KIB: kurogane in black

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UCに「人権」なんてものは存在していない(2022年7月17日改定)

元の記事は、ブログ村での米本和広氏の記事をもとに、そのコメントをする形の投稿だったわけですが、2022年7月に起きた大事件の影響でツイッターにも投稿したことを受け、若干補足説明をしたいと思います。

 

以下の記事で米本さんと書いているのは、ジャーナリスト米本和広氏。彼はこんなタイトルの本を出版しました。

 

www.amazon.co.jp

このタイトルとリンク先のカバー写真だけから判断すると、「不快な隣人」とは統一教会を指すように見えますが、中身は反対牧師の監禁などについて触れたものです。

反対牧師の拉致監禁で、統一教会の信者の信教の自由が侵害されている!という内容でした。

本記事で「米本さんの著作「隣人」が」とあるのはこの本の事です。

 

この本が出た時、統一教会は米本さんを散々持ち上げたのです。教会からみて「統一教会の味方をしてくれる神側のジャーナリスト」という扱いをしていました。

そして米本さんの協力を得て、反対牧師や活動家による統一教会信者に対する拉致監禁はなりを潜め、ほとんど行われなくなりました。

そういう意味でも統一教会にとっては非常な貢献をしてくれた人、と言えます。そして内部の人達とも交流して把握できた内容を元に、統一教会も改めるべきは改めよ、と書き始めたのです。

しかし彼がそのような主張を始めた途端、統一教会は掌を返して米本氏を危険人物扱いし始め、更には統一教会は、なんと統一教会元幹部の発言まで言論封殺に出た、というところから米本さんが激しく統一教会を批難する記事を書いたのです。

 

この米本さんの記事で取り上げられた「神山氏」とは、かつては統一教会の幹部中の幹部。文鮮明氏のアメリカの金庫番として、一緒に監獄に入ったぐらいの人です。

そこまで文鮮明の腹心の部下としてお仕えしてきた神山氏ですが、その後、文鮮明氏の死後、統一教会とは袂を分かち、統一教会も教会員ではないということになった後の出来事です。

 

米本さんの記事については、この辺りまで触れておくと、以下の記事の理解の助けになる事でしょう。

 

本来、どんな組織であっても、その組織と無関係の人が外部で何を発言しようと、それを制限することはできないはずです。

しかし統一教会はそれをやった。

これに対してジャーナリストの米本さんが疑義を発したのがリンクした記事ということになります。

 

それでは、その米本氏の記事に対する私からの投稿が以下になります。

 

****************

 

最近、統一教会を巡って起きる出来事について何か書こうとすると、だいたい過去に類似の投稿をしていたなという状況になってしまった。

 

米本さんの、「統一教会が言論を圧殺する恐ろしい団体に変貌しつつある。」に次のような文章があった。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-545.html

<引用開始>
(3)ブログ「今日の訓読のみ言友の会」に掲載した日本での講演会の映像を削除するように要求する。
これは尋常な要求ではない。
教団が神山氏のことをまだ教会員と思っているのならともかく、もう赤の他人(分派)と見なしている。
ならば、社会的にみれば、神山氏は一個の独立した存在だ。その神山氏の講演動画を削除せよ!とは言論の封殺以外のなにものでもない。
言論の自由は、信教の自由と同じように、憲法で保証された日本国民の権利である。
<集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する> 
これをあからさまに否定する。それも公のサイトで!
だからこそ、統一教会拉致監禁に反対している権利意識の源が疑われるのだ。信教の自由を守れというのなら、同じように言論の自由を守れと主張しなければならないはずだ。

<引用終了>
(下線は私。行頭の一字下げは、行頭のスペースが勝手に削除されてしまうというYahooブログの仕様で反映できません。)


この最後の一行について、私は首をかしげた。米本さんは、知っているのにわざと書いているのか、それとも本気でこう思って書いたのか、どちらなのだろう?

もし本気でこう思って書いたのなら、やはり米本さんは統一教会の事は何もわかっていないと思う。


米本さんの著作「隣人」が出たとき、統一教会がそれを利用して「憲法で保障された基本的人権を守れ」と主張したのは、たまたまその場面で反対牧師や活動家に対して使い勝手が良かったからであって、基本的人権を守ろうという観点があったからではない。

米本さんは「信教の自由を守れと言うなら、同じように言論の自由を守れと主張しなければならないはずだ。」っておっしゃいます。

しかしそもそも統一教会の人は「信教の自由」だって本当の意味では尊重なんかしていません。

統一教会の信者、特に2世については「統一教会の信教の自由」はあっても、そのほかの信教の自由なんかありえないし、認めてないですよ。
文家の息子が剃髪して仏教僧のような恰好をしていた時は、文家の後継者として、ほかの宗教の研究をしているという理由で黙認していたに過ぎない。


この信教の自由とか基本的人権についてはもう4年半も前に書いた記事をリンクしておきます。

「祝福家庭制度」終了のお知らせ
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/201009090001/
(現在はリンク先閉鎖につき、何も表示されません。)

この投稿の趣旨を簡単に言うと、統一教会は、最初から基本的人権なんか尊重していないだろ。基本的人権なんか尊重していない幹部や信者が、基本的人権を持ち出したらどうなるかわかってて言ってんのか?ということです。



せっかく4年半の時を経て、新たに投稿するので、もう少し詳しく見てみましょうか。

ウィキペディア基本的人権の項目を引いて、統一教会での扱いはどうなっているのかコメントつけてみた。
最初のいくつかだけ見ただけでもうおなか一杯になりました。

幸福追求権
⇒ありません。「苦労の道を行きなさい」が教え。信者が自発的にやるなら問題ないのでしょうけど、実際には日本人なら強制される。

法の下の平等(第14条):
⇒ありません。創始者は天宙の王。文家は貴族。文家に嫁いだものは貴族に準ずる扱い。韓国人はその次の一等臣民。日本人は奴隷。
何せ、韓国人であれば乞食ですら日本人より霊的には高いと言って祝福に送り込んできたような団体ですよ。
韓国人が日本人に対して法の下の平等なんか、考えてるわけがない。元サタン国家だし、メシアを迫害した罪重い国の子孫だし。
上で引用した記事にもある、男女の合意による婚姻の自由だって、文家の子供たちが無視したから今後どうなるかわからないけど、婚姻の自由だって認めていないも同然でしょ。

信教の自由:
⇒信者にとってはありません。特に2世には統一教会の信仰の自由のみがある。

表現の自由(第21条):
⇒ありません。自由な意見なんぞ、ありえない。カイン的と言って排除されるか、分派扱い。下手すりゃサタン視される。

集会・結社の自由(第21条):
⇒あり得ません。分派扱いされるだけ。

居住・移転の自由(第22条):
⇒今は知りませんが、昔はありませんでした。

職業選択の自由―営業の自由(第22条第1項):
⇒ありません。幹部による人事命令に従うだけ。

家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等(第24条)
⇒特に日本人信者は奴隷なんだから個人の尊厳なんて認めてなければ両性の本質的平等なんかない。
「両性の合意」は後付で、本人がOKを出していることになっているが、少なくとも日本人には断ることは罪と教育してきた。

本人が断れない状況に追い込んでおいたのに、後から「個人の自由意志で受け入れたのでしょう?」と嘯くのは、霊感商法は信者個人の勝手な行いによるものという説明と同じで、統一教会の常套手段。

財産権の保障―財産権(第29条):
⇒日本人にはないも同然。(幹部は別かもしれないけど)

統一教会にいる人間なら、特に幹部ならこんなことはみんな知っていることなのに、反対牧師からの攻撃を取材して書いてくれた人が「基本的人権の侵害」と言ったらそれにタダ乗りして、相手の攻撃だけをやろうとする。


ちょっとだけ脱線しますが、統一教会の信者に対する拉致監禁をなくすため、私が統一教会の幹部だったらどうするかという「代案」を、同じ日に投稿しています。

「もしも私がUCの幹部だったら」
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/201009090000/
(現在はリンク先閉鎖につき、何も表示されません。)

※2018年5月4日追記
この記事を投稿した当時(2015年2月)にはまだ楽天ブログは残っていたが、今はそちらは閉鎖されてます。
上記で紹介したリンク先の元の記事(祝福家庭制度終了のお知らせ)では、要するに統一教会基本的人権なんか尊重していないよね、ということを書いた。

そしてこちらの「もしも私がUCの幹部だったら」では、統一教会において言われている、いわゆる「家庭問題」をなくすための方法を書いた。

それは親を説得できた人以外は献身や祝福を受けてはならず、かつ、親と一緒にいわゆる統一教会反対派の弁護士のところに行って、子供が祝福を受けることに両親は賛成していることを確認したというサインをもらってくるように、というものだ。

親がわざわざ反対弁護士に立ち会ってもらってサインしてもらおうとするぐらいなら、あとから親も拉致監禁しようなどとは考えないだろうし、立会書のサインで費用が掛かっても後で拉致監禁にかかる費用や、それにともなう被害よりははるかに安く済むよね?という意味だ。

記事を再現するかとも思ったけれども、それほどの内容でもなし、骨子の部分は下にすでに引用済みなので、念のための補足として追記した。

これが2015年より前なら、とんでもない意見だっただろうが、すでに創始者はなく、創始者婦人は独生女理論とか新しいことを始めてる。また神の血統として、神(≒文鮮明)が選んだ相手とのみ生涯の貞操を夫婦共に近いながら子供を生み育てる、なんていうのが教義上の救いの概念と密接に結びつけられ「祝福」という言葉で偽装されてきていた。
しかしそんな夢物語はそもそもが文鮮明の息子・娘たちが破壊してしまっている。
であれば、いまさら信者が祝福を受けずに好きな人とだろうがお見合いだろうが好きなように結婚することについて、教義上の正当性も含めて、それを禁止する宗教上の理由は統一教会にはないと思われる。

独生女理論が可能なのなら、後はもう第7のメシアでも、氏族における神メシア、真メシアでも何でも名乗って好きに結婚すればよいではないか?

どうしても「祝福」の看板がほしいなら、後からいくらでも儀式に参加して「祝福家庭」になれば良いのだし。

そして、「もしも私がUCの幹部だったら」で書いた次にの内容も、当時はありえなかった意見だったかもしれませんでしたが、文家の子供たちが裏書きをしてくれた今なら大手を振ってやればよいのではないかと思いますけどね。

<引用開始>
弁護士立会いのもとで両親が承諾した人だけを集めれば、家庭問題なんぞ発生するはずもないし、実家に戻るたびごとにおびえる必要もない。

両親の承諾が得られない人はどうするか?
別に何もしません。普通に結婚して子供を生み、育てればよい。

どうしても統一教会で祝福を受けたいなら、文字通り、愛して仲保として屈服して善を繁殖して親を説得するか、結婚した後で夫や奥さんを説得して受けたらよい。

<引用終了>


話を元に戻します。

要するに統一教会基本的人権がないことなんか、教会にいる人は知っている。

知らないとか、統一教会では基本的人権が尊重されていると主張する現役信者は、まだ「統一教会とはどういうところなのか」がわかっていないのだろう。

または口から出まかせを言ってごまかそうとしているだけ。

これは統一教会の中で現在進行中で起こっていることなんだから、「そんなことない。統一教会基本的人権を尊重しています」なんて言い出すなよ。現役信者よ。
つっこまれてボロが出るだけ。ますます、口先だけの嘘っぱち野郎ということを裏付けることになる。


・上位者の命令に従うという義務があるだけ。命令に従ったことで受けるのは、「天一国民」とかいうありがたくもない称号だけで、権利なんか何もない。

・文家の何番目かの子供から「拉致監禁問題に取り組め」という命令があったから従うけど、その人がいなくなれば誰もやらない。

・信者個々人は基本的人権なんか尊重していないから、今まで拉致監禁が行われていても放置してきた。

・信者も権利があるとは思っていないし、他人の権利も尊重しないので、あんな過酷な献金要請を誰かに押し付けることができる。そしていつまでも終わらない。

・家族の一人(特にご婦人)が信者になれば、旦那をだまして献金しろと命令するのも、基本的人権なんか尊重していないから。

・人権なんか意識していないから、集会の自由も言論や表現の自由も認めていないし、あるとも思っていない。だから今回問題になったあんな文書を公に出してしまえる。

・自分たちの意に沿わない報道をするメディアがあれば、相手の迷惑も人権や表現の自由も考えずに抗議の電話をかけまくる。業務に支障がでるようなデモをかける。

・米本さんだって、「統一教会の提灯記者」とまで揶揄されつつ信者の人権のために頑張ってきたのに、米本さんが言論の自由を行使してUCに対して批判的なコメントをつけた瞬間に切って捨てられる。言論の自由は、あくまで統一教会の意向に沿った報道をするときにのみ尊重されることの証左。

ブログ村だって、「批判者は出ていけ」と言って、強制的に「批判カテゴリ」を作らせ、自分達の意に染まぬものは排除している。言論の自由を尊重するならあんなことになるはずがない。


この辺でやめたけど、書こうと思えばまだまだいくらでも書けますよー。

さあ。現役信者の皆さん。反論できるならどうぞ。

ただし、実際の取り組みとしてやっていることを示しつつでなければ意味ないです。
み言に書いてある、なんてのは無意味です。書いてあってもやってないなら、それはないのと一緒ですからね。

口先だけなら、誰だって何だって言えるが、言うだけで実現するなら、だれも苦労しないのですよ。



なんでこんな団体になってしまったのか?

「なってしまった」のではなく、統一教会の教義に、基本的人権の尊重なんかないから、必然的にそうならざるを得ないのです。

原理講論にも書いてあるし、講義でも「人間は堕落して万物以下の存在になったのです」と語られる。
(なんならググってみてくださいな。いくらでもでてきます。
そしてそんな万物以下の堕落人間が神様のもとに復帰されるためには、自分より尊い万物(お金)をささげて、神様に取ってもらう必要があると教えています。こんなのは現役信者も元信者もかならず知っている。

これを献金プッシュの時にも使う。

「たくさん献金しなさい。そうしないと、復帰されませんよ。ご先祖様があの世で泣いていますよ。」

そんなことを言われたって、この世で生きていくには先立つものが必要だし、将来の準備や入用だってある。
だから献金プッシュをされたって、「これこれこういう事情で、そんなに大きな額の献金はできません」と普通なら言いますわな。

しかし献金プッシュの対象者の基本的人権、すなわちその人の権利や事情、希望などは「地の事情」「人情」であって、それに振り回されることはサタンが入る余地を作ると言われる。

その上で、「天の事情」「天情」(簡単に言うとアベル=上位者のいう事)に従うのがみ旨であり天のみ心であり善。だから個人の事情は切り捨てなさいと命令される。サタンが入っても良いのか?という脅し文句付で。

信者もそのように思いこまないとやっていけないので、自然と「人権」なぞ無視するようになっていく。

それが統一教会の教えです。

反論できる信者がいたらどうぞ。


教義にこんな風に書いてあるぐらいなんだから、統一教会の辞書から基本的人権なんて言葉がなくなったのは別に昨日今日の話ではない。

日本の末端の信者達だけじゃない。
韓国人幹部を含めても、創始者以外の誰にも人権なぞなかったのですよ。
文家の子供たちだって奔放に遊ぶ自由はあったでしょうが、人権は尊重されていない。
人権なんてものは「原理」に書いてないので、創始者が健在なりし頃には彼らも自由に結婚もできなかった。

唯一、韓国人が日本人に対するときだけアダム国家、エバ国家とか、日本は元サタン国家だったといって、日本人を奴隷化することでわが世の春を謳歌していますけどね。
(そんな韓国人に韓国に帰れと言って帰るわけがないのは、前の記事でも書いた通りです。「おっしゃることは分かりますが、それは無理だと思うのですけどね? 」)

今は創始者がなくなってタガがはずれ、韓国国内も訳が分からなくなってしまっていて、「お母様」とやらも娘たちの「かつては認められなかった結婚を祝福」するようなことが起きているのでしょう。

あるいは、娘たちの「統一教会の許されざる結婚」を祝福しようとする過程で、「独生女」の哲学がでてきたのかもしれないなとか思ってみたり。
つまり、「私はお父様よりも血統的に上なので、お父様は許さなかった結婚も許す権限を持っているのだ」とかいう謎理論が生まれたのではないかと。

とすると、娘たちの「教義的には許されざる結婚」だって、人権意識に目覚めたからではない可能性もある。
ならば、今後も人権を尊重した活動になる望みはないでしょう。

統一教会の信者が今まで全く考えてもこなかった基本的人権なんていきなり持たされたって手に余って使いこなせない。
多分、自分の奔放さ、つまり手前勝手な主張を押し通すためだけにしか利用しないと思います。



さて。統一教会の側では、信者も信者でない人も含めてありとあらゆる人の人権を尊重するつもりなど毛頭ないのは明らかだと思いますが。
(こんな彼らの人権も尊重されるべきとは思いますけどね。)


ナポレオンは「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったそうですが、統一教会創立この方、彼らの辞書に人権という文字は書かれてないのです。