KIB: kurogane in black

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「ああ 願いは愛の統一世界」

タイトルは、昔むかしのその昔、一生懸命に歌っていた聖歌の歌詞の一部。
曲名がなんだったか、何番の聖歌だったかも忘れたけど。
 
今も、旧統一教会=世界平和家庭連合とか、その分派の皆さんもこの聖歌を歌っているのだろうか?もしそうだとしたら、この歌を歌いながら食口達は何を思っているのだろう?
 
「いつも隣に神さま」の記事のトーンを見ていると、現実を見ることなく、平気でこんな歌を歌って悦に入っているような気もするけれども。
 
しかし、実際の状況を見れば、彼らが願っているのは自分たちの下に相手が従うことだけであって、それは愛による統一世界でもなんでもない。
 
・・・
 
いや。これが分かるくらいなら、こんな状況には陥っとらんわな。
 
「UCに「人権」なんてものは存在していない」の元となるネタを書いたのは2010年のことだった。
 
 
2010年ごろ、何をしてたかなんかもう覚えてないな。楽天ブログも消されたし。
 
でも、一つはっきりしているのは、昔から統一教会信者の人たちは、愛の統一世界とは口では言うが、単純に相手が自分たちのいうことを聞くことを願っているだけで、言うことを聞かないなら出て行け!をくり返してきた。
 
当時は、ブログ村統一教会カテゴリにいる反対派やら、懐疑派やら悩める食口達の疑問に耳をふさいで、お前らはサタンに侵入されているから出て行け!と言って批判カテゴリをわざわざ作って追い出した。
 
統一教会が母親と、息子達で別れてあらそっているのもその延長線上にある。
 
いくら、お母様と息子様が直接お会いになって和解すれば、すべての問題は解決する!とか言ってみたって無理だって。
 
自分たちが反対派とか批判派の指摘に耳を傾けず、サタンよ引き下がれ!と言って追い出す姿勢の延長戦に愛の統一世界ができるわけ無いだろ。
 
澤田地平さんだったか?あの人の抗議行動がどんな意味を持つのかとか、そもそも意味あるのか?とか、もう私の知ったことではないんだが、断食の鬼、猪口さんだっけ?「お前は見たのか!」と責めているのは笑ってしまったよ。
 
そんなの言い始めたら、統一教会とか、いや、統一教会に限らずそもそも信仰なんか成立せんだろうよ。
  • 文少年が16歳でイエス様から啓示を受けたというのも、「お前は見たのか?」
  • 億万のサタンに勝利された文先生とかいうが、「お前は見たのか?」
  • 神さまの直接主観圏にお父様は入られましたというが、「お前は見たのか?」
  • 清平では先祖が開放されている!というが、「お前は見たのか?」
  • 祝福を受けたら原罪が清算される!というが、「お前は見たのか?」
  • お母様が、最近は私こそが無原罪とか言ってるらしいが、無原罪で生まれたのを、「お前は見たのか?」
 
信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
(ヘブル人への手紙 第11章1節)
 
とは統一教会の信仰講座でもイの一番に語られていたと思うが、もう、「お前は見たのか?」なんて言い出しちゃったら、信仰もへったくれもあったものじゃない。
最近は、ますます自らの醜態をさらけ出しつつあるが、しかたない。
 
「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。」
(マルコによる福音書 第4章 21~22節)
 
いっそ、「ああ 願いは愛の統一世界」などと歌わず、人の心の裏の裏がどうなっているのか、「ら・ら・ら」でも歌う方が、少しは素直になれるのではないか?