楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。
以下、元記事は楽天ブログに2005年8月2日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200508020001/
以下の記事の復元にあたっての補足。
この記事は、前回の復元記事「shinさんへの返事」に、当時の読者の皆さんから、友達と話し合っている問題とはないか?と聞かれました。
それについて、彼が挙げた内容は、記事中に引用しています。そしてこの投稿は私からの返答となっています。
<以下、元記事の復元内容です。>
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shinさんのコメントには、切実さと必死さを皆さんが感じたのだろうと思います。だから、これほどまでに多くのコメントがあっという間についたのでしょう。
さて、shinさんのコメントによれば、友達と話している内容はもっぱら次のようなものなのだそうです。
1.霊や霊界というのはあるのか?
2.聖書の堕落論の解釈は合っているのか?
3.文氏の三回の結婚は原理的に見てダメなことではないのか?
4.「わが父文鮮明の正体」の内容は本当のことのなのか?
5.文氏が麻薬密売に関っていたということは本当か?
6.献金のゆくへ
7.道を外れることへの恐怖と親への罪悪感。
8.好きな人がいて悩んでいるということ。
9.もっと自由に生きたいということ
どれもこれも本人にとっては死ぬほど大変な課題のように見えると思います。それは二世だろうが一世だろうが同じことだと思う。
それでは一つ一つ取り上げていきましょう・・・・とは残念ながら今回はなりません。
ただし原理の観点から言っておかしな内容は、最近の霊界通信の記録から明らかになってきている部分がありますので、それについては触れてみたいと思います。
まず、原理でいうところの霊界はあるかないか?
これはMAXさんも書いたように、確率としてはあるかないかの50%ということになりますが、少なくとも統一教会でいっているような様子ではないことは明らかだと思います。
なぜならば、原理講論では霊人体の感性は肉体を通じて培われたものが霊人体にも形成されると書いていました。
そして地上で愛の感性を培うことができなければ、自分が犯してきた罪や人格と相対することができる地上人に再臨協助(ようするに憑依みたいな感じ)して、自分が地上で行っていたのと同じ業をしながらも、その再臨した地上人が悔い改めて復活した時に、その恩恵にあずかって、その地上人に再臨していた霊人体も、一緒に復活することができる、と書いてありました。
この辺はややこしいので、友達に何のことを言っているのか聞いてもらいたい。
ところで、スターリンなどは霊界通信によれば、過去自分が行ってきた過ちを悔い改めて文鮮明をメシアとして受け入れているとか言ってるそうです。
これはここでもコメントをつけているakiさんの所の日記でも書かれていたので、見てもらいたい。
これはオカシイでしょう。
原理講論が正しいのなら、スターリンは地上で大虐殺をする人間に憑依して、その人間が文鮮明をメシアとして受け入れて悔い改めて初めて彼もその復活の恩恵にあずかれるはずです。
現役のメンバーは霊界ではすべて見えているとか、霊界ではすべてが文鮮明をメシアとして受け入れているという。
しかし統一原理の講義では、罪を犯したものはその罪のゆえに、自ら神の愛の光を避けて地獄のようなところに行って暮らすのだとも説明されました。
そうだとすると、スターリンみたいな極悪人は、それこそ文鮮明の姿などまぶしくて見ることもできずに、地獄の一番奥で最後に出てきていなければおかしいはずです。
しかし地上でそんな極悪人が悔い改めて文をメシアと受け入れたなんていう話も聞かないのに、いつの間に霊界にいるスターリンがそんな簡単に復活しているのでしょう?
文鮮明の勝利圏とかいうけれども、原理原則はそんなに簡単に曲げられるものではない。
大体、いくら文がすごくても、彼がそんなに簡単に神様が作ったはずの「神の原理(Devine Principle)」をゆがめていいのなら、それこそ、スターリンまでもメシアだと思っている以上、「統一教会の中の霊媒師」だけに現れては変なことをつぶやいたりせず、中国共産党の江沢民の夢枕にたったり、金正日の枕元に立つべきなのです。
レーニンも誰も彼も、なんと120名もの共産主義者が文鮮明をメシアと証をしているそうですから、みんな一人一日ずつ、江沢民と金正日の枕元に交代でたったところで、一年に3度ずつでよいわけではないですか。
あそこまで涙を流して悔い改めたようなことをいうのなら、私ならそうする。
こんな話をすると、現役のメンバーはお父様の勝利圏は勝手に使えない、なんていう言い訳をしたりするのだけれど、それこそ、勝手な論理というものです。
彼は地上天国を作るために必死だという看板なのでしょう?
いままでどれだけ「勝利圏」という名の下に、原理原則を曲げてきたのか。
その勝利圏を元に、どうして悔い改めてメシアにはべっている霊人達が枕元に立つように命じることがいけないというのでしょう?
それは原理講論にも書いてある「原理原則」なのですよ。
結局、文の示威様も自分で解明したはずの原理のことなどわかっていない可能性がある。そんないい加減なものを後生大事に信じている必要など、もうないと思いませんか?
それから、好きな人がいるということについて。
先ほどの日記に打たれたトラバのakiさんの所のコメントを読んでみると、1992年に行われた3万双の合同結婚式の時から壊れるカップルが続出して、いろいろといい加減になってきているようです。
これもおかしい。
堕落人間は、統一原理の原則に従い、メシアに従順に屈服しなければ、そしてメシアの主宰する祝福を甘受して、神の願う家庭を築かなけば救われないというのが「原理原則」なら、信者がそれを受け入れようが受け入れまいが、原則は通さなければならない。
それが「3万双以後は、壊れるカップルが多いので」という堕落人間の都合に合わせて、神様の定めた原理を曲げていいのなら、そんな原理など最初から神の原理ではないのです。
これも「お父様がとりなして」とかいう意味不明の説明をする現役がいたりするけれど、そんなのは理由になっていないでしょう?
今行われている祝福なぞ、もういい加減なものなんじゃないでしょうか?
そんないい加減な祝福から生まれてくる子供も二世なんですか?
年が離れすぎていて、現実的ではない話になるかもしれませんが、「原理・原理」で縛られたshinさんの友達が、祝福をもし受け入れる覚悟をして祝福を受けてみたら、そんないい加減な二世だった・・・
この場合、一方的に迷惑をこうむるのは、shinさんの友達であって、いい加減な二世は好き放題を言うかもしれない。
それをもshinさんの友達は受け入れる覚悟でいるのでしょうか?
そんな人生を生きるとしたら、それはいったい誰のための誰の人生なのでしょう?
そんな人生を送ったことを、人生の終盤に来て恨みを言おうとしても、そのときには文の示威様も、その友達の親もいないのです。
いいでしょうか?
ほんの数十年の間に、祝福の基準もこれだけいい加減に捻じ曲げられたり、メシアの勝利という理由で、いくらでもゆがんだ運用が行われているのです。
そんないい加減な爺の言うとおりにする必要などない。
そんなことをして、うらみつらみの人生を送って霊界に行けば、うらみつらみの霊界に行くはずなのですよ。
原理によればね。
それなら、そんなばかばかしい原理などどぶにでもすてて、自分が納得できる人生を喜んで生きて、感謝する人たちが集まる霊界に集うほうが益ではないでしょうか?(続く)