KIB: kurogane in black

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カテゴリ違いと言う詭弁と、自らの存在否定

最近、ご無沙汰しておりますが、理由は非常に簡単です。

最近のUCのブログ村を見て現役信者自身も感じている通り、ここまでグダグダなら、突っ込みを入れる必要すらないから。
というか、突っ込みを入れるだけ野暮だろうと。


そんなところにあえて記事を書いたのは、米本さんのところでみた「みんな」とかいう信者のとぼけた発言にちょっとは刺激されたからとしておきますか。


この「みんな」とかいう人間については私は前から書いているけれども、熱心なのはわかるけども常に視点がずれている、ちょっと残念な人。


しかし、たぶんにこの人の意見というのは良くも悪くも、UCの信者の平均的な認識を表わしていると考えている。


「みんなさん」が良くも悪くも平均的な食口の認識を表わしている、と私が考えるのは次のような状況が平均的な食口の姿だと思うからだ。

つまり現役信者本人は人間としては良い人であり、社会悪に対しては敵愾心もある。
そして、なんとかしてUCの証しをしよう、社会に受け入れられようとは思ってはいる。

しかしピントがずれてしまっているために、社会的には反発されてしまう。
本人の認識が問題があることが社会から受け入れられない理由であるのにも関わらず、本人はそう認識できない。そのことが分かっていない。


極端な例もあるだろうが、上記のような観点から、「みんなさん」というのは平均的な食口の姿を現すといってよいのではないか?



さて。



「UCカテゴリ」と「UC批判カテゴリ」というブログ村があり、「UCカテゴリ」に登録している人が、本人の意図に関係なく「UC批判カテゴリ」に移動させられるという問題が頻発していることについて、「みんな」さんの認識は素晴らしく平均的な食口的だ。


カテゴリがずれていようがいまいが、読みたい人は読むから良いのではないかだとさ。



もうね。米本さんの議論したい内容からずれていることずれていること。


ま、私は米本氏とは意見を同じくしていないので、米本氏の主張と「みんな」さんの認識や議論のズレについては、当人同士でやってもらえば良いこと。


しかしながら、私は元信者の立場から、このカテゴリを強制的に移動させることは、UCの敗北を意味すると考えている。


これは一時、米本氏すら批判カテゴリに移動させられていた数ヶ月前、というかそもそも「UC批判カテゴリ」ができた段階で思っていた事だ。

最初から、こんな間抜けな話しが間抜けなのは、カテゴリ創設この方、よく知られていて自明なのは明らかなので、彼らには弁解の余地がない。従って書く必要すらない、と思っていた。

しかし、上でも書いたように、米本さんのブログについた今回の「みんな」さんのコメントから触発されて、あえて書くことにする。





なぜ、UC批判カテゴリの設定と、ブログの強制移動がUCの敗北を意味するのか?



うーん。なんでこんなことを言わなければいけないのか、UCの信者はバカなんじゃないかという気持が湧き上がるのを抑えることはできない。


UCのブログ村をめぐって、「UC批判カテゴリ」への強制移動は、簡単にいうなら「UCの批判するなら、あっちへ行って勝手にやっておけ。こっち来んな」という事だ。


あのさ。君ら、そもそもUCの究極の理想ってなんだったのよと。



全人類が神様の子女として、つまりは兄弟姉妹として真の愛で結ばれた理想世界を実現することだったのじゃないのかね?


で、批判するならあっち行けと言うということは、この理想はやめるということですねと。


今は時じゃない、というのは詭弁ですよ。

それは、批判に取り組むのは今じゃないということですからね。


本来の理想を捨ててしまいながら、それでも組織としては理想世界の建設をするというのは矛盾しているでしょ。

君らは、原理講論の総序に書かれている「矛盾した存在」そのものになり下がったのですよ。

矛盾した存在はどうなると書いていましたか?


矛盾した存在は亡びざるを得ないのでしょうよ。




これはだれかが書いていた、「UCはいずれ亡びるべき存在である」という主張とはまったく異なる。

「UCはいずれ亡びる」とか「UCは本来、いらない存在である」とUCの人たちが言う時、それは「全人類が神様の子女として、つまりは兄弟姉妹として真の愛で結ばれた理想世界を実現した結果、特定の宗教が不要となった状態になるから」という意味でしょう。

この世的に言うなら、「プロジェクトの目的が達成されたのでプロジェクトは解散する」という意味がこちら。


しかし、本来目指していたはずの理想を捨てつつ、理想世界実現に向けた組織を維持するのは矛盾しているので亡びるべきだというのは、問題を抱えた組織なので取り潰すという意味。プロジェクトの目的達成による解散とは違うのですよ。



つまりUCの信者のみなさん、「みんな」さんも含めて、「私たちは問題を抱えた組織であり、社会的に不要なので取り潰されるべきです」と自分たちで看板ぶら下げているのと同じなのが、カテゴリの強制移動なんですよ。


それを言論の立場でいえば、米本さんのように「言論封殺だ」という表現になる。




カテゴリの強制移動は、UCの存在目的自体を、UCの信者が自ら否定したという点が、そもそもの問題だという事。

カテゴリを適切に移ってもらうことの何が問題なのか?という現役信者は愚かにも程があるなんていうものじゃない。

日本の歴史カテゴリなのに、ガミラス帝国の歴史を持ち込めばカテゴリ違いというのはわかる。


「UCについて議論すべきカテゴリ」で「批判」したからあっち行けは、「UCの存在目的に照らして」アウトなのだ。

ブログ村のカテゴリ移動に関する規定とか、誰がその判断をしているか、とかそんな枝葉末節の問題なんかじゃない。

一生懸命ブログ村のスタッフに質問している人がいるけど、ブログ村の規約とか、スタッフの判断基準とか、そんなの枝葉の先っちょの、ほんのちっちゃな出っ張りがあるかないかぐらいの、とてつもなく小さな話題のそのうちの一つぐらいの話だと思いますよ。

そんなことではなく、自らの存在目的を自ら否定したという、自殺行為そのものということが最大の問題だと思いますけどね。


さらに、そういう認識を持っている人がブログ村に皆無ということ自体が、もう終わっているとしか言いようがない。


これでUCの現役信者はバカなんじゃないかという発言も、私の観点からは理由があることがご理解いただけるのではないか?


自殺行為を繰り広げて平気な状況を見ていながら「何が問題なのか」という信者を見て、呆れてしまうのは仕方ないと思うがどうだろう?


文句あるなら、言ってみて?





さて。ここまで、UCの存在目的から眺めて、カテゴリの強制移動は自殺行為と述べてきた。

実は、さらに社会的に見ても自殺行為を繰り広げているといえる。



UCは、この世に対して、この社会はサタンの血統につらなる偽りの父母から生まれてきた偽りの社会であると規定し、それを悔い改めて救い主にあずかり祝福を受けて真の血統に生まれ変わるべきだと主張している。


この主張を、この社会に対して受け入れてもらうために伝道をしたり社会活動をしているわけだ。


この伝道やUCの活動に対して批判されていることについて、その批判を正面から受け止めて、正しい指摘を改めるべきはUCの側にあるのは言うまでもない。


しかし、UCが受ける批判についてそれを正面から受け止めることもせず、改善することもせず、改めることもしないが、自分たちの主張は聞きなさい、しかし批判は許さない、という傲岸不遜な姿勢の表れが、このブログ村のカテゴリの強制移動なわけだ。

そして、それを社会の側から眺めた場合、

「君らが、自分たちで正当に受け止めるべき批判を受け止めず、社会のルールを無視するならば結構。この社会に君たちの居場所はない。我々は君らの主張を不愉快に感じるので、日本国内から出て行ってもらおう。それは君たちも、自分達が同じことをしているのだから、文句を言えた筋合いではないはずだ。韓国で達者に暮らせ」

と言いうる根拠を与え続けていることになる。



これは、君たちの側からすれば自殺行為以外のなにものでもないと思うのだが、なぜそれがわからないのだろうか?



というか、それが分かるぐらいなら、とっくに社会に受け入れられる皆様の統一教会になっているわな。




UCは、結局その「真理」だの「み言」だの、献身やその他の訓練を通じても、この程度の馬鹿すぎな信者しか作れないことを、よってたかったこの社会に宣伝して歩いている。




これを自殺行為と呼ばずして、なんと呼ぶの?



カテゴリが違うのだから移ってもらうのが当然とか、ブログ村スタッフがやったことなんだとか、そういうことがいかに枝葉末節のつまらない問題なのか、ここまで書いて分からないなら、もう終わっているだろうよ。



ま、言われてわかるんならとっくに分かっているだろうし、すくなくとも「これはUCの自殺行為だ」と言っている人も複数はでていておかしくないはず。


誰も分かってもいないし、そういう認識もしていない。




これでどうやって社会に受け入れてもらおうと思えるのか、正気の沙汰ではないでしょう。


こんな状況を社会から見て「洗脳されている」と言われても仕方ないんじゃないの?
マインドコントロール理論はすでに批判されている?

いやいや。マインドコントロール理論ではなく、君らの姿そのものがマインドコントロールされた狂信者状態だということなんですよ。



さて。反論があるならどうぞ。


ただし、言葉をこねまわす前に、まずはブログ村の状況を改善してから、その実績をもって語ってくださいな。





・・・未来永劫無理そうですね。