KIB: kurogane in black

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Let My People Go

昨日の投稿「ナツミカンさん、せめてこれぐらいは言い返しておいてよ。」でコメントした内容の後にも、さらにナツミカンさんと米本さんのやりとりが続いていた。

うーんと。。。

なんというか、三つの論点がごちゃ混ぜになってて訳がわからなくなっている気がする。

  1. 統一教会では、韓国が日本を奴隷や搾取する対象とみなしている。
  2. この上記1)の性質は、統一教会の設立当初から内包されていたものである。
  3. 上記1)2)のような性質を西川勝氏は知っていて、それを隠して伝道した。

まずこの論点1)に関しては疑うべくもない。なんとなれば、米本さん自身も、今の日本統一教会は韓国のポチになったと述べているのだから、現時点において、と限定するなら米本さんも反対する意向はきっとないものと思われる。

次に論点2)についてであるが、これは少々厄介だ。

まず、1954年に統一教会の看板を掲げた当初から、文鮮明や幹部のあたまの中に日本人奴隷化構想があったのだろうか?

私は原理講論の書き方などから見て、文鮮明のあたまには最初から日本を支配下において奴隷化する事があったと思っている。
生前、あれだけ愛を語りながら、その実日本からは搾取することしかしないのであれば、それは意図的にやっているとしか思えない。これは不正を糺そうとした幹部を飛ばしたといった行動からしても裏付けられるのではないか。

なお、信者の皆さんが「お父様がされたのはメシアとして、蕩減を立てさせる意味があった」などと弁明するのは受け付けない。歴史的に見て、朝鮮半島および朝鮮民族が日本から「歴史上類例を見ない迫害を受け、搾取されてきた」ことを裏付ける資料は存在しない。

韓国人の意味不明な「歴史をコリエイト」ならあるだろうが、そんな「コリエイトされた資料」に価値はない


しかしながら、もう一方では、次のような可能性を否定するだけの材料があるかといえば、少なくとも私はそれを持っていない。

その可能性とは、つまりこういうことである。

まず当時はまだ朝鮮戦争が終わったばかりで、一面焼け野原の朝鮮半島を前にしてどん底に嘆き悲しむ朝鮮民族を鼓舞するため、「朝鮮は神に愛された民族で、過去の苦労の歴史はその証拠であった。また日本の植民地支配もサタン側を象徴する存在として必要なものであり、その40年の蕩減を晴らした朝鮮民族は、これから神の側のアダム国家として雄雄しく飛躍する」という程度であったかもしれない。

そして、最初に伝道されてきた人たちも、本当の意味で宗教的天稟にあふれ、世界・全人類が神の愛の下に兄弟姉妹として固く結ばれた平和な地上天国というビジョンに共鳴していて、文鮮明氏も西川勝氏もそのような思いで日本への伝道を開始したものであり、原理講論の書き換えもあくまでも日本側の配慮だった。

しかし、ある時から経済摂理がうまくいくようになったことから、文鮮明も幹部も変質してしまった。

 

これを教義的な側面から描写すると、原理講論は最初は、これほどまでに悲惨な朝鮮民族を鼓舞するためにあえて日本下げ・韓国上げで書いたのだったが、それが「神の原理(Divine Principle)」であるという意識付けから、月日が経つうちに日本はサタン国家だったのだから朝鮮民族の分だけでなく、全人類の6000年分の恨みも含めて、徹底的に迫害して「あげる」ことが「神様の願いにかなうことなのだ」と変容してしまった、ということである。

さすがに、こればかりはネットの情報などではどうにもならない。

当時の人たちの意識が本当のところどうだったのかを調べるしかないからだ。

その意味で、この点については、論点3)ともかかわっており、西川勝氏のインタビュー記事がそれに該当するというのが米本氏の立場なのだろうと思う。

当事者への直接のインタビューなのだから、当事者ではないナツミカンさんや私などが推測でいろいろと言うよりは説得力もあるだろう。「当事者への直接のインタビューであり、当時の統一教会を物語る一級の資料」となっているだろうし。

しかし、ナツミカンさんが言わずもがなな変な事を書いてグチャグチャになっているが、西川勝氏は知っていてあえてそれを隠して日本人を吊り上げたかどうかが重要な問題だったのか?

西川勝氏がどのようなマヌーバーをとったのかを問い詰めることに意味はあるのであろうか?

もしナツミカンさんが、そこを明らかにしたいなら、その本を読んで感想を述べるぐらいでは、あんまり意味はなくて、あのインタビュー記事を持っていって西川先生に再度インタビューをし、媒体で発表する位の活動が必要になると思いますけどね。

とは言うものの、ナツミカンさんがそもそも西川勝先生にアポ取れるのかとか、前回のインタビューよりもはるかにお年を召しておられるので、語った内容が正確に理解された反応だったのか?とかいう疑問も払拭する必要があるから、そんな簡単なことではないと思いますけども。

こういうことも含めて、米本さんからもアドバイスされている通りに、何か書き込む前に落ち着いて川沿いの散歩でもしてから投稿やコメントされるほうが良いのではないかとは思いますね。

さて。改めて、西川勝先生の意図が最初どうだったとしたら、いまの統一教会の問題に影響があるのか?

上記の論点2)で、文鮮明氏の頭の中には当初は日本人奴隷化作戦はなかったものの、書かれてしまった原理講論の記載内容とその後の日本人の姿勢や「摂理」の進展の結果として奴隷化してしまったのだ、と解釈することが可能であることは示した。

しかし、その「可能性」が正しかったとしても、だったらいまのこの韓国人幹部が日本統一教会にしていることは正当化されるのか?そしてさらに、結果として原理講論にそれを生み出す「宗教的根拠」を埋め込んでしまっていた事は否定できないのではないか?

誰がどう見ても、そしてそれは米本さんの目から見ても、今の韓国が支配する日本統一教会になっており、日本統一教会の会長ですら、韓国人の不正行為すら糺すこともできず、それどころか暴力を持って処されることになっているのは否定できなくなってしまっている。

カネは巻き上げられ、女性は連れて行かれ、田舎に嫁がせられ、不正を正そうとすれば暴力で仕返しされる。

こんなのは、西川勝先生の意図なんか、もうどうでも良いことで、宗教団体ですらない。

残された道は、命をかけて脱走することしかないのではないか?虐げられている我が同胞に、この歌を。

この歌の背景は是非、こちらをお読みください。 行け、モーセ(モーゼ)