世については私はこう思う」なんて書いたとしても、「おまえは二世じゃない。お前の言ってることは間違っている」と言われれば「確かに私は二世でないのですね」としか言いようがない。

原理の内容でおかしなところや、事実に基づかない出来事を誇張して書いている部分、さらにはベーリング海峡架橋プロジェクトなんかを論じるのと同じような次元では議論することが出来ない。

そしてもう一つ。

ここで私が、shinさんの立場やお友達の立場を知らずに「こうするべきだ」というのは、お二人の友情関係や人生を左右しかねない発言をすることになるかもしれません。

それは、無責任にできる事ではないと思います。


私の知っている話を一つだけしましょう。

ガッツ石松の手記を読んだことがありますが、ガッツ石松さんは、幼少の頃から乱暴で手が着けられなかったそうです。

そのために、悪いことはみなガッツさんのせいにされてしまい、ある時、なんかの事件の濡れ衣を着せられたのだったか、お巡りさんにしょっ引かれて行きました。

この時、父親が「こいつは行いは悪いが根は良いやつなんです。日頃悪いことをしていても、こんな事は絶対しない」と警察に頭を下げてくれたのを見て、「この親父を裏切ってはならない」と思って、行動を改めたそうです。

そして世界チャンピオンになったときのファイトマネー200万円を、そっくりそのまま親父に渡して、迷惑かけたなと言ったのだそうな。


同じ話をしても現役は、「そのガッツ石松の父親の姿こそ、お父様の人生だった」などと言い出すから困るのですが、文の爺様のどこが、そのガッツ石松の親父と一緒なのか、私には全く理解できません・・・

ガッツ石松の親父が、いつ「この息子のために私が警察にとりなしたのだから、その条件にファイトマネー2億円を献金しなさいい」なんて言ったんだっての。

ガッツ石松の親父が、いつ「お前は世界チャンピオンになって俺にヘリコプターを買ってくれ。それが孝行息子だ」なんていったんだっての。


警察に連れて行かれた自分を横に「こいつは根は良いやつなんです。こんなことは絶対しない」と言って頭を下げてくれる親でしょうか?

朴普煕氏という韓国軍将校出身で、ずっと文の爺様の右腕としてやってきた少なくとも内部では有名な人がいますが、この方はたぶん今でも韓国の監獄にいるはずです(もう出てきたのかな)。

あちらのニュースでも話題になりましたが、文の爺様、ずっと自分のために働いてきた朴氏のために頭を下げるどころか「彼は一信徒であって、彼の行いと教会とは無関係」とか言ってあっさり切り捨ててました。

一説には、朴氏ははめられたのだとも言われているほどです。

誰かの父親として比べたときに、(こう言っては失礼ですが)ガッツ石松の父親にも劣るような文の爺様が人類の親なんぞになれるはずがない。


生涯を捧げてきたのに、何が足りないのか、最後は人を嵌めてまで監獄に放り込んでおいて平気な人間。

サタン分立の条件としての献金がどうのとかいうご立派な説明では到底割り切れない。


私は、神様を選べと言われたら、ガッツ石松の親父のような神を選ぶ。

親の願いに答えることが息子・娘の孝行だ、といって親のわがままを強制することを良しとする神様は信じたくはない。

そして、親の願いという言葉に置き換えられた「どっかの変態爺」の願いに生きることが、その子供にとって最大の幸福であると本気で信じている事自体がどうなのか?と問わざるを得ません。

今の私には、せいぜいこれぐらいしか言えません。

申し訳ないのですが、私には分からない世界なのです。ましてや他の所の二世のことは、一体どんなことを言ってるのかそもそも知らないので、これは推測のしようもありません。


せめてものお詫びという訳でもないのですが、shinさんと二世のお友達に、ささやかなプレゼントをしましょう。

といっても、自分でどこかのレンタルショップに行くかCDを買ってもらわないといけないのですが・・・

島谷ひとみの「元気をだして」を聞いてみて欲しい。元は竹内まりやの歌なのですが、私は島谷ひとみの歌の方がいいと思う。

本当は失恋した友達を慰める歌なのですが、聞くべき立場によってはいろいろな解釈が可能でしょう。


shinさんとお友達の友情を思いつつ・・・