楽天ブログが閉鎖されてしまいました。削除されてもバックアップはとってるので、復元はできます。
以下、元記事は楽天ブログに2005年7月12日に公開したものをそのまま復元した文章です。
参考:元URL(現在は表示されません。)
http://plaza.rakuten.co.jp/kuroganeyashiki/diary/200507120000/
<以下、元記事の復元内容です。>
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本エントリーは、2回シリーズの「ローマ帝国はキリスト教を400年間も迫害していたか?」の後編にあたります。
1)ローマ帝国迫害時代を検証する 前編 ローマ帝国はキリスト教を400年間も迫害していたか?
2)ローマ帝国迫害時代を検証する 後編 「ユダヤ人は歴史的に嫌われてきた」は本当か? (本記事)
<「ユダヤ人は歴史的に嫌われてきた」は本当か?>
ユダヤ人とローマ帝国 講談社現代新書
大澤 武男 (著)
をアマゾンで検索して、その書評を読んでみて欲しいのですが・・・
ここにその書評の一つを引用しましょう。
古代からローマ帝国の時期までのユダヤ人の歩みを追いながら、ユダヤ人迫害の根源を探った労作です。多神教が常識だった時代に一神教を信奉していたユダヤ人は古代から他民族から気味悪がられてはいたが、それは明確な迫害思想ではありませんでした。明確なユダヤ人迫害思想は、キリスト教誕生後、ユダヤ教とキリスト教の対立関係の中でキリスト教が生み出した「ユダヤ人がキリストを殺した」という主張に基づくものだということがわかりやすく説明されています。
さらにこの年表を見ると、やはりユダヤ人への圧力が強まったのは紀元以後のことのようです。
つまりはイエスが生まれた後の話であって、キリスト教の勢力が拡大するのと反比例してユダヤへの圧力が高まったようです。
この時代のことは詳しくないので、「ローマ帝国の統治」で検索してみると、こんな記述もありました。
「多種多様の民族、文化を統治する上に置いてその存在を認めるという寛容さがローマ帝国の統治の本質といえるわけです。」
つまりは、ローマ帝国は異文化統治の面ではその存在を認める寛容さがあり、多神教を信じていたローマ人にとって、一神教のユダヤ人は気味悪がられてはいたけれども、明確な迫害思想はなかった・・・・
明確なユダヤ人迫害思想は、キリスト教の誕生以後、キリスト教が生み出した、「ユダヤ人がキリストを殺した」という主張に基づくものだ・・・・
ほー。
いや、これはすごいことを書いていますね。
<別途の迫害対象を作り出すことで、迫害をしのいだキリスト教>
この大沢武男先生の著作によれば、つまりはこういうことです。
キリスト教成立以前のローマ時代:ユダヤ教およびユダヤ人に対する、明確な迫害意識はなかった。
キリスト教成立以後のローマ時代:「ユダヤ人がキリストを殺した」という主張に基づき、ユダヤ人に対する迫害が起きるようになった。
もっと図式化しましょうか。
ロ ー マ 帝 国 | ロ ー マ 帝 国 | |
↓統治(迫害ではない) ユダヤ人 |
⇒
キリスト教成立
|
↓迫害 ↓統治:迫害でない キリスト教 ⇒ ユダヤ人 迫害 |
キリスト教の公認・国教化以後 ↓
ローマ帝国 = キリスト教 |
↓迫害 ユダヤ人 |
つまりは、クリスチャンたちは、自分たちが迫害されることに対して、愛と犠牲と奉仕の精神「のみ」でこの期間を耐えしのいだのではない。
もちろん、ユダヤ教徒がイエス・キリストを阻害したから磔刑に処されたということはあるのだけれど、そのことを理由にして自分たちは迫害されているが、それよりユダヤ人が悪いとばかり、別途迫害の対象を作り出してきた、ということが分かります。
確かに、当時のクリスチャンたちは、単なる試練なんてものではない。文字通り命がけで信仰していたのです。
信仰が見つかれば即処刑される中で、それでも主の名を唱えていられるか?
同じことを今やれといわれても、果たしでそれができるだろうか?
自問してみれば、彼らの信仰のひた向きさには心を打つものがあります。
そのようなクリスチャンたちが、新たな迫害対象を作り出すことで、自らの迫害をそらそうとしたことはやむを得ない出来事であったと思います。
しかし、ここでキリスト教の好戦的な性質が実は内包されたのだとも見ることができます。
仮想敵を想定して、その敵を神の敵として迫害することで信仰を高めるという、現代的に言えば「内政に混乱をきたせば外交で点を稼ぐ」を地で行くようなものと言えばよいでしょうか。
394年には国教になったけれども、ここでユダヤ教に対する迫害も極に達したと見るべきでしょうし、いくつかの安定期もないわけではないけれども、その後十字軍戦争を引き起こし、大航海時代は今度は未開の文明に対する文明化(civilization)という名の征服戦争を行い、それが植民地時代へと結びつく。
その果てにアジアをも飲み込んだところで、日本がそのキリスト教国家群に対してなんと戦争を仕掛けてきた。
そして日本が敗戦した今、今度はその敵は中東のイスラム勢力であり、そして今また覇権主義を目指す中国・・・
そしてそれを引き継いでいると自称する統一教会もきわめて好戦的です。
自らの主義・主張に沿わないものはサタンにされてしまうのだから・・・・
ここで何度も指摘したホワイストーリーにおいても、さすがにサタン呼ばわりはしませんでしたが、やくざだの犯罪者だの、言ってみればこの世のサタン扱いでした。
要するに、2000年の昔から人間は変わっていないことが、また確認された、ということでしょうか。
摂理的同時性に関して、彼らの主張する苦役・迫害時代を検討してみたら、不思議なところにたどり着いてしまいました。
今日の日記のテーマに立ち戻ってみますと、「ローマ帝国迫害時代」も、彼らが主張するような、
・ローマ帝国の言われなき迫害が400年も続き、
・その中を堅く信仰を守り愛と犠牲と奉仕の精神でローマ帝国を屈服したクリスチャン
という図式は、実像を照らし出していない可能性がある、ということは指摘しておきたいと思います。
<摂理的同時性シリーズの最後に・・・>
このエジプト苦役とローマ帝国迫害、そして日帝36年支配を取り上げた理由は、既に明白だと思いますが、彼らの主張するような「苦役」や「迫害」は存在していなかったか、存在していても単に加害者・被害者という二分法でくくれない複雑な要素が絡んでいたり、期間がずれていたりしていることで、彼らの主張がおかしいことを考えてもらうための絶好の材料であったという理由がまず一つ。
さらに、そのずれ方というか勘違いの仕方が、まさしく韓国人の思考方法による捕らえ方に収斂していると見えることが、二番目に上げられます。
そして三番目として、彼らの主張する時代認識や出来事の認識とは、まったく正反対の意味で、皮肉にも摂理的同時性が正しい仮説であるかも知れない、と考えたからです。
こんなにも愚かな逆転劇が起きた背景には、この「摂理的同時性の各時代は、年数や出来事がそれぞれ対応している」とする彼らの主張が、そもそも韓国で原理が書かれた時代での一般人の常識的認識のレベルに過ぎなかったからで、そのような素人の書いたものがあたかも歴史を貫く真理であるかのような表現をした勇み足があったと思われます。
このためにその後の目を見張るような学問的成果によって、彼らのステレオタイプな歴史に対する認識が覆されてきています。
それにしても、今回の件も見事な自爆となりましたね。統一原理の誇るべき内容とやら・・・