KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

自分の問題も解決できないのに、歴史上の問題の解決?誰が信じるのかな

あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて誰のブログで見たかすら忘れたが、佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」は問題なのだそうだ。

理由はやり方が間違っている、だったかな。


ネットに暴露してその圧力で辞めさせるようなやり方は間違いで、問題があるなら(問題のあるアベルと)直接話し、それでもダメならその上のアベル、さらにその上のアベルまでは話しても良いが、その結果はゆだねるべきだとか。



正式な全体での意思決定もないものを、地方の教区が勝手に判断して取り組みを始め、その聖殿建設のために献金しないものは祝福に推薦しないとか、献金を強制したりとか、そんな祝福の基準となんの関係もないバーター取引みたいなことを押し付けている「アベル」に直接相談して、結果をゆだねるのが善だというのだろうか?


そもそもそんな問題のあるアベルに話したらどうなるか、みんな恐れて話ができないと言っている。


相談室に相談してもなんの動きもない。


動きがないということは、その結果を受け入れろとは、

この教区長の言うとおりに献金して、聖殿が勝手に立ち、教区長は高級マンションに住んでいて食口は貧しい生活をしても甘受し、黙っているべきだと言うのだろうか?

「いや、それでも問題解決のやり方は決まっているのだから、それに従うべきだ」というのだったら、

そもそも動機がお父様のみ旨に沿っているなら、最初から聖殿建設について本部の承認があってもしかるべきではないか?

という質問にはどう答えるのだろうか?



というかさ。



そもそも、こんな大きなお金を動かす意思決定をするのに、「統一教会」という組織のトップ層の判断もなしに勝手にできること自体が問題だと思うのですが。



たとえば、普通のまともに運営されている会社だったら、1000万円のお金を動かそうと思えば、内容の如何に関わらず稟議書をあげて役員の決裁をもらうなどの規定があります。

それがない統一教会とはいったいどのように誰が運営し、その決定に対して誰が責任を取るのか、誰もわからないという事です。


こんな組織が、コンプライアンスなんか守ろうにも、そもそもそういう体制になっていないではないですか。

こんなことを言うと、「総会長から了解をもらった」とか言い出したりするかもしれませんから、念のため書いておきますと、稟議書っていうからには、「聖殿建設するので、承認よろしく(はあと)」ですむわけがない。


何のために聖殿を建設するのか、建設した聖殿はどのように使うのか、建設費用はどこから調達するのか、工事業者は誰か、といった計画までついていないと、役員だって判断できないでしょ。


お父様のみ旨に沿っていると本気で思っているなら、これらの計画を作成して、みんなに説明し了解を頂くことはなんの問題もない。

それが組織の責任者として、また部下や教会員を預かり献金を管理すべき教会長の責任です。


「総会長には了解もらっている」とか「うちの幹部スタッフは皆賛成している」とか、そういう曖昧なものではなく、上で書いたような、具体的な内容がいつでも誰でも確認できる形で残されていて、そして計画もその通りに進んでいるか、問題ないかが確認できてしかるべきだということです。



統一教会は、役所ではない。心情組織だ」といって、教会または教区長の一存で何でも、億単位のお金が動くことも勝手にできてしまうようでは、今回のように汚職や横領の問題をふせぐこと、つまりはこれらもコンプライアンスを守ることはできません。



アベルまたはその上、そのまた上のアベルに相談して、結果は天にゆだねるなどというアバウトな問題解決の仕方に従うべきなどとうそぶく以前に、当の教区長の行動そのもの、そしてそれをきちんとコントロールできない教会組織自体の問題なのですよ。


「だから組織ではなくて、ホームチャーチで」とか言い出す奴がいたりしてな。


それでは、ここで指摘している問題は全て目をつむりますという宣言と同様なのですよ。



ま、ブログ村の記事でも、一生懸命にホームチャーチこそ希望とか書いていた人も最近では新規の投稿が見えないので、そんな「だからホームチャーチ」という記事は見なくてもすむのかもしれませんが。




というわけですので、教会が抱えている根本的な問題がここにきて、とうとう糊塗しきれなくなっただけのこと。

で、徳野さんのコンプライアンスを守ります宣言なんか単なる口先だけで、それが意味する内容を本気で実現使用などと思っていなかったことが明らかになってしまっただけのこと。


『佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」』が問題なのではなく、こういう形でしか問題解決をできない統一教会組織そのものが問題なのです。


そして、そんな団体が「歴史上の全ての争いを解決していく」などと宣言することがどれほど愚かしいか、まともな理解力のある人なら誰でも気がつくと思うのですよ。

それなのに平気でいたりするから、「マインドコントロールされているとしか思えない」と言われるわけでしょう?


念のため断っておきますが、私は統一教会の問題を指摘するにあたって、マインドコントロール理論を採用していません。
ここで書いたように誰でもわかることを理解しようとしないし、話をねじまげて変な方向に持っていくし、あるいは無視を決め込むという態度を見ていると、「マインドコントロールされていると言われても仕方ないでしょう」と言っているだけなのですよ。
誤解のないように。

こんな言い方すらされるのは嫌だというなら自分達で問題を解決できることを示すべきであって、「マインドコントロールなんかされていないんだー」とか発言すること自体が「マインドコントロールされているようにしか見えない」根拠の一つにしかなりません。


ま、できるんならとっくにやってるのでしょうが。







あと、いくつか読んだので同じ人のブログだったか、別な人の記事だったか覚えてないんだけれども、聖殿建設もお父様のみ旨のためという動機であるなら、聖殿建設はお父様も賛成されていたとか。


もうなんちゅーか。


これも既に上で書きましたから、ちょっと重複になってしまうのですが、お父様の願いに合致しているかどうか、聖殿建設を始める前に、統一教会という組織としての判断が必要でしょうよ。



ある日突然、私の夢にお父様が現れて、「自分で私の自叙伝を1万冊購入して、近所の皆さんに七回配って歩きなさい。」という啓示があったので、私はこれから1万冊の自叙伝配布に向けてがんばります、という人がいたら勝手にしたらいいのですよ。

この人の財布の許す限りやればいいだけのことで、本人がやりたいものをとめる権利は周りの人にはない。

環境にやさしい行動かどうかと言われたら、疑問符がつきますけどね。

毎週の古新聞回収の日には、あちこちで自叙伝が出されることになるでしょうから。(ブックオフにもってっても買ってくれないでしょうし)



しかし、教会員に経済的負担を強いることを、勝手にできてしまう事が問題だと何度言ったらご理解いただけるのでしょうかということなのですが。





そして、この構造は、今までの統一教会が社会にやってきたことと同じでしょうと言っているのですよ。



ある日突然、文何某という男が、神の啓示であるといって日本は韓国に対して歴史上最悪の言語道断な悪逆な行為をほしいままにしてきたので、献金をして償うべきだと言い始めた。

本当に国が国に対して行う必要があるなら、個人からせこいやりかたで掠め取っていくのではなく、韓国として日本に主張し、日本としてやらないと意味がないのに、それはやってこなかった。


言えば言うだけいくらでもお金が出てくるし、別に被害の範囲を特定してもいないので、「霊界で先祖がまだ黙っていない」というだけでもっと搾り取れるおいしい財布になったので、日本の信者が疲弊してもやめられない。


また、この状態についてどう思うか聞かれても、後継者に正式に指名を受けていた人物も答えられない。



それでもいう事は全人類の問題解決とのことだが、わずか36年の日本と韓国ですら、いつ問題が解決するのか分からないようなら、わずかその20倍ちかくになると自分達が主張する人類歴史の全ての問題をどのようにして解決するつもりなのか、誰もそのプランも提示できない。




これで、歴史上のすべての問題を解決する?




ご冗談でしょう。



それ以外になにを言えと言うのです?




マインドコントロールされているとしk(以下ry




文鮮明先生のみ言葉にこんなのがあるとかあんなのがあるとかいう、言葉のパズル遊びをするのはいい加減やめて、そろそろ自分達の問題を自分達の問題として認識されてはいかがでしょうか?




というか、少しは反省しろ。


毎日悔い改めの祈祷をしたりしているらしいけど、こんな状況を見る限り、単なる自己満足、気休め、嘘っぱちでしかない。


悔い改めが驚いて逃げ出すよ。




ま、それができるんならとっくにできてるのでしょうけども。