KIB: kurogane in black

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一人でわたる橋でも大変なのに・・・

前回の記事、「組織幹部しか幸せにしない統一教会(本家・分家含む)」で引用した米本さんの記事だが。。。

あらためてリンクしておく。

「個人神と組織神とその葛藤」(うずらの卵の秀逸な投稿 )

こちらのコメントの「地の塩さん」のものが前回は批判の対象だった。
その後も現役信者の悲痛な叫び声があがっている。

ここまでやってきて、いまさらそんな簡単に辞められない、ということなのだが。。。


とっくにやめた元信者とは言え、いや、元信者だからこそ、叫びたい気持ちは良くわかる。



統一教会に伝道され一度献身した信者が辞めることについて、かつて「彼岸橋を二度渡ること」に喩えた。

kib.hateblo.jp



社会との縁を切って献身するときに一度、彼岸の橋を越えてゆき、さらに統一教会を辞めるときに、一度超えていった彼岸の橋をもう一度、こえなければならないのだ。

彼岸の橋を越えていく、などと悠長な表現をしているが、要するに死ぬ覚悟を固めないとわたれない橋ということを意味している。

たった一人でその橋を渡り、たった一人でその橋を戻ってくることですら、大変な決意が必要だったのだ。


もし祝福を受けて家庭を持ち、「祝福2世」と呼ばれる子供がいたらどうなるのか?

自分ひとりで超えていけばよいのか?

家庭の中に彼岸橋を置くつもりなのか?

それとも「相対者」や「祝福2世」もつれて、彼岸橋を渡って行くのか?


祝福の2世には、いままでさんざん、あなた方は神様の血統を受け継いだ神の子であり、その血統を汚すことは人類の堕落以上の罪を犯すことになり、神への背信であり、サタンからもサタン視されるとさんざん教育してきた(この世的にいえば脅迫してきた)内容を、みずからあっさりと捨てられるのか?

「さあ、一緒にあの彼岸橋を渡っていこう!」などとのんきな話をしたときには、子供とのすべての関係を破壊するダメージを与えるだろう。

その事を知りつつ、あえて彼岸橋を渡ってなどいけるのか?


このように考えてみると、本家から三男の分家へ、そこからまた七男の分家へとホッピングしてあるくのは、自分に対しても家族に対しても説明がしやすいからだけではないかともいえるのだが。

つまり、「彼岸橋を渡るのではなく、もっと正しい道に自分は進むのだ!」というわけだ。

こんなの、第二次世界大戦末期に、さんざん後退は裏切りとか言われてきた帝国軍兵士が、「転進!回れ右!前へ進め!」は良しとしたようなおためごかしにしか見えないのだが。

やっているほうは、さんざん後退は恥とか言ってきた手前、後退とは言えないので方向を変えて前に進んでいるとかいう屁理屈で自分をごまかしているだけだろう。

今の統一教会の本家・分家争いも、結局は彼岸橋を渡る覚悟が決められずに、自分はより正しい選択をしたといってごまかしているだけなのではないのか?

おっと本題からだいぶずれてしまった。


自分ひとりで彼岸の橋を渡る。死の淵を越えていくような決意をして橋を渡るのは大変だった。
家族連れでその橋を渡るのが簡単なはずがない。


しかも、橋を渡ってこの世に帰ってきたところで、この世がすばらしいかといえばそんなこともない。

もとより、この世はなんでこおんなに罪にまみれているのか?なぜ人生は苦悩だらけなのか?といって、そこと袂を分かつために彼岸の橋を渡っていったのだ。

彼岸の橋の向こうが、乳と蜜の流れる約束の地ではなかったからと言って、その橋を帰ってきたら地上天国になっているわけがあるまい。


いや、中には彼岸橋を戻って帰ってきてみたら、エキセントリックな協会長はいないし、キチガイのような献金要請はないし、意味不明な大会動員からも開放されるし、窮屈な清平に通って変な儀式に参加する必要もない。

そういうことを考えたら、彼岸橋のあちらよりもはるかに天国だ!という人も中にはいると思いますけどね。


でも、特に統一教会の中での社会生活しかしてこなかった人が、この世に戻ってきて、社会生活の常識を一から学びなおしつつ、仕事もして生活も落ち着かせるのが簡単なわけはない。

そんなのが簡単にできるんだったら、君たちはそもそも最初から統一教会の門をくぐっていないのだ、ということは改めてよく認識しておいたほうが良い。


この世でも、北朝鮮を逃れて韓国に来た人が、詐欺にあってだまされ、これなら北朝鮮のほうが良かったといって戻っていく人もいる。

これとまさしく同じ理由で、君らが帰ってきたって、この世が理想社会なわけではない。


わざわざこんな脅すようなことを書くのは、中途半端な思いで逃げ出してくると、痛い目にあうからだ。

統一教会の常識がいかに世間とかけ離れているか、米本さんは散々書いてきているし、元信者もその点を繰り返し書いているのだが、まあ言葉でいっただけで分かるんなら誰も苦労せんわな。


改めて強調しておきたい。

統一教会に献身することが、命がけの覚悟が必要だったのなら、そこを辞めるのも同じかそれ以上の決意が必要になる。

しかもこんどは一人ではなく、家族連れなのだ。

それでも、まだ最初から志を同じくした相手だと思い込んで結婚し、築き上げた家庭なのだから、それぐらいの責任はきちんともつべきだろう。


既婚者で、配偶者が勝手に信者になってぐちゃぐちゃにされた家庭のことを思えば、まだ君らが潜り抜ける困難など、甘すぎるといっても良い。


統一教会の献身には、プッシュしてくれる人がいたが、辞めるときはプッシュしてくれる人なんかいない。
拉致監禁のような非人道的な状況を除く。あれは私はずっと反対です。そしておなじ理由で、統一教会の伝道方法にも激しく嫌悪感を覚え、かつ反対しています。)

自分でまいた種は、自分で刈り取る覚悟を決めて橋を渡るべきだ。その橋を渡る覚悟ぐらい、自分で決めてもらわなければ困る。


そんな悲壮な現役信者の皆さんにはこの歌が良いのではないか?

Adele Hello 解説付き訳詩