yosia621さんがこんなタイトルで記事を書いている。
「いつも私のとなりに神さま」がいる方へ・・part4<組織信仰ですか>
いつもとなりに神様がいる人、ten1ko2 さんの書いていることも意味不明だから、yosia621さんだけを批判するわけじゃないんだよ。
でも、いまだに「組織信仰か」とか、こんなことを言うのは、今更杉と言うか未だにというべきなんだろうねぇ。
統一教会は宗教団体である。だから信者の信仰指導を行うことが、この団体の目的だ。
しかし、その創始者は自分をメシアと呼び、自らによらないでは堕落の血統から救われないと教え、さらに「絶対服従」を強要する文章を残し、その文章を崇め奉る大会まで開催したほどだ。
(もっとも、一方では良心は神にも勝るという、絶対服従とは極めて矛盾する発言もしているが、これについてはあとで述べる)
信仰指導を行う宗教団体の創始者かつ人類を救うメシアが、絶対服従を命令したらどうなるのだろう?
通常は「統一教会という組織の命令に信者は従わないといけないのだな」と認識するに違いない。
それはUCという組織の中にいようが外部の人間だろうが関係なく、そのように認識されてしまう。
実際、ten1ko2 さんご自身が経験してこられたように、教会長(アベル)に従うのが正しく、それ以外のグループの形成は激しく否定されたそうだが、これもその実例のひとつといえるだろう。
そう。
その組織の中にいる人、なかんずく教会長のような人たちはそういう認識を持ちやすくなってしまう。
統一教会の信仰指導に絶対服従すれば、誰もが皆、平和で幸せな生活を営むことができるようになり、この世からありとあらゆる争いが消えてなくなるのなら、あえてUCに絶対服従の道を選ぶ人がいたかもしれません。
しかし問題は、その統一教会への絶対服従の指導体制のもとで引き起こされてきたさまざまな事件や無理な献金体質、その一方で韓国人幹部の傍若無人な振る舞いや公金の私腹化によって、これでは「誰もが幸せになれるというわけではない」という疑問に、統一教会が答えられなかったことです。
あるいは、絶対服従させるなら絶対服従した信者に対しては統一教会は絶対的に責任をもたなければいけないだろう。
だって、信者がすることは全て統一教会の指示に絶対的に従った結果なのだ。悪いことが起きたらそれは協会の責任になる。
ところが霊感商法の問題で、何度も広報文を通じて明らかになったように、絶対服従を強いておきながら、問題が起きた信者に対しては「あれは信者が勝手にやったことで本部では関知していない。関係ない。」と切り捨ててしまった。
「絶対服従」を命令した側の責任は問われなくても良かったのか?
この体制や今の方針に反発する人は、「絶対服従」とは異なるみ言とやらを持ち出してきて、「お父様はこうも仰っています」とか批判したりするのだけれどもね。
あるいは統一教会を解体して、全員がホームチャーチをすれば天国が実現すると考える信者もいる。
ホームチャーチとは響きは美しいが、あれは簡単に言えば信仰のアナーキズムであって、実際にそんなものを実践したら、無数の分派が発生して訳が分からなくなることは間違いない。
今のように、これだけ教会がチャート式の原理講義だとか、本体論教育だとか、全体をひとつに縛り付けようとしている中でさえ、教義の解釈が各自バラバラであることは、ブログ村に時々出没する「あなたは原理が分かってない」の御仁がいることからも分かるだろう。
この状況で本部を解体してホームチャーチを実践し、3年後にみんなで清平に集まり信仰の証し大会をやれば、さぞや傑作な場面が見られると思う。
きっと「これが同じ統一教会という信仰をもった信者のあつまりか」とあつまった統一教会信者が驚くことになる。
問題は簡単で、これはこれまで繰り返し何度も何度も何度も述べてきている事だけれども、そもそもUCとは何をするところで、そのために何をするのかが、自分達でも良く分かっていなかったことに起因する。
統一教会と言う組織が何をするところか明確であったなら、「本部」とか「教会」という組織の役割と責任は、これとこれ。
それに対してよりよい人格を形成した信者となり、この世に神様を証すことができる完成人間となるために信仰を持つ信者が果たす勤めはこれとこれ。
こういうことを表でも裏でも、明確にしておくべきだったのだ。
コンプライアンスとか法律をきちんと守ってとか、なんかいかにも外から押し付けられたからやりました的なニュアンスではなく、天国を実現する天国人(きみらは天一国人と自称しているらしいが)として、こういう人材を育てる指導をしていると明言し、実際そういう人間が育っていれば、誰もUCに反対することはできなかっただろう。
つまり外では「統一教会は信仰指導のみを行う宗教団体であり」などといいながら、裏では信者の人事まで行い事業部に送り込んだり、霊感商法活動に従事させたりなどという、二重帳簿のようなことをせず、どこまでも宗教組織としてすべきことと、信者としてすべきこと、してはならないことを明確にしていれば、それに反することをした信者の活動には、文字通り無関係と突っぱねても、誰からも文句は言われなかったし、反発もされていない。
ところが、実際にUCが作った人間をみてみれば、どうだろうか?
私が書くまでもない。
君たちが自分で自分の胸に手を当てたり、あるいは周りを見回してみれば容易に分かることだ。
いまだに「組織信仰かよ」などと主張するような人間がいること自体、UCという組織が幼稚で原始的で、機能分化されていない団体であることを自ら証明してしまったようなものです。
これで地上に天国を実現する勇士が集まった団体?
私なら恥ずかしくて口が裂けてもいえませんがね。
さて。
あらためて聞きますが、UCとは何のために何をするところなのでしょうか?
今まではこれしか書いていなかったけど、ひとつ付け加えましょう。
そのために本部は何をし、信者はどうすることが必要でしょうか?
これに答えられるならUCの未来は暗くないかもしれない。
それができないなら。。。。
みなまで言わなくても結論はひとつですね。