佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」さんの記事によれば、教区長が辞任したらしい。
しかし、辞任の挨拶があんな内容なら、大失敗もいいところ。
結局、何も問題は解決していない。
誰かもコメントしていたけれども、そもそも聖殿(教会?どっちかよく分からないけど、どちらにしても同じ)の建設に、本部があずかり知らぬところで、本部と無関係に一地方教区の聖殿(教会)が建設されることが決定し、しかもどう考えても多分関係者としか思われない人が韓国から連れてこられて建設が進むなんて論外。
そんなものを「ネットに色々かかれて悔しい」という発言も非常に残念。
というかさ、ネットにかかれて首にされるだけで、既にこの聖殿建設には正当性がないことを自ら暴露してしまっているわけですよ。
本部がきちんと意思決定をして建設の許可(内部的な)を与えているなら、そもそも1年前の問い合わせの時点で、その決定に基づく建設であることを回答しておけばよかったはず。
相談室は、相談された内容に基づいて調べたけれども、韓国人という統一教会においては超法規的な立場を利用して、「調査などまかりならん。まして中止などありえない」という感じになったために、にっちもさっちもいかずに結果として無視するように見える行動をとるしかなかったものでしょう。
(私は相談室をしらないけども、相談室だろうが広報だろうが、統一教会内部においては韓国人がからんでしまうと、もうまともな判断ができないと思っている。
だから例の相談室に相談したが回答がないという人へのコメントも、そもそも組織の力学が理解できていないから起きていると書いたとおりです。)
それじゃあ、今回なんで首にできたかといえば、さすがにこれだけ色々と問題が提起されたので、いくら韓国人でもやめていただかざるを得なかったということだと思います。
あくまでも「辞めていただかざるを得なかった」という事でしょう。
私が「何も解決していない」というのは、今回の問題はそんな生ぬるいことで済ませてはいけないはずの問題だからです。
本来なら直ちに首だけでなくて、場合によっては背任横領の刑事告訴まで視野にいれて動かなければならないぐらいの案件でしょう。
のんきに辞任の挨拶をしてみたり、ネットで色々と書かれたのでやめざるをえなくて悔しいとか、完成までここに残って見届けるなどと、そんな発言が許される立場ではない。
また、教区長を改めてお迎えしたいなどと発言した奴も同罪だ。
ことは教会組織内部の問題にとどまらない。
前にも書いたけれども、少なくとも日本国内では建設業許可を持っている業者が末端まで工事を請け負わないといけない。
(phony prophetさんの指摘を受けて、建築許可を建設業許可に修正しました)
しかし、本部が調査にくるやいなや、彼らを帰したということは、単に教区長の関係者なのか何かしらないけれどもやましいことがあるからだろうし、そんなことをするということは日本の建築許可も持っていない人たちだろう。
また、世紀の手続きを経てビザをとって業務に当っているかどうかも怪しいし、支払いがきちんと適切に(法律にも従って)支払われていたのか、建材も韓国から持ってきたとか書いてたはずだが、建築などという膨大な資材が必要なはずだが、全て法律にのっとって輸入されたものかどうかも怪しい。
それは貿易を業務としている人にだって簡単な仕事ではないですが、教区長はそちらの方面に明るいのでしょうか?
それらの許可をきちんと取っているなら、建設の金額が5億になったり3億になったり4億になったりなんていうことがあるはずないですしね。
しかも行政府からもらった正当な許可証やら関連書類がずらずらとあるはずで、正当にやっているのなら、それらがチェックできる状態になければならない。
誰がその書類をきちんと管理しているのでしょうか?
この過程で、おかしなことがあれば、それらについても責任をとる必要があります。
教区長が辞めたからすむような問題ではない。
統一教会本部も、コンプライアンスを徹底するといったからには、そこまで全て正すようなところまで行かないと。
「問題となった教区長を辞めさせたので、これでご理解を」などと生ぬるいことを言っていると、影響がますます拡大するよ。
他の教会・教区でも、特に韓国人が要求する献金について、信憑性を疑われてますます献金が減るだろうし、献金すらしたくないようなら、まして人を連れてこようとも思わなくなるでしょう。
でも、本当に統一教会本部がコンプライアンスを徹底しようとすると、教会本部でも他の献金についても調査しないと、整合が取れないし、下手すると今回の件を理由に本格的に自分達の存在を脅かすことになりかねないし。。。
という、こんなジレンマ、トリレンマに囲まれて苦しんでいるというのが本音でしょうね。
正当に、適切に、コンプライアンスを守ってとは、それを言ったときにありとあらゆる問題を一気に解決するようにしておかないと、必ずこんなことになる。
それも、コンプライアンスを守るとはどういうことかをきちんと考えずに、口先だけでやってきたツケですね。
「神様のみ旨を知った我々」「神様の張り裂けんばかりの心情を知った我々」などと、何か選ばれた民としての誇りに酔いまくって、本来すべきことをしなかったツケはあまりにも大きかったですね。
仮に、キリスト教の基盤がお父様とやらを受け入れてたとしても、同じことが言えるのですが、君らには天下を取ったら法律が我々に従うぐらいの傲慢な態度で居たでしょう。
そんな人間が権力を持ってはいけないのですよ。
さて。今回の幕引きはどういう形で行われるのでしょうか。
ま、結論は見えていますが。
本部に、この際、徹底的にやるつもりのいる覚悟の座った人間なんぞいないでしょうし、いたとしてもそんなことを受け入れる責任者がいるとは思われない。
きっと適当なところでお茶を濁して終わるでしょう。
「歴史の全ての罪を清算し、この世に罪の影すら見えない地上天国を建設する」
ふむ。
どうして恥ずかしげもなくこんなことをいえるのか、私には全く理解できません。
毎度毎度同じ結論ですみませんが。