楽天ブログの方でもだいぶ前に書いたことですが、私は神学論争には今はまったく興味がありません。
「神はいったい如何なるお方として存在したまうのか?それは・・・」と語ってみたところで、正しいのか間違っているのか、誰も確認することができない。
見えないものは信じないとか、神を信じないとかそういう論理ではなく、「神」や「霊界」について論じてみたところで、あまり意味がないからというのが理由だ。
神は二性性相の主体的存在としていましたまうと言おうが、凸凹が出会いたい衝動として存在したまうといおうが、何か意味があるのだろうか?
最近、ブログ村でも「本体論」とやらでそんな事をかたっている人がいたり、ミセス・キムはそれは冒涜だとか仰ったりするけれども、それが本当に冒涜に当たるのかどうなのか、神様に直接聞いて答えをもらうんならともかく・・・
というか、そその答えが真実なのか虚偽なのかすら、誰にも確かめることができないという点で、そもそもそんな主張や議論自体があまり大きな意味をなさないと思っています。
最近では海外でも「Sudoku」でそのまま通じる「数独パズル」の替わりの、頭の体操として楽しむ趣味の生活ならともかく、「そんなのは神様の冒涜だ」と血気に走ってみたって、意味があるとはとても思えない。
だいたい、人間には食欲や睡眠欲などの生理的欲求として性欲があるのは事実なんだし、人間を神が造り、人間は神様の姿に似せて造ったという聖書の言葉に従えば、神様に性欲の源があってもおかしくはないと思う。
また、もし神様に凸凹があるということが真理であり、それによって人類が幸せになるなら、スパゲッティーモンスターでも、神様凸凹教でもなんでも良いとは思いますよ。
だけど、非常に非常に残念な事は、そんな事を主張したり、信じてみたところで誰も幸せにはならないという確かな現実が眼前で繰り広げられているところにある。
なんというか、びっくりするような内容を主張して相手を驚かせることで、今の難局を乗り越えようという姑息な手段に見えなくもない。
そんな事を反対派や元信者に言われたくないと思うなら、本体論の内容で人類を幸せにする、あるいは闘争と分裂の歴史を止揚統一して見せることだ。
ただ、本体論について書かれている数々のブログ記事を見て判断する限り、とてもではないけどそんな内容などありはしないと思われる。
これがお父様が数十年間秘密にしてこられた内容ねぇ。
まあ、おめでたいですねとは申し上げておきましょうか。