KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

統一原理の通りに滅びる統一教会/家庭連合

hitosatoさんの面白い記事があった。

この方の意見には、細かいことを言えば違う部分もあるのだけれども、基本的には頷くことが多い。

この記事もその一つ。

統一教会が社会に遺した貴重な人生実験
※ Yahooブログ閉鎖に伴い、現在はリンク先はありません。

 

<記事から引用 開始>
教会は大半の祝福家庭が、一般の家庭と優れて幸せな家庭を築いてはいないことを知っているし、離婚率も高いことを知りながら、どうしたら信仰をもった幸せな家庭を築けるかという工夫をしない。

もし、本当に、看板に掲げた理想家庭を通して理想世界を築くというのが本心であれば、離婚しないだけでなく、幸せな家庭を造る祝福は、どうあるべきかを考えて施策するはずだ。
<記事から引用 終了>

 

全く賛成。

統一教会には、「幸せな家庭を造る祝福は、どうあるべきかを考えて施策」を何もしていないのは言うまでもない。

信者の皆さんだって、自分達でも良く知っていることではないか?

いや。統一教会での「祝福」=いわゆる結婚とは、もともとは第二祝福のことであった。

では、そもそも「三大祝福」とはどういうことなのか?その三大祝福を実現させるために、人間は何をどのように学ぶべきか?といった教育論が存在していない。


これについてはずっと昔から主張してきた。

たとえば、私はシュタイナー学校も、神智学/人智学も評価しているわけではないのだけれども、シュタイナーは人智学に基づいて、人間の教育とはかくあるべしという教育体系を作り上げ、現在ではシュタイナー学校が世界中に1000校以上も設立されている。

統一教会も鮮文大学や統一神学校、あるいは清平には清心国際中高等学校があるが、これら統一教会が設立した学校を卒業すれば、統一原理で言うところの第一祝福=個性完成を実現した立派な人間ができるような教育体系があるか?

今までこれらの学校のホームページやら信者の記録を読んでみても、そんな教育体系があるようには見えない。

また、そんな個性完成などという「神の第一祝福」を実現するための教育を担う教師は、それこそ「個性完成」した人間であることが求められ、そのような教師を育成するための制度やカリキュラムなども、それこそ心血を注いで構築する必要があるはずだが、はて?そんなものあったかしらん?


こちらの「シュタイナー教育」の説明だけを見ても、教育論・方法論・教師の養成、学習障害をもつ子供達への教育サポートといった面で、彼らが世界的に与えてきた影響は大きい。

これらと比較すれば、統一教会が人間教育にどれほど関心を持っているか、信者の皆さんなら身を持ってよくよくご存じのはず。

シュタイナー教育の是非は別にして、統一教会はその足元にも及んでいない。

もし、信者の皆さんが、「清心国際中高等学校」では、統一原理に基づく立派な教育体系ができており、そしてそこの卒業生は誰が見ても個性完成を成し遂げた立派な人材を輩出している、とおっしゃりたいなら、ぜひそれらについて言及してもらいたい。


神の第一祝福、個性完成をサポートすべき教育ですらこんな杜撰な状況なのだ。

第一祝福の上に成し遂げられるはずの第二祝福への支援やサポート、施策がどういうレベルにあるか、小学生でもわかる話だろう。

※念のため、記しておきますが、シュタイナー教育が人類に与えた影響が大きいことは認めるものの、この教育内容に賛成しているかとか、もし私に子供がいたらシュタイナー学校に入学させるかとかは別問題です。しかし、統一原理が本当に神様からきたものであるなら、シュタイナー教育をはるかに上回る教育論を持っていてしかるべきだったと考えています。

それから、もう一点。

もう一点というか、同じ理屈の延長線上にあるというかなんというか。

<記事から引用 開始>
現実は、韓国人との国際祝福において、相手に求めたのはただ結婚したいという動機のみだった。電信柱に結婚したい人は連絡下さいというビラをぶら下げて、やってきた人に幾日かの研修会に参加させただけで、にわか信者に仕立てて祝福させたのである。この韓国の教会の方針を日本統一教会は受け入れた。これは理想家庭を造るという看板が真っ赤な偽物であることを物語っている。羊頭狗肉である。
<記事から引用 終了>


こんなのを推し進めた幹部は宗教家を語る資格はないし、いそいそと伝道してきた人たちも問題だ。
また、「結婚相手紹介!」で集められた人との祝福を受けさせるために、膨大な日本人を祝福相手として送り込んだ日本人の幹部なんぞ、表現のしようもない。

良くも宗教家の名前を語りながら、こんな破廉恥なことができたものだ。

上でも書いたが、統一教会で言うところの、いわゆる祝福とは「第二祝福」であって、教義に基づくならば、本来であれば第一祝福を完成させていなければならない。

堕落したアダム・エバの子孫として、サタンの血統に生まれた結果、第一祝福が達成できなくなったので、条件付き祝福で、メシアの恩恵で「第二祝福を受けられる」ようになったという物語を信じるのならそれでも良い。

しかし、それでも、条件付き第二祝福であるというなら、せめて第一祝福を完成した姿とはどんなものか?
統一教会の信者として祝福を受けるとは、せめて第一祝福を完成した姿にたどり着くにふさわしい人間として期待できる、ぐらいのことは成し遂げなければならないだろう。


では、そもそも統一教会の信者とはいかにあるべきか?

個性完成とはどういう状態なのか?

それを成し遂げた人同士での結婚はどうなのか?

これは、その「結婚相手募集」の祝福当時だけでなく、今に至ってすら、信者の誰一人として明確に答えられないに違いない。それぞれが思い込んで書いてみた、程度の主観的な意見ならあるのかもしれないけれども。

そんな「チラシの裏に書いてみた」レベルの話ではなく、教義に裏付けられ、せめてシュタイナー教育以上の体系的な教育制度、システム、教師、方法論が定義されており、それらを運営するための仕組みも完全にあって、常に祈りと誠実な働きを持って取り組みが進められている、というレベルでのものが統一教会にあるのか?

このような問いを投げてみた時、統一教会がまともな運営をしてきていないことは明らかであり、そしてそこに問題が生じていると考える。

たとえば、統一教会が看板通りに三大祝福を実現して、神の理想とする地上天国を実現するために誠実であったとしよう。

もし、統一教会の教育を受けて、いわゆる個性完成した人は、外見の美醜に関係なく、優れた人格を持ち、世界中のどこに行っても(言葉の問題がなければ)愛と調和と平和をもたらせるような優れた人格をもっている。

そんな人材を、浜辺の真砂のように輩出していたとしたらどうだっただろうか?

文化の違いすら乗り越えて、どんな国のどんな文化の人たちも受け入れられるような人格をも涵養していたとしたら。。。

そんな人が独身であれば、すぐに結婚相手として引く手あまただったに違いない。(経済力の問題はあるのだが、ここでは論じないことにしよう。)そういった素晴らしい人と結婚したかったら統一教会の教育を受けて祝福候補にならなければだめだったら、それこそ世界各地から祝福希望者があふれていたに違いない。

そして、そういう人であれば、多少の違いだとか些細な出来事で夫婦喧嘩をするでもなく、お互いに愛と調和で乗り越える、傍からみても素晴らしい夫婦、そして家庭を作り上げていたに違いない。


統一教会の信者自身がよくよく知っている通り、現実はそうはなっていない。

「結婚相手募集」で連れてこられた韓国人が、原理講義を受けただけで第一祝福を完成した人間になっているのなら良かった。

当たり前だが、通り一遍の講義を聞いただけで人格が完成するならだれも苦労しない。そして、当然のようにそんな事があるはずはないわけで。

また、日本の統一教会では昔は訓練をきちんとしてきたと言いますが、単にアベルに侍るという指示命令に従う人間として訓練してきただけで、第一祝福=個性完成を成し遂げた人間になるための訓練ではなかった。

最近では統一原理をも自ら無視するようになっているようです。とすれば、今から統一原理に基づく教育体系を持ち出しても、統一教会内ですら受け入れる人が少ないでしょう。受け入れもされないものが統一教会で実践されることもないでしょう。

こう振り返ってみると、統一教会は自ら立てた統一原理を自ら無視した結果、自分たちの教義通りに失敗した、ともいえるかもしれません。

第一祝福を完成していない人たちが、第二祝福に向かっても幸せにはなれないことを自ら証明したと。

であれば、今後の統一教会がどうなるのか、日の目を見るより明らかだと思いますが。


そんな結婚をさせられてしまった人たちにも、せめて少しの慰めがありますように。。。

そんな願いを込めてこの曲を選びました。