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韓日人教会が心情の教会だったって?それってどこのパラレルワールド?

米本さんの記事、「悲しい話である-徳野はなぜ韓国人幹部のポチになったのか。 」を受ける形で、徳野さんが暴力を振るわれて入院した(らしい?)のは、不正を正そうとした結果であって、それは韓国でも認識されていたのだろうとしている。

それが新しい投稿記事、「日本・統一教会に棲んでいる韓国人幹部のこと」である。

このような不正に蓄財をする韓国人がいつから増えたのか、ということについて、「内部改革を希求します」さんが投稿した記事を「素晴らしいの一言」としてもろ手を挙げて褒め称えて引用している。

この記事を読むと、韓国人が最初から日本に集ろうとして来ていたのではなく、いつからか変容したと考えているように理解した。

これはきっとたまたまの偶然なのだろうが、「統一教会は最初から日本に集ろうとしていた」事について、ナツミカンさんが示した記事は根拠になっていないし、この記事を元に日本に集ろうとしていたとは言えないと書いていたが、それと同じような流れで認識していると考えられる。

つまり、統一教会が日本に最初に来たときには集るつもりが無かったのと同じように、韓国人の牧師達が1990年代に日本に責任者として来るようになった時には、日本に集るつもりはなかったが、どちらも途中で何らかの原因があって変容していったのだ、ということなのだろう。


米本さんの指摘は正しい面があって、確かにナツミカンさんが書いたものを読んだから、たちまち「統一教会は最初から日本をだますつもりで入ってきたのだ!」と思えるかと言えば、正直、厳しい。

それを、パズルをつなげるのはあなた!とか、本人は決め台詞のようにおっしゃるが、それはいくらなんでも無理があると思う。

また、「内部改革を希求します」の管理人さんの書く内容が、落ち着いた筆致で書かれていることもそうだろうと思いますね。


とはいえ、「内部改革を希求します」さんは、きっと重要な部分を書いていない。書いていないのか、書けなかったのか分からないが、結果としてそうなっている。

正直な話、韓日人教会が始めは心情の教会だったなんて、どう考えても何か別の教会の話しをしているのか、パラレルワールドの話しを聞いているようにしか思えない。



この韓日人教会については、私も多少、経験があるので、少しそのことについて触れてみることにしよう。

当時は既に、統一教会は真実の教会ではないと思っており、最後に統一原理は真理なのかかどうか、それだけは確かめておこうと思っていた私にとって、礼拝なんぞは付き合いで顔を出している程度のものだった。

なので、当時の韓日人教会の名簿をひっくり返しても、私がそこに所属していたという記録はないし、こちらも教会関係の資料なんぞ、とっくに処分してしまっているから、証明する物的証拠はないけれども。



いずれにしても、そんな傍観者的な立場にいたかった私には、変に経済の話しで追求してこない韓日人教会は都合が良かった。また、適当に顔出して礼拝が終わるなり退席して、「今週の神さまへの義理は果たした」という言い訳としてとても素晴らしい、最善の選択肢だったのだ。


そんな酷い動機だったから離れたのだ!とかいう現役信者もいそうだが、まあ、そう思うならご勝手に。
上でも書いたけども、当時はとっくに統一教会の活動は終わっていると思っていて、それでも統一原理が真理かどうかだけが問題だったから、礼拝なんぞ私には全く意味はない。



とは言え、何回も顔を出していれば、どんな礼拝をしているのか、どんな人たちが集まってきているのかは嫌でも分かるわけだ。

念のために書いておくけれども、上記のようなわけで、当時は既に教会運営には全く感知しておらず、あくまでも傍観者として礼拝を眺めていて気が付いたことである。

その意味では、ナツミカンさんの書き散らしたものに近いかもしれないが、こちらの姿勢としては当時みてきたものを出来る限り客観的に記してみることにしよう。



まず、その本題に入る前に、一つだけお断りしておきたい。

たぶん、内部改革を希求しますさんは、韓国語が直接には分からないのだろうと思う。

 

私は韓国語も読めるし、理解できるが、時事ジャーナルに関する記事でも書いたように、韓国語が理解できることに全く価値を置いていない。なので、「内部改革を希求します」さんが韓国語ができないから、という理由で以下の内容を記述するわけではないことは、ご了承いただきたい。


1)傍観者としてみた韓日人教会

上述の通り、私はあくまでも傍観者として韓日人教会の礼拝に参加し、礼拝を眺め、人間関係を観察していた。

「内部改革を希求します」さんが韓国語が分からないだろうと書いたのは、もし彼女が韓国語を理解できるのであったら、韓日人教会が心情にあふれる教会だ、などと間違っても書くことがなかっただろうからである。

それでも「内部改革を希求します」さんが書いた内容のうち、献金が激しく追及されるわけではなく、それだけでも他の日本人教会に通う食口から見たら、心情にあふれる教会に見えたに違いないとは思われる。

一般論として言わせてもらえば、同じ団体から送られてくる人材は、似たような人が多い。
例外的な人材が生まれてくることが無いわけではないが、何十人も送られてきたうちの半分はまともだが、半分は全くダメダメだった、というケースは少ない。


であれば、韓国の統一教会から送られてくる人材が、1990年代にはまともな人が多かったが、後からそれらの人たちが変容したり、あるいは悪質な人が送られてきて変になったのだ、ということになるのだろうか?

そんなことが本当にあるのなら、最初にきていたまともだったはずの人たちはどこに行ったのか?
なぜ、こんなことになったのか
どうして歯止めが掛からないのか?

これを説明できる理屈は存在しない。

もし、きちんと説明できるし、韓国人の責任者には人格者だらけだ!という人がいたら教えてもらいたいが、少なくとも私が知っている限りにおいて、少なくとも韓国の統一教会の責任者として送られてくる人、またはその候補者の中に、人格的にも宗教者としても尊敬しうる、などという人はほとんどみたことがない。

だから礼拝内容も酷かった。正直、礼拝に行く度に、心霊が下がって困ったものだ。それでは、どうして「内部改革を希求します」さんは、当時の韓日人教会には心情にあふれ、韓国人といわれていたのだろうか?


当時、どこの韓日人教会でも、いきなり送り込まれてきた韓国人の教会長で日本語を話せる人はそれほど多くなかった。なので、礼拝では、韓国に留学していた経験のある人が通訳をしていた。

そして、自分が聞いていて、「これは酷い」と思った礼拝の説教内容は、通訳もさすがに直接、それを日本語にしたくなかったのだろうと思うが、日本人の感覚にあう、より丸まった表現になって訳されていた。

すべての韓日人教会を回って確認したわけではないが、少なくとも自分が足を運んだ韓日人教会は複数あったが、たいていどこも同じようにしていた。

韓国人が、激しい口調で説教する。
通訳がそれを丸めて信仰的な内容に置き換えて訳すが、口調は真似しない。
なので聞いている人は、「こんなに信仰的な内容を、これほど心情をこめて語ってくださる教会長様!」と見えたに違いない。

数年前にも、どこだかの教会長が酷い礼拝をしているのが米本さんのところにもレポートされていて、酷い!とい
う声が上がっていたと記憶するが、別にあれは特別な事例ではない。

1990年代の韓日人教会のときから何も変っていないのだ。

変ったのは、あの当時よりははるかに韓国語を理解できる人も増えてきたり、韓国人の教会長も日本語を話すようになったり、そして何よりもあの当時よりもはるかに普及したスマホSNSの影響が大きいだけだ。


内部改革を希求しますさんには申し訳ないが、そして米本さんにも残念ではあるのだが、韓日人教会が心情にあふれた教会に見えた理由はこんなところだろう。

くり返し強調するが、すべての韓日人教会を確認して歩いたわけではない。しかしながら、そもそもの人材の派遣元が同じであり、どこも同じようなものだったはずなので、あとは個人の性格の違いによる差ぐらいしか、違いが生じるところは無かっただろう。

もし、内部改革を希求しますさんが、実は韓国語が理解できて、当時の礼拝内容を再現できるのであれば、ぜひお願いしたいところだ。

だが、仮に韓国語が理解できていて礼拝を再現できたとしても、たぶん、事情はあまり変らなかろうと思う。この点について、次に触れてみることにしよう。


2)時期的な背景と、韓日人教会設立の理由の推測

さて。このように、当時は既に傍観者としての参加であったので、当時の韓国統一教会側の正確な状況や、日本統一教会側の内部事情などは把握できない立場だった。

しかし、おおよその流れとしてはこんな感じと理解しており、本質的なところで大きく外れていないと考えている。もし、当時の事情を知っていて、私の見解が間違っているというならご指摘をお願いしたい。

それはそれで、非常に価値のある内容となろう。


まず、時期が1990年代というところに注目したい。
 
この前後で何があったか。1988年には6500双の日韓祝福が、そして1992年には3万双の祝福があった。
日本人と韓国人のカップルが厖大に誕生し、韓国にいった日本人も多かったが、日本に来た韓国人も、想像以上に多数いた。
全国に何人いたのかは正確には私は把握できない。

だが、ある地域の韓日人教会でも、礼拝の参加者が数十人を下らない程度にいたのだから、全国を合わせればどれぐらいになったのだろう?3桁から4桁の祝福家庭という名の韓国人が日本にきていたのだと思う。

さて、この日本に来た韓国人達が、日本人の主催する統一教会の礼拝に参加したらどうなるだろう?

・日本人の教会長が、「お父様のために、献金、頑張りましょう!」と必死で説教する。

・しかし、韓国人は、そんなの出来る分だけやればいいじゃない、としか思っていないし、それを口で言ってしまう
 なので、日本人の教会長からすれば、韓国人が礼拝に参加すると献金が集まらなくなってしまう。

・また、韓国人側でも、なんで心霊の低い日本人の説教なんぞ聴かなきゃいけないのか?ということで、
 まともに礼拝を聞かない。


こんなのは、米本さんには理解できないだろうが、少なくとも信者・元信者にはよく理解できよう。これは、日本統一教会としても、そしてせっかく祝福したのに、日本に行ったら離れたということになると韓国統一教会としても困ることになる。

このあたりが、韓日人教会などという中途半端な組織が生まれた理由なのではないか?

なので、そういう急な事情で集められた韓国人の教会長だったから、日本語もまだ勉強しておらず、各地に日本人留学生などをつけて礼拝をさせることになったのだろう。


そして、上述したような背景から、礼拝内容でも、あまり献金献金!とは語られていなかったのだ。

教会長は毎週、何を語っていたかといえば、「皆さん。伝道しましょう!伝道こそ、ハナニムの願いです!」が礼拝の主題となる。

しかし、献金だろうと自分が動くつもりの韓国人なんぞいないし、なんで日本に来て韓国人が伝道なんかしないといけないのだ?と思っている人が殆どだったから、当然、礼拝でいくら伝道しましょうといわれても、伝道する人がいるわけない。

ある時、ついに教会長が業を煮やして、「本日は、礼拝が終わったら、皆で町に出かけて伝道しましょう!」といったら、皆礼拝が終わると同時に帰宅してしまった。

もちろん、私もその一人だったが。

そしたら、その次の週の礼拝では、教会長が切れ気味にまあ罵ること、罵ること。

韓国人は当然、罵詈荘厳が理解できているが、教会長がどんなに叫ぼうが、馬耳東風ができるのが韓国人のすごいところで、誰も気にしてない。

通訳は、さすがにそれは訳すことが憚られて、きれいな言葉に直して訳す。日本人は神妙に聞いている。

毎週、これのくり返しだった。


ぱっと見、熱く語る教会長、必死で訳す通訳、平然と聞いている食口達、終わったら飯食って帰るだけ。
献金プッシュもない、とくれば、日本人教会に通う食口からすれば心情にあふれた教会に見えるだろうというのはそういうことではないのだろうか?


3)なぜ韓日人教会では、激しい献金を求めなかったのに、途中から変ったのか?

上記の2)で殆ど、私に推測できそうなことは書いたが、もし私の推測が正しいなら、1992年以後は、これからますます日韓・韓日の祝福が増えて、ますます日本に住む韓国人もたくさん増えていくので、激しい献金を求めなくても大丈夫と思い込んでいたのではないだろうか?

あるいは、急な要請による急ごしらえの制度だったので、あまりそんなことまで考えていなかったのか。

36万双は、日本統一教会も「やられたらやりかえせ」をやり始めていて、今までなら祝福候補には絶対にしていなかったような対象者も送り込み始めたり、さらには韓国統一教会というか、お父様というかも迷走し始めて、祝福のキャンディーを舐めたら祝福家庭!とか、どう考えても世のなかを舐めたことをやりだした。

一方、上述したとおり、元の母集団が同じで、それほど訓練を受けたわけでもない人たちが、錯覚と通訳者の頑張りとか、まだ出来たばかりで皆良くしらないといった数多の幸運が重なっていた時期は良かったが、そのうち韓日人教会ではやっていけなくなり、日本人の上に来る様になった韓国人が、献金からちょっとだけイン・マイ・ポケットをするようになり、そしてみんながやり始めて、しまいには収拾がつかなくなっていったのではないか?

このあたりは、正直、もう完全に統一教会とは縁を切ることにしたので、さすがに内部の話は分からない。


また、この内容で「統一教会は最初から日本人を搾取するつもりだった」とも言うつもりはない。

しかし、既にくり返し述べてきたように、もともとそういうことをしても平気な人たちの集まりが、日本人を搾取してもそれは正しいことであると解釈できる内容を宗教的教義として、天与の真理として信じており、実際、日本人にちょっとカネ出せといえばいくらでもでてくる。

韓国統一教会も日本統一教会も、これらのことを知りつつ、何の対策もせずに韓国人を受け入れてきた、ということは間違いない。



「内部改革を希求します」さんには申し訳ないが、韓日人教会が心情の教会に見えたのは、少なくとも私には単なる誤解にしか思えない。

私個人の経験によれば、誤解にしか思えない記事を元に、「韓国人の幹部は元は良い人たちだったのに、途中から変ったのだ」という論理を展開するのは、本人に意図的なデマを拡散する意図はなかったとしても、間違っているのではないか?


もし「内部改革を希求します」の管理人が、当時既に韓国語を理解しており、当時の礼拝の記録や通訳の配慮による正確ではなかった通訳の違いもなどは無かったということが、その記録を元に証明できる、というのなら、ぜひともそれを示していただきたい。


米本さんは、人道的立場から、自らのジャーナリストとしての看板に傷をつけてでも統一教会のために戦った。
その事は、仮に元信者であり現在は統一教会に反対する私の立場からしても、賞賛に値する。過去の記事でも書いたように、私は統一教会信者のみならず、ありとあらゆる拉致監禁には反対しているのだし。

しかし、それゆえに、自分の人道主義的な考えが、よもや宗教を名乗る人たちには欠落していることが信じられないか、多少は良心が残っていることを期待しすぎているのではないだろうか?


いま、米本さんが思い出す必用があるのは、統一教会に人道的・人権的な意識があるのなら、なぜこれまでの数々の非人道的な献金要請や祝福の強要、自分たちが兄弟姉妹と呼ぶ同僚信者達への冷たい対応は無かったのか?ということだ。

そんなものなど無かったから、教義の通り、つまり日本人=サタン国家=生まれながらにして悪の存在=どれほど奴隷扱いしようが韓国人が行うことは正義がまかり通っていたのではなかったのか?

そのような教義を持つ宗教団体であれば、「最初は善なる宗教組織だったが、途中から変容した」というより、元から持っていた日本人奴隷化思想が、いままでは国単位で分かれていたから文鮮明本人と限られた幹部しかその恩恵にあずかれなかったものが、日本への赴任によって一気に顕在化した、と見るほうが自然なのではないかと思うのだが、どうだろう。