KIB: kurogane in black

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旧約・新約の「約」と某宗教団体の成約の「約」

日本全国、東から西までなんか今年は大変なことが続きますが、皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか?

さて、あの近年稀に見る台風21号が日本をn襲った前日の記事なんで、ちょっと時機を逸した感があるのですけれど、9月3日にこんなニュースが流れていました。

いつも非常に分かりやすいまとめをしてくれている楽韓Webさんのところをリンクします。

もう楽韓Webさんの記事のタイトルがすべてを物語ります。

ムン・ジェイン政権の外交メンター「アメリカは朝鮮戦争の終戦宣言しちゃおうよ。あとで撤回してもいいからさ。とりあえず1回だけ」とか言い始めた模様
(楽韓Webさん記事)

コメントの数も200近くついてて、結構反響ありましたね。


もう、日本人にとっては既視感ありまくり。

河野洋平がころっとこれにだまされたのは、日本人ならよく知っている事実になりつつありますね。

ともかく、約束事が軽い軽い。

そして、相手にも一言言ってくれたらあとは万事OK!だったはずが、自分はそれは無視しまくるわ、相手には履行を求めるわで、ムチャクチャ。

これこれ。これですよ。

約束事や契約ごとが軽いんですよ、何をやっても。


国同士の合意事項でも、しょっちゅう反故にするから、そんな態度が「ムービング・ゴールポスト」とか呼ばれているぐらいですよね。

この単語で検索をかけると、上位にある特定の国がずらっと並ぶのもむべなるかな。


さて。

そんな国から生まれた人が、「旧約、新約と来て、これからは神さまとの契約が成就する成約の時代であり、自分は個性完成してさらには家庭も完成したから私こそがメシアだ!」と仰ったのは、ここに来られるような皆さんならご存知のことかと思います。


ところが、その完成したはずの家庭が愛と統一と平和どころか、憎悪と嫌悪、分裂と闘争に満ち溢れているのを見れば、その「成約時代」を宣言された方が神様とされたのは果たしてどんな会話、約束だったのでしょう?

「まずは一言、完成したと宣言しちゃっても良いですよね?あとで撤回しても構いませんから。ねえ、神さま?」
とか言ったんじゃないのか?と思わざるを得ない。

昔、統一教会の礼拝でも何度も引用された次の聖句をよくよくかみ締める時だと思いますね。

ルカによる福音書6章43~44
43:悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。
44:木はそれぞれ、その実でわかる。
   いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。


神さまとの約束を成就する、などと大言壮語する前に、まずは隣にいる隣人や教会員との約束を守ることから初めてみたらよいんじゃないでしょうかね?

違法な献金はしないさせないとか、招待を隠した伝道はしないとか、うそはつかないとか。


・・・そんなことができたら、教義に反するから無理なのか。


そんな「神さまとの成約」って、一体何なのかよくよく考えてみるべきではないでしょうか?