ミッターマイヤーさんからコメントをもらったので返信をしていたら、なんだか500字をオーバーして書き込めなかった。
仕方がないのでお手紙書いた、さっきの手紙のご用事なあに・・・じゃなかった。。。
記事として投稿することにしました。
信者の皆さんがいまだに信者のままでいるのは、仕方ないですね。
これをミッターマイヤーさんに申し上げるのは、少々もうしわけなく思っておりますが。
それから、宗族的メシアさんがミッターマイヤーさんにいきなり変な事を言い出したのは見ていましたよ。
実はあの時、michitakaさんが宗族的メシアさんの記事に(私が見る限りでは至極当たり前な)コメントを書いたこと、宗族的メシアさんはそれには回答せずにコメント削除で対応したことも見ておりました。
あまりの馬鹿さ加減に、よくそんな看板(宗族的メシア)掲げつつ、こんなにも恥ずかしいことができるものだと思っておりましたし。
あの記事を改めて捜して読むほどの気力も意志もありませんので、うろ覚えの記憶をたどります。
あの時、宗族的メシアさんは、「この記事はミッターマイヤーさんについて書いた。想定している相手はミッターマイヤーさんであり、他人が口を突っ込むな」、みたいな感じの対応だったように思います。
しかしね、確かあの記事の本文中には「皆さん」と呼びかけたところがあったはずです。
「皆さん」と呼びかけられたら、誰でも意見を述べてよいと思いますわな。
私でも突っ込みを入れたくなったぐらい。
たとえば「常識の定義から云々」とか、彼は正当な批判の手順を踏んだつもりで議論がずれているでしょとか思えなかったですし。
それなのに、日本語を勉強してから出直して来い、とかえらいけんか腰でした。
別にミッターマイヤーさんに日本語の勉強のやり直しを命ずるほどの問題でもない。
「常識的に言って」程度の枕詞なんか無視しておきゃいい。それよりもあの時の話題について、本質的な意味で問題があるかないかを述べればよいだけのはず。
大体、「宗族的メシア」さまなんですからね。この方。
お互い匿名で相手が誰か知らないからこんな暴言はいて平気なのでしょうけどね。もしミッターマイヤーさんがこの「宗族的メシア」の親戚だったらどうするつもりなんでしょうか?
(これはあくまでもたとえの話ですが、そうでないとも言い切れないでしょう?)
ブログでは「日本語の勉強やりなおしてきやがれ、コノヤロー」ぐらいの啖呵を切る。
もしリアルであったら「いやー、皆さん、私はこの宗族のメシアとしてですね、皆様がたを愛し、許し、団結せよと、このように申し上げたいわけなのでございます。」とか言うつもりなのか?
もうね。誰が考えても恥ずかしいでしょうとしか思わないわけですよ。常識的に考えt・・・
おっと、これは禁句なんだっけな。
いずれにしても、統一教会には希望はないよなぁ。
彼が7年間、必死で宗族的メシアを頑張ったって、絶対、統一教会がよくなることなんかない。
年の初めからなんですが、行く先が遠くて大変ですね、と労いの言葉もかけておきましょうかね。