KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

やっぱり誤解ではなかったのですね

先日の記事の内容と関連して、コスモスさんが追加で記事を書きました。

なんだ、結局ミセス・キムの感じた内容は誤解です、とコスモスさんが言ってたのは嘘だったわけですね。


ちょっと振り返ります。

コスモスさんがミセス・キムのところにつけたコメントはこれ。

***引用開始***

私にはまったくそんな思いはありませんでしたよ。確かにおもしろいおかただとは思いました。「私には出来ない。すごいなぁ」と感動したんですけど・・・笑い者にしたつもりは、まったくないです。それは誤解ですよ。私は「勇気があり、脱帽した」と2度も伝えたはずです。ミセス・キムさんの行為に敬意をはらったのですが・・・よくよく、キムさんのコメント欄と私のブログを見ていただけたらわかるはずです。

***引用終了***




ところが新しい記事ではこう書かれています。


***引用開始***

http://ameblo.jp/cosmosnokokoro/entry-11222864399.html

こんな事、記事にはしたくなかったのですが。はぁ~?

後輩???あった事もない、指導を受けた事もない・・・

なんだろう、この人?お父様をメシアとしてない?のに・・・

・・・とさまざま沸き起こる、この情、どうしよう。

ん?ふと、この記事の上の方に・・・なにげなく目に止まって開けてみると

「可哀そうな人・・・・・・・・・・・」 思わず、じっくり読んでしまいました。何度も。

***引用終了***


後輩といわれているがそんな自覚はないし、会った事もないし、指導を受けたこともなく、お父様をメシアと思ってもいない人というのは、ミセス・キムですわな。

(この流れで他の人を指す意味というのは無理がありますよ)

ミセス・キムに対して、さまざまに沸き起こる感情をもてあまし、本当は記事にしたくなかったというからにはネガティブな感情なのでしょう。


だったら、最初にミセス・キムのところにつけたコメントの

『「私には出来ない。すごいなぁ」と感動した』とか『敬意をはらった』は嘘ですね。


まさか「最初は感動していたし、敬意もはらっていたけど、あんな記事を書かれたからネガティブな思いが浮かんだのです」と主張したりしませんよね?



感動して敬意をはらっていた人が、自分の書いたことについて誤解するように感じたとしたら、少なくとも私は誤解を解くように説明しますが。

それをすることもなく、あっというまに「後輩???あった事もない、指導を受けた事もない・・・なんだろう、この人?お父様をメシアとしてない?」なんて書きますか?



最初から、「この人、お父様を否定してるくせに、私の記事にコメントするなんて」と思っていたから、「この方はこういう方ですから」と書いたのだし、「後輩???あった事もない、指導を受けた事もない・・・なんだろう、この人?お父様をメシアとしてない?」と書いたのでしょう。


私は、そういう感情をもったことが悪いとは思わない。



コスモスさんがそのように感じることを妨げることはできませんしね。




しかし、それならどうして最初に「誤解です。敬愛していたのです」なんて嘘を書くのさ、という事なんですよ。



人間、事情があって直接的には言いにくい相手がいたりするのは私も分かる。

しかし、「会った事もない、指導を受けたこともない」縁のない人間に、どうして「誤解です。敬愛してました。私のブログを読んでもらえれば分かります」なんて書くんだよな、というのが感想。




最初から、

「先輩であるとは思ってませんでした。年齢や信仰歴からするとそういうことになるのかもしれませんが、お会いしたことも、指導を受けたこともなく、ましてお父様をメシアとも思っていなかった人からからコメントされたので、反発してしまったのです。

私の表現にショックをうけたとのことですが、それならこれからはお互いに干渉しないようにしましょう。」

って言っとけば済んだんじゃないの?



自分で自分の気持ちに嘘をついて、誤解です敬愛していますと書いておきながら、「嫌がらせをされたら、可哀相な人だと思いこむことで乗り越えます」などと書く姿勢もどうかと思うし。



嫌いな相手を嫌いと書いてしまう。
それをみてショックを受けたと書かれた記事については誤解だといって、取り繕ったり相手を敬愛していたと心にもないことを言う。
そして改めて、嫌いな奴に湧き上がる感情を抑えきれなくなったが、「可哀相だから許してあげることにした」と書く。




人を馬鹿にするにも程があると思いますけどね。






そもそもよっぺちゃんが書いている内容だって、いきなり嫌がらせされた相手がいるところからスタートするけど、その嫌がらせの原因をすっとばして、「可哀相だと思い込む」わけでしょう。

嫌がらせされる原因が一方的に相手にあるケースもあるけど、自分にあることはないのか?


今回のコスモスさんとミセス・キムのケースに限って言うなら、私はミセス・キムに原因があるとは思えなかった。

「そもそも反対派、お父様を信じてもいない奴が私にコメントしないで」と思っていたなら、最初からそう書けよ、と。上でも書きましたけどね。

なんで敬愛しているなんて嘘ついておいてから、実は嫌いだったと言うんだよ。



お父様をメシアとも思ってない人からコメントされたのが原因で、というなら「この方はこういう方ですから気にもしていません」(笑)と書く前に、「反対派の意見はお聞きしていませんでしたので、ミセス・キムの記事についてはノーコメントとさせていただきます」と言っておけばよかったでしょうと。




大体、嫌がらせをされたことについて、理由も把握せず、問題を解決することもなしに「可哀相な人と思い込む」=「上から目線で相手を見下す」という事が分かっていない時点で終わっていると思いますけどね。



「真の愛を実践しよう!」とか言っているくせに、可哀相な人と思い込んで自己満足で終わって、自分だけ真の愛を実践した気持ちになって、天国への階段を上ったつもりになれるのなら、それはたしかにコスモス(宇宙)において並び立つものがない高みへと舞い上がれることでしょう。



誰も、そのコスモスから真の愛を感じることはないでしょうけどね。