人生の汚点
36万双が悲惨とか悲惨でないとか、自分達はまともに生活しているかどうとか、なんかそんな事を言っている人がいるらしいですね。
正直な感想を言わせて貰うと、この発言も酷いなと思います。
昨日書いた記事の午後のカフェ・オレさんじゃないけど、悲惨な家庭を持つのが理想だとか、趣味だとか、もう私の理解を超えた世界に喜びを感じられるなら、そういう人の「個人の性癖」にまで難癖つけるつもりはありません。
あるいは、この方が本当に幸せに暮らしていて、それを毎日の祈りで神に感謝を捧げているのなら、そもそも誰も文句がつけられない。
問題は、その組織が他人を巻き込んだり、他人(平信徒)をしてそういう立場に追い込んだりすることなわけで、組織として、その責任をどう考えるのかという事。
そして、自分の兄弟姉妹達と君達が呼ぶ同志・仲間が悲惨な人生を送っているという状況を見て、「私達は合いある家庭を築いているのにそんな事を言わないで下さい」といえてしまう非常識さ。
これは、「食口は自分の非を認める器があるかないか」にもつながることです。
あの教育部長が何を見て、これほど間の抜けた発言をしたのか、真の理由は分かりません。しかしUCが組織として、自分達の非を認めたり改善に向けて努力した事は今までないです。
徳野さんが何か言ってたけど、あの文書はぶっちゃけて言うと「最近、逮捕者がでてるけど、あれは個人の責任でやってることで本部とは関係ないんだよね。でも信者が捕まってるとうちの団体の名前出てきて困るから、これからはまじめにやれって言っとくわ」ぐらいの話でしょ?
本部が非を認めたわけじゃない。
あれを見たとき、いくらUCの食口でも徳野さんに殴りかかる奴がでるんじゃないかと心配したぐらいなんだけど、さすが訓練を受けている統一食口、そんな人は一人もいませんでしたね。
本部職員や一部の方が水面下で努力してたりするのかもしれませんが、本部の公式的な取り組みになっていない以上、組織としては何もしていないのと同じです。
また36万双について言えば、無茶苦茶に人を集めてきてろくな教育もせず、この世の結婚と同じようなものであると説明して祝福に送り込まれた人たちが多かったわけですし、現役の皆さんが仲良くしている米本さんも確か36万双は酷い人が多かったと書いていたと思いますが。
そういう意味では、たまたま奇跡的に良い人にめぐり合ったり、あるいは個人として乗り越えた人もいたというだけで、全体の評価をすれば36万双は悲惨だったというのが正確な表現だと思います。
中には個人として仲良く暮らしている36万双がいる事も認識していますよ。
でも「仲良く暮らすカップルがいるから36万双は悲惨だったというな」というのは、非常に非常に乱暴な意見だと思いますけどね。
かつて週刊ポストに記事が書かれたとき、「日本婦人会」だかなんかそんな会の幹部の人が「私は歯科医と結婚して幸せな生活を送っています」とか書いていたが、これとほとんど同じ文脈上にありますよね。
あの婦人会幹部の抗議文とかを読んだときは、驚きのあまりあごが外れそうになりましたよ。
今回もそれにまけず劣らずというべきでしょうね。
私よりも皆さんの方が良く知っているように、実際に悲惨なカップルもいるわけです。そういう人たちが「私達は合いある家庭を築いている」なんて能天気に語る人たちをみたらどう思うんでしょうか?
「お前が幸せだったから、36万双は幸せだったなんていって欲しくない」と言うに決まっているでしょうが。
その方は、自分達の教会でお互いに助け合ってやっているのかもしれませんが、だから一部だけが良くても意味がないでしょ、残念ながら全体としてはそうではない事が問題でしょと、言うのです。
仲良く暮らす人がいたら、それは幸せなことでご同慶の至りではございます。
しかし、自分の家庭や周りのいくつかの家庭だけから見て悲惨な家庭はないから36万双は悲惨というな、という主張はいかがなものかとおもいますね。
まさか、「それを言うなら、36万双は悲惨だという主張だって同じではないのか」とか言ったりしませんよね?
言っておきますが、UCの主張は、神様の愛によって結ばれた平和な家庭を築く事が世界平和の土台なんでしょ?
そういう重要な礎になるべき家庭において、悲惨な事例が実はいくつもあるという事は、UCにとっては根本に関わる重大問題です。
幸せに暮らしてあたりまえ。
そういう家庭を築くのが祝福ですと言っている以上、それが実現できない事自体、深刻な問題です。
悲惨な家庭はあってはならないし、もしあったらその家庭の困りごとを解決してあげないといけないのではないですか?
※祝福は、そういう困難を乗り越えるものなんてしたり顔でいうなよ。DV夫や酒乱夫でも良いか、そういう生活がどんなものか、きちんと伝えて祝福に送り出していないのなら、詐欺にも等しい。普通に結婚してたって苦労はするもの、という場合とは違う。
話を元に戻す。
君等は、100匹の子羊のうち1匹が迷子でも飼い主は心配で眠れないみたいなたとえ話をして、全人類をその胸にかき抱くのが神様の願いみたいな事を言ったりするでしょうが。
それなのに、自分達と同じ環境で祝福を受けた人たちが苦しんでいる事を見ながら、「私は幸せな家庭を築いているのです」などと平気でいえてしまうことが信じがたい。
そして、「悲惨な家庭はあってはならない」と考えているのが君達。
^^^^^^^^^^^^^^^
結果、悲惨な家庭はなかったことにしてしまっているでしょう。
^^^^^^^^^^^^
これは大問題なんですよ。
改めて聞くけど、本当に君達は、食口の事を兄弟姉妹と思っているのか?
もし本当に兄弟姉妹と思っているなら、一人でも悲惨な家庭がいることを見て胸は痛まないのか?
不幸な家庭があることを知りつつ、「私は幸せなんですよ」などとどうして平気で言えるのか?
目の前であなたの兄弟姉妹が苦しんでいるのに、「私は幸せなんですよ」といえてしまう人間がたくさん集まって作る「地上天国」がどういう世界なのか、想像するだけで心底おぞましいと思う。
君達は、何も感じないのかな?
そんな奴らが神様が隣にいたり、神様と会話したり、真の愛がどうした言うのは、性質の悪いブラックジョークにしか思えないけど、君らはこんなものを読まされて心霊が復興するのか?
本当に本当に本当に兄弟姉妹と思っているか?
君らの兄弟姉妹とは、君らにとってどういう存在なのか、ちょっと聞かせてもらえないだろうか?
こんな事を元信者に言われて恥ずかしくない現役信者は、一度、豆腐の角に頭をおぶつけあそばされてはいかがでしょうか?
改めて、私はかつては君らと「兄弟姉妹」の関係であった事を激しく恥じる。
たとえUCが後ろ指をさされていなかったとしても、君達と仲間であったということだけでも人生の汚点だよ。
正直な感想を言わせて貰うと、この発言も酷いなと思います。
昨日書いた記事の午後のカフェ・オレさんじゃないけど、悲惨な家庭を持つのが理想だとか、趣味だとか、もう私の理解を超えた世界に喜びを感じられるなら、そういう人の「個人の性癖」にまで難癖つけるつもりはありません。
あるいは、この方が本当に幸せに暮らしていて、それを毎日の祈りで神に感謝を捧げているのなら、そもそも誰も文句がつけられない。
問題は、その組織が他人を巻き込んだり、他人(平信徒)をしてそういう立場に追い込んだりすることなわけで、組織として、その責任をどう考えるのかという事。
そして、自分の兄弟姉妹達と君達が呼ぶ同志・仲間が悲惨な人生を送っているという状況を見て、「私達は合いある家庭を築いているのにそんな事を言わないで下さい」といえてしまう非常識さ。
これは、「食口は自分の非を認める器があるかないか」にもつながることです。
あの教育部長が何を見て、これほど間の抜けた発言をしたのか、真の理由は分かりません。しかしUCが組織として、自分達の非を認めたり改善に向けて努力した事は今までないです。
徳野さんが何か言ってたけど、あの文書はぶっちゃけて言うと「最近、逮捕者がでてるけど、あれは個人の責任でやってることで本部とは関係ないんだよね。でも信者が捕まってるとうちの団体の名前出てきて困るから、これからはまじめにやれって言っとくわ」ぐらいの話でしょ?
本部が非を認めたわけじゃない。
あれを見たとき、いくらUCの食口でも徳野さんに殴りかかる奴がでるんじゃないかと心配したぐらいなんだけど、さすが訓練を受けている統一食口、そんな人は一人もいませんでしたね。
本部職員や一部の方が水面下で努力してたりするのかもしれませんが、本部の公式的な取り組みになっていない以上、組織としては何もしていないのと同じです。
また36万双について言えば、無茶苦茶に人を集めてきてろくな教育もせず、この世の結婚と同じようなものであると説明して祝福に送り込まれた人たちが多かったわけですし、現役の皆さんが仲良くしている米本さんも確か36万双は酷い人が多かったと書いていたと思いますが。
そういう意味では、たまたま奇跡的に良い人にめぐり合ったり、あるいは個人として乗り越えた人もいたというだけで、全体の評価をすれば36万双は悲惨だったというのが正確な表現だと思います。
中には個人として仲良く暮らしている36万双がいる事も認識していますよ。
でも「仲良く暮らすカップルがいるから36万双は悲惨だったというな」というのは、非常に非常に乱暴な意見だと思いますけどね。
かつて週刊ポストに記事が書かれたとき、「日本婦人会」だかなんかそんな会の幹部の人が「私は歯科医と結婚して幸せな生活を送っています」とか書いていたが、これとほとんど同じ文脈上にありますよね。
あの婦人会幹部の抗議文とかを読んだときは、驚きのあまりあごが外れそうになりましたよ。
今回もそれにまけず劣らずというべきでしょうね。
私よりも皆さんの方が良く知っているように、実際に悲惨なカップルもいるわけです。そういう人たちが「私達は合いある家庭を築いている」なんて能天気に語る人たちをみたらどう思うんでしょうか?
「お前が幸せだったから、36万双は幸せだったなんていって欲しくない」と言うに決まっているでしょうが。
その方は、自分達の教会でお互いに助け合ってやっているのかもしれませんが、だから一部だけが良くても意味がないでしょ、残念ながら全体としてはそうではない事が問題でしょと、言うのです。
仲良く暮らす人がいたら、それは幸せなことでご同慶の至りではございます。
しかし、自分の家庭や周りのいくつかの家庭だけから見て悲惨な家庭はないから36万双は悲惨というな、という主張はいかがなものかとおもいますね。
まさか、「それを言うなら、36万双は悲惨だという主張だって同じではないのか」とか言ったりしませんよね?
言っておきますが、UCの主張は、神様の愛によって結ばれた平和な家庭を築く事が世界平和の土台なんでしょ?
そういう重要な礎になるべき家庭において、悲惨な事例が実はいくつもあるという事は、UCにとっては根本に関わる重大問題です。
幸せに暮らしてあたりまえ。
そういう家庭を築くのが祝福ですと言っている以上、それが実現できない事自体、深刻な問題です。
悲惨な家庭はあってはならないし、もしあったらその家庭の困りごとを解決してあげないといけないのではないですか?
※祝福は、そういう困難を乗り越えるものなんてしたり顔でいうなよ。DV夫や酒乱夫でも良いか、そういう生活がどんなものか、きちんと伝えて祝福に送り出していないのなら、詐欺にも等しい。普通に結婚してたって苦労はするもの、という場合とは違う。
話を元に戻す。
君等は、100匹の子羊のうち1匹が迷子でも飼い主は心配で眠れないみたいなたとえ話をして、全人類をその胸にかき抱くのが神様の願いみたいな事を言ったりするでしょうが。
それなのに、自分達と同じ環境で祝福を受けた人たちが苦しんでいる事を見ながら、「私は幸せな家庭を築いているのです」などと平気でいえてしまうことが信じがたい。
そして、「悲惨な家庭はあってはならない」と考えているのが君達。
^^^^^^^^^^^^^^^
結果、悲惨な家庭はなかったことにしてしまっているでしょう。
^^^^^^^^^^^^
これは大問題なんですよ。
改めて聞くけど、本当に君達は、食口の事を兄弟姉妹と思っているのか?
もし本当に兄弟姉妹と思っているなら、一人でも悲惨な家庭がいることを見て胸は痛まないのか?
不幸な家庭があることを知りつつ、「私は幸せなんですよ」などとどうして平気で言えるのか?
目の前であなたの兄弟姉妹が苦しんでいるのに、「私は幸せなんですよ」といえてしまう人間がたくさん集まって作る「地上天国」がどういう世界なのか、想像するだけで心底おぞましいと思う。
君達は、何も感じないのかな?
そんな奴らが神様が隣にいたり、神様と会話したり、真の愛がどうした言うのは、性質の悪いブラックジョークにしか思えないけど、君らはこんなものを読まされて心霊が復興するのか?
本当に本当に本当に兄弟姉妹と思っているか?
君らの兄弟姉妹とは、君らにとってどういう存在なのか、ちょっと聞かせてもらえないだろうか?
こんな事を元信者に言われて恥ずかしくない現役信者は、一度、豆腐の角に頭をおぶつけあそばされてはいかがでしょうか?
改めて、私はかつては君らと「兄弟姉妹」の関係であった事を激しく恥じる。
たとえUCが後ろ指をさされていなかったとしても、君達と仲間であったということだけでも人生の汚点だよ。