本日二つ目の記事になります。
前からわかっていたことで、いまさら書くことでもない内容ですが、本当にUCってのは宗教団体として、というかいかなる意味においての団体としても終わっているとしか思えませんね。
まだ終わっていないと勘違いしている人たちが集まって、誤解と錯覚に立脚してまだなんとかなると信じ込み、まともな給料が払ってもらえなかったり、それ以外のメリットも何もないにも関わらずしがみついているから成り立っているように見えるだけです。
団体職員にはきちんと給料を払い、借入金はきちんと返済し、お金の使い道はきれいに、かつ明朗に会計をするというまともな運営をやろうとした瞬間に崩壊する。
こんなダメダメな団体であるという事を自覚して、せめて社会に対して謙虚になれれば生き残る道もあったかもしれないのに、自分たちは神の側でこの世はサタンであり、この世の人たちは自分たちのいう事を聞くべきなどと考えているから、この世との関係もうまく築けない。
そう。信者一人一人から団体にいたるまで、須らくこの世の人も団体もサタン側であり、神側であり勝利したメシアを頂いている自分達統一教会のいう事を聞くべきと考える態度は、ただでさえ抱えている問題をさらに解決不可能な状況に追いやってしまう。
UCからの米本さんを対象とした公文にもそれが表れている。
UCのことを、UCのいう通りに書かないのなら、これからは米本さんは相手にしないだとさ。
個人においては、UCの主張に異議や質問をしようとすれば、それは無視して「姿勢を正して真剣にみ言に耳を傾けなさい」と傲慢に言い放つ。
組織体においては、マスコミやジャーナリストの書く記事が自分たちの主張と相いれないからこれからは取り合わないと言い放つ。
これを傲慢と言わずしてなんと呼ぶのでしょうかね?
ほんと、UCの広報ってなにも考えなくてよいから楽な仕事だと思うよ。
昔なら、マスコミ各社の報道に対して、「世界基督教統一神霊協会の略称は統一教会であって、統一協会ではありません。」なんていう、やるだけ無意味な抗議文を出すことで「抗議しました」とか言ってたわけだ。
この体質は今も変わっていなくて、こんないい加減な公文を出して仕事していることになるのだから。
これについても、楽天のブログで意見を書いたことがある。
この記事も2011年の11月末に投稿しているので、今から3年以上前のことになる。
Shall we dance?
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/201111280000/
記事の内容からして、文芸春秋の記事にデモを一生懸命にしていた頃の記事ですね。
この記事を投稿してからすでに三年がたっていますが、UCはこの時から何も変わっていない。
変わっているとしても、より悪い方向になっただけです。
リンク先を見てもらってもいいけど、一部抜粋・改定して再録することにしよう。
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そもそも君達(注記:UCおよびその信者たち)は、反対している人も含めて社会の人達に、どういう点が素晴らしいと認識して欲しいと思っているのか?
こういうのは、本来はパブリック・リレーション、つまり本来の意味でのPRであり、それを担当する広報部が担うべき課題です。
(略称は協会ではなく教会です、とか間抜けな抗議文を送りつけたりすることなんかじゃないんですよ)
自分たちの団体は、社会の人達にどのように理解してもらいたいのか。その狙いに基づき、何をどのようにプレスリリースしたり商品やサービスの広告宣伝を行えば良いのかという事まで、きちんと考えて組み立てるものです。
UCの人達は、「社会の人達は誤解している」というけど、誤解を解くための努力はしたか?自分たちのイメージを正しく伝えるための努力はしたか?
そういう事は何もしていないのに、社会の人達に自分達を正しく認識するように求めるって、いったい何様だよ?
せっかくブログを持っている人がこれだけいるんだ。
いっぺん、もしあなたがUCの広報部の人間だったら、と考えて、次の質問に答えてごらんよ。
1)社会の人にどのようにUCを認識してもらいたいのか?
2)社会はUCを誤解しているとあなた方は考えている。この状況で、UCは
何をどのように主張すれば、社会は誤解を解いてもらえるだろうか?
(中略)
3)PRすべき内容が実態ときちんと整合しているかどうか、整合していない場合、
PRを修正するのか、ずれている実態の方が問題であると認識されたら、それを
修正するよう、組織全体で取り組みをしているか?
PRっていうのは自分たちの言いたい事を適当に言い散らかす事ではなく、組織の方針と実際の活動と、それを受け止める社会での認識とを、常にすり合わせていく作業の事を言うんですよ。組織に属しているという看板を掲げてブログを開設する場合も、同じような責任を(自然と)担ってしまう。
だからこそ、批判されたりクレームを付けられることに対して誠実に対応しなければいけない。サタンといって退けるなんざ、もっての他なんだ。それすら分からず、反対する人間はサタンだとか反対派の背後にはサタンがいる、なんてまともな組織で仕事をしたことがある人間なら狂気の沙汰と思うだろう。
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ま、ここに再録したから読んでもらえるとも、また仮に読んでもらえたとしてUCが何か変わることも期待していませんけどね。
UCの広報部でなく、UC信者個人のブログであっても、私の文章を読んで態度を改めるなんてことは、「サタンの話を聞く」ことで、あってはならない出来事なんだし。
さらに、変えようとしたって変えようがない。
すでに以前の記事「UC内部からの改革は可能か?」で書いたように、組織の改革も不可能なんだし、組織の改革が不可能であれば広報部のやり方が変わることもない。
<UC内部からの改革は可能か?>
トリトンさんみたいに、平信徒達の本音の声を集めれば改善されるなんて、無理でしょ。
UCが献金を集めることやその金額、UCが世界中で垂れ流す赤字、UCの方針、人材育成すべてがグダグダなんだから。
これでUCに期待を寄せることができるというのは、勘違いか妄想・盲信以外に何があるのでしょうね?
もっとも、「俺様のいう事を聞け」というだけで、神様のお仕事をした気分になれるとすれば、それは素晴らしいことであるとは思いますけど。あくまでも自己満足の世界において、という範囲での話ですが。