以下の記事は、くろねこさんの36万双は悲惨かとかいう記事を読んだあとで書いたものの一部です。
くろねこさんは、兄弟姉妹達のことを思って書いたというけれども、少なくとも私はそうは感じませんでした。
あの記事を読んだ直後に私がどう感じたのか、最初の一部だけをここに公開することにします。
後半は、そりゃこんなもんじゃないよ。
なんせ、結論は人生の汚点というところに向かうのだから。
ただ、くろねこさんが、兄弟姉妹を愛する動機はあるというから、動機が良くても、伝え方が悪ければどういう受け止め方をされるかというひとつの事例として、まだ落ち着いて書いた部分だけを残しただけのことです。
少しは役立つことを期待したいです。やり方はちょっとひねくれていますけどね。
***以下、元の記事***
36万双が悲惨とか悲惨でないとか、自分達はまともに生活しているかどうとか、なんかそんな事を言っている人がいるらしいですね。
正直な感想を言わせて貰うと、この発言も酷いなと思います。
昨日書いた記事の午後のカフェ・オレさんじゃないけど、悲惨な家庭を持つのが理想だとか、趣味だとか、もう私の理解を超えた世界に喜びを感じられるなら、そういう人の「個人の性癖」にまで難癖つけるつもりはありません。
あるいは、この方が本当に幸せに暮らしていて、それを毎日の祈りで神に感謝を捧げているだけなのなら、そもそも誰も文句がつけられない。
問題は、その組織が他人を巻き込んだり、他人(平信徒)をしてそういう立場に追い込んだりすることなわけで、組織として、その責任をどう考えるのかという事。
そして、自分の兄弟姉妹達と君達が呼ぶ同志・仲間が悲惨な人生を送っているという状況を見て、「私達は愛ある家庭を築いているのにそんな事を言わないで下さい」といえてしまう非常識さ。
これは、「食口は自分の非を認める器があるかないか」にもつながることです。
あの教育部長が何を見て、これほど間の抜けた発言をしたのか、真の理由は分かりません。しかしUCが組織として、自分達の非を認めたり改善に向けて努力した事は今までないです。
徳野さんが何か言ってたけど、あの文書はぶっちゃけて言うと「最近、逮捕者がでてるけど、あれは個人の責任でやってることで本部とは関係ないんだよね。でも信者が捕まってるとうちの団体の名前出てきて困るから、これからはまじめにやれって言っとくわ」ぐらいの話でしょ?
本部が非を認めたわけじゃない。
(後略)