KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

ぼろぼろなんてものじゃない。バラバラに砕け散ってる

内部改革を希求します」というブログは、開設当初からいろいろと立ち位置が不明かつ、そいつは無理だろという主張が並べられたブログで、ここでも何度か批判の対象としてきた。

そして、そういう意味不明なブログの位置づけのせいだろうかもしれないが、類は友を呼ぶをそのまま実践するかのように、主張が良くわからない人たちがコメントするブログとなっている。

たとえばトリトンさんとか、たとえば幽霊食口とか。

で、ここにきてその隊列にヨーロッパ在住の食口も加わった模様だ。

ブログ「内部改革を希求します」での時点の最新記事は、「もう教会へは行けない。


正直な事をいえば、この記事「もう教会へは行けない。」に関してはなかなか胸を打つ。彼女がいかにして教会に通わなくなったのかということを非常に共感するエピソードと共に語っている。

ところが、この記事のコメントに意味不明な人たちがあふれている。

以下、この記事につけられたヨーロッパ在住のkayoさんという方が残されたコメント。

<コメント引用>
一人の人間としての自立
ヨーロッパからです。
神様と父母様と原理だけです。ヨーロッパはお金の動きは管理されているので問題はありませんが、どうせ寝ている組織ですから。違う問題があり、私も、私のお友達も教会から遠のいています。私は有志と大学で伝道しています。原理を伝えたいからです。愛したいからです。神様を証したいからです。原理を語れば語るほど神様を感じます。こちらに来た当初、夫をうらやましく思いました。ご父母様以上に神様を感じて生きてきた人です。日本人は神様より、御父母様しか理解できない。
だから夫は何があっても揺るぎません。
いろいろなブログがあります。悪意をもって表現をするやからがいて、こんなにも時間をかけて非難材料を見つけて、真実ではないことも、浅はかさ丸見えのブログなどあります。私は特に00みかnのは嫌いです。悪意そのものです。
第一祝福の完成が第二、第三とつながれる。伝道が一番です。自分を愛し、他を愛する。

2018-04-27 10:00  kayo  URL  編集
<コメント引用終了:太字の強調は管理人>


ちょっと話しがそれてしまうが、まずこのコメントの1行目には、ヨーロッパの教会では、お金の動きは管理されているので問題はないと書いてある。

他の問題があって、寝ている組織だともかかれてはいるが、この点は、同じく内部改革を希求しますにトリトンさんが書いた改革案がやっぱりダメだったことが分かるコメントになってしまっているのは滑稽なところ。

ちなみに、トリトンさんはかつて、献金制度改革ができれば統一教会の改革は半ば成功とのたまっていた

献金制度はヨーロッパではきちんと動きが把握されていて問題ないのなら、トリトンさんの期待する献金制度改革はすでにヨーロッパでは実現できているではないか!

それなのに他の問題があって、今は組織は寝ているのでkayoさんは教会と距離を置いている。

献金制度改革だけでは、ぜんぜんダメそうですよ、トリトンさん。

UC内部からの改革は可能か?にも書きましたけれども、献金制度改革なんて、組織の方針や、どういう人づくりをするか、そのために何が必要かを決めた後で、最後に来るものです。

また、統一教会の教義的な観点からしても第三祝福=万物主管に関する問題。
それよりもまず先に第一祝福や第二祝福なんでしょ?それがダメなのに献金制度改革だけやってどうにかなるようなものじゃあないでしょうよ。

さて、閑話休題。話しをkayoさんのコメントに戻す。

こんな寝ているヨーロッパの統一教会とは距離を置いているkayoさんは、それでも自分達だけで有志と大学での伝道をしているそうだ。

その理由は

原理を伝えたいからです。愛したいからです。神様を証したいからです。

だからだそうだけれども。

素晴らしい!神様の証をしたいから、組織がどうであろうと原理を語り愛そうとする!

信仰者の鑑ではないか!

と思ったら、コメントの後半部。

いろいろなブログがあります。悪意をもって表現をするやからがいて、こんなにも時間をかけて非難材料を見つけて、真実ではないことも、浅はかさ丸見えのブログなどあります。

 

えーっとですね。

じゃあ、ヨーロッパの大学で伝道しよう、愛そうとした相手がたまたま同じようなことを主張してくる人だったらどうするのっと。

統一教会に問題があることは本人も認めている。
当然、その点を問題視して、kayoさん流に表現するなら「悪意をもって」対応する相手もいるだろう。
それを、真実でないことも浅はかさ丸見えとか言っちゃう?

この人のほうこそ、浅はかな信仰が丸見えなんだが、そこはどうなのよ?

自分で矛盾した発言をしてしまって、自分の発言が自分にかえってくることを、昔は「天に向かって唾を吐く」といったし、最近ではブーメランと呼んだりする。

通常は、数ヶ月前の発言とか、せめて数日前の発言と今日の発言が矛盾したりして、「あの時のあなたの発言と矛盾しているじゃないか!」といわれるのがパターンなんだが、この人は、一つの記事の一つのコメントの前半と後半でそれをやるという、なかなか高度な技を繰り出してきている。

本人は気づいていないけれども、もうバラバラですね。

さらにこんな信仰者とも思えないコメントの後に続けて、

第一祝福の完成が第二、第三とつながれる。伝道が一番です。自分を愛し、他を愛する。

ですからね。こんなに簡単に、わずか数文字前に自分が何を書いたかわからないとしか思えないコメントを平気で書けるようでは、もうどうにもなりませんね。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分ではわからないのです」(ルカ23:34)
とでも書いておきますか。

内部改革を希求するの管理人さんも、こんなコメントに素晴らしいとか書いているようでは、ブログを開設して3年経ったけれども、内部改革の方向性すら見失っているようです。

その点では、「内部改革を希求します」の管理人さんも、ボロボロなんていう段階を通り越してしまったのではないか。

ここまでの書き方ではきっと通じないと思うので、追記しておくことにしようか。
「世の中には悪意を持ってブログを書く人もいるが、私は神さまを証し、他を愛します。第一祝福、第二祝福を実践するのです」、とか、もう支離滅裂なことを書いていて信仰者である自分に酔えるなら、おめでたいですね。

日本人からすればヨーロッパで、有志であつまって神を愛して伝道しているなんて、素晴らしい!こういう人と一緒になれば内部改革ができるかも!

とか思うのかもしれないが、「こんな人に伝道されたいですか?」と一度落ち着いて考えてみれば、別に哲学的な思索に耽らずとも答えは自明ではないかと思うのだが。

kayoさんも、内部改革を希求しますの管理人も、いったい他人を伝道することを何だと思っているのか?

一度、落ち着いてこの歌でもお聞きになってはいかがだろう?