隠しても浮かび上がってくる、冷え切った関係 (元記事の投稿日:2005年7月20日)
楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。
以下、元記事は楽天ブログに2005年7月20日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200507200000/
<以下、元記事の復元内容です。>
*********************************************
この日記を開設するまでは統一教会問題をまた論じるようになるなどとは思ってもいなかった。これだけ統一教会の事が叩かれていたのだから、もうやめた私がすることはないと思っていた。
しかし、たまたま、ホワイストーリーの件がきっかけとなって調べ始めたら、出てくる出てくる・・・
怪しい情報の数々・・・
これらはキチンと書いておくべきだろうと思ったのが、これら一連の統一教会シリーズを書くようになった直接の原因です。
そうして書いてみると、統一教会の教義自体が抱える問題、教義と活動とが表裏一体で結びついていることからもたらされる問題、そして、今後行おうとしている活動目標(ベーリング海峡架橋プロジェクト)についての批判、統一教会のポジションにおける拉致問題へのダブルスタンダード、等々、かなり広範囲にわたって色々と書いてきました。
しかし・・・そのような記事はさておき・・・
探偵ストーリー君や、ホゴン君、その他、積極的に意見を発言している現役統一教会員達の発言を読むにつけ、あまりの会話の不成立ぶりに気が遠くなりかけています。
その発言や(本人が)会話(と思っている一方的な主張)自体の内容もそうですし、都合が悪くなれば「それは責任者の考える問題」と、平気で「自分の問題ではない」を主張する。
本人がどう思おうと、統一教会の看板を背負って出てきているからには、統一教会自体が抱えていて社会からも問題であると指摘された内容について、説明するべき責任が付随していることは、もう常識以前の問題。
akiさんやMAXさんの言う、「幼稚園児以前」の問題に等しいのではないか?
最近では三菱自動車がリコールに関する不正を行ったと言うことで、激しく売り上げを落とした。
自動車会社は、大抵の場合、自動車を製作するメーカーと、それを販売する販売代理店とは別の組織であり、場合によっては資本関係も無いことがある。
従って、この三菱自動車の場合には、リコール問題で不正を働いたということは製品自体に欠陥があったのであって、その責任は本来はメーカーである三菱自動車が負うべきもので、販売会社・販売代理店には全く無関係のものでした。本来の筋論から言うのならば。
しかし、三菱の度重なるリコール不正に関して、顧客や潜在客からの激しい指弾を一手に引き受けたのは、これらの本来は製造責任が無いはずの販売会社・販売代理店でした。
顧客からの苦情やクレームに対して、頭を下げて、誠心誠意サービスをしますと歯を食いしばって耐え、頭を下げてきたから三菱自動車だってなんとか持ちこたえている・・・
一方、三菱自動車は、顧客に対して無料点検サービス実施し、その分の経費負担を三菱自動車が負うことで支援しながら、お互いに支え合って、つぶれずにどうにかやって来ているわけです。
そこまでしたとしても、その陰でどれ程多くの販売会社が店を閉めたことだろうか?
実際、私の家からすぐそばの三菱自動車販売も、リコール問題が発生してまもなく店を閉めてしまった。
話をもとに戻すと、本来、メーカーと販売会社というのは、このように支え合いながら行くべき関係にある。
ところが顧客からのクレームや苦情に対して、顧客と直接に接する販売会社が、統一教会の現役信徒のように、「いえ、あれはメーカーである三菱自動車さんの責任で、彼らが考えることですので、私が意見を述べることは適当ではないでしょう」なんて対応していたら、とっくに三菱自動車だって倒産しているだろう。
統一教会の現役信徒だって、自分が三菱の車に乗っていてそんな対応をされたら、どう思うか位、想像がつくだろう。統一教会の看板を掲げて、人に偉そうにものを言うことの背景には、その三菱自動車の販売会社と同じような、クレームも何もかも受け付けるべき責任があるということを、何人もが指摘していると思うが、なぜか、本人達だけがそれに気付かない。
これは鈍感なのか、無責任なのか、その両方を兼ね備えつつ、偉そうに語ることに酔っているのか?
もう一つの可能性(というか、ほとんど事実だが)として、三菱自動車が販売会社支援策を打ったようなことを統一教会が現役信徒には行っていないために、現実的な問題に対するクレーム・質問などは、我知らぬ存ぜぬを決め込んで平気な程に教会と信徒の関係というのは冷え切っている、ということもあるのだけれど・・・
どちらにしても、統一教会。まともな所ではないことは、書けば書くほど明らかになっていくばかりですね。
以下、元記事は楽天ブログに2005年7月20日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200507200000/
<以下、元記事の復元内容です。>
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この日記を開設するまでは統一教会問題をまた論じるようになるなどとは思ってもいなかった。これだけ統一教会の事が叩かれていたのだから、もうやめた私がすることはないと思っていた。
しかし、たまたま、ホワイストーリーの件がきっかけとなって調べ始めたら、出てくる出てくる・・・
怪しい情報の数々・・・
これらはキチンと書いておくべきだろうと思ったのが、これら一連の統一教会シリーズを書くようになった直接の原因です。
そうして書いてみると、統一教会の教義自体が抱える問題、教義と活動とが表裏一体で結びついていることからもたらされる問題、そして、今後行おうとしている活動目標(ベーリング海峡架橋プロジェクト)についての批判、統一教会のポジションにおける拉致問題へのダブルスタンダード、等々、かなり広範囲にわたって色々と書いてきました。
しかし・・・そのような記事はさておき・・・
探偵ストーリー君や、ホゴン君、その他、積極的に意見を発言している現役統一教会員達の発言を読むにつけ、あまりの会話の不成立ぶりに気が遠くなりかけています。
その発言や(本人が)会話(と思っている一方的な主張)自体の内容もそうですし、都合が悪くなれば「それは責任者の考える問題」と、平気で「自分の問題ではない」を主張する。
本人がどう思おうと、統一教会の看板を背負って出てきているからには、統一教会自体が抱えていて社会からも問題であると指摘された内容について、説明するべき責任が付随していることは、もう常識以前の問題。
akiさんやMAXさんの言う、「幼稚園児以前」の問題に等しいのではないか?
最近では三菱自動車がリコールに関する不正を行ったと言うことで、激しく売り上げを落とした。
自動車会社は、大抵の場合、自動車を製作するメーカーと、それを販売する販売代理店とは別の組織であり、場合によっては資本関係も無いことがある。
従って、この三菱自動車の場合には、リコール問題で不正を働いたということは製品自体に欠陥があったのであって、その責任は本来はメーカーである三菱自動車が負うべきもので、販売会社・販売代理店には全く無関係のものでした。本来の筋論から言うのならば。
しかし、三菱の度重なるリコール不正に関して、顧客や潜在客からの激しい指弾を一手に引き受けたのは、これらの本来は製造責任が無いはずの販売会社・販売代理店でした。
顧客からの苦情やクレームに対して、頭を下げて、誠心誠意サービスをしますと歯を食いしばって耐え、頭を下げてきたから三菱自動車だってなんとか持ちこたえている・・・
一方、三菱自動車は、顧客に対して無料点検サービス実施し、その分の経費負担を三菱自動車が負うことで支援しながら、お互いに支え合って、つぶれずにどうにかやって来ているわけです。
そこまでしたとしても、その陰でどれ程多くの販売会社が店を閉めたことだろうか?
実際、私の家からすぐそばの三菱自動車販売も、リコール問題が発生してまもなく店を閉めてしまった。
話をもとに戻すと、本来、メーカーと販売会社というのは、このように支え合いながら行くべき関係にある。
ところが顧客からのクレームや苦情に対して、顧客と直接に接する販売会社が、統一教会の現役信徒のように、「いえ、あれはメーカーである三菱自動車さんの責任で、彼らが考えることですので、私が意見を述べることは適当ではないでしょう」なんて対応していたら、とっくに三菱自動車だって倒産しているだろう。
統一教会の現役信徒だって、自分が三菱の車に乗っていてそんな対応をされたら、どう思うか位、想像がつくだろう。統一教会の看板を掲げて、人に偉そうにものを言うことの背景には、その三菱自動車の販売会社と同じような、クレームも何もかも受け付けるべき責任があるということを、何人もが指摘していると思うが、なぜか、本人達だけがそれに気付かない。
これは鈍感なのか、無責任なのか、その両方を兼ね備えつつ、偉そうに語ることに酔っているのか?
もう一つの可能性(というか、ほとんど事実だが)として、三菱自動車が販売会社支援策を打ったようなことを統一教会が現役信徒には行っていないために、現実的な問題に対するクレーム・質問などは、我知らぬ存ぜぬを決め込んで平気な程に教会と信徒の関係というのは冷え切っている、ということもあるのだけれど・・・
どちらにしても、統一教会。まともな所ではないことは、書けば書くほど明らかになっていくばかりですね。