KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

歴史は繰り返す

先日、こんな記事を書きました。

宗教組織と行政組織の比較対照は正しいか?

kib.hateblo.jp

 

米本氏の記事に対してのものです。

その後、「改革の視点」の記事はさらに追加され、宗教組織同志の比較も書かれていましたね。元々、番号が振ってあった記事ですから、当初の投稿計画にそってのものでしょう。
やはり、私が(1)だけ見てその比較は無理があるのでは?と書いたのは、若干、勇み足だったようです。

とは言え、もし当初から宗教団体同士の比較を検討していたのであれば、私個人としては(1)は宗教団体同士の比較、その次に参考として行政組織との比較とするべきだったのではないか?と思うので、前回の記事の訂正・修正は行わないことにいたします。
と言いますか、そもそも毎日の閲覧者数が3~4。自分が見ている数も入っているから、実質的には2~3人しか見ないこんなブログ、修正してもしなくてもあんまり影響もなんもないですけどね。



さて。ここから本題。

統一教会=世界平和家庭連合(・・・何度この名前を見ても笑えるんだけれども。どちらも実態を表していないという意味で)に対する米本氏の「改革の視点」については、特に思うことはありません。

私は当事者じゃないし。


しかし、旧統一教会=世界平和家庭連合が、米本氏があえて揶揄するかのように書いてあることに一々ツッコミをいれたり、自分たちで公開しているものを転記したら削除せよとか、全く本質的ではない事に一生懸命になっているのが意味不明。

それより、旧統一教会=世界平和家庭連合としては、米本氏の今回の改革の視点にたいして、自分たちの組織がかように重厚な人員配置をしている必要性やその役割をきちんと説明し、これらの経費は必要不可欠であるために、献金から賄っているのだと反論を展開すべきだと思いますけどね。

それらが本当に必要な人員や経費であるのなら、公的な宗教法人としてきちんと説明すればよいだけの事。

・・・なんて無理難題を押し付けちゃかわいそうか。

こんな反論を米本さんに返そうとしようものなら、改めて、旧統一教会=世界平和家庭連合は何を目的として、どんな活動をしようとしているのか、それを支えるために、こんな組織体制で、どれだけの人員が必要になるのか?それぞれの役割の人たちはこういった仕事をしているのです、といったことをきちんと説明しなければならない。

実際、世界平和家庭連合なんて言ってみたところで、こんなの偽りの看板も良いところで、その実単なる集金装置でしかないんだから、言えばいうほどボロがでてしまう。

徳野サンだろうが誰だろうが、口で「どなた様は素晴らしい」と賛美を繰り返したところで、組織としての根本的なところがねじまがっている以上、どうにもならない。

そして、そのことがすでに旧統一教会=世界平和家庭連合が崩壊している、「お前はすでに死んでいる」(ケンシロウ北斗の拳)状態にあることを物語っているわけですが。

その昔、イエスというお方が、偽善な律法学者、パリサイ人よ!と言って2000年前のユダヤ教を批判しました。

その方の再臨を自称する人物は、その同じセリフを用いてキリスト教会を批判し、統一教会を作りました。

しかし、今や統一教会は世界平和家庭連合へと名前を変えようとも同じ批判にさらされることになりました。


https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%28%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%29#23:25

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
(マタイによる福音書23章25~27節)


二度あることは三度ある。

統一教会=世界平和家庭連合が白く塗った墓である、と言うのは中にいる/いたことがある人には説明の必要すらないだろう。

「そんなことはない。白い墓などと言うのは中傷だ!」というなら、これまでに何度も批判してきたように、そして上記にもあるように、自分たちの組織の目的と活動は何か、それに対してそれぞれどんな経費をかけて何をしようとしているのかを詳細に公開したらよい。

それもしないのに、そして内部からはさんざんひどい情報が流れているのに、「白く塗りたる墓と呼ぶことは許さない」と言われても、へそが茶をわかしまっせ。

さて。

ここで、もし現役の旧統一教会=世界平和家庭連合の信者たちが、さらに一歩進めて、「だから新しい教団が必要なのです」と主張する人たちについていくのは、同じことの繰り返しにしかならいと思うのだが。

念のため断っておくと、趣味でそれをやっている人は好きにしたらよい。
本人が好きというものを止められないのは、「馬を水辺に導く事はできるが馬に水を飲ませる事は出来ない」とことわざになるほど昔から言い習わされていることだし。

しかし、それはこの世のすべての人たちに共通の趣味になりうるものではないことは良く認識して、他人も引きずり込もうとすべきではない。

また、趣味ではなく、実は納得できていないものがあるのであれば、解脱とまで行かなくても、せめて愚かなふるまいを繰り返す悪業は断ち切っておくべきではないのだろうか?