「インターネットは神様が与えてくださった武器だ」というみ言が正しいと仮定してみよう。
たとえば「文鮮明先生は今まで嘘をついたことがない」という信者の、篤い信仰的な意見が提示されるなり、ちゃぬさんのブログで「文鮮明氏は日本の名所には行ったことがない、富士山にも行ってない」と語っていた説教内容は、事実と異なるようで、実際自分の発言自体で矛盾をさらけ出している、ということが直ちに明らかになったりするわけだ。
そうすると、「神が与えたインターネットという武器」で、過去の発言の矛盾が明らかにされるような「自称メシア」はやっぱり「自称に過ぎないのだな」、「それが神によって与えられた武器によって得られた成果なんだな」という解釈も十分成立してしまう。
『文先生は嘘をついてないというのは、文先生は○○について嘘をついていないという発言の「○○について」が抜けているだけだ』、などという苦しい言い訳は、何の意味もなさないことは明らかだと思う。
もっとも信者のみなさんはそう思っていないらしいけども、もう少し冷静になって前後の流れを良く考えたほうがいいと思いますけどね。
あと、何人かの信者の皆さんが、「こんなのでよいのでしょうか!良心の声に耳を傾けて!」とか叫ぶように語る人もいます。
うん。こんなことを言っちゃ、非常に申し訳ないんだけれども、ブログでそんなつぶやいていて、これだけ支離滅裂な団体が改善されたら、それこそ奇跡ですよと申し上げておきましょう。
そんな事で良心の声に耳を傾ける人が増えて、こんなに四分五裂してしまった団体がひとつにまとまるなら、カインの子孫を通じてでも地上天国が出来てますって。
UCの内部でこんな状況であることをさらしておいて、世界中の争いをどのように止めるつもりなのか、私には全く理解できないところではありますが。
さて。最初の問いかけに戻りましょう。
インターネットが神が与えた武器だとすると、今のブログ村をはじめとするネット上でおきている現実に照らしてみたとき、UCは神様が働く団体と言えるでしょうか?
「良心の声」とやらに耳を傾けてみてはいかがでしょうかね?