KIB: kurogane in black

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乾杯!

いつも米本さんのことは「こいつは何にも分かっちゃいねぇ」と書いてきたし、一方では実際に体験していないのだから仕方ない面もあるよなと思っている。

だが、この意見は正しいと思う内容については、そう書いておくべきと判断して、ここで取り上げることにする。

 

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ここに書かれていることについては同意いたします。


統一教会が設立されてこの方、現在にいたるまで名前を変えたり分派が分かれて出来てみたりしてもまったく変らずにいるのは、今まで社会的にも法律に照らしても、正しいやり方でやってきた事は何一つないという点だ。

通常の場合において、高校や大学を卒業して「献身」などしてしまい長きに渡って信者を勤めてきた人たちがこの世においてのルールや決まりごと、社会的なお約束などを身につけられるか?


もっとも、新卒でそのまま就職しても同じような経験をするだろうから、「通過儀礼」と呼ぶこともできるが、そもそも人生の半分以上を「異次元の世界」で過ごし、もうそろそろ赤いちゃんちゃんこの準備でも、みたいな人が、弱冠二十歳の若造以下のあつかいを受けて耐えられるのか?

 

信者だった人達は、人生の半分以上が「異常な世界」での経験であり、かつ思想・信条・行動様式のレベルでガッチリ染み付いている。

同じ組織の上下左右360度見回しても、同じ境遇で成長してきた人達の集りであるわけだ。

いまさら「適切に、適法に、社会的にも天一国の住人としてふさわしい行動をとりましょう」などといわれたって、今までの行動様式をどのようにして改めることができるのだろう?


この世のマスコミが批判することを誠実に受けとめて襟を正そうとすることもなく、「サタンよ引き下がれ!」と叫んできた人たちだ。

 

米本さんが批判していることは承知の上で、元信者も同じ穴の狢という指摘はこの際、脇においてちょっとだけこんな風に考えてみよう。

「元信者」とは統一教会の中身を知った上で、この世の規準に照らして批判してくれていると思えば、彼等の意見に耳を傾けるべき点も多々あったはずだが、こちらも「サタンに魅入られた者ども」ぐらいの扱いをして遠ざけてきたのではなかったか?

 

もうタイトルも忘れたが、一昔前だかにネット上に「目安箱」とかいうサイトが立ち上げられ、信者が健全な議論を通して統一教会を良くしよう!といった人達がいた。

しかしながら、現役信者が書こうが元信者が書こうが、内容は似たりよったりになるわけだ。


なぜ同じ内容を元信者が言えばサタンの意見になり、現役信者が言えば「それは素晴らしい改善提案」になるのか?


動機が正しいから?


アホとしか言いようがない。


ネットで私は「元信者」として批判してきたが、じゃあ偽りのハンドルネームを作って「私は現役信者ですが、今の世界平和家庭連合の状況に胸を痛め、書かずにいられません」とか言って同じ内容の批判記事を書いていたらどうだったのか?

仮にそんな事をしたところで、「目安箱」と同じ道をたどっただけのことで、統一教会や世界平和家庭連合あるいはその分派のどれかがまともな団体になっていたはずもなかろう。

 

話者の動機がどうだろうが、言われた内容が正しければそれを受け止めるべきであって、発言者が信者か否かなんて、まったくどうでも良いことなのだ。


しかし、信者なら神様の下に結ばれた兄弟姉妹。

離れたら、サタンの支配を受けたもの。


それが男女問題を起こさずに離れようが、離れたことそのものがサタン以下の扱いを受けるにふさわしいと思っていた信者が大半だったはずだ。


だからこそ、拉致監禁されて変な教義を吹き込まれ、偽装信者になったかもしれないサタンの使いのような「同僚の信者」には冷淡なあつかいをしてきたのだったし。

 

話をもとに戻す。


そんな環境で数十年を過ごし、そんな環境しか知らない人が、いまさらただしい方法で伝道?


出来る訳がない。


何が正しいとか悪いとかどころか、そもそも何のために信者やってんのかとか、もう根本的なところでしっちゃかめっちゃかになっている人達がいまさら「社会的にも正しい」行いを通じて伝道?


臍で茶が沸かせるよ。


特に昨今では韓国の無茶苦茶さが一般人にも知れ渡りつつあって、韓国との関係改善など慌てなくて良いという人が七割にも上ってしまう状況だ。

この雰囲気の中、かつまた連日連夜、韓国が無茶苦茶かつ手前勝手、牽強付会の権化のような発言を繰り返すニュースが流れる横で、韓国発祥の宗教で、かつ日本人はサタン国家だったなどという教義で日本人を集められるなどと思えるとしたら、よほどの信仰者なのか単にものが見えてないだけの愚か者かどちらかだろう。


私たちの経験則に照らしてみれば前者に該当するような信仰者なんぞがそもそもいないのだから、あとは足し算・引き算した結果がどうなるか、小学生にも分かる問題だろう。

 

統一原理は最後の真理で、これを通して神様と人間がひとつに結ばれ、地上天国が建設できるなどという理屈は、結果としてみれば人をだますための方便でしかなかった。

 


統一教会は、変容して悪くなったのではなく、もとから悪かったという理解にいたった米本さんに乾杯を。

 

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