KIB: kurogane in black

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言葉の定義に大いに問題がありそうだ

えーっと、どこだったか忘れたが、「文先生は一度も嘘をついたことがない」とか言っているとか言ってないとか。

なんかそんな事を書いている人がいたような気がする。。。


うん。


きっと「嘘をついていない」という意味が、多分、文鮮明と私達では違うのだろうと思う。


たとえば、私が現役時代は何度も聞かされた、「今度の(献金)摂理が最後。」という文先生とやらのみ言があった。


これも、実際に勝利しようがしまいが、その約束の「最後」なんてのは守られた記憶がない。


まさか「最後」という言葉は、文鮮明の頭の中では、「千里の道も一歩から」の0.5歩目ぐらいの意味だったのかなとか思うほどだ。

これなら納得する。つまりは、文鮮明が使う言葉の意味、定義がわれわれと違うのだ。


悪魔の辞典じゃないが、これからUCの人は何か記事を書く場合には、物事をきちんと定義してから使ってもらいたいと、心の底から願う。



UCの人がコンプライアンスを守るとは、「この世の基準とは異なり、公共の福祉に反しようとも裁判沙汰にならない限りは法律は守らなくても天の法律には違反したことにならないので問題ないと考えること」とかさ、

「これが最後」とは、「仮に期日までに目標として決められた金額の献金が達成されたとしても、必ず何らかの失敗があげつらわれて、延長摂理が行われることになるが、とりあえずは食口の尻を叩くための、分かりやすい短期目標。なお、長期的なゴールはそもそもない。なぜなら永遠に日本人からは献金してもらいたいから」とかさ、

「偽りがない」とは、「この世の基準や合理的に考えれば整合していなくとも、また偽りがないことの証拠がなく偽りがあることの証拠がゴマンと提示されようとも、自分が正しいと思っている限りは正しい/偽りがないと主張すること」とかさ。


UCの人たちの発言は、こういう定義を前提に聞くと非常に良く分かる。


つまり、言葉の定義が一般的な認識や意味とは違うから、UCの人と一般の人が話をすると会話がかみ合わないことになるんだろうなと、強く思った次第。



もっとも、UCの人がこういう形で、自分達の行動を正確に定義できるのなら、これほどまでにいびつな組織にはなっていないでしょうから、こういう問いかけ自体が無理なのでしょうけれども。




そんな人たちが、いかに世界平和を実現するつもりなのか、私には理解できませんでした。