KIB: kurogane in black

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インフォームド・コンセント

米本さんのブログに限らないが、統一教会は洗脳しているというマインド・コントロール理論は当てはまらないという人たちがいる。

 

こんな書き出し方をすると、私は洗脳論者かと問われそうだが、洗脳論者ではないのがなんとも微妙な立ち位置になってしまうのが気持ち悪いのだが、しょうがない。

 

洗脳論者は、すべてを統一教会に責任をかぶせて、自分がその道を選択したことを認めないことが間違っているという。

 

それはまさしくその通りで、私も「洗脳されたから末端信者に一切の責任はないのだ」などというつもりはない。

 

また、実際に統一教会に伝道されてきた人の殆どが信者には「ならず」に、あるいは「信者になったとしても統一教会を離れている」ことも事実なのだから、統一教会に残ろうと自分で選択したのであって洗脳されて残ったのではない、という理屈は一見したところ筋が通っているようにも見える。

 

しかし、昨今のようにスマホと呼ばれる手許にある小さな電子機器を用いれば、いくらでも情報が調べられて、統一教会の信者の「生々しい信仰的発言」や元信者による毒々しい「信者体験」をいくらでも調べられる時代ならまだしも、外界とは隔離された情況で統一教会による宣伝工作のための教義を刷り込まれ、精神的にも追い詰めて決断を迫られた結果、自分で自分をその道においこんだらそれは自分で喜んで選択した結果といえるのか?

 

最近では、医療界でも「インフォームド・コンセント」とかいって、治療方法に伴う効果や副作用、代替療法についても説明を受けた上で、「この治療方法を受けることを合意」し、文書にもサインした上で治療が開始されるらしい。

 

統一教会の伝道がこのようなものであったにもかかわらず、統一教会の信者になることを自ら選択していたのであれば、米本さんに代表される非難は甘んじて受けるべきとは思う。

 

しかし、実際にはそうではなかったし、だからこそ信者になった人たちは社会の人と合理的な会話ができないし、事実を指摘したとしてもそれを聞こうとすらしないで排除しにかかる態度、「アベル」が命令すれば、拉致監禁に反対するが、「アベル」が何もいわなければ、同じ屋根のしたで暮していた「兄弟姉妹」が拉致監禁されてもなんの反応も示さない人でなしのような態度を平気でとれるのはなぜなのか?

 

一般的なブラック企業に勤めていれば、そこを辞めるのすら命がけという事例がいくつも報告されて問題になったことがあったが、宗教でなかったとしてもそこまで人間を縛り付けることができるのなら、目に見える神や悪魔の暗躍だの教会を離れれば、あるいは祝福を受けて男女問題を起せばサタンがサタン視するなどと脅されている人達がまともな判断が下せると平気で言ってしまえるのは、やはり本質的なところでは統一教会の信者になるとはどういうことかがわかっていないのだろうと思う。

 

もっとも、統一教会の信者になるとはどういうことかを知るために信者になることを進めるかといえば、そんな愚かなことは口が裂けても言えないし、そもそもそんな人は信者にならないだろうし。

 

やっぱり、統一教会のの信者に一度でもなったことがある人と一般の人の間には深い川が流れていると思うわけだ。

 

これはさらに、その奥に一世と二世とを分かつ川がさらにあるのだろうが、私はその川の向こうにはいったことがないので、ここではふれないことにする。

 

統一教会の人が、ただしくインフォームド・コンセントに則った伝道をするなら、私は反対しないし、それで伝道される人は自分でその道を択んだことは明らかなので、そこから先に起きるありとあらゆることは「自己責任」といえるだろう。

 

そういう人が、後になって辞めて元信者になった後で洗脳されたと主張することも許さないだろうし。

 

もっとも、メシアを名乗られた方の家族は今では麻薬におぼれたり、不倫におぼれてボロボロなのですが、その方の立てられた宗教は本物です!(キリっ!)とか、創始者の奥様が今はメシアを名乗っておられ、創始者はないがしろにされてはいますが・・・と主の路程で講義して、その後で「入教プッシュ」や「献身プッシュ」、あるいは最低でも「献金プッシュ」をしたとして応じてくれる人がいるだろうか?

 

そう考えれば、そんな奇特な人がいるとも思えないという現実的な結果はいくら頭を使わない信者であっても容易に想像がつくだろうけど。

 

さらにはブログ村の情況を見ていても、自分たちの意見と異なる人たちは排除しようとするような人たちだ。インフォームド・コンセントをとりながら伝道なんて、そんなことができるはずがない。

 

統一教会の教義の中で、唯一、正しかったと思えるのは「終わりの日にはすべてが明らかになり、隠されていることで現れないことはない」という部分かもしれない。

 

それなら最初から変に隠したりせずに、すべてあからさまにしてくれたらよかったのになと思う今日この頃。

 

統一教会の改革には、「インフォームド・コンセントに基づいた伝道を進めることです!」もっとも、それをやったら全く伝道が進まずに滅びてしまうが、所詮その程度の団体なら早晩、滅びるとは思いますけどね。

 

間違ったやり方で地下で生きながらえるより、正しく早く滅びることを選択してはいかがでしょうか?

 

こんなことを書いていたら、ダークナイトバットマン)の有名な台詞を思い出したので、最後に動画をリンクしてこの記事を〆ることにしよう。

 

You either die a hero... or you live long enough to see yourself become the villain.
ヒーローとして死ぬか、長く生きて悪者になる自分を見るかだ。

 

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