統一教会は内部から改革/刷新ができるかできないか?真剣に悩み、みんなの知恵を借りてでも光を見出したいという人がブログを開設したらしい。
米本さんのところで見たので、訪れてみた。真剣に悩んでいる人の前で申し訳ないと思ったが、こりゃだめだ。
ブログの管理人さんも、ただ混迷の中をさまよっているだけで、問題を解決するために何か努力した後も見えないし、コメントつけているトリトンとかいう人も、何も解決につながらない理想論を得意げに述べるだけだし。
これでは、このブログの目的は100%達成されることはないだろうし、したがって内部改革も成功しない。というか、この管理人さんならずとも、UCそのものが内部改革なんかできない組織なんだけれども。
こんな冷たい記事を書いた手前、なぜこのブログの管理人さんの求める答えが得られないのか、またなぜUCがだめなのかについて、せめて私見を述べることとしたい。
彼(彼女)のブログにコメントをつけるのは残酷なので辞めておきましょう。この管理人さんが本気なら、いずれ同じような結論に至るだろうし、たださまよっている自分に酔いたいだけならあの状況が続くだけだし。
<組織の改革とは何か?>
組織とは、「ヒト」と「モノ」と「カネ」とで構成され、その組織の目的達成のために効率的な運営を行うことで、順調に組織の目的を達成し、そして発展していくことができる。
この運営を行うのが「マネージャー(経営者・責任者)」なわけだ。
統一教会という組織の内部改革をしたい、というこの「内部改革」ブログの管理人さんの場合、上記の4つのどれに問題があると認識し、それをどう変えたいと考えているのだろうか?
よく言われるヒト・モノ・カネに、経営幹部(マネージャー)を加えて、以下の4つの項目について見てみることにしたい。
1)マネージャー(マネジメント)
2)ヒト
3)モノ
4)カネ
カネの問題
わかりやすい4番目のカネから見てみよう。UCにお金の問題は常について回っている。今のお金を集めるやり方に問題はあるかないか?
1秒も迷う必要すらなく問題がある。
これを解決する道筋は立っているか?どう解決するつもりなのか?と言えば、道筋もなければどう解決してよいか、UCの信者の誰もわからない。こんな状況ではお金の問題はいつまでも解決しないだろう。
これは集める方の話だが、集めた後の使い方についてはもっと説明の必要がない。そもそも、献金として集めたカネをどこにどのように使うのか?
これは統一教会がどんな団体で、何をしたいのか、によってお金の使い道が決まるわけだが、はたして統一教会は何をする団体なのか?
まだ「アボジ」とやらがご健在なりしころ、かつホゴン君という伝説の人物が健在なりし頃、いや幽霊食口だったか?ベーリング海峡トンネルプロジェクトとかいうのがあった。食口の言い分としては、あれを作れば地上天国ができるからということだった。
このプロジェクトを理由に渉外を行い献金を集めてきた人たちもいたはずだが、はたして今、そのお金はどこにどのように使われているのだろう?
そしてベーリング海峡トンネルはいつできるのだろうか?
こんな質問は聞くだけ野暮ってやつで、ベーリング海峡トンネルを作ると言って集めたはずのお金も、もう今ではいくらだったか、それらがどこにどのように使われたか、UCの中で把握している人も部署も皆無だろう。
また、お金をどう使ったか?については、それこそ会計の透明化が必要なはずだが、この会計の透明化すらまともにできない。
お金を集める方もだめ、集めた後の管理や使い方もダメなら、そんな組織は早晩ダメになることは、別に「最後の真理」とやらを知らなくても明らかだと思います。
次なモノについて。
モノの問題
モノとはここでは、組織の活動を支えるために必要な資産のことをさす。製造会社なら工場とか生産ラインのことだし、販売会社なら販売拠点や営業システムになる。
統一教会は、いったい何をするところで、どんなモノが必要なのか?この質問は、繰り返し私のブログでも取り上げてきた。
統一教会とはいったい何者か?何をするのか?そのためにどんな施設や設備、システムが必要なのか?
これにまともに答えられる信者はいない。何をする組織なのか、何が必要なのかすら自分達でもよくわかっていないのに、どんなものを準備するのか、何をそぎ落とし何を残すのか回答できる組織などない。
この世の企業の例を挙げてみよう。
IBMはかつて業務用のハードを売る会社だった(IBMとはインターナショナル・ビジネス・マシンの略称だったことを思い起こせばわかりやすい)。しかし、パソコンのハード売りには激しい価格競争しか見えないと判断し、自らをソリューションの提供者と再規定した。この結果、ThinkPadをレノボに売却し、自らはソフトやシステム設計へとビジネスの舵を切った。
この判断が正しかったかどうか、最近の業績を見ると疑問が残るが、この記事でのポイントではないので、IBMの最近の業績はおいておこう。
この例から理解すべきところは、自分たちが何をするかを決めたら、何を買い、何を残し、何を売却するのかが必然的に決まるという事である。
改めて聞くが、はたして統一教会とは何をするとこであり、そのためにどんなモノが必要なのか?この問いに回答もできないのに改革ができるはずがないのは火を見るより明らかだと思う。
次。3番目のヒト。
ヒトの問題
これも上のモノでの説明と同じことになるのだが、はたして統一教会とは何をやるための組織なのか?そしてそのためにどんな人材をどのように採用し、どのように育成していくのか?
そもそも、何をやるための組織なのか、という問いに回答できないのなら、どんな人材をどのように育成するのかという問いにも回答できるはずはない。
「統一教会とは全人類を救済するための組織なので、どのような人材を採用し、という意見そのものが当たらない。全人類を救うのだ」、というずれた回答も無意味だよ。
全人類が対象であったとしても、その全人類をどのように伝道していくのか、どのように教義を伝えていくのか、どのように「望ましい統一教会人(君らのいう天一国の住人)たる人格者」にしていくのか?
これらについて、明確な回答がないとおかしいでしょう。
そもそも、神様が作った原理を解明したというのなら、神様のもともと想定していた人を育てるやり方を神様との一問一答から聞き出して、それを実践できるべき組織でなければならないのでしょうよ。
「それは、一人一人の責任です」とか言い出した瞬間、「統一」ではなくなるし、各人の意見毎に違うアイデアが噴出するために、「組織」としての一体となった教育はできない。その時点で、全人類を救済するという看板と矛盾することすらわからないようではどうしようもない。
上であげたIBMを例をもう一度思い出してみよう。
ThinkPadをレノボに売却したあとのIBMには、ハードウェアの設計者はいらない。ソフトウェアビジネスをやりたいのに、工場生産性のレベルアップの人材をあつめてみても仕方ないし、花売りが得意な営業マンをあつめてみても役には立たない。花売りの営業マンを、ソフトウェアエンジニアに作り替えることは、はたして花売り営業マンの幸せなのだろうか?
また、それは組織の人材育成計画としてふさわしいのかどうか?
改めて聞いてみよう。はたして統一教会とは何をするところで、どんな人材をどのように育成するつもりなのか?
なんとかクラブを作って二世の高給取りな職業従事者を集めてみたり、士官学校を作るのは良いが、そもそもの根本問題として統一教会とは何をするところなのか?
この問いに回答できないのに、人だけを無鉄砲に集めてみても仕方ないという事がわからないのなら、そんな組織の改革などできるはずがない。
最後にマネジメント。
マネジメントの問題
上記のカネ、モノ、ヒトのところで繰り返し繰り返し出てきた、「統一教会とは何をするところなのか?」という事を決めるのがマネジメントとなる。
しかし、これもすでに何度も繰り返したように、統一教会とは何をするところなのかを自分たちでも決められないまま、お金だけをあつめ、人を集め、何かにお金を使っているらしい。こんないい加減なマネジメント・経営者・責任者なら、上場会社なら首を切られるわけだが、統一教会にはそんな監督者・監査人すらいない。
唯一、「真のお母様」のみがすべてであり絶対であり、ありとあらゆる人事権をすら行使する。しかし、彼女が誤った場合、それを正す人はいないわけだ。で、「真のお母様」がこれまでに、統一教会とはどんな存在で、何をすべきか、どんな人材を育成するのかについて、明確にしたことはない。
信者の皆さんが、あちこちからみ言とやらをかき集めてきて、「こんなことを語っています」というのはダメだよ。語るだけならなんでも言えるわけで、組織としてどのようにそれを作っていくのか、組織の行動としてどうするのかまで含めて決めないのなら、何もやっていないのとまったく同じことなわけだから。
逆に、下の者(カイン)から何か提案すれば上の者(マネジメント:アベル)はそれを聞き入れるのか?統一教会においては、特に言うまでもなく、そんなことはありえない。
米本さんのブログにかかれていた、お母様の信頼を勝ち得ているという人を通じてやってみるとかいうのも無意味。もし、少しでもその人物が「真のお母様」の信頼を失えば終わってしまう。
こんなのは「統一教会とは何か?どんな団体か?何をするところで、信者はどんな人間か?」を決めていることにならないし、その実践だって無理だから。
さて。こうやって書いてきてみて、はたして統一教会に内部刷新が可能かどうか、答えは明らか過ぎてまぶしいくらいだと思いますがいかがでしょうか?
こんな状況で、何をどのように内部刷新を行おうというのか、正直なことを聞かせていただきたいくらいです。