3年前の今日の日を思い浮かべつつ、まずは黙祷をささげます。
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徳野さんの礼拝か何かの書き起こしが静かなブームを呼んでいる(笑
ちょっと興味が引かれてみたので、私も読んでみた。
なんて言うのか、激しく脱力感が。。。
あえて言わせてもらうなら、徳野さん始め、食口の皆さんは、目の前の出来事が見えないし、書かれているものも読めないし読んでいないし、結果として何も分かっていない。
まず、ミッターマイヤーさんも書いていたが、徳野さんはじめ統一食口の人たちが、やめた人たちの話を「よくよく聞いてみると」などという場面なんかほとんどないだろうという意見には同意する。
仮にあったとして、離れた人のほとんどが、「いやー、あの教会長に躓いたのでやめます」などと言うだろうか?
ちょっと想像しがたい。
ちなみに、私が8年半も前に書いたこんな記事がある。
最近の統一教会信者の信仰生活がどのような形態となっているのか、もはや知らないし関心もない。
けど、基本的にはそれほど大きな違いはないだろうと思っています。
理由は、「彼岸橋」を渡るぐらいの覚悟と決意がなければ、あんなばかげた献金要請に対して唯々諾々と従えるはずがない。
とすれば、そこまでの決意をして彼岸橋を渡って「統一の群れ」に加わった信者が、「よくよく話を聞いてみれば、人に躓いただけ」でやめるはずがないだろう。
まったく徳野さんはじめ、統一教会の信者は自分達の信仰がどんなものなのか、感覚が麻痺して訳が分からなくなっているのではないか?
そんなに簡単に人に躓いてホイホイやめられるような簡単な信仰者を馬鹿みたいに量産して、人に躓いて離れて、それだけだと本気で思っているのか?
そうだとしたら、自分が責任を持っている組織の構成員たる信者を果てしなく馬鹿にした発言だと思うのだが、現役信者はそう思わないのだろうか?
まったくもって、現役信者の考え方と言うのは理解しがたい。
というかさ。
統一教会をやめて反対的な記事を書く元信者は一人や二人ではないわけだ。
彼らの記事を読んで、教会長や夫人部長に躓いて離れたという事を明確に書いている人がいたら、ちょっと教えてもらいたい。
「よくよく聞いてみれば、人に躓いた人ばかり」というほど、人に躓いて離れた信者しかいないのなら、ブログにもそういう記事があふれていてもおかしくない。
どこかにそんな人いたか?
そりゃたくさん記事を書く中では、「あの時の中心者は許せん」とかいう記事をアップした人もいたとは思うが、そんなのは統一教会を受け入れられない、到底続けられない膨大な理由の瑣末なエピソード程度のものでしかないのではないか?
彼岸橋を改めて渡ろうと決意するほどの決定的な理由が「人に躓いた」と書いている人がいるなら、教えてもらいたいものだ。
今までの私の個人的な経験や、ほかの元信者のブログでのやり取りを見る限り、元信者のほとんどが、統一原理は間違っており、文鮮明はメシアではないと考えていると思うぞ。
大体、上で引用した私の古い楽天ブログでは、散々っぱら統一原理批判を書いてきたが、その批判に対する反論をまともに展開できた現役信者には会ったことはない。
「あなたは原理が分かっていません」という、壊れたレコードみたいな信者はゴキブリのようにわいてきたが、じゃあ、どこがどう間違っているのかご指摘を、という切り替えしに対する回答をもらったことがない。
「アンパンマン」とかいうハンドルネームの現役信者が、「中立派」を名乗って一時期絡んできたことがあったけども、結局原理の真理性も文鮮明のメシア性も何も言えずにあっというまに消えた。
思うに、元信者から原理批判、文鮮明批判をされた現役信者は、
「この人は原理が分かっていないので、原理に躓いて離れたのではない。分かっていないだけなのだ。
おお神よ。この可哀相な元信者を許したまえ。」
というだけのことではないのか?
そしてそれが徳野さんのくだんの発言のような形で現れてくるのではないだろうか。
そんなにも「統一原理に躓いたわけではない。文鮮明がメシアであることを否定して離れたわけではない」と言うなら、元信者達のブログで真っ向からやり取りして、元信者達の蒙を啓いてみればよいのだ。
ブログ村を作って仲良くままごとでもやっていると思ったら、元信者や反対派がやってきて、ままごとシートが荒らされた。
それで「批判・告発」カテゴリなんかを作って、「お前らあっちへ行け」とか言っている段階で、現役信者達がどれほど元信者の話に正面から向かい合っているのか分かろうというものですが。
元信者の記事は無視したまま、現役信者に対して「よくよく話を聞いてみると人に躓いた」など、いったい、まともな思考能力の持ち主であれば、こんな矛盾した話しは受け入れられないのではないか?
本気でこの世を地上天国に作り上げ、罪の影さえも見えず、神の愛で堅く結ばれた世界を築こうと建前上は主張する団体の信者が、笑わせる。
こんなおためごかしで内輪のみで盛り上がっているような組織に、心霊復興など望むべくもない。
つまりはトップも自分の信者を愚弄しているし、愚弄された信者も喜んでそれを公開の場にさらけ出して平気。
こんな風に自分のところの信者を愚弄するトップと、そのトップに嬉々として従う信者達とで構成される組織に、果たして未来はあるのだろうか?
追記
上で引用した「彼岸橋」についての記事では、「統一教会をやめること」=「神を捨てること」と書いてあります。
それは、文鮮明は神と一体であり、統一教会こそ神の主管される団体という、徳野さんの礼拝での内容を信じ込んでいる信者の視点から見て語っているに過ぎない。
統一原理の否定、文鮮明のメシア性の否定と神の存在の肯定や信仰とは何の関係もない。
関係あると主張したい現役信者は、それを立証してください。
統一教会をやめること=神を捨てることでもなんでもない。
中には無神論者になる人もいないではないだろうが、ともかく、統一原理の非真理性と文鮮明の非メシア性が否定されれば統一教会にいる理由はない。
統一教会の外にでても神を否定することにはならないし、それは全く別の話であることは指摘しておきたい。