我が身の十字架を 誰に担わさん。。。
昔懐かしい聖歌の一節。
逆説的だけれども、これが今の気持ちかもしれない。
UCなどという、何の役にも立たない宗教など、私が背負ったことだけで十分で、他人に同じ十字架を背負わせる訳にはいかない、といいましょうか。
なんてね。
ただ、これは前にもミッターマイヤーさんに書いたと思いますが、私はかつて信者であった自分に向かってこれらの記事を書いていると言うのが正しい。
私もかつては、こんな下らないモノに命をかけ、他人を巻き込んできた。
その時その時、今、私が書いているような疑問や質問を受けてきたし、また自分でも考えた。
その時には、「何か意味があると考えて」回答を出さずに来てしまったことが最大の失敗。
あるいは心霊が成長すれば、とか、み言葉がきちんと入ればとかいう類の言い訳も同じ。
そんなもの何の役にもたちません。
また、誰も幸せにならない。
食口は良く言います。
み言葉で整理してねと。
かの有名な教育部長も、ポイントが整理されたと良く言います。
何がどう整理されて、誰のどんな問題がどのように解決されたのでしょう?
分かったような振りをして、結局のところ、過去に聞いた内容を焼き直しただけで、何も問題は解決していない。
教育部長に限りません。
ジョリュジュみたいな態度だった時すらある。
時にはコスタだったりもしたかもしれない。
あれは、昔の私の姿です。
それで誰を幸せにしただろうか?
誰の悩みを解決したのか?
この道こそが希望であると、どのつら下げて誰に会いに行くのでしょうか。
そんな過去の自分を許す事ができません。
なぜあの時、こんないい加減な内容の裏付けを取らなかったか?
なぜあの時、きちんと問題を解決する事に取り組まなかったか?
なぜあの時、「彼にはサタンが入った」などという、人権蹂躙ものの言い訳で自分を誤魔化してきたのか?
結局、今も信者を続けている人達も、それらの問題に回答できない。
ジョリュジュさんのように、何も問題ないなどとうそぶく態度に、誰が納得するのでしょうか?
真理を語るなら、世の人が目からウロコが落ちたと驚くような回答を示すならまだしも。
あんな回答、現役信者すら何人が賛成するか怪しい。
そんな程度で偉そうにしている虚しさには付き合うエネルギーすらわかない。
そういう意味で、私が書くものに毒があるように見えてもしたかないかなと思っています。
自分の体にナイフを突き刺しているのと同じだから。
だから、私が厳しいのは自分に対しての態度です。
その意味でミッターマイヤーさんが偽善者なのではないのです。
現役信者諸君がこの文章を読んで、「ほら、ヤッパリ、原理が、み言葉が入らなかったから離れたのよ」と仰っしゃるのはご自由に。
そんなら、原理が分からなかった俺が跪いて悔い改めるほどの内容と実績を示せ。
結局、そんな奴等は自分でも良く分かっていないくせに偉そうに言うだけの醜い姿を晒していると知るが良い。
今までも何度も何度も何度も何度も書いたけど、やれるんならとっくにやってるんだって。
真理だのなんだの言いながら、言った通りにならないのは、それなりの理由がある。
君ら、世間を舐めすぎだよ。
さて。
悔しかったら、この道が真理であると証明しなよ。
できるものならね。
やれるものなら、やってみやがれ。