KIB: kurogane in black

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心情のゆかりだけでは世界は生きない

毎度毎度、佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」さんの記事から得た内容をネタにして申し訳ない。

でも、こうやって問題が発生したときに、それをどのように解決できるかということが、個人でも家庭でも、団体でも国であっても、その力量が問われるわけだ。


最近になって佐賀の聖殿建設についての問題を指摘したブログ、「目安箱」の話を聞きつけて、佐賀の人たちも論戦に参加し始めているようですね。


でも、あの様子ではもうどうにもならないことがますますはっきりしただけで、なんら今後に希望を見出すことができません。


というか、個人的には最初からもう希望なんかないんだけども。

「ダメダメなのは知ってたけどさ、せめてコンプライアンス宣言をしたりするから少しは何か違うのだろうかな」と思ってみていたけど、やっぱり何も変わっていないじゃない。



金教区長の動機がどれほどのものか、なんて本当のところは他人には分からない。まして一度も接したことがない私が知るはずもない。

しかし、金元教区長の発言も、末端の信者氏が伝えるところを聞くと酷いねぇ。

いかにもな言い訳に、めまいすら覚えたが。。。
私の眩暈はさておき。

問題があると指摘されているのだから、「私はこれだけ一生懸命に」とか、そんなの関係ない。


「これこれこういう経緯で、このように正しい処理をしてきており、帳簿も全てそろっています。これらを調べて頂ければ分かってもらえるはずですが、言われているような問題はありませんでした」と、証拠をもって問題がなかったことを示す以外には、疑いを晴らす道はないのですよ。


人格的殺人?

いやいや。聖殿建設に人格の殺人もへったくれもないです。


もうね。何を言ってるのかなと。


また元教区長の吐き気を催すような言い訳を、そのまま垂れ流して平気な「地上天国を建設しようと集った信者」とか、もはや、ブラック・ジョークなどというレベルを通り越している。

ダークジョークとすらいえるのではないか?

少なくとも悪い冗談といって笑って済ませられるレベルではないよ。

教区長の心情がどれほど正しかったとしても、やり方がまずければダメなんでね。





♪心情のゆかりで世界は生き

という聖歌の一節がありました。


割と好きな歌でしたが、心情を重視するあまり、こんな無茶苦茶なことまで心情を理由に無罪放免して平気な人たちとは一緒には住めない。

動機がよければ方法論は問わないなんてことを言ってしまうような人たちなら、アル・カポネの言い分を受け入れて、エリオット・ネスをはじめとしたアンタッチャブルズの活躍を否定するに違いない。




朱に交われば赤くなるというが、こんなのと交わっていたら、黒くなる。

しばらくの間は、世にも珍しい見世物小屋として楽しませてはもらいましたが、そろそろそれも潮時ですかね。

ショパンの「練習曲作品10第3番」でも聞きながら心を落ち着けることにしましょう。


俗に「別れの曲」として良く知られています。


Lang Lang plays Chopin Etude Op.10 No.3 in E Major at The Berlin Philharmonic.