ミッターマイヤーさんからコメントを頂きました。
お久しぶりでした。ミッターマイヤーさん。
投稿が増えたのは、過去の記事の復元をしたからというのがあります。
さて。
ここから先は、ミッターマイヤーさんではなくて、タイトルにも書いた、元のUC批判的な内容になります。
復元せざるを得なくなったのは、楽天ブログが閉鎖されたからですが、ブログが閉鎖されたから統一教会の悪事が消えるわけでなく、その人の悪事が消えるわけではないことを理解すべきですね。
連続で投稿できたのは、たまたまゴールデンウィークがあったので、という部分も大きいです。
ただ、過去の記事もいくつかはすでにWeb魚拓に取られているものもあり、その意味で緊急避難はすでにできているとも言えます。
ありがとうございました。>Web魚拓を撮ってくださった方。
いずれにしても本家本元があの体たらくでは、もう早、何かコメントをするのも無意味というか、死に体。
それなら、そんな団体、さっさと滅びた方が良いのに、とは思うのですが、いつかどこかに書きましたが、私はUC自体は滅びないと思っています。
あのオウム真理教ですら、いまだに残っている。
統一教会みたいな表看板はそれらしく見えるような団体がつぶれるわけがない。
とは言え、「永遠に不滅です」というほどのものではなく、彼らが千年の長きにわたって生きながらえる「キリスト教」のような世界宗教にはならないことは間違いない。
世の中に誇るべき素晴らしい内容があるわけではないし、キリスト教におけるパウロのような人物の登場もないし、ローマ時代のような命をかけた迫害にも関わらずに信仰を貫くほどの姿勢も信者にはないし、それをさせるだけの魅力を教団が提示できているわけでもない。
看板にうたう「愛と真理による統一」なんてのは夢物語でしかなかったわけですから。
なので、自称メシアの後継者を自任する者たちが群雄割拠する酷い状況のまま、その小さな「自称メシア親分」につき従う「子羊の分裂した群れたち」という状態、小統一教会がいくつも存在するが、彼らや信者の高齢者化、死去とともに自然消滅というのが今後の流れでしょうけれども。
実際、すでに「分裂教会」になってしまっていますし、お互いに激しく罵り合い、攻撃しあい、否定しあうという「内ゲバ」を繰り返すだけですよね。
少し落ち着いて考えれば、こんな状態で「統一」だの語るのは恥ずかしいことだとわかるはずですが、そうならない信者の姿こそ、外から見れば「洗脳されている」と思われても仕方ないわけで。
これで洗脳の定義を述べよとか、アメリカでは否定されていると言った、昔懐かしいホゴン大先生の言葉もむなしく響くだけです。
統一教会の核心は、世界中で誰がなんと言おうと、結局日本と韓国、中でも日本人信者の頑張りによってかろうじて維持されてきていました。
まだ韓国に対する日本のイメージが、「韓流」などという虚像が通じている間に、韓国の「反日教」を鎮静化させておけば、日本人の「韓国は主をお迎えした国なのだから、日本よりは霊的に尊い」という錯覚を維持できていたかもしれません。
たとえば、これも昔に書いたことがありますが、韓国で江利川さんが着物を着て、謝罪行脚を行ったことがありましたが、あの時、その姿を大々的に宣伝して、韓国で「日本を、統一教会の名のゆえに、そろそろ激しい否定はやめよう」とでもやっていれば、今の韓国に対する日本からの間の激しい感情的な嫌悪感まで至らなかった可能性もある。
しかし、戦略的にそういうところに持ち込むような人も、統一教会には誰もいなかったわけです。
結果、なぜか増長してしまった韓国人が誰もが「ミニ文鮮明」と化して、日本から徹底的に搾り取れ!、日本は悪であると世界中に伝えろ!とやり続けてしまった。
それを見た日本人がどん引き。
ここまで日本と韓国の距離が開いてしまえば、いまさら韓国にメシアが来られてとか、なぜならば日本が韓国を40年も(実は40年にもなってないけど)、人類歴史上類例をみないほどに激しく弾圧したからメシアが来られたんだなんて講義を聞かされただけでげんなりする日本人だらけになったともいえます。
「祝福がありますよ」「霊的に清い韓国人との国際祝福ですよ」とか、そんな戯言も、いまさら日本では通じない。
日本はこんな感じで、「韓国」と名がつくだけでもうダメ。
米本さんのレポートにも明らかですが、「日本=人類最悪の民族史観」な韓国の姿勢とは無関係で、かつそれほど知れ渡っているわけでもないヨーロッパでも、「メシアの妻」の訪問ですら人が集まらない。
統一教会そのものが世界中で八方ふさがりになっています。
何番目かの息子が世界中で大活躍!なパシセラ氏のPR活動もむなしいですよね。
こんな統一教会。
残るのは自由ですが、結果については残ることを選択した自らが負うべきであることは自覚しておくべきだと思いますね。
米本さんに「脱会して献金請求でもしようかと考えている」信者が増えてきているようですが、そんなの、自分で考えて自分で決めるべきことですよね。
良い意味でも悪い意味でも、人に答えをもらわないと動けない日本統一教会式の教育の弊害の結果だと思いますが。
自分で考えられないし、決められない。
自分で決めることであっても、誰か(アベル)に回答をもらわないと信仰の原則を外したような気になって、不安を拭い去れない。
これは脱会した後も信者を苦しめる要素の一つになります。
脱会すれば、指示してくれる人はいない。自分で決めないといけないけれども、決められない。
社会と折り合いをつけなければいけないのだけれども、それができない。
自分以外の誰か(アベル)が指示してくれるまで動けない行動習慣が刷り込まれているので、中年になってもいまどきの新入社員以下の行動しかできない。
なので、会社に入っても評価もあがらないし、下手すればすぐに首をきられて、より悪い条件の会社、あるいはブラック企業ぐらいしか勤め先がない。
あるいはネットワークビジネスに手を出す。
他にもいっぱいありますが、とりあえずこの辺でやめときますか。
言いたいことは、統一教会は世の中には、何の役にも立たなかったし、役に立たないどころか、門を閉めたとしてもあぶれた信者が世の中に迷惑を掛けるという意味で、どこまでも社会にとってデメリットしかもたらさなかったということです。
統一教会は、世の中にとって何の役にも立ちませんでした。
早く看板を下ろすべきですが、それすらもできない。こんな団体が滅びないとは、迷惑以外の何物でもないですね。