米本さんのブログで千尋と言う人が人権問題について触れている。
今回はそのコメントを全文、引用させていただくことにする。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-381.html
<引用開始>
人権問題
日本での拉致監禁問題、もちろん関心あります。あと、人権問題一般に関心があり、上で氏族的メシアさんがおっしゃっているような、北朝鮮が南の韓国市民を数百人以上拉致してきたことも少し前から聞いて、重くとらえています。さらに、北朝鮮の死の収容所の話をいろいろ読み聞いては、どうしても忘れられず、早く何とかできないのか、と考えています。(北の市民約30万人が、ほぼ無実の罪で、収容所に収監されているといわれています、女性子供もです、在日だった人やその子孫も多く収監されているようです)。
私の疑問のひとつなのですが、文先生と統一教会は、1991年以降、北朝鮮とコネをつけましたが、私の知る限り、人権問題にはまったくノータッチです。もちろん、北の政府を怒らせたら縁が切れてしまうから、慎重にというのはわかりますが、近頃思うのは、もしかして、初めから北の人権問題など関心がなかったのでは?、ということことです。結局、北の政府、つまり体制を援助しているということでしょうか?もしかして、心から援助しているのではないですよね?
文先生が北の興南の死の収容所で1948-50年にかけて苦しまれたのは、教会ではあまりにも有名な話ですが、でも、今現在、それと同じかそれ以上に過酷な収容所で苦しんでいる、無実の北朝鮮の人たち、文家と韓国統一教会にしたら同胞たちがいるわけで、、それをどうやって見過ごせるのか、私には理解ができないのです。今回の話題とは少しずれるかもしれませんが、米本さんならびに皆さんが、それについてお考えがあれば、聞かせてください。
[2013/01/07 12:40]
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千尋
<引用終了>
千尋さんのコメントを全て引用して書き始めた文章ではあるが、この記事では千尋さんを責めるつもりは毛頭ないです。
それよりも、以下に明らかにしますとおり、自分達の人権侵害は声高に訴えるように見えるけれども、その実、信者の人権も、ましてや他人の人権にも関心がないUCという団体の姿勢そのものに疑問を投げかけたいと考えています。
さて。それでは始めますか。
まず、北朝鮮の人権問題にまで言及したのコメントを、UC関係のブログで眼にするのは非常に珍しい。
それでも北朝鮮による北朝鮮の人たちの人権侵害について触れているだけであって、日本人で北朝鮮に拉致監禁された人の事については語られていないようだ。
信者の人権侵害だの拉致監禁についてあれだけ声高に叫び続けてきたのがUCだった。しかしながら、北朝鮮による日本人の拉致監禁について、国家による拉致被害を問題であると主張する人、またUCがもつ北朝鮮ルートを通じて解決しようと主張する人が見当たらない。
宗教者であるなら、「神様の子どもとしての全人類」という視点から、当然すべきと考えられるのだけれども。
もしかしたら誰かそういう信者が他にも居るのかもしれないけど、私が見落としているだけなのでご容赦を。
でも、結局のところ統一教会は自分の信者の拉致監禁にも本心では関心などなく、反対派を攻撃するためのネタとして使えるのなら使え、というぐらいの意識でしかない。
ましてや北朝鮮に拉致された日本人のことなど、意識にすら昇らないだろう。
UCの間では有名なはずの今利さんのご主人からコメントを頂いたのは旧ブログの事、それも2007年の三月だった。
その時から、「国として日本人を拉致監禁してきた北朝鮮と仲良くしているUCが拉致監禁反対と言うなら、まずは北朝鮮による拉致監禁の被害者を、UCのルートを通じてどうにかしてからにすべきだ」と書いてきたが、いまだにそういう方向でUCおよび信者が何か働きかけをしている、という情報は寡聞にして知らない。
拉致監禁反対を主張するなら、宗教者として、この地上に存在するありとあらゆる拉致監禁に反対するとりくみをするべきだと考えている。
だから、まずは自分のところの信者の拉致監禁のことだけを言うのは身勝手すぎだと思うし、そもそも、UCは信者の人権なんぞに関心なんかないくせに、よくも人権侵害などと言うわなとしか思えない。
このことは、ずっと言い続けていることですが。
また北朝鮮だけでなくて、他にももっといろいろな人権侵害が激しい国はたくさんあるのだけれども、それらについても触れたりもしてきた。
http://blogs.yahoo.co.jp/akio_kurogane/4563535.html
しかし、自分達が兄弟姉妹と呼ぶ信者仲間のことですら、本気では心配していないし、関心なんぞないのがUCという団体。ましてや地球レベルで存在する拉致監禁問題なんぞには関心など持ちようはずもない。
これは人間としての普遍的価値を求める宗教団体の信者としては誠に恥ずかしい姿だといわざるを得ないわけですが、本人達はいたって平気のご様子。
どこまで鉄面皮なのか、想像を絶するほどです。
こういう輩しか居ない団体の構成員が拉致監禁されることに反対してくださいといわれても、「拉致監禁そのものには反対だが、君たちに協力するつもりは毛頭ない」としか答えようがないのですよ。
被害者は酷い思いをしているのですよ、とか半狂乱になる人がいたりするが、それは北朝鮮による被害者はもっと酷い状況に、しかももう何十年もおかれている訳だ。
そしてそんな北朝鮮と仲良しこよしでお金を送ったりしてきたのが、まさにUCではないか?
そちらはどう思うのかと冷静に質問したいのはこちらなのだ。
「拉致監禁そのもの」にはどんなに反対している私であっても、UCの信者の拉致監禁反対について同じ船に乗るつもりは全くありません。
もうこの記事だけでも繰り返して書いていますが、UCの人たちは人類全体としての拉致監禁のような人権侵害をなくすためには少しも活動していない。
そんなことには関心がなく、UCは自分達に対する反対運動がなくなって、自分達が好き放題できるようになることだけが目的でしかないでしょう。
これで、「愛は与えて忘れなさい」とか、「裏切られても無限に与える愛」とか、いったいどれほど鈍感で鉄面皮だったら、こんな台詞が語れるのか、信者の誰でも良いから一度説明してくれないか?
そんな団体の人権問題が今後大きく改善するのかどうか。
今後のUCの方向はどちらを向いて進んでいくのか、誰が考えても明らかだと思うのですが。