KIB: kurogane in black

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もはや変容でも元からでも、どっちでも変りませんよね?

米本さんの最新記事。「韓国人が来てからも、日本の献金摂理は相変わらず激しかったです


米本さんは、韓国文化論については踏み込めないので、と断った上で、韓国人がいつしか物欲に染まった理由は、韓国人を送り込んで心情的な教会を作れと命令した一方、日本には激しく献金するように文鮮明氏が命令していたため、ざっくざっくとあふれるお金を前に、韓国人が変質したと理解しているようだ。

そしてgoutさんは、韓国ウォッチャーでは既によく知られている「ウリとナム」の観点から、「文鮮明と韓国人はウリ(身内)」、「日本人はナム(他人)」であり、韓国人はナム(他人)のことなど気にするはずがないからだ、としている。



だが、それだけで、あんなに簡単に日本に集ることができるものだろうか?

ナツミカンさんが、どんなに断られても、統一教会は元から日本人に集る気できたのだと何度も何度も主張するのは、彼女にとって見れば、「韓国人幹部が変容したのではなく、元からそうだったと彼女の体験を通じて学習したから」に他ならない。


婦人部長はじめ数多くの食口が、自分達の生活を犠牲にしてでも献金するのはなぜなのか?

元は宗教者だった韓国人が、カネに転んで変質したから日本に集るようになったから、日本人の信者はいつまでも高額なエンドレス献金をしているのか?

文鮮明が言ったから?

文鮮明が言ったとして、それをいつまでも続けるだけの理由はどこにあったのか?


統一原理や原理講論に、日本は悪であったと規定し、再臨のメシアに歴史的な重荷を負わせた罪深き民族であり、その蕩減条件を晴らさなければ、母の国、日本が死に、世界が死ぬからだと思い込まされているからではないのか?

そして、日本人の側がそのような意識であるなら、逆に韓国人からすれば、「日本は悪い奴等で韓国人に対してとんでもない酷いことをした。だから、韓国人である我々はそれを返してもらう歴史的、宗教的な権利がある。つまり、日本人からお金を巻き上げることは正しい、正義の行ないである」と思っていてもおかしくはないだろう。

すでに韓国人、特に日本の教会のトップに位置する辺りの幹部韓国人たちの阿漕さときたら、もう我々が説明するまでもなく、つとに良く知られている。米本さんも写真付きで掲載してたりしてますしね。

しかし、これは別に幹部だけに限られるのではないのだ。もっと下の教会長レベルの韓国人でも、同じような傾向があるのは、いくつも体験してきている。



かつて韓国に住んでいた時、ある地方で仕事があって行った関係で、そこの教会の教会長と知り合った。

私からすれば、たまたま縁があっただけ。それ以上の事は何もない。それにもかかわらず、一度、個人的に呼び出されたことがある。その教会長がソウルに来た時に、一度会おうといわれたのだ。

その時の会話は、かいつまんで言うとこんな感じ。

「あなたが日本にいたときの教会とは今でも連絡が取れるのか?
 それでは、申し訳ないが、一度、日本のその教会にいって、毎月、ここの教会に献金してくれるよう、
 あなたからお願いしてはもらえないだろうか?」

との趣旨だった。


言うまでもない事だが、一介の信徒が韓国からやってきて日本の地方にある統一教会の門を叩き、「すみませんが、韓国のこちらの教会から、毎月献金してくれと言われているので、ここは一つ、毎月、○○万円ほど、お金を送っていただく訳には参りませんでしょうか?」と話しに言って、「それはそれは是非、韓国のために献金してもらいましょう」と答えてくれる教会があろうはずもなかろう。

なので、当然、お断りしたのだが、「日本の歴史的使命は韓国の教会を支えることにある」とか、「君は原理を理解していないのか?」とか、まあ、もう一回、原理講義を聴かされるはめになり、断るだけでものすごい大変な目にあった。


繰り返すが、わたしはここの教会の所属ではなかった。たまたま、「袖触れ合うも他生の縁」ぐらいの縁でしかなかったのに、この有様だ。



これはたまたま献金の話しだが、他にも信じられない事例は、文字通りに枚挙に暇がない。

ジョジョの奇妙な冒険のポルナレフのせりふがあたまに浮かぶような事例だってたくさんある。

これらの事例をつぶさに見聞きした立場では、韓国人が元は善なる宗教者だったが、目の前に山と詰まれたカネに目がくらんでおかしくなった、という説にはとても賛同できない。



韓国人が持つ通奏低音としての反日宗教については、最近では数多のウォッチャーも書くようになったから、統一教会員や元信者ならずとも知られるようになってきている。

元からそのような「文化的素養」があるところに、宗教教義として「日本は悪いことをしたので、韓国に埋め合わせをしなければならない」(いわゆる蕩減とはこの感覚だろう)と規定している。

その意味で、統一教会が日本人を奴隷に置く意図は、少なくとも潜在的には存在していただろうし、実際、文鮮明以下、ありとあらゆる韓国人幹部、そして結果として日本人幹部も、それを改善しようとはしていない。


そういえば、文家の息子が、日本人の状況をなんとかしてやってくれとお願いしたことがあったのに、「お父様」はその息子に向かって「お前は蕩減が分かっていない」とお叱りになられたんじゃなかったでしたっけ?

これって、「お父様」も分かってて日本人から搾取してますよね?


米本さんの、一人の韓国人の友人を信じ、そして人道的な立場からより性善説に近い「善なる宗教者がカネで転んだ」説を採りたいこと、そしてそれを裏付けるようなgoutさんによる「ウリとナム」説に乗っかりたい気持ちは理解できる。

しかし、もともと文化的にも日本人を無意味に見下していたのに、その立場は1910年から1945年までの併合で否定された。その結果、妙なルサンチマンが形成されてしまい、その反動で日本人をいつか奴隷にしたいと思うようになってしまった。

この辺は、みずきの女子知韓宣言なんかの韓国人のコメントを読めば、しょっちゅう出てくる。

そしてそんなところに、「日本人はサタン側国家として、韓国を迫害してきた。しかしその韓国は神側の国家として、再臨のメシアを迎えたのだ」などという教義を持ち込んだらどうなるか?


それが、文鮮明をはじめとした歴代の韓国人幹部、そして教会長レベルであっても日本人から搾取して平気な統一教会の文化を作り上げたことは否定しがたいのではないか?

結果として、当初から意図的に日本人を支配したかったのだ、と主張する人がでてくることが、それほどおかしいことではないように思える。(論の展開の仕方は別として。)





と、こんな風にないあたまをひねりながら一生懸命書いてみた。

でも良く考えてみたら、ここで米本さんが、このような説に納得しなかったからと言って、私としては何にも困らないんですよね。

それでも韓国人幹部は日本人から搾取し、自分たちだけで美味しい思いをしている現実に変りは無いし。

もう、状況がこんな風になってしまっているなら、韓国人幹部の横暴が「変容した結果」なのか「最初からだったのか」なんて、もはや鶏が先か卵が先かの議論以上にどうでも良い。


実際、いまの統一教会はがん患者のようなもので、幹部、いや間違った患部を切除するのか、患部があちこちに転移して体が死ぬのを待つかしかのどちらかしかないのだし。


元信者としては、信者の皆様がたには、一日も早くそんな沈み行く船からは逃げ出されたほうがよろしいんじゃないでしょうか?とは申し上げておきましょうかね。