KIB: kurogane in black

Yahoo!ブログ閉鎖に伴い移動しました。

ここまで支離滅裂な文章も珍し・・・くはないのか。UCにおいてなら

今日は会社を休みにしてありました。書いておいた内容をアップしてから出かけてきますかね。

二連荘になると思いますが。

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トリトンさんがあまりにふざけたコメントを書いていてあきれて腰が抜けたのだけれども、内部改革ブログさんが割と熱心にコメントを取り上げている。内部改革さんに免じて、再度、トリトンさんの考え方の何がひどいのかを取り上げてみることにする。

元の文章は、トリトンさんのブログにあった組織に神は働かないとの記事。
あまりにふざけているので、こちらでの引用すら差し控えることにする。


トリトンさんは、組織に神は働かない。組織に神が働くと考えるから失望するといった趣旨のことを書いている。

組織ではなく、本当に神様のことを信じる個人に神が働くのだそうだ。
そしてそれは、どのような立場にいるかにかかわらないのだと。

一つの短い記事で、これだけ矛盾する内容を書いて平気という人も珍しいが、教祖が矛盾した内容を平気で語り、それを平気で受け止められる団体の人なんだから当然といえば当然か。

kib.hateblo.jp

彼の意見の何がおかしいか?

どのような立場にいる人であろうと、本当に神様のことを信じている人に神様が働くなら、UCの人たちの多くの人たちに神が働いていなければならない。その人が献金で苦しんでいようがいまいがだ。

 

統一原理やお父様の御言葉で、本当の神様を知って信者になったのが統一教会の信者たちなのでしょう?トリトンさんの定義が正しいとすれば、神様のことを本当に信じていて、神様のご臨在を日夜感じている信者が統一教会には浜辺の砂のように、夜空の星のようにいなければならない。

神様が常日頃働いている事を知る個人が集まった場所には、黙示録21章2節から3節に記されているように、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして人の目から涙を全くぬぐいとって下さる」毎日が繰り返されていなければならない。

今日はAさんに、明日はBさんに、その次はCさんに、と毎日誰かを通じて神様がここにいますことが明確にわかるなら、そのような人たちが集まっている「組織」は、まさに神がいますことを示す証が連日連夜あふれてとまらないことだろう。

改めてトリトンさんの問題意識がなんだったかを思い出してみよう。

彼は「組織に神が働くと考えるから、組織に神がいないことに失望する」と書いているのだから、統一教会に集う人たちが統一教会においては神を感じていないことは明らかだ。

しかし、すでに考えてみたように神様を本当に信じる人には神様が働くのであれば、神様を本当に信じる人たちがあつまった場所には当然のごとくに神様がいまし、御業をお示しになられておられるはずである。

それでは統一教会には神様がいないと感じる信者が多いという現象は何を示すのか?

「神様を本当に信じている人には神様が働く」という定義が間違っているのか、あるいは「統一教会の信者は神様を本当には信じていない」のかどちらかだ。「神様を本当に信じている人に神様が働く」という定義が間違っていると言い出すと、統一教会としては困ったことになるだろう。この定義が正しいのなら、神様が働いていないと感じる統一教会の信者は本当には神様を信じていないことになる。

どちらにしても統一教会としては困ったことになりますね。

いずれにしても統一教会は神様とともにある団体ではないと、信者自らが語ってしまっているのだから。