「何を基準に○派を決める?」
この記事はコスモスさんという人が書いた。冒頭に次のような文章がある。
***引用開始***
前回、単純にわからない事(分派など)を知りたかっただけなのですが、なかなか皆様コメント欄にては大変のようでメッセージの方に、入っておりました。変なものはありませんでした。ミセス・キムさんだけはブログにて紹介して下さいました。タイトルを見た瞬間、ビックリしましたが、「まぁ、この方はこういう方だから・・・」と(笑)、気にもしていません。中身はどうであれ、勇気がいったであろうと思うと脱帽します。 この事は、とりあえず終わりにします。お騒がせいたしました。
***引用終了***
これをミセス・キムが読んだら、どう感じたか。
http://plaza.rakuten.co.jp/kimusa/diary/201204130001/
このミセス・キムの受け止め方について、コスモスさんが弁解しているけど、コスモスさんの弁解には無理がある。
誤解するなとお願いするのは無茶だと思いますよ。
私がコスモスさんの文章を読んでどのように感じたのか、国語の試験問題風に説明してみましょうかね。
問題
http://ameblo.jp/cosmosnokokoro/entry-11220430629.html
この記事の、「ミセス・キムさんだけはブログにて・・・この事は、とりあえず終わりにします。」の文章を読んで、次の問いに答えなさい。
Q:この文章の筆者は、ミセス・キムに対してどのような感情を持っているでしょうか。つぎの選択肢の中から選びなさい。
1)面白い人だと思い、感動し敬愛している
2)軽蔑しており、揶揄している
3)一緒にお茶を飲みたいと思っている
4)知らない人なので分からない
答え:2
解説
この文章の作者(コスモス氏)が、この記事に先立って投稿した記事の文章についてミセス・キムが書いた記事について言及している個所である。
「まぁ、この方はこういう方だから・・・」という所に、軽蔑の気持ち、相手を無視する気持ちが入っていることが読み取れる。
軽蔑の気持ちがあることは、「(笑)」と続いていること、「気にもしていない」(相手であること)という文章でも裏付けられよう。
「中身はどうであれ、勇気がいったであろう」の部分は、ミセス・キムがコスモス氏の名前を入れてブログ記事を書いたことをさすと思われるが、それが勇気がいる行為であると表現している。もし、コスモス氏がミセス・キムに対して感動する相手と認識しているなら、「記事をかいていただき、ありがとうございます」という表現になるのが普通。
またミセス・キムに勇気がいったというのは、通常の解釈では「(軽蔑しているお前が)よくもこの私に記事なんか書く気になったな、勇気がいっただろう」と揶揄しているとなる。
さらに、「中身がどうであれ・・・この事はとりあえず終わりにします。」と結んでいることを見れば、相手が書いた内容については語る価値もなく、もうこの話題を続ける理由はなくなったと判断してのこと。
以上の理由から、1)は否定され2)しか残らない。3)および4)は論外
なお、「勇気があり、脱帽した」という表現があるから、1)が成立するのではないか、という主張もあった。
ミセス・キムに対して1行で説明せよという問いに対する解答としてコスモス氏が答えた文章であれば、1)が成立する可能性はある。
しかし、解説で既に述べたようにこの文章では、ミセス・キムを揶揄する文脈におかれている以上、敬愛の表現を読み取ることは難しい。
また「(笑)」を「(ほほえむ)」にすれば、ますます揶揄の度合いが強まると感じる人も多いと思われる。
私は、ミセス・キムにもコスモスさんにも特に縁はないので、その立場でコスモスさんの文章を読んだら、このように感じました。
これで、ミセス・キムに敬愛を念があると読み取れというのは、無茶でしょ。
誤解?いやー、あれが誤解っていうなら、上の「解説」の文章を否定してみてくださいよ。
ミセス・キムも強調して引用していましたが、「まぁ、この方はこういう方だから・・・」って、感動する相手に使う表現じゃないでしょ。そもそも。
普通の人は、だいたいこんな感じで読み取ると思いますけどね。