KIB: kurogane in black

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誤解と偏見と差別 (元記事の投稿日:2005年7月16日)

楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。

以下、元記事は楽天ブログに2005年7月16日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200507160001/

<以下、元記事の復元内容です。>

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先日「元栗さん」の事をかなり厳しく批判したけれど、ホゴン君もそうだったし、探偵ストーリー君もそうだし、皆一様に、「統一教会のメンバーはみんなを傷つけようと思ってない、見下してなんかいない、くろがねの書いたような内容は誤解であり、さらにはかえって私たちが差別し、偏見を持ってみている」と主張している。


この世に数多ある差別だの偏見だのはさておき、彼らのいう差別だの誤解だの偏見ってなんだろう?

一応辞書的な意味を確認してみると、

【差別】
(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。

(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。

【誤解】
事実や言葉などを誤って理解すること。思い違い。

【偏見】
かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。

となっている。


統一教会をやめた人間は月(Moon)の夢を見るか?>

この辞書的意味を、統一教会の現役メンバーが言うとき、それはどんな意味をもっているのだろうか?



<誤解、偏見、差別・・・>

誤解も六階も、そもそもやめた人たちは皆、統一教会がなんたるかを経験した上で、これはダメだと判断している訳で、全く知らない素人に向かって言うのならまだしも、内情を知り尽くした人に向かってこんなことを言っても説得力はない。

そもそも、誤解なんて、本来あるべき事実や言葉は「こう」であるにも関わらず、それを「ああ」理解しているから、それは誤っている、という意見だろう。

ホワイストーリーの時もそうだったけれど、それが誤解だというのなら、本来の事実を正確に伝えればよい。


それをせずに、「みんなは誤解しているのだ」と、壊れたレコードプレーヤみたいなことしか言わないから、端で見ている本当の意味での第三者だって、胡散臭く見えるだけだ。

ところが、既に述べたように、そもそもやめた人たちは、酸いも甘いもみな経験してやめている訳で、そういう人たちの主張は誤解どころか「正しい理解に基づく」ものである。

したがって、現役の人たちの寄って立つ根拠を別に探さなければならないが、彼らにはおあつらえ向きの言葉がある。


そう。

・サタンに入られた。
・お父様の心情を理解できなかった。
・原理は真理だと思っているはずだが、人間に躓いた。


こういう都合のいい理由は、誰にも見えないことを根拠にしているために、統一協会内部に居る者にとっては、これさえ出せばあとは何にもいらない、唯一絶対の「誤解の理由」になり、そして誤解を解くための努力をする手間を惜しむことができる。


なぜなら、
・サタンに入られたのだからしかたない。
・お父様の心情を理解できない者は付いて来れないのは仕方ない。
・自己の責任分担を果たせずに、人間につまづくのは仕方ない。本人の原理の理解が足りなかったのだ。

で、それ以上はかれらの不可知な世界だから触れる必要がない。

だから探偵ストーリー君のように、統一教会を離れる人の気持ちを知りたいという人間が、正直な指摘を十把一絡げにして切り捨てたり、ホゴン君のように「無知」の一言で切り捨てて平気でいる。



彼らのこの言い方が正しいとするなら、それこそその証拠を示してもらいたい。


・何を根拠にサタンに入られたというのか?
・何を根拠にお父様の心情を理解できないと言うのか?
・何を根拠に、人につまずいたのだと決めつけているのか?


それらの根拠を示せずに、これらの主張をすることこそ誤解、そして偏見ではないのか?



このように考えて、その根拠がないとすると、まさに「彼らこそ!」我々の事を誤解しており、そして偏見を持っている。

そして、「サタン側に落ちた」と差別しているのではないか?




<「サタンに入られた」は差別ではないのか?>

ここで考えてもらいたいが、そもそも同じく生まれた人間を、神とサタン側に分けて、自分たちの言うことを聞く者は神側、聞かない者はサタン側。

自分たちの側にいた者が、そこをやめた場合はサタンに入られただの、サタンに導かれただの、これは差別ではないのか?


そしてその基準は、統一原理を信じているかいないかだ、とするとおかしくはないか?

統一原理に書かれているような人生観を以て人生を歩み、神に愛され、また人類を愛して来た人が、統一教会に反対したらそれは神側なのかサタン側なのか?


姦淫の限りを尽くし、有り余る財物を利用して、あちこちに女性関係を持ち、阿漕な商売をしている人が(もしいたとして)、その人が、統一原理を信じます、統一運動を応援しますと言ったら、この人は神側になるのか?
それともサタンの業を行っているのか?

神の業を進める人があまりにも傲岸不遜なので、それを見た人々がみな一様に、その神様を信仰しないようになってしまった。そこで「その態度は間違っていませんか?」と指摘することは神の業なのかサタンの業なのか?



これらのケースでは、いったい彼らの主張する神はどこにおり、誰にサタンが入ったことになるのか?


我々が彼らを誤解する、偏見を持っている、差別するというが、このように見ていると、意味不明のものを根拠として、誤解し、偏見を持ち、差別しているのはいったいどちらの方なのだろうか?




<自分たちに従うことが善であるとは?>

すでに何度も書いてきたように、統一教会のメンバーは、統一原理を受け入れて、再臨主であり救世主、文鮮明を信じて従い、そのメシアが執り行う合同結婚式で紹介される相手を自分の夫・妻として受け入れ、この世の財物を全てメシアに捧げることが善であり、神様の目的に適っていると信じている。


つまりそこには、明確な序列があって


メシア
教会幹部
教会員
 ↓
*****
 ↓(ここで神とサタンが別れる)
原理を知らない人/統一教会を辞めた人
 ↑
サタン

とこうなっている。彼らの意識の中には常にこれがある。

もし無いなどと言う統一協会員がいたら、それはモグリか原理が分かっていないか、勘違いしている。

こんな意識の中で、自分たちは神の代理であり、メシアの代理であると信じ込んでいる人間が何を語ろうが、「統一協会員も一般の人も、その価値においては同じで、別に見下してない」、なんていう発言をしようが、そんなことはあり得ないことが分かるだろう。

実際に、これまで私たちが確認しうる統一教会のメンバー達は、ほぼ、このような傲慢な高みからの物言いが身に付いていたし、まあ、よくて慇懃無礼

だから皆「貴方は高みから物を言っている」と一様に主張するけれども、唯一、統一教会の人たちだけが、それを受け入れない。



こういう思想・発想の持ち主達を、もう関わらないでくれ、と主張することが果たして、差別・誤解・偏見なのだろうか?



もし差別・誤解・偏見を持っているとすれば、一体それはどちらなのか?


この短い文章からだけでも、既に結論は明らかだと思うけれど、如何でしょうか?