KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

一度なのか二度なのか? (元記事の投稿日:2005年7月29日)

楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。

以下、元記事は楽天ブログに2005年7月29日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200507290000/

<以下、元記事の復元内容です。>

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このブログに頂いた皆さんのコメントを読み、そして別の場所での現役メンバー諸君の意見などを見ながら感じたことがある。

<この世とあの世は地続きか?>

かつて一世を風靡した(?)霊界伝道師丹波哲朗氏が「この世とあの世は地続き」みたいなことを言っていたと思う。

私にはそのような霊感はないので、「この世とあの世が地続きなのかどうなのか」は分からないけれど、少なくとも一つだけ分かっていることがある。

それは統一教会の中と外は地続きではない、ということだ。

確かに、統一教会のメンバーであろうとなかろうと外見に違いはなく(あれば、見分けるのに苦労はないのだけれど・・・でも、そしたらやめたらどうなるんだ?)、いかにも韓国人趣味のゴテっとした祝福の指輪でもしていなければそれと分かることはないし、統一教会のメンバーであっても、この世の法則に従って生きているらしいことは間違いない。

しかし、それらの意識の上では大きな違いがある。

間違いなく、意識上の断絶があり、越すに越せない川があり、別次元に生きていると言って間違いないほどの違いがある、ということだ。

<統一原理を信じると言うことは?>

現役のメンバーで、特にコアな部分に近い所に位置している人ほど勘違いしているように思うのだけれども、統一教会を辞めるということは、物理的に教会の中に住んでいた人が外に出るだけ、なんていう単なるお引っ越しではない。


その事を明らかにするために、そもそも統一教会の信仰を持つということはどういうことか?を考えてみたい。


既に何度も書いてきたように、統一原理とは、創造原理、堕落論、復帰原理を柱とする教義から成り立ち、歴史を通じて働いてこられた神が、いよいよ摂理の最終段階に至って、再臨のメシアを通じてあなたを尋ねてきた、というストーリーになっている。

そして、特に堕落論において明確に述べられているように、本来神様のものであったこの世も、人類も、アダムとエバが天使長に唆されて不純なる性関係を持ってしまったために、サタンの支配するところとなったので、サタンに奪われてしまった人類とこの世の全てをサタンから奪い返すことが神の摂理であると教えている。

つまり、そのような信仰を持つと言うことは、以下のようなことを意味する。

  • この世は今はサタンによって支配されている。
  • ついでに今の人類もサタンの支配下にあり、サタンの子供となっている。
  • 統一教会の信仰を持つことで、そのサタンと縁を切り、神の子供となることができる。
  • そのためには、この世の因縁はサタンのものであるのでそれらを全て断ち切って神を中心とした正しい人間関係を結ばなければならない。

そして統一教会のメンバーにしてみれば、統一教会の信仰を持っている人だけが神の側に立つ神の子であり、そのほかの全ての人類はサタンの支配する側にいると教える。

さらに他の宗教を信じることも、統一教会の目的に一致していれば神の側であるが、それを妨げようとした瞬間にサタンが入るとも教えている。(そういう事が本にも書いてありますわね)

この究極的な決意を表すものが、いわゆる「献身」という制度で、勤めも(かつては学校も)やめてしまい、神の御心に沿って生きるために、自分の人生を捧げますということであり、本来献身してしまえば、それは神の僕(=文の奴隷)になることを意味するので、上から言われる事は全て甘受しなければならないという姿勢を求められることになる。

それは日本式であって韓国では違う。日本のやり方は間違いだ、ということを韓国の「先生方」は盛んに仰っていたが、馬鹿も休み休み言ってもらいたいものだ。

その間違った日本のやり方で作った金で、遊びほうけているのは韓国人で、正しいやり方をしている韓国の企業や他の事業体は全て赤字だらけなのはどういう訳か?

ということで、私の理解が間違った信仰観という意見は受け付けない。

そのように主張する人は、神様の願う正しい信仰観に基づいて正しい信仰姿勢を示しつつ、文の爺様の願いに応えている韓国の先生方を挙げて下さい。

経済も含めてですよ。

それは日本の責任だからという言い訳をするのなら、歴史的に女を働かせてヒモとして生きることを是として栄えている国を挙げてもらいたい。

さらに日本はエバ国家として、堕落の蕩減条件で・・・という人は、日本がエバ国家であると誰もが認めうる証拠を挙げて下さい。

韓国人が書いた論文には(統一教会のメンバーではないが)、韓国は両班の文化で武を蔑むといういわゆる女性的文化を志向し、日本は武士の世界で男性的文化を志向したという文章まで目にしたことがあります。

これでは、日本がアダム国家で、韓国がエバ国家ですね(笑)。

いずれにしても、統一教会の主張にまともらしいことはそれほどない上に、正しい信仰観に基づいた正しい信仰姿勢を貫く先生方が、間違った信仰姿勢の日本におんぶにだっこで暮らしているなんて、ブラックジョークにしてもたちが悪すぎる。

話がずれた。

要するに、統一教会の信仰を持つと言うことは他のキリスト教と違い、この世にあるものはサタンのものであると規定した上で、それらを神の側に奪い返してくることを是とする信仰を持つ、ということであって、その境界は統一原理を受け入れているかいないか、で明確な線引きがされる。

その究極的なものが献身で、これは文字通り社会的な全ての人間関係すら断ち切ってしまうほどのものであった、ということ。

つまりは、ここで一度、社会的には三途の川を渡るほどの決意をして、その線を越えることになる。

様々な事情で在家的な信仰を持っているという人であっても、本質的にはそのような事が要求されるのが統一教会の信仰なのだ。

統一教会の信仰を捨てる事>

既に上で詳しく見たように、統一教会の信仰を持つと言うことは、サタンに支配されているこの世を捨て、統一教会の上にのみ働く神の世界に旅立つことであり、文字通り死線を越えて飛び込む決意が必要になる。

実際、その死線を越えたからと行って、「乳と密の流れる地」が待っているわけでもなく、(特に日本の女性協会員の場合は)家庭も子供もおいて海外伝道に行きなさい、なんていう命令が平気で下される所だ。

この世的な価値観など持っていては生きていけない。

そこまで命令しておきながら、その放り出した家庭の子供がどのように育つのかは、その親の責任とされる。

言っていることが分かりますかね?

統一教会
  |
  |家庭を捨てて、伝道しなさい(命令)
  ↓ 
 信徒:子供はどうすれば?
  |
  |統一教会:子供は神様が面倒を見て下さいます
  ↓
 信徒:子供がぐれたという話を聞きましたが?

統一教会:それは「その人の信仰が足りなかったのです」


と言うことですね。

ちなみに、文の爺様の家庭は違います。
文の爺様は摂理という名の血統転換儀式で忙しく、子供の相手をしなかったので、子供がぐれてしまいました。
そうしたら、それも信徒の信仰が足りなくて、その信徒の信仰の足りなさをサタンが追求して、メシア家庭の子供を犠牲にしたのだそうです。

もう、私には分からない理屈です。

ま、要するに、一言で言って、とにかくありとあらゆるものは全て統一教会の為に!ということです。
まさしく「ハイル!文鮮明!ハイル!統一教会!」という感じですね。

さて、それでは本題に入りましょう。

統一教会の信仰を持つと言うことが、「死線を越える事」を意味していたのです。

そこまでして、この世を「サタンの世界だと思って」振り切って捨ててきた訳ですから、逆に統一教会の信仰を捨てるということは、それは「神を裏切って、サタンの支配下に戻ること」を意味することになります。

そしてそれは、歴史の背信者になることであり、信仰の死を意味し、メシアを知りつつ裏切ったのだから、サタン以上のサタンになるとまで言われます。(そこまで言われるのは男女問題でやめた人に対してですが)

だから、その咎を自分一人ではなく子孫を通じて贖わなければならないとまで言われるわけですね。

どうです?この恐ろしさ。

統一教会を辞めると言うことは、神を裏切り、歴史を背信し、サタンからもサタン扱いされ(私は男女問題など起こしてませんがね)、子々孫々から恨まれ、墓を暴かれる事になると言うのですよ。

そこまで言われて簡単にやめられますか?

だから、統一教会の実体に気付いて知らぬ間に目が覚めたような人は別として、皆やめるときはまた信仰を持つときと同じように、死ぬ決意をしないといけないのです。

つまり、一度死ぬ覚悟で飛び込んだところから、また死ぬ覚悟でなければ出て来られない。

だから、私は統一教会とこの世とは「地続きではない」と思います。

 

<彼岸橋の向こう側>

こうしてみると、統一教会を辞めた人は、二度、この世とあの世を分ける彼岸橋を渡っていき、渡ってきたということになる。

一方で現役のメンバーは、一度この世とあの世を隔てる彼岸橋を渡っていったきり、むこうの世界の住人となったままでいることになる。

そのあちらの世界の住人が、あちらの世界の論理を、この世に持ち込んでは議論をふっかけたときに、会話が成立するだろうか?

また元のメンバーにとっては、現役メンバーというのは死ぬ思いをして渡ってきたはずの彼岸橋の向こうから語りかける、あの世の死者のようなものであり、たとえば探偵ストーリー君のように「やめた人の気持ちを知りたいだけなのです」とどんなに純粋さを主張しようとも、それを知って結局、かの世界に人々を連れていこうとする最終目的を知っている以上、彼らのいかなる行為も、かの世界へと連れ戻そうとする行為にしかうつらない。

これは現役のメンバーが、どんなに言い訳をしようとダメです。

「私は違う」というが違わない。

元のメンバーは、彼岸橋を二度渡って、この世に戻ってきた。それは彼岸橋の名の通り、文字通り命がけの旅路だったのだ。

そんな私たちに対して、もともとのこちらの住人から「良く帰ってきたね」という労いの言葉は嬉しい。

しかし現役のメンバーの語りかける「大変な経験をしましたね」(by ホゴン@小木問題掲示板)なんていうのは、それこそ「あの世の死者」が柳の陰で語りかけてくるようなもので、心穏やかな訳がない。

くどいようだけれども、彼らの教義は「全人類の統一教会信徒化」である。

それを信じているメンバーと、仲良く語り合う図を想像できない元信者の姿は、とりたてて不思議なものではないと思う。

彼岸橋を渡った回数は、現役と元ではたった一回の違いしかないのだが、その違いは一度の経験しかしていない者には想像できないほど大きい。