KIB: kurogane in black

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季節外れの歌を聞きながら

昨日の記事を書いている間、YouTubeでいろんな歌を聴いていた。

季節外れだなと思いつつ、何度かメリクリも聞いてしまいました。

BoA - メリクリ

うーん。

この歌の方がよほど「愛」についての真実をついていると思いますけどね。
作詞したのは康珍化という在日の方のようですが、いい歌を作りますね。


UCの人たちは、簡単に「この世の人たちの愛は永遠でないとか、刹那的だ」とか言いますが、この歌の主人公はずっと一緒にいるために何が必要なのか、UCの人たちよりもよほど分かっていると思いました。





彼女(歌詞の主人公)はなんと言っているか。

二人でずっと一緒に同じ夢を探す旅をしたいと言っています。

メリクリ 歌詞



そう。


同じ夢。



食口がどんな相手でも良いとか、韓国で苦労の道を行くと言ったとき、(黒田かんご氏が横からでてきてこんにちはでまた意味不明な事を言っていますが)、救い主に与って原罪清算の恩恵を受け、そして神様が実現したかった創造理想に描いた家庭を築くという「同じ夢」を一緒に探す同伴者であるということが大前提も大前提、絶対はずせない条件としてあったわけでしょう。



実際、祝福の会場(最近では衛星だとかネット中継というのもあるようですが)で交わす成婚問答では何を誓ったのでしょうか?




この同じ夢を求めて共に歩める相手なら、それ以外の事は何も言わないという意味での、「どんな相手でも感謝いたします」だったはず。

この前提条件をはずしてしまったら、そもそもなんのためのUCの信仰だか訳が分からなくなってしまうという、根本の根本とすらいえる。


違いますか?



祝福には摂理的な意味があるとか、なんとかかんとか言っている人がいるけども、現役信者の皆さんはどう思いますか?



この前提条件があっての、「どんな相手でも良い」だったでしょう?


相手が学歴が低かろうが、貧しかろうが、すべて感謝しますというのは、

「神様とご父母様を信じ、相手を理想相対として認め、神様の願う理想家庭を築くために共に歩める相手であるなら」

という事だったのではないの?



それがはずれてしまったら、なんのための祝福なんだか、訳が分からないことになるでしょう。


だから、かつてはそういう理想を築くに相応しい人格や訓練を受けたあとでなければ祝福は受けられない事になっていて、いくつもの厳しい条件があったわけでしょう。



それが「36万双には摂理的な意味がありまして」とか「こんな前提条件は韓国人には適用されなくても大丈夫で」とか、何の冗談かなと。



商売だったら羊頭狗肉もいいところ。詐欺で訴えられても仕方ないような商品を準備しておいて、あとは売りつけた相手にすべて押し付けるなんてことをしてきたわけでしょ。

その結果、当然のように苦しむ家庭が続出した。



言っちゃ悪いけど、欠陥商品を売りつけられたお客さんが、「自分の力でなんとか商品を使いこなして、まあなんとかつかえているんですよ。だから欠陥商品なんていわないで下さい」と言われも、知らんがなとしか言いようがありませんな。



本来は、UCで看板に掲げていた理想を築こうという夢に燃えた「善男善女」(笑)が出会って祝福を受けるというのがUCの約束だったんでしょ?

だからこそ、相手の容姿や経済的環境なんぞに左右されることなく、神様の創造理想で描かれた理想家庭を築くという夢に向かっての旅を一緒に歩む事ができるという期待があったわけでしょ。

アル中患者でも良い、DV夫でも良いという条件なんか聞いた事ないというか、そもそも、そんな人間は前提条件にあってないからはずされて当然だったわけでしょ。

本来ならでてきてはいけない人を送り込んだ、商品に喩えるなら欠陥商品を品質検査で除外することもなく、商品として売りつけたに等しいわけでしょ。




こんな阿漕な商売(実際、祝福でカネをとっているんだから、誰がなんと言おうとこれは商売だ)、断固として世の中に知らせるべきだと思いますけどね。



それで傷ついた人がいるというけど、それは品質検査にパスしていない人を祝福候補として送りこんできた韓国UCに言うべき問題であって、問題を指摘した人につけるクレームではない。



それに、ここで声を上げないと、同じような欠陥商品を平気で出してくるマーケットに買い物にいかされる日本人被害者が今後も続出することになります。


それを避けるためにも、問題は指摘されなければならない。





心情蹂躙だ?

そんな台詞は、最初から前提条件があわないような人間を出してきた責任者に言え。


私達は努力している?

努力して立派な家庭を築いているのは素晴らしいですが、韓国のUCが前提条件に合わない人間でも祝福に送り込んだ事実は動かしようがない。

条件を満たさない相手でも感謝して受けているという努力をする人がいることで、韓国UCの問題が多い体質が免責されるわけではないでしょう。


「悩む弟や妹の声に耳を傾けたい」とか言ってますが、そもそも、この類の悩みがないようにする事はしなくても良いのでしょうか?


アル中患者でもDV夫でも良いという前提で祝福を行うのなら、日本の教育そのものも、それを前提に行うべきでしょう。

「被害者の事を言うなら、支援したらどうだ」などと偉そうな啖呵を切っていますが、逆に「兄弟姉妹に寄り添いたい」というなら、日本UCの教育を「アル中患者、DV夫前提で送り込んでも良い内容にする」んですか?
「その後は自分達で面倒を見る」覚悟があるのですか?

これは純粋にUC内部の問題なので、君らが解決すべき話です。

先日も書いたけど、個人でそんな面倒を見きれるはずがない。


だからどうするのかを考えるのは、君達が所属する組織・団体でしょうよ。





36万双の祝福が、UCが日本や他の国で約束している内容ともずれているというのが私の意見。たぶん、ゆんまさんや他の人も同じような意見になると思いますが。

その結果、苦労している姉妹達がいると書かれてゆんまさんに文句を言うのはお門違いだと思います。



もし36万双の祝福にでてきたアル中患者もDV夫も、「本来祝福されるべき相手だった」というなら、それこそ暴力の被害にあってどんな酷い目にあおうが「ハレルヤ!あなたには主の祝福が訪れるでしょう」といっておけば良い。黒田かんご氏が賞賛しているのはそういう文脈だと私は理解しました。

くろねこさんも黒田かんご氏と同意見なら、外部の人間に36万双が悲惨だったと書かれたぐらいで反発するのではなく、「これこそ36万双が行くべき理想の道だ」と言って堂々としていたら良いでしょう。




それが周りの人間にどう見えるのか、それこそあなたの思いが伝わるかどうかは相手次第ですが。








あらためて書きますが、やっぱりUCという所は何のために何をするのか、訳が分からなくなっていると思いますよ。

神様が一番最初に願った創造理想の家庭を実現するという夢に向かって歩む事を誓った男女が、救世主の原罪清算の救いに与る神聖なる儀式が祝福というなら、そういう人間をきちんと育てる事がUCの役割。

猫も杓子も、アル中患者もDV男もなんでもかんでも送り込んで救世主と同じ時代に生きた恩恵に与らせるのとは全然違うと思います。



同じ夢を求めた旅ができない相手と結婚させられて「祝福だから甘受しろ」って、私にはどう考えても無理です。




季節はずれではありますが、落ち着いてメリクリでも聞いて、よく考えてみるべきではないでしょうか。