KIB: kurogane in black

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泥沼の統一教会(分派も含めて)

米本さんが、悲しい話である-徳野はなぜ韓国人幹部のポチになったのか。 という記事の末尾に、タイトルでは徳野はとしてあるが、実際には日本統一教会が韓国人幹部のポチになったと記し、そのことを嘆いていると追記した。今までわかっていなかったと。

もう統一教会関係のブログは辞める人に向かって申し訳ないが、米本さんはナイーブすぎ、かつ未だこの期に及んですら統一教会のことが良くわかっていないのだ。

かつて、統一教会拉致監禁には反対しつつ言論弾圧みたいなことをやっていたとき、米本さんは「統一教会拉致監禁に反対している権利意識の源が疑われるのだ。信教の自由を守れというのなら、同じように言論の自由を守れと主張しなければならないはずだ。」と書いていたが、統一教会がわかっていたら、こんな発言はしていない。

実際、そのことは2015年2月に書いた。

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あれからすでに3年がたつが、3年前も、そして今も、結局のところ米本さんは統一教会の事なんか本質的には何にも分かっちゃない。

米本さんは、あれだけ原理講義も聞いていろんな人に取材し、韓国にまで行ってきたりしたのに、何も見ていなかったし聞いていなかったのだ。

また反対派も現役信者も同じと勝手に思い込んで、反対派が書いていることをキチンと理解しようとしなかった。

ま、もっとも、こちらの方は個人の感情的な爆発を抑えて自己を含めて客観的かつ冷静に書いたり記述できるような書き手がいないという元信者側にも問題があったから、この点に関しては米本さんばかりを責めるわけにはいかないが。
今回の米本さんの記事で改めて思ったが、米本さんの頭の中にはまだ国民主権、日本国および日本国民の自立・自治の枠組みの中に「日本統一教会」があると思っているのではないだろうか?

もしそうだとしたら、根底から認識がずれているので、正直な話、これまでの10年以上もの統一教会の取材は、ようやく入り口に立つための必要プロセスだったと認識しなおして、改めて本腰を入れて取材しなおしてもらいたいぐらいだ。

少なくとも統一教会信者の中には、日本と韓国という二つの自主・自立・自治的な枠組みがあって、それぞれが密接な結びつきを持ちながらも独立的に運営されているなどと思っている人もいない。

日本の統一教会なんぞ、韓国の奴隷であって、カネを出すための道具、韓国人男性にあてがう女性の供給元位の意識しかないぞ。

憲法意識?人権?

そんなものある訳ないだろ。

だからこそ、米本さんが呼ぶようなエンドレス献金だって、平気で命令してこれたのだし。

それで日本人信者が苦しむ?

韓国人にとって、そんなの知ったことかよ。

韓国で統一教会がニュースバリュー足りえるほど話題になる理由は、韓国人の日本人に対してやってみたいことをすべて実現したからに他ならない。

すなわち、日本人の財産を根こそぎ持ってこさせ、奴隷のように顎で使い、日本人女性を日本からつれてきて、韓国人ですら行きたがらない田舎に嫁がせる。

こんなことを実際にやって見せたのが統一教会だから、スゲー!と思われているだけで、誰も宗教的な価値観なんぞに興味なんかない。

宗教者としての人格?

なんで、日本人に対してそんなものが必要なのか?

こんなのが韓国人の基本的な認識なのだ。だから、究極のカルト?という記事も何年も前に書いたし、その頃書いた内容は殆どあたっていこそすれ外れた内容なんかない。

つい先日も澤田地平さんとかの記事で、韓国人の教会長だかが、奥さんがいながら日本人の愛人もいたことが暴露されていた。

 

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こんな韓国人上位、日本人下位、否、日本人=奴隷哲学を宗教的教義として裏付けたのが統一原理だ。

今の統一教会で原理講論が経典になっていないのは、こんなものに頼らずとも統一教会の日本人信者=奴隷教育が徹底したからにすぎない。

もっとも統一教会内部では、「み言」とやらをあちこちから持ってきて、それなりの理屈をこねだすだろうが、現実的に見てこれ以外の説明があろうか?独生女の理屈を通すには統一原理は邪魔とか、細かい論点はいくつかあるのだろうが、究極的にはそういうことだ。

だから、徳野さんや大塚さんが反発して暴行され、それでシュンとなって従うようになったのは、そもそもやる前から分かっていた事のはずだ。

それもわからずに韓国人の言う事に難癖つけようとするなんて、徳野さんも大塚さんも空気読めよ、ぐらいの話しだろう。日本の教会のトップですらそうなのに、地方教会風情で立ち向かえるわけがない。

本部で、そして会長ですら暴力振るわれるくらいなのに、まして地方の教会程度ではコンプライアンスなんかさらに利きようがないんだから、もっとひどい。

つまるところ、統一教会にいる限り、韓国人の奴隷である以外ない。

これは独生女のところだろうが、何番目の息子のところに付こうが同じこと。

そんな組織だからこそ、そしてそれを宗教的な価値観で縛り付けているからこそ、こんな組織から足を洗うのは死ぬ思いが必要なのだ。

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そして、死ぬ思いでなければ抜けられない人が橋を渡って帰ってきたら、元いたはずの世界が前とは違う。社会常識を身につけられなかったのだから仕方ない。
過去と決別し、必死になって「この世の常識」を学び、生きるすべを学び、というのがたやすいわけがない。だから抜けた人ですら必死になって過去と決別するためにエキセントリックになる人が多いのだろう。

もう、今年の一年で統一教会問題から足を洗うという米本さん。それは本人の選択なのでどうこう言うつもりはない。しかし、この一年を締めくくるにあたって、残された7ヶ月ちょっとの間に、今まで統一教会問題を何年も取材しながら、実は何もわかっていなかったのだという観点で、もう一度、自分自身の取材活動を振り返ってもらえたらよいのになと思う。

なぜ辞めた信者がこんな風になるのか、なぜ統一教会には憲法や人権意識がないのか、なぜエンドレス献金のような非人道的なことができるのか。

米本さんは何度も取材していたのに、実は何にも見えていなかったのだ。



こんなに米本さんには厳しい事を書いているが、それはあくまでも統一教会の問題に関して、ということだけだ。

ジャーナリストとして業界で生き残って来た経歴については大変だったことは間違いない。

統一教会問題は、そんな優秀なジャーナリストの力量をしても見通すことができなかった程、泥沼のようだったというだけなのだ。

そう。

統一教会は泥沼なのだ。

だから、傍から見ていたら、どうしてこっちの泥沼からあっちの泥沼に、さらにはあっちの泥沼からそっちの泥沼に移っては、元いた泥沼がダメだといっているのか理解できないだろうが、そりゃ泥沼に頭まで使って何も見えなくなっているからだ。

そして世の中の人たちから、あんたたち泥だらけじゃない?といわれても分からないし、自分の目の泥が相手のものと勘違いして上から目線で語ったりする。

くり返しになるが、本当の意味で統一教会の事を理解するには、彼岸橋を一度わたって向こう側に行かなければ無理なことである。私が現役信者で伝道が目的なら別だが、ジャーナリズムのためだけに彼岸橋を越えて行けなどとは口が避けても言えない。

さらには、彼岸橋を渡って行ってみたところで、そこは泥沼でしかなく、意味不明な独生女理論マンセー!とやるのか、最近では分裂した泥沼同士、こっちの泥沼からあっちの泥沼を批判しなければならない。

さらにさらに、この泥は洗い流せば落ちるような簡単な泥ではない。

思考回路やら態度、社会常識に絡みついた泥なので、洗い流すのですら簡単ではないのだ。

改めて、統一教会という所は何がやりたかったところなのだろうと思う。

三大祝福を完成した、神の息子・娘が愛によって和合し、動じ静ずる地上天国?

いやー、どう考えてもこの世の人たちからすら、揶揄されるような泥沼でままごと遊びをやってるだけの団体でしかないだろう。


泥沼の統一教会

うん。多義的な意味で、これが一番しっくり来るところだったな。

7ヶ月程度、米本さんが振り返ったところで泥沼の中が見通せるわけもないか。

そんなことに神経を使うくらいなら、変に統一教会の取材で絡みついたかもしれない思考についた泥を洗い流してください、というのが正しいのかもしれない。